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本願寺

(一般)
ほんがんじ

福岡県福岡市西区野方1-4-15にある浄土宗の寺。

金峯山と号するこの寺は、かの浄土真宗の大本山とは何の関係もなく、行明という僧が室町時代の天文年間(1532年〜1554年)に開山した小寺である。

近世には同市内の極楽寺に属し、浄土宗鎮西派を宗旨とした。

すぐ近くに天満宮があり、西鉄バス『野方天満宮前』からすぐ。

 参考資料:本願寺 〔金峯山〕

本願寺

(一般)
ほんがんじ

親鸞の血脈子孫を代表者(門主・門首)とする浄土真宗の本山。親鸞の孫の覚如(1270〜1351)に始まる。

第8代蓮如(1415〜1499)は、御文章(御文)と呼ばれる文書伝道を盛んに用い、中興の祖といわれ、本願寺を飛躍的に発展させた。
戦国時代末期の第11代顕如(1543〜1592)のとき、蓮如が建てた石山本願寺(現在の大阪城の起源)を要求する織田信長と戦った石山合戦(1570(元亀元)〜1580(天正8))の終結方法につき抗戦派長男教如(1558〜1614)と和平派末子(第4子)准如(1577〜1630)とが対立したが、顕如はついに和平し退去した。
1593年(文禄2年)に、豊臣秀吉は、既に本願寺を継承していた教如を廃し、准如に本願寺を継がせた。一方、1602年(慶長7年)、本願寺勢力の分断を目論む徳川家康は、教如に土地を寄進して本願寺を建立させた。
双方とも、正式名称は本願寺を称するが、教如の本願寺を東本願寺(お東)、准如の本願寺を西本願寺(お西)と通称する。教団名は、それぞれ真宗大谷派、浄土真宗本願寺派という。

西本願寺派(浄土真宗本願寺派)の方が、門徒数が多いため、単に本願寺あるいは本願寺教団というとき、西本願寺(の教団)を指すことがある。現在の西本願寺門主は、大谷光真。

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