1473年に弟の幸千代に敗れ、加賀から越前に落ちのびてきた富樫政親。蓮如は彼に対して金銭的に補助し、積極的にバックアップしていたようだ。これはなぜかというと、その背景には北陸における信徒の奪い合いがあったからなのである。 吉崎に本願寺がやってきて、凄い勢いで教線を伸ばしていったわけだが、当然のことながらそれは「他宗派の信者を奪う」ことによって成し遂げられたことであった。本願寺に多くの信者を取られたのが、北陸に大きな勢力を持っていた三門徒派、そして真慧率いる専修寺の高田派であったのだ。 高田派のリーダー・真慧にしてみれば、本願寺の横暴に対しこれ以上指をくわえて見ているわけにはいかなかった。かつて…