ライブ

落ち込んでいます。何故ならラーメンズの第十五回公演「アリス」が始まっているのに、行けそうも無いからです。
それはもちろん私自身がラーメンズを知ったのが遅過ぎるのが悪いのですが、それでもぐずぐずと、アリス関連のネタばれ掲示板の前で立ち止まり、しかし中身は決して見ずにため息をついてる自分が笑えます。

ほんの数日前の日記に「ラーメンズを知らなかった日々を悔やむとともに、まだ見てない作品があることを嬉しく思う」と書いたばかりですが、正直に言えば悔やんでるのです。
というかそれほどまでに物凄い勢いではまってしまったとも言えます。

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と言う訳で今日はこの感情について冷静に分析してみたいと思う。

まず、私がかつてこのような気分になるのは、今までに数回しかないことだった。
それはRADIOHEADのライブチケットをとるとき、そして残念ながらもう見ることが出来ないFISHMANSのライブチケットがとれなかったとき。そしてこれももう見ることが出来ないJEFF BUCKLEYのライブビデオを見ているとき。

幸いなことに、RADIOHEADのライブには、初来日は逃したものの、それ以外の東京公演には全て行くことができている。しかし、それでも来日するという告知がされてからは気が気ではない。10回以上もライブに行っていて、それでもなお、そういう気分になってしまうというのは、ひとえに今までのライブが期待以上のものだったからという信頼によるものだ。

ファンだから、と言ってしまえば簡単なのだけれど、何故そんなにライブに行きたいか、と聞かれれば、それはその一回しかないことだから、と答えたい。
そこにはきっと、その場にいた人にしか感じられない出来事があり、またその場に居る人たちとともに感じるからこそ、得る思いというのがあるんだと思う。

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なんだかぐちゃぐちゃと書いてしまったけれど、最後に1つ。
こんな風に、やきもきする気持ちは持て余してしまうものだけど、同時にそうさせてくれるものの存在はとても嬉しい。
とりあえず当日券に並ぶんだろうな。その為にも仕事を片付けなきゃ。

占い

残業中、友人から突然「今日占い行かない?」との誘いがきた。
私はあまり占いは好きではないんだけど、仕事にもキリがつくところだったし、給料日だし、その友達も久しぶりだし、ご飯を食べながら、おまけみたいな感じで占いがついてくるのだというから、行ってみることにした。

ご飯は中近東料理ということで、期待していたのだけれど、苦手なピーマンが山盛りで萎えてしまう。しかしその友達とは久しぶりだったから、互いの近況を話あっているうちに、あっと言う間に時間は過ぎた。

そして肝心の(?)占いタイム。占い師は外国の方である。
とても感じの良い人でだったのだけど、やっぱり私は占いに向いていないみたいだ。

「あなた一人でいるの好きでショ。でもそれダメよ」
という忠告にもなんか苦笑してしまう。
だって知らない人だしね。
というかそもそも聞きたいこともなく、占いに行くと言うのが間違っているんだろう。
もちろん、私にだって悩み事はある。見ず知らずの人だからこそ、話せることっていうのもあると思う。
ただ、私は私の悩み事を「当てて欲しい」とは思っていないだけなのだ。

友達は彼氏について「何か障害がある」と言われたことをとても気にしていた。そしてそのまま彼氏の家に帰っていった。
そんな友達を見ながら、だいじょうぶだよーと思う。

皆そうやっていろんなこと考えながら、いつのまにか解決してたりするんだろうな。そしてその解決の糸口としては占いも役立つのかもね、と思う。
すべて世は事も無し、と言う言葉が浮かんだので出典を引用してみます。

海潮音―上田敏訳詩集 (新潮文庫)

海潮音―上田敏訳詩集 (新潮文庫)

時は春、日は朝、朝は七時、片岡に露みちて、揚雲雀なのりいで、
蝸牛枝に這い、神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し
ロバート・ブラウニング
海潮音」より「春の朝」 上田敏

ローリング・サンダー航海日誌

私の大好きな「パリ・テキサス」に脚本家として参加するとともに、出演もし、男優としても活躍するサム・シェパードによる、ボブ・ディランのローリング・サンダー・レビューというツアーの記録。
そもそもシェパードはこのローリング・サンダー・レビューに伴い映画の脚本を書く為にディランから同行を要請される。

しかし冒頭でディランがシェパードに語った「関連性をもたせる必要は無い」という言葉の通り、この本に収録された98編は(明確には)リンクしていない。
しかし、ただディランという存在のみが、ツアーそのものの核であったように、読者は、サム・シェパードの目を通し、ディランという存在を感じ、ツアーを体験する為にページをめくってしまう。

あとがきによると、ローリング・サンダー・レビューは二期に分けて行われ、そのうちサム・シェパードが同行したのは第一期の約2か月間ということである。

私はこの本を読んで、シェパードの文章が写生から心象へと移行し、やがて混沌のはてに昇華する様を見た様な気がした。ボブ・ディランという強烈な存在と時代を感じながら、私には最後まで全体の印象を持つことが出来なかった。
そしてもしかしたら筆者自身もそうだったのではないかと思う。
この「特別」なツアーの全貌を、自身(シェパード)が記録するのではなく、体験した、ということが書かれたのがこの作品だと思う。

なんだか混乱しているけれど、再びあとがきの言葉を借りれば「98編の短編映画を見る」様な気持ちで読むのが良いような気がする。

特に印象に残ったシーンとして、ダンキンドーナツについての記述があった。ダンキンとはDUNK IN(浸す)という意味だったのだろうか?
そしてバエズのドレス姿、ジョニについての記述など、私も見てみたかったというシーンは数限りなくある。本当にすごいツアーだ。
また、この記録は後に「レナルド&クララ」という映画にまとめられているらしいけれど、私はまだ見ていない。是非見てみたいと思う。
血の轍
1988年からディランは「ネバーエンディングツアー」という名のツアーを始め、それは現在も続いている。ほんとうに特別な人だと思う。

ちなみに私が最も好きなディランのアルバムは「血の轍」。
丁度このローリング・サンダー・レビューが行われた1975年に発売されたものである。