1年余り続いた、一向一揆との苦しい戦い。しかし1533年6月、一向一揆との和議が成り、ようやく京に平和が訪れた。将軍・足利義晴と新管領・細川晴元は、更にそれから1年たった1534年6月になって、ようやく入洛を果たしている。将軍・義晴は南禅寺を仮御所として政務を見たようだが、晴元は京には住まず、近くにある摂津芥川城へ入ったようだ。 いまだ戦いをやめない、一部の本願寺抗戦派と対峙する必要があったのも確かだ。だがそれよりも機を見るに敏な晴元は、在京することで生じるであろう法華宗徒たちとの政治的対決を避けた節がある。幕府による京の支配は、今までのようにはいかなかったのである。 一向一揆は実に手強かった…