信長は石山本願寺を包囲する形で各所に砦を築いて、じわじわと本陣に迫っていく。だが本願寺は海岸線に大小いくつもの砦を構築しており、浜手から本陣へと続く地域を確保していた。この海からの補給路を潰さない限りは、本願寺は弱体化しない。海岸線にある木津一帯には、南に突出するような形で幾つかの本願寺の砦が頑張っていた。 信長の命をうけ、木津にある砦を攻略すべく5月3日、原田(塙)直政を主将とする攻撃隊が天王寺砦から出撃する。空いた天王寺砦には、代わって佐久間信栄と明智光秀が入った。攻撃隊の先陣は三好康長・根来衆・和泉衆、二陣は原田直政・大和衆・山城衆であった。 ちなみにこの原田直政は、信長の馬廻りである母…