親鸞の血脈子孫を代表者(門主・門首)とする浄土真宗の本山。親鸞の孫の覚如(1270〜1351)に始まる。
第8代蓮如(1415〜1499)は、御文章(御文)と呼ばれる文書伝道を盛んに用い、中興の祖といわれ、本願寺を飛躍的に発展させた。
戦国時代末期の第11代顕如(1543〜1592)のとき、蓮如が建てた石山本願寺(現在の大阪城の起源)を要求する織田信長と戦った石山合戦(1570(元亀元)〜1580(天正8))の終結方法につき抗戦派長男教如(1558〜1614)と和平派末子(第4子)准如(1577〜1630)とが対立したが、顕如はついに和平し退去した。
1593年(文禄2年)に、豊臣秀吉は、既に本願寺を継承していた教如を廃し、准如に本願寺を継がせた。一方、1602年(慶長7年)、本願寺勢力の分断を目論む徳川家康は、教如に土地を寄進して本願寺を建立させた。
双方とも、正式名称は本願寺を称するが、教如の本願寺を東本願寺(お東)、准如の本願寺を西本願寺(お西)と通称する。教団名は、それぞれ真宗大谷派、浄土真宗本願寺派という。
西本願寺派(浄土真宗本願寺派)の方が、門徒数が多いため、単に本願寺あるいは本願寺教団というとき、西本願寺(の教団)を指すことがある。現在の西本願寺門主は、大谷光真。