ディア・ライフ #005


秋風が心地いい窓辺であったかなレモングラスのお茶をいただきながら、みなさまこんにちは、hazamaです。この数日、少し涼しくなって、何だか夕食には熱いスープやシチューが恋しくなってきましたね。昨夜、わが家ではゴロゴロお野菜のポトフをメインにしましたw 大きなお鍋でじっくりコトコト……。スープ料理は、ほ〜っとココロまでくつろぐお味ですね〜。あぁ、今年もようやく落ち着いた気分で夕食を楽しみたい季節がやってきました。これから実りの秋をひかえて、旬の味覚がどんどん出てきますね。そろそろ、秋の美味しいもののお話も交わして楽しみましょうね〜♪


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「わが家と暮らしのなかにある、幸せの色」

#005テーマ
「わが家と暮らしのなかにある、幸せの色」


さて、今日は“ディア・ライフ”#005の語らいのスタートです。イエと暮らしの愛しい物語、今回のテーマは「わが家と暮らしのなかにある、お気に入りの色」。今のイエ、かつて暮らしたイエ、そしてお部屋の中にあるものでもお庭やベランダのものでも、みなさまはどんな色が幸せに目に浮かびますか? そしてそれは、どんな光景やエピソードを物語る色でしょうか? ぜひみなさま自由に思いをめぐらせて、幸せのストーリーを聞かせてください。“ディア・ライフ”第5章、今回もココロをてのひらで包んでくれるようなあたたかな語りを、楽しみにお待ちしています!


“アイデア・タイトル”
「母が編むレースのクロスやドイリーの白」
by hazama


“メッセージ”


わが家を物語ってくれる色……思い出されるのは、母がこれまで趣味にしてきたいろいろな手仕事の品でした。私たち姉弟が小学校に上がってお稽古事にも通うようになった頃から、母は自分でもいくつかの習い事をはじめました。籐かご編み、ペーパーフラワー、アートフラワー、それに若い頃から好きだった毛糸やレースの編み物。


私が学校から帰ってくると、よく母はお稽古の宿題で持ち帰った仕事に手を動かしていました。よく覚えているのは、いろいろな質感の布をそれぞれに染めて、型に切って、熱いコテで波や筋を入れながら花びらや葉を作っているところ。白い百合、赤いシクラメン、色とりどりのパンジー、黄色いバラ……次々と作り上げては花瓶や籐かごにアレンジメントしてイエじゅうにディスプレイしていました。


そして、そんな手作りの花たちの下には、いつとはなく編んでいた白いレース編みのドイリー。応接間のテーブルやローボードにも、大きなレースのクロス。それらは花のディスプレイや家具を引き立てながら、いつもやさしく清楚な表情でイエのあちらこちらを包んでくれているようでした。


日頃の縫い物でも何でも器用にこなす母でしたが、趣味のアートフラワーやレース編みに向かっている時は、特別に目を輝かせていたものでした。私はそんな母の姿を見るのが何となくうれしくて、好きだったものです。こんなに綺麗なものを次々に手から生み出してみせる母が誇らしかったのか、あるいは今思うと、朝から家族の世話に明け暮れてきた日々のなかで、わずかながら持てるようになった自分の時間に夢中になっている母の姿をみて、ほんの少しだけわかったのかも知れません。


そんな光景を思い出しながら、一番私の心に残るのはやっぱり、さまざまな彩りとともに敷かれていた、白いレース編みの佇まいです。母の手から生まれ、イエじゅうを彩ってくれたとりどりのフラワー、そこに敷かれた真っ白なレースのクロスやドイリーは、いきいきとした母の心のように、私たち家族の心をふわっと明るく照らしてくれていたものです。


それから私たちが中学・高校と進むにつれて、また忙しい毎日に追われるようになり、母は自分の手を動かす時間をなかなか持つことができなくなりました。家族の暮らしのモノも増えて、フラワーやドイリーは少しずつ棚に上げられたり、箱にしまったりされるようになりました。


