市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

名古屋城についての事実確認と現状の推測(2)


まず、河村市長にとっては「名古屋城天守閣を木造化できたらええねぇ」ぐらいの漠然とした「夢」だった。
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そこに、某ゼネコンが「2020年までに<木造化できる>」という提案を行い。
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「2020年、東京オリンピック開催に向けた、名古屋の観光の目玉に!」と、名古屋城天守木造化が本格的に騒がれ始めた。
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しかしこの時、提案された<木造化天守>は「ハイテクハイブリッド木造」であって、現代建築のノウハウによって建てられるものであり、鉄骨階段、ガラスの防火壁、エレベーター、外階段などが設置され、現代の建築基準法、消防法、バリアフリーなどに配慮したものであった。

某ゼネコンとしては、現代の公共建築物を作るのであり、人命を預かる責任からも、耐震性や耐火性を備えたものでなければ作れないだろう。自分が作り上げた建築物が、火災や地震において人的被害を生み出してしまっては、こんな寝ざめの悪い話もない。公共建築物を作るにあたって、標準的な自治体が、つまりは担当するお役人が、前例や法令に厳しく、コンサバに構えるのには、それなりの理由がある。火災が出ても避難路がないような建物、時折見聞きする、違法な内装工事が行われ、火災によって多大な被害、死亡者を生み出すようなネットカフェや風俗店、避難設備の備えに対して無自覚な現在の名古屋市名古屋城天守の話を聞くと、こうした無責任な違法建築を連想する。こうした無責任な店舗などでは、仄聞すると無責任な経営者、それも非常に「ケチな」経営者が、当然なすべき設備投資を怠ったが為に被害を生み出している。こうしたケチな態度。ちょうど、学校の冷房施設設置に、家電量販店の安売り広告を持ちだして、設備費をケチろうとした「経営者」の姿がダブってみえる。

それはともかく、某ゼネコンの提案は理解できる。そこにあるのは「2020年、東京オリンピックまでに木造復元」という公共建築としての課題の実現であり、そこに齟齬はない。

こうしたものを、名城公園やら名古屋港のイタリア村跡地にでも建てるのであれば造作もない事だろう。
金さえかければなんでもできる。

そしてそのようなものは「ノイシュヴァンシュタイン城」と同様、「愚者の城」でしかないだろう。文化的価値などない(ネガティブな意味でいえば、「笑える」という文化的価値は有る)

しかしここで迷走が始まる。
まず、「東京オリンピックに向けた観光の目玉」という当初の目標が消し飛ぶ。
2020年竣工は無理となり、完成予定は2022年とされた。

論理的に考えれば、当初の目的である「東京オリンピックに向けた観光の目玉」が破たんし、2020年完成が無理であるのなら、東京オリンピックまで着工は延期し、オリンピック以降、2020年以降に着工すれば良いように思えるが、なぜだかこうした結論には至らない。
名古屋市は無理にも早期着工して、結果として当初の目標である筈の「東京オリンピックに向けた観光」という観点では、天守のない石垣。無粋な仮設テントで観光客を迎える事になる。この仮設テントに天守建物の絵姿を描くそうだが、いっそう哀れをさそう。(そして、笑える)

さらに迷走は迷走を重ねる。

名古屋市は、つまりは河村市長は(地方自治体において、意思決定権があるのは首長なのであって、名古屋市の決定権、決定責任は首長である河村市長一人にかかっている)平成27年12月の「業務要求水準書」において、名古屋城天守整備の為の条件を明記している。これは多分、提案者である某ゼネコンのプランと表裏一体の「仕様要件」であって、その姿は現代の法令に準じた「ハイテクハイブリッド木造」の姿だ。

名古屋城天守閣整備事業にかかる技術提案・交渉方式(設計交渉・施工タイプ)による公募型プロポーザルを実施します。:名古屋城公式ウェブサイト

しかし、ご本人はこの「ハイテクハイブリッド木造」がお嫌いのようだ。
または、某大学のM教授にでもネジを巻かれたせいか、こうした現代の建築基準、公共建築としての条件を無視して、「本物復元」に固執し始めた。

某ゼネコンとしても騙されたようなものだ。
「業務要求水準書」に書かれたような法令や各官庁との整合性は無視され、一向に要件定義が確定しない。
法的にはこれで建築物の「基本設計」が成立するわけがない。

法令はともかく、各官庁との調整は某ゼネコンではなく名古屋市が責任を負って進めるとされている。
国交省に対しては、建築審査会の合意を、
文化庁に対しては、現状変更の許可を、
そして、名古屋市に対しても消防局との合意を得なければならない。
この内、建築審査会や消防局と言うのは、政令指定都市である名古屋においては、名古屋市自身の所管でもある。

そもそも建築物としては、住宅都市局。
その防災的観点からは消防局、さらに文化庁への対応には教育委員会の全庁的対応が必要になるだろう。
しかし、名古屋市河村たかしは観光文化交流局に丸投げのままである。


世間的には「日本の城郭建築の権威」と言われている某M教授。
大洲城の再建をご自分の手柄のように語られるようだが、彼は城郭の研究家ではあっても建築については素人だ。(追記:「彼は一級建築士の資格を持っている」という指摘を受けたが、実務経験が無いのであれば畳水練というものだろう)
現に大洲城については安全評定がなされていないそうで、そうした意味では違法建築だ。
規模が規模だけにその違法性は厳しく追及はされていない。しかし、だからといってその違法な運用が何にでも通じるわけではない。

大洲城名古屋城ではその他にも大きく条件が異なる。
床面積、最上階高さを含めた規模の差。
大洲城では建物自体が失われていたが、名古屋においては文化的価値も評価されている天守建物が現存するという問題。
(城郭建築の専門家として、現在の名古屋城天守が鉄骨鉄筋コンクリートのレプリカであるから、価値がないとするなら、ご自分が企図している木造はレプリカではないのだろうか?文化財の価値はオリジナルはオリジナルであるから価値が高い。この当たり前のことにはお気づきにならないのだろうか?そして、ご自分が企図される木造レプリカの新造によって、現在の昭和遺構としての天守を破壊するとすれば、その批判に耐えられるものだろうか?)
そして、大洲城においては建築費が公的負担を仰いでいないという事実だ。
学者として、そのコストについては知った事ではない。というのなら大いなる無責任だ。
名古屋市はこのバカげた事業で500億円(金利負担も含めたら1000億円近く)さらに、姫路城の例を見れば30年ほどで30億円から50億円程度の改修費となれば、今後も名古屋市に多大な財政的負担を強いる事になる。
M教授はこうした批判に耐えられるのだろうか?
名古屋市出身の筈だが、故郷の名古屋市にこれほどの影響を残して、名を惜しまれないのだろうか。


付記:
ここで、ちょっと脇にずれる。
現在、名古屋城天守を木造化する一番の理由は「耐震性の確保」だそうだ。
つまり、名古屋市に「なぜ天守を木造化するのですか?」と聞いた際に、
文化的価値も観光的効果も、すでに脇に追いやられてしまっている。
つまり、名古屋市当局としても、文化的価値や観光的効果を訴えても説得力がない事を承知しているのだろう。
(一人を除いて)

名古屋市は「耐震改修を木造化によって確保する」としているのだが、
こんなアホな話をフンフンと聞いて記事を書いている記者は豆腐の角にでも頭をぶつけた方がいい。
なんでも、事業者が木造構造に対して耐震試験を行っていると、テレビカメラを担いで取材したようだ。
その模様もテレビニュースで取り上げられていたようだが、その際に掛けられた負荷は震度5だったそうだ。

また、「震度6から7といわれた濃尾地震においても、名古屋城の木造天守は耐えた」と報じた報道機関もあるという。
受信料を返せ、バカ者。
濃尾地震の頃は現在のような震度計など無い。被害の状況によって震度を著したのであって、
そういう意味では「震度6から7に耐えた木造建築」などという言葉は語義矛盾だ。
木造建築が耐えられた震度であるならば、せいぜい震度5程度であったと推測するのが正しいし、実情もその程度だっただろう。
震度6から7といわれた濃尾地震」という言葉と、「濃尾地震に耐えた名古屋城の木造天守」という言葉は安易につなげてはいけない、ここに政治的意図があればプロパガンダになり下がるし、無意識に報じているのであれば人命にかかわる事であるだけに無責任だ。

オリジナルの名古屋城震度7に耐えられたという証拠は無い。有るというのであれば提示して見せよ!
根拠もない流言飛語をもって市民、有権者をミスリードするのであれば、報道機関としてあまりにも無責任だ。

本当に、史実に忠実に再現したら、名古屋城天守震度7に耐えられるのか?
なぜ、江戸時代の技術が震度7に耐えられると言えるのだろうか。

伝統の賛歌、称揚は結構だろう。しかし、それが根拠のないものであれば単なる嘘でしかないし、
人命にかかわるものであれば犯罪だ。その責任の重さを自覚できないのであれば、筆を置くべきだ。