1467年、叡山による2年に渡る「法敵認定」がようやく解けた蓮如。しかし苦難は続くのだ。「寛正の法難」の際、蓮如は寺宝である親鸞影像と共に湖南をあちらこちらと彷徨っていたが、堅田に長くいたことがあった。堅田の町には、本願寺老衆である法住が率いる本福寺があり、桶の尉ら熱心な門徒を擁していたから、蓮如にしてみれば安心できる町であったのだ。 しかしこの堅田が、とある事件をきっかけに叡山と全面戦争になるのである。この大イベントを「堅田大責」と呼ぶ。これに関して記事を少し書き進めてみたのだが、事件の背景を説明するにはまず堅田の町の成り立ちから説明しなければならず、また町の社会構造、その独特の気風、事件の…