1558年10月27日〜1614年11月6日 日本の安土桃山時代から江戸時代にかけての浄土真宗の僧。本願寺十一代の顕如の長男。 本願寺十二代だったが、文禄2年(1593年)に豊臣秀吉の命により一旦退隠させられた。その後、 慶長7年(1602年に徳川家康より烏丸六条に寺地を寄進され本願寺を分立して復職した。本願寺は教如の真宗大谷派と弟の准如が継承した七条堀川の本願寺(いわゆる西本願寺)の浄土真宗本願寺派に分裂した。なお、彼が建てた本願寺は現在の真宗本廟である。
信長が宿敵 本願寺顕如【電子書籍】[ 鈴木輝一郎 ]価格: 550 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 本願寺第10世証如の子にして、11歳で父が急死したことで、急遠得度して本願寺を継承した顕如。妻帯が認められている浄土真宗(ひたすら念仏を唱えることから、一向宗とも呼ばれる)として、14歳で公家の名門三条家から「きた」を嫁とし、天皇の綸旨により「御門跡」となった。朝廷との繋がりを深め、門徒は増加して経済力も高まり、そして一向一挨など軍事的な力も有する。教団は石山本願寺を拠点として、大名に匹敵する権力を持つようになっていた。 そんな時織田信長が上洛する。信長は旧弊を打破する意欲をみなぎらせ、面会し…