以前、(死について)〈消滅を前に 紅葉の色づく如くに -自ずからなる覚悟-〉という記事を書いた。 そのように死の覚悟について思いを巡らしていたせいか、皿洗いをしていた時、ふと次の言葉が口を突いて出てきた。 「たかだか相対世界のことよ」 仮に死を「絶対の世界」とすれば、この死の世界から観れば、現実の生きている世界はさまざまな尺度で覆い尽くされた「相対世界」(仮の世界)でしかない。 死の覚悟を定めて、この現実の世界を観たらきっと「たかだか相対世界のことよ」と思えるに違いない。この現実世界が「軽く」観えてくる。 そうは言っても、この「軽さ」を「気まま」「放逸」「放蕩」と思われては困る。相対世界には、…