ラッシュ 俳句(45g)
日本の短詩。 五七五の三句の定型から成り、季語を含むことを約束とするのが基本。 字が規定の文字数より多くなることを「字余り」足りないことを「字足らず」 俳句詩人を俳人と呼ぶ。 関連:川柳
5月が始まって3日目。ようやく、5月らしい空が広がっています。 先月は、ここ2年ほどの中で、私としては不思議なほど次から次へと俳句を詠めています。いつ頃からだったか、言葉がきゅっと詰まったように自分の中から出なくなり、自分が主宰している花拾い句会へ投句する3句でさえ、どうにかこうにかやっと・・といった状況が続いていました。 その理由を考えてみた。4月から結社に入り、月に6句投句しなくてはいけなくなったという”締め切り感”が背中を押してくれているのもあるとは思う。さらに、6句を投句するために、些細なことでもとりあえず「拾っておこう」という意識になったことで、言葉を紡ぐことへのハードルを意図的に下…
花に酒 僧とも侘ん 塩ざかな (はなにさけ そうともわびん しおざかな) 宝井其角 〈意味〉 花には酒だ。僧侶と飲むには侘びが必要だろう。塩を肴に酒を飲もう。
鷹羽狩行の生涯 幼少期と俳句への道 鷹羽狩行(本名:髙橋行雄)は1930年に山形県新庄市で生まれました。父は土木技師であり、その仕事の関係で広島県瀬戸田町(現在の尾道市)で少年期を過ごしました。1943年に旧制尾道商業高校に入学し、1946年に教師・新開千晩の影響で俳句を始めました。校内俳句雑誌「銀河」に投句し、翌年には佐野まもるの「青潮」にも投稿を開始しました。 俳句活動の展開 1948年、山口誓子の「天狼」に入会し、俳句の道を本格的に歩み始めました。中央大学法学部に進学し、卒業後はプレス工業株式会社に入社しましたが、俳句活動を続けました。1959年には山口誓子から「鷹羽狩行」の俳号を授かり…
一本も なし南朝を 知る桜 (いっぽんも なしなんちょうを しるさくら) 鷹羽狩行 〈意味〉 一本もないんだな、かつて南朝があった頃を知る桜は。
もう鯉幟(こいのぼり)など揚(あ)げる家はない み
楠の若葉はこれぞ若葉と思える色合いで一際目立つ。 正面から朝日を受ける一樹全体がキラキラ輝いている。 近くにある周囲に楠を配した広場は一年で最も華やかな 季節を迎えている。 惜気なく朝日を零す楠若葉 追記 楠はアレロパシーなるものが強く、自ら発する物質で 他の生物の生育を妨げているそうだ。 乾燥にも強く、いつも掃除されて土がむき出しになって いるような寺院でも大木に育つと言う。納得!
5月3日 <季語*紫陽花> ● ルビー色 紫陽花あじさいが咲く 記念の日 (5/3) 結婚記念日です。数えてみると40年目の記念日です。それをルビー婚と言うそうですね。花屋さんの店先に紫陽花が並ぶ頃となりました。今年は、ルビー色の紫陽花に目が行きます。 【17音のショートポエム2025年5月はこちらです】 ---------------------------------- 紙飛行機ドットコム テガミスト*Diary ----------------------------------
① 午前中の雨は何だったのだ、と思える程に昼からは快晴となりました。 ② 雨上がり後は大気の透明度が上がるのでしょうか、見慣れた景色がことさら美しく感じました。 ③ もう季節は春から新緑の季節に移ろうとしているのを感じた一枚です。 🔷 * * * 長居植物園にて(EMIMK3+12-100)
春暁や 人こそ知らね 木々の雨 (しゅんぎょうや ひとこそしらね きぎのあめ) 日野草城 〈意味〉 春の夜明け前だなぁ。人々はみな眠っていて知らないのだろうけれど、木々にやわらかく雨が降り注いでいる。
坪内稔典の歩み 坪内稔典(つぼうち としのり)は、1944年生まれの俳人・国文学者であり、京都教育大学名誉教授として知られています。彼の俳句は、口誦性(こうしょうせい)と片言性(かたことせい)を重視し、軽快で遊び心のある作風が特徴です。さらに、正岡子規の研究を深め、俳句の普及にも尽力しました。 生い立ちと学問的背景 坪内稔典は愛媛県西宇和郡町見村九町(現在の伊方町)に生まれました。高校時代から俳句を始め、伊丹三樹彦に師事しました。大学は立命館大学文学部日本文学科を卒業し、同大学院で修士課程を修了しました。その後、園田学園女子大学助教授、京都教育大学教授、佛教大学教授などを歴任しました。 俳句活…