それから長い月日が経ち、あれは7、8年前のことだったでしょうか。私は母の誕生日にプレゼントを考えていて、ふっと思い立ったのです。今は時間もある母に、ふたたびレース編みを作ってもらいたい、パターンの本と白いレース糸を贈ろうと。母は思った以上によろこんでくれました。私がリクエストしたモチーフ編みのクロスが、2週間後には出来上がって送られてきたほどです。以来、母はまた少しずつレース編みを作り、実家のテーブルや玄関をふたたび彩りはじめました。友達にもずいぶんプレゼントしているよう。


こうしてわが家に、そして母の心に、ふたたび光のようなレースの白がよみがえりました。今もあの頃と同じ、ふわりとやさしい白。もちろん今の私の部屋にも光っています。


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※今回の「いわし」ご投稿は9月21日(火)正午で終了とさせて頂きます。
※今回のピックアップ賞は9月21日(火)に「イエはてな」にて発表いたします。
※〈イエはてな〉では、いわしへ投稿されたコメントと画像をダイアリーに転記しています。できましたら「投稿画像のwidth属性」を450px以内に指定していただけますようご協力をお願いいたします。

いわしの回答(転記)

ご飯の白 watena2pt

米食や雑穀ご飯のこともありますから必ずしも白とは限りませんが、とにかくご飯の色、これがわが家の幸せの色です。ご飯の炊ける香り。これは食欲をそそります。そして、幸せな気持ちが湧き上がってきます。

一時期、わが家の食事はパンが主流だったことがありました。母が入院してしまったのです。もちろん父が支度してくれる食事もそれなりに凝った物で、パンだから食事の支度が楽になるということはなかったと思いますが、やはり勤め人が家に帰ってからご飯を炊くというのは手間も時間もかかります。その点パンなら帰りがけに買ってくれば済みますから、手間のことよりも気が楽というのがあったのでしょう。

当時子供だった私は、お米のご飯よりパンを喜びました。パンの時はおかずも洋風になって、私の好きな物がたくさん出てきます。たとえレンジでチンするだけのメニューでも、子供にとってはご馳走でした。朝もパンに目玉焼きにスープにサラダといった朝食は悪くありませんでした。

そんなある夜、父から電話がかかってきて、今夜は遅くなるから先に一人で何か食べていてくれと言われたのでした。買い置きのカップラーメンでいいやと探してみると、ありません。パンは今朝全部食べちゃったし、何か買いに行ってこようかな、お金は後で父に言えば返してくれるだろうしと、小遣いの百円玉を何個か持って近くのお店へ…。しかしそこは子供のすることですから、お菓子の方に目移りがして、買ってきたのはポテチとチョコ。テレビを見ながら「お夕食前にそんなもの、ご飯が食べられなくなるでしょ」「いーんだよ、今夜はこれが晩ご飯」などと一人でツッコミながら食べました。

でも、育ち盛りの子供ですから、それだけではお腹が空きます。テレビも見飽きたころ、そうだ、ご飯を炊いてみようかなと思い立ち、見よう見まねで炊いてみることにしたのでした。お米を量って、といで、炊飯器に入れて、水を入れて、スイッチオン。しばらくすると、炊飯器の蓋の穴からシュンシュンと蒸気が噴き出してきました。久し振りのご飯の匂い!

そうしている間に玄関のドアがガチャリと開いて、父が帰ってきました。「お、ご飯の匂いだ」「うん、今炊いてるんだよ」「いい香りだなぁ、本当にいい香りだ」。

ピーッと音がして、炊き上がったようです。着替えてきた父は、早く食べようと子供のように急かしています。「お父さん、外で食べて来なかったの?」「いや、ラーメン食べてきたんだけど、この匂いをかいでしまうとね」「おかず無いよ」「海苔と梅干しでいいよ」「了解!」。

炊き上がったご飯は、ちょっと水加減が多かったのかベチャッとしていましたが、それでも父はうまいうまいと喜んで食べてくれました。しかも帰りがけに食事は済ましてきたはずなのに、おかわりをして二杯も。私も海苔と梅干しだけのご飯がこんなに美味しい物だとは思いませんでした。

「やっぱり白いご飯が家庭の幸せだな」。「うん」。「早く母さん帰ってくるといいな」。「うん」。二人とも、ちょっと泣いていたかもしれません。見舞いに行って母にこのことを話すと、母もちょっと涙ぐんで、「帰ったらすぐに美味しいのを炊いてあげるわよ」と言っていたのが印象的でした。

ご飯の炊ける匂いが当たり前のように漂ってくるイエは幸せです。炊飯器の蓋を開けた瞬間の白、そしてお茶碗にふんわり盛られた白、立ち上る湯気も白。これはどんなイエでも、幸せの色に違いありません。そこにご飯にまつわる記憶が重なると、一杯の白飯の色が、最高の幸せの色になります。新米を家族皆で初物として祝いながら頂く幸せも、また格別です。

ご飯の白 nakki13421pt

わたしの家でもご飯は、当たり前にいつも炊かれています

以前よりは、減りましたが

(朝、パン食な家族もいるし、食べないで出かける家族もいるので)

それでも炊飯器が稼動しないときは、ほとんどありません

(パン食が嫌いじゃないけれど腹持ちがいいのはやっぱりご飯なのです)

そこまで高いお米を買っているわけではないのですが

やっぱりご飯が食事の時には欠かせないんですね

(栄養的にはどーよとつっこみが入りそうな麺料理の時でも

ご飯は、我が家では登場することが当たり前だったりするんです)

デニムの藍色とTシャツのオレンジ色 momokuri31pt

これが父の定番色です。仕事に行く時はネクタイを締めていく父ですが、帰宅するとすぐにジーンズとTシャツに着替えます。そして、ふー生き返ったぜ、といった顔をするのです。往年のロック野郎は今でもあらたまった服が苦手そうです。

ジーンズの藍色は当たり前ですが、なぜ父のTシャツにはオレンジ色が多いのでしょうか。ロック屋なら黒などを好みそうなものですが。

これにはちょっとしたいきさつがありました。今からウン十年前、母と付き合い始めたころ、母を含めた仲間数人で歩いていた時、一人の女の子が派手に転けて、足首を挫いてしまったのだそうです。当時はロンドンブーツのような厚底のサンダルが流行りで、転けるとハイヒールより派手に挫いてしまうことが少なくなかったらしいんですね。

それを見た父は、着ていたアロハを脱いで惜しげもなく割き、それで応急手当をしたというんです。当時父はバンドの活動費用稼ぎのために色々なバイトをしていて、その中にプールの監視員というのがありました。その仕事を受けるために必要な応急手当の講習の中に、骨折や捻挫の手当てもあったそうなのです。捻挫とは関節を安定させる靭帯が損傷すること。だから捻挫をしたら関節を固定して、それ以上靱帯が傷まないようにして病院に運ぶ。これが基本なのだそうです。

転んだ女性は他の仲間と共にタクシーで病院へ。父は上半身裸になってしまったのでタクシーに乗れません。ロック野郎の父はそんなこと全く気にしませんが、周囲は気にしますよね。母は慌てて近くのお店に駆け込んだそうです。そしてまだ学生でお金がなかったので、それは安物のTシャツを掴んで戻ってきたと。しかも色はド派手なオレンジ色。

父は言います。「俺あのころはこんな色好きじゃなかったんだ、でもお母さんが初めてくれたプレゼントだから、擦り切れるまで着たよ」。ご馳走様でございます。

一枚のTシャツが擦り切れるとまた同じような色のTシャツを買い、替えが必要になるとまた同じような色のTシャツを買い。こうして父のTシャツの定番は、今でもオレンジ色ということなのだそうです。

イエの幸せランキングを考えたら、夫婦仲がいいことは、きっと上位に入るでしょう。さらに恋人時代と変わらない愛情が伴っていれば最高です。この夫婦はきっと還暦を過ぎても、二人で肩を組んでVサインでもしながら「愛し合ってるかいベイベー」なんてやっていることでしょう。そんな未来の幸せまでも先取りするTシャツのオレンジ色と、それによく似合うデニムの藍色。これがわが家のハッピーカラーのトップです。

キャンドルの炎の色と炭火の色 Fuel1pt

まずキャンドルの炎の色。電灯を消してキャンドルを灯すと、いつもの部屋が別世界に変わります。ほの暗さを伴った光は周囲の全ての色を変え、美しく照らし出します。幼いころの記憶にあるキャンドルは、誕生日のケーキの上に灯されたもの。すぐに吹き消してしまいますが、消さずにいつまでも眺めていたい美しさでした。

そんな記憶が重なるのか、キャンドルの灯りは、心を優しくしてくれます。そしてキャンドルの灯りとそれに照らし出される色たちは、そこにいる人と人との距離も縮めてくれます。親子が肩を寄せ合って一つのソファに座る。そんな、蛍光灯の下では照れくさくなってしまうような時間の過ごし方も、キャンドルの灯りならできてしまう。キャンドルの灯りには、不思議な力があるようです。

また、キャンドルの灯りは、夏には涼しさを、冬には暖かさを与えてくれます。だから、キャンドルの灯りで過ごす夕食の時間は、オールシーズン、季節の楽しみをたっぷりと味わえる時間になるんですね。

そんなキャンドルで過ごす夜の楽しみを知ったわが家では、特にキャンドルナイトの呼びかけがない普通の日でも、突発キャンドルナイトが始まります。テレビも点けませんから、耳を傾けるのは家族の言葉だけ。家族の会話が深まります。

私は以前からキャンドルに照らされる部屋の美しさが好きで、一人でキャンドルを灯して楽しんでいたりしました。しかし、一人で裸火を使うというのは、どうも落ち着きません。やはりどうしても火災の心配がついて回ります。でも、家族で過ごす食卓で灯すキャンドルなら安心です。みんながそこにいるのですから。

続いて、炭火の色。これも幸せを呼んでくれる色です。七輪に炭火を熾し、火が回ってくると、真っ黒な炭全体が発光体に変わります。そしてその周囲に、薄い光の、それでいて温度の高い炎。まるで炭のオーラみたいです。

おっと、見とれているばかりではもったいない。炭火は火持ちがいいので、まずは飯盒を乗せてご飯を炊きます。炭火の光の色には、遠赤外線もたっぷり含まれます。これは人の目には見えない領域の色なので、あとでたっぷり舌で味わいましょう。

さぁ炊けました。ご飯を蒸らしている間にサンマを焼きます。うーん、いい香り、パタパタパタ。大根をおろして一緒にお皿に盛りつけて、飯盒のご飯をお茶碗に盛って、はいできあがり。家族の笑顔が広がります。炭火で炊いたご飯と、炭火焼きのサンマは絶品です。こんな夏のバーベキューに勝とも劣らない楽しみが生まれる炭の炎。時折パチッと跳ねる火の粉の色もまた美しいですね。

わが家のベランダでは、こんな炭火の食事会も随時開かれます。時間帯が遅い時は、ほの暗くなったベランダで、残り火で沸かしたお湯でお茶など飲みながら、炭が発する光を眺めて楽しんだりもします。キャンドルほどロマンチックな光ではありませんが、この炭火の色も、わが家を楽しく幸せにしてくれる、暮らしの中の欠かせない色になっています。

黄色と緑と赤の三色 YuzuPON1pt

黄色と緑と赤の三色というと、どこかの国旗の配色みたいですが、わが家の場合はなんと「ヘビイチゴ」の色なんです。花の黄色、葉の緑、そして実の赤。わが家の庭でこのかわいい植物を見つけたのは、まだ私が小学生のころだったと思います。庭いじりをしていた母に呼ばれて行ってみると、ブロック塀の下に、小さな赤い実を付けたこの草が生えていたんです。

「見て見て、かわいいちっちゃなイチゴ」

「えー、でもそれって毒イチゴなんじゃないの?」

「毒じゃない…と思うんだけど、お父さんが帰ってきたら聞いてみましょう」

その夜、帰ってきた父をつかまえて、懐中電灯を持って庭に出ました。

「ほらこれ」

「おー、これはヤブヘビイチゴっていう種類だと思うよ。ヘビイチゴと同じ種類だけど、こういう日陰になりやすい所を好んで生えるのと、花と実が一緒に見られる特徴がある」

「普通のヘビイチゴと違うの?」

「ヤブが付かないヘビイチゴはお日様がよく当たる所に生えるし、全ての花が終わってから一斉に実を付けるんだ。それに、実はヤブが付くヘビイチゴの方がツヤツヤしてきれいなんだよ」

「へぇ〜」

「お父さんは山の生まれだから、こっちの方がお馴染みだったな。山は木が多くて地面は日陰のことが多いから」

そのあと部屋に入って、ヘビイチゴや様々な植物にまつわる思い出を聞かせてもらいました。

「毒はないの?」

「毒はないね、というか逆に毒消しになる。昔はヘビイチゴの実を集めて焼酎に漬けて、それを虫さされの薬として塗ったんだよ」

「へぇぇぇ」

やっぱり毒はないとわかって、母は「ほらやっぱり」と、ちょっと偉そうでした(笑)。

母もヘビイチゴには色々思い出があるようで、泥で作った小さなケーキの上に飾っておままごとをした話などを、楽しそうに聞かせてくれました。

わが家のヤブヘビイチゴは、翌年もまた花を咲かせ、実を付けました。この種類の草は多年草で、旺盛に匍匐茎を出して広がっていくんです。放っておくとどんどん広がるし、かといって摘んでしまうのも残念なので、匍匐茎の広がりを止める柵を作って、庭の一区画をヤブヘビイチゴ専用スペースにすることにしました。匍匐茎止めの柵は、子供の私がレンガで作りました。

以来毎年ヤブヘビイチゴは元気に花を咲かせて実を付けました。そのうちヤブヘビイチゴスペースが過密になってきたので、少し場所を広げてやることにしました。すると、広げた分だけ、どんどんヤブヘビイチゴは広がっていきます。そこで母が提案。これってグランドカバーになるんじゃない?と。あ、それいいかも、というわけで、背の低い地を這うような植物ですから、花壇の中で好き勝手に繁殖できるようにしてみました。きっと実生もあるんでしょうね。今は花壇の表面をきれいに緑に埋めて、わが家の庭の色を決める大切な存在に昇格しています。

ヘビイチゴの仲間には地域変種が多く、同じ種類でも場所が違うと微妙に違うという話を聞きました。自然に生えてきてわが家の庭に居座ったこのヤブヘビイチゴは、もしかするとわが家がここに住み始める以前からこの地にあった、伝統ある遺伝子を持った種なのかもしれません。それを思うと、この庭から絶やしてはいけないと、妙な使命感に駆られたりします。

わが家は親子三人、みな庭いじりが好きで、庭が家族のコミュニケーション空間になっています。そんな家族の交流をずっと見守り続けてきてくれた黄色と緑と赤のかわいい植物、ヤブヘビイチゴ。これからもずっとわが家の庭で、私達を見守り続けてほしいと思っています。

草木染めのテーブルクロスの色 Catnip1pt

突然父に先立たれてしまった母は、そのまま後を追ってしまうのではないかと思えてしまうくらい気落ちしていました。もちろん私も父を失ってしまったわけですから、しばらくは何も手に付かない日が続きましたが、いつまでも落ち込んではいられません。今度は私が母を支えなければと思ったのですが、力づける言葉が見つかりません。

そんな時、桑の木を見つけました。かなりふさふさと、いい葉を茂らせていました。四十九日の法要の帰りに見つけたのです。その時は、懐かしいな、理科の勉強の一環でカイコを育てていた時、父がどこからかたくさん桑の葉をもらってきてくれたっけ、そんなことを思い出すのみでしたが、家に帰ってPCをいじっていたら、そこで桑の葉が草木染めの染料になるという記事を発見したのです。

「お母さん、草木染めやってみないか?お寺さんの帰り道で桑の木を見つけただろう、あれで布が染められるんだってさ」。すると母は、桑の木にまつわる思い出を話し始めました。なんでも結婚したての頃、桑の実でジャムを作ったら、とても父が喜んだというのです。来年もまた作ってあげるねと約束したのに結局作ってあげられなかったと、母は泣きました。元気づけるつもりが逆になってしまったかとちょっと慌てましたが、気を取り直して、「今は実の季節じゃないけど、せめて葉で布を染めてみようよ」と勧めてみました。母も「面白そうね」と、少し微笑んでくれました。

早速ネットで染め方を調べ、プリントアウト。翌日、桑の葉を摘みに行きました。母も一緒でピクニック気分。帰りがけにお寺さんに寄って納骨したばかりの墓所に参じ、「これでお母さんが布を染めてくれるってさ、四十九日の日に見つけた葉だから、これをお父さんの記念にするよ」と報告。母も、「ジャムは一回しか作ってあげられなかったけど同じ桑だからね」と、にっこり微笑んで手を合わせていました。ちょっと元気が出てくれたようです。

帰宅して、摘んできた葉を洗いました。これで水分補給も出来るので、放置しておいても一日くらいはしおれません。染める予定の布は木綿なので、この日は染める前の下処理だけしておくことにしました。詳しい原理はよく分かりませんが、草木染めというのは単純に色を繊維に染み込ませるだけではうまくいかず、タンパク質の媒介が必要らしいのです。絹なら素材そのもののタンパク質でしっかり染まりますが、木綿などの場合は予め何らかのタンパク質を付着させておく必要があるんだとか。このための液には、豆乳を使いました。

「よいしょ、染めムラが出ないようによく洗っておくっていうのは分かるんだけど…」

「ほんとに豆乳なんかに漬けちゃっていいかな」

「なんだかとんでもないことをしている気がするわよねぇ」

「あはははは」

親子二人、なんだかイタズラをしている気分です。童心に戻ってなかなか楽しいひとときでした。

翌日は、私が仕事に行っている間に、母が一人で染め上げていました。媒染剤は台所にあったミョウバンだったそうです。家に帰るとさっそく母が、染め上がりを見せてくれました。布は落ち着いた黄色に染まっています。

「これが桑の葉の色?緑じゃないの?」

「しらないうちにこんな色になってたのよ」

「へぇ、不思議なもんだね」

「でも、お父さんの好きそうな色」

母はとても嬉しそうでした。やつれた表情は消えて、いつも父に見せていたのと同じ笑顔が戻っているように思われました。

その布は、今でもテーブルクロスとして使われています。洗ったり日に焼けたりして、当初よりずいぶん色が褪せてきたようですが、染め直しはせず、そのまま使っています。父の思い出は忘れず、でも父を失った悲しみは乗り越えた、そんな母と私の大切な色ですから。この桑の葉染めのテーブルクロスの色が、わが家の中にある幸せの色です。

家族の色 sumike2pt

玄関に家族の写真を飾っています。

家族の写真をハートのフォトプレートに入れてあり、それが集まって四葉のクローバーを形作っています。

ハートの色は家族それぞれのイメージカラーです

夫 ・・・・青色(気持ちのおちつく色)

私 ・・・・黄緑色(エネルギーあふれる若葉の色)

息子・・・・赤色(リーダーは赤なんだ!)

娘 ・・・・桃色(ほっぺと同じ桃色w)

この家族のイメージカラーができたのは二年ほど前に購入したランチョンマットのおかげです。

夫がバザーで買って来たもので、黄緑桃色のセットでした。

夫は青色が好きな色なので青、私は元気の出る黄緑色、息子はヒーローのリーダーは赤だからボクのは赤!と赤をとり、

うまれたばかりの娘は残った桃色、という具合に四色を割り振りました。

その後で買った子ども達のマグカップも赤色と桃色にし、お箸もそれぞれの色と合わせました。

そんな風に何となく新しい歯ブラシ何色にしようか?という時にはランチョンマットの色が家族に物を割り当てる際の

基準色となり、この四色が家族のイメージカラーになりました。

そして今そのイメージカラーを応用して、イエのあちこちで使っています。

まずは、クリアファイル。

文房具店はもちろん、百円ショップでも各色十枚づつ入ったファイルが売っています。

青色が夫、黄緑は私、赤色が息子で桃色は娘。

家族共有のものは橙色、子ども関係のものが黄色、住まいや地域のイベント関係は紫色のファイルと決めました。

まず書類を持ち帰ってきた時に、すぐそれぞれの色のファイルに分類し、長く保存したいものにはラベルをつけます。

それらをクリアケースに虹色になるように順番に入れています。

その他にも、タオル・歯ブラシ・スリッパなどは色が決まっていれば買い換えてもどれが自分のか分かります。

服などは自分の色のマークがついた収納ボックスに入っているってわかりますし、

片づける時にも自分の色のかごに入れてくれるようになりましたw

同じくハンガーを色分けをしておけば、ファミリークローゼットに入れてあっても

自分の服がどこにあるかすぐに分かります^^

写真をアルバムに貼る時もそれぞれの色の付箋をつけておけば、どの写真が何枚必要で焼き増しした後

それぞれのアルバムに間違えずに貼ることができます。

この家族のイメージカラーは、ラベリングのような役割も果たしています。

まだ文字がよく読めない小さな子ども達にも、この色分け方法なら簡単で分かりやすいようです。

先日新調したバスタオルもこの四色。

最近はイエで使っているこの色を街で見かけると、家族を想像してしまうくらい。

我が家の幸せカラーは、このです。

家族の色 gtore1pt

家族のそれぞれのイメージカラーなど、いままでは考えたこともなかったのですが、

最近買ったWiiでは、プレーヤーの色を決めることになるので、

それぞれの色を決めました。

バスタオルやスリッパや歯ブラシなど、そのイメージカラーを使うというのは、

とても面白い発想ですね。色で見わけがつきますからね。

畑の土の色 adgt5pt

実家の裏には畑があり、家族の食卓で食べる野菜の一部を栽培していました。昔は、祖母や母と一緒によく草むしりをしたものです。そういった作業の中で、学校の状況などを色々話をしたりコミュニケーションが取れていました。そして、出来た野菜を食べ、育てたものを食すという生のプロセスも学べたように思います。

畑土色 eiyan4pt

畠畑土色は配合肥料や成分によって決まります。

化学肥料を使う畑は基土色のままです。

有機肥料の堆肥や牛糞、鶏糞等々の有色有機肥料を混合する畑はその混合肥料に彩色されますね。

常に有機肥料を施している畑は黒っぽい色の畑になります。

粘土土の畑は赤黒く硬いですが、砂地の有機肥料含有の畑は黒っぽくないり、サラサラ化されますね。

この方が栽培種もよく育ちますね。

土色も良いし、扱いも楽ですね。

何故か幸せを呼ぶ黄色 Cocoa3pt

はじまりは、小さな頃に着ていた服の色だったのかもしれません。私は黄色のワンピースが大好きでした。それを着ている日は、なぜかごはんに大好物が出てきたり、父がおみやげを買ってきてくれたりと、いいことずくめだったのです。

小学生になってからも、黄色い何かを身につけている日は、授業で先生に当てられてもすらすら答えられたり、ろくに勉強していなくてもテストでいい点が取れたり、席替えで大好きなお友だちと隣同士になったりと、ラッキーの連続でした。

夏休みにおばあちゃんの家に行った時、私のラッキーカラーって黄色なのよと話したら、おばあちゃんはこんな話をしてくれました。お前のおじいちゃんも黄色が大好きだったのよ、と。

おじいちゃんの仕事は農業でした。毎年たくさんのアブラナを育てていました。

「普段は気むずかしいおじいちゃんだったけどね、菜の花畑が満開になると、それは嬉しそうに微笑むんだよ、大好きだったんだね、黄色い菜の花が。」

その夜は、トウモロコシも出てきました。

「そういや、おじいちゃんもトウモロコシが大好きだったよ。これも黄色だね。」

そうかぁ、おじいちゃんが大好きだった黄色。そう思うと、トウモロコシがひときわ美味しく感じられました。

ある時、父と母がすごい喧嘩をしてしまったことがありました。翌日は日曜日。楽しい休日のはずなのに、午後になっても二人とも口をききません。どうしよう。私は二人の仲直りを願ってテーブルに黄色い花を飾り、ソファに黄色のクッションを二つ並べて、そっと陰から見守っていました。

父がソファに座りました。母がやってきて、「今夜何食べる?」。ぶっきらぼうな声です。まだ怒っています。父もぶっきらぼうに「カレー」。しばらく無言の時間が続きました。そしてその静寂を破るように、母のプッと噴き出す声。「やだぁ、カレーなんて子供みたい」。父はちょっとムッとした顔をしたようでしたが、すぐに「俺、子供なんだよ、自分の気持ちがうまく言葉に出来ない、昨日はごめんよ」なんて謝りはじめました。そして二人で仲良く夕食のお買い物に出かけていきました。黄色作戦大成功!あ!カレーも黄色っぽい食べ物ですね!!

こうして、わが家のラッキーカラーの黄色は、不動のものになりました。就職して最初のお給料で父母にプレゼントを買った時も、黄色のリボンを掛けました。

私の部屋にも黄色が一杯です。黄色のカーテンごしに差し込む光で目覚める朝はとても爽やか。パジャマも黄色がお気に入りです。スリッパも黄色だし、PCの壁紙も黄色い花が咲き乱れる野原の風景なんですよ。

先日は防災の日に合わせて、家族お揃いの黄色のバンダナを買いました。いつもハンカチ代わりに持ち歩いて、いざ何かが起こったら、どこにいても避難する時はそれを腕に巻いて行動しようと申し合わせています。そうすれば万が一のことがあっても「黄色のバンダナを腕に巻いている人知りませんか」と探すことが出来ると思ったからです。

そういえば、わが家の朝ご飯には必ず卵焼きが付きます。卵を切らしてしまった時に、母が明日どうしようと本当に困った顔をしていたので、無理に卵焼きしなくてもいいよと言ったら、母いわく「あれは欠かせないのよ、一日の始まりに黄色のメニューは」って。母も黄色がわが家のラッキーカラーって思ってくれていたのでした。そこで父が一言、「たくあんでいいよ」(笑)。おじいちゃんが好きだった黄色、そして娘の大好きな黄色を、家族みんながラッキーカラーだと思ってくれていることが、私の幸せです。

オレンジの灯り adgt8pt

中学・高校と野球部・サッカー部に所属していたので、自転車で帰宅するのはいつも日が落ちてからでした。ボロボロになった体で自転車をこいでぐったりしている中で、家族のいる家の灯りに少し癒されていました。大学進学をしてから一人暮らしをするようになったとき、帰宅して真暗な部屋に帰ると無性にさびしさを覚えました。自分をまってくれている人がいて、その人たちがともしている明かりがあるというのは、すごく貴重なことだと思います。

イエの灯り gtore3pt

学生時代のころは、結構いろいろな習い事をしていて、夜遅くなることが多かったです。

暗い夜の道を歩くのは、なんともこわくて、心もとなかったですね。

でも、灯りをともしている家々のそばを歩くときは、そんなことはあまりありませんでした。

自分のイエの灯りが見えたときが、一番ほっとしますよね。

ピアノの鍵盤の白と黒 TomCat10pt

わが家の幸せの色といったらピアノの色、特に鍵盤の白と黒です。母はピアノが大好きでした。白と黒の鍵盤の上を、母の指が滑るように動いていきます。私はそれを眺めているのが大好きでした。母が天に召されて何年になるでしょう。今はもう、あの時何色の服を着てたっけ、そんなことも思い出せなくなりつつある私ですが、それでもピアノを弾いている母の手は、鮮明に思い出せます。

母は、音楽の専門教育を受けたことはなかったようです。ですからその演奏は、かなり自己流でした。演奏そのものは、今でも母以上のピアニストはアマチュアにはいないだろうと思われるほど素晴らしいものでしたが、でも、ちゃんと先生について習っている人とは、ちょっと運指(指の運び方)が違ったりしていたんです。ほんの一本の指の使い方の違い。そんなのも、はっきりと思い出せます。

『あの時、お母さんはこんなふうに弾いてたよなあ・・・・』

時々思い出して、私も同じことをやってみます。

『あはは、これ、弾きやすいや、母の遺伝子をもらった手には、こっちの方が合うのかもしれない』

目をつぶって、もう一度弾いてみます。瞼の裏にはっきりと、白と黒の鍵盤の上を滑らかに動いていく母の指の映像が浮かんできます。その指は、けっしてすべすべのピアニストの指ではありませんでした。ごく普通の主婦の指。むしろ、肌が弱かった母の指は、普通の主婦より荒れ気味だったと思います。

でも、母はそんな手を、とても大切にしていました。たとえば母は、座布団から立ち上がる時、絶対に手の平を床につけないんです。手を床に突いて体を支える時は、必ず手の平を軽く握ります。実際、それが正しいお作法でもあるのですが、母の場合は理由が違いました。

「楽器を弾く指は神聖なのよ。音楽は神様からの授かり物。その神聖な音楽を奏でる指先は、みだりに足のつく場所に触れさせるべきじゃないの」

「じゃ、音楽家は便所掃除とかできねーじゃん」

「