過去の記事で紹介したように、1466年に史上初の一向一揆、本願寺門徒vs叡山僧兵の戦いが金森にて行われている。この「金森一揆」の際には、一揆勢は戦いに勝利したにも関わらず、非戦派の蓮如の言いつけに従う形で、おとなしく金森を叡山に明け渡している。 しかし北陸においては再三の注意にも関わらず、門徒たちは蓮如の指示に従わなかった。この違いはどこにあるのだろうか? 吉崎御坊時代に蓮如が各地に下した御文章を読むと、北陸の門徒たちに苦言を呈している内容が目につく。その内容は多岐に渡るのだが、どうも彼ら新規参入組の持っていた信仰は、蓮如の教えとはかなりのズレがあったようだ。蓮如が教義の面でも大きなフラストレ…