古代日本の国家体制は、中央集権的な性格を持っていた。それが崩れ始め、地方分権の時代が始まる。それがリゾーム構造を有する、日本の中世なのである。それにしても何故、日本の中世はこんなにも複雑な社会構造になってしまったのだろうか。 これには複合的な理由があり、歴史学者たちが昔から喧々諤々論じている問題でもある。筆者レベルの学識ではとても追いきれないので、ここでは深くは立ち入らないことにするが、ただひとつだけ、リゾーム構造を象徴する例として「加地子得分」を紹介してみようと思う。 加地子得分とは何か。実は過去の記事で、この言葉は散発的に出てきてはいる。 中世以前の日本社会を支えた主な体制は「荘園公領制」…