1480年に完成した山科本願寺の御影堂は、巨大かつ意匠を凝らしたものであった。使用された柱50本は大和から、天井は大津で拵えたものを運び込み、四方の縁などには深草産の杉が使用された、とある。大工・番匠たちもまた、諸国の門徒たちが大量に動員されて造作にあたったのである。 現地の説明版に記載されている、「山科本願寺復元イメージ図(梶川敏夫画)」。この復元図は1515年以降のものであり、設立当初のものではない。蓮如存命時には、寺内町を守る堀と塀はあったとしても、ここまでの規模ではなかったであろう。この画像レベルの城郭化を進めたのは、実如から証如に至るタイミングで1500年頃から15年頃にかけてのよう…