葬儀・告別式

大叔父の葬儀・告別式が13時より豊中の加納会館で執り行われました。
大叔父は門徒でしたから葬儀は仏式でした。うち(家門家)の宗派は浄土真宗本願寺派(お西)なのですが、大叔父が婿養子に行った先の青木家は真宗大谷派(お東)です。東西の本願寺は1602年に政治的意図により分立され今日に至ってますが、元は同じ浄土真宗ですから、御本尊は阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)、根本経典は大経観経小経浄土三部経です*1
浄土真宗の葬儀には「引導を渡す」という作法はありません。阿弥陀仏の本願により既にお浄土に往生する事が定まっていますので、あらためて「引導」を渡してもらう必要が無いのです。また、枕経に始まる葬儀全体の法要も、故人が主催する仏事と考えられています。枕経はお念仏を喜んできた生活の総纏め、お通夜は最後のお夕事、出棺勤行は家のお仏壇の前での最後のお勤め、葬場勤行は人生を締めくくるお勤めですから、故人が調声(導師)を勤め、参列者全員でお経を上げる事になっています*2。勤行(おつとめ)は小経正信偈でしたが、本願寺派(お西)と違い大谷派(お東)の読経作法は独特の節があり難しかったので、お念仏を称える以外は経典を目で追うだけしか出来ませんでした。
出棺の後、火葬の合間に食事を摂り、収骨に行き、還骨法要と併せて初七日法要を2日繰り上げて執り行いました*3
全ての法要が終わったのが午後6時半。今頃はお浄土で祖父と会っているのかな?

*1:但し、お経の節が大きく異なりますので、別のお経を称えているような感じになります

*2:僧侶は故人の代理として調声を勤めます

*3:還骨法要以降は遺族が主催する仏事となりますが、他宗のように追善法要といった意味はありません

パッケージ販売?

さとみかん経由で見たWind Reportで、仏式の葬儀について以下のような記述を見つけました。(発言の一部を引用して揚げ足を取るのは本意ではないのですが、どうしても気になる一言だったので採り上げさせて頂きました)

つまり死亡から通夜,荼毘,初七日,四十九日,……納骨といった一連の葬祭サービスが,僧侶と葬儀屋の葬祭コングロマリットによって全てパッケージ販売される

仏教の形骸化が進んでいる現代ではそういった認識の方も多いのかもしれませんが、葬祭コングロマリットによるパッケージ販売というのは酷過ぎませんか? 一般的に普段は仏教に見向きもせず、自分の先祖が信仰してきた宗派について何一つ知らない人が葬儀のみ仏式で行おうとすると、こういう認識になるのでしょうね、寂しい事です*1

*1:と言っても平野さんのところは神式の葬儀だったようですが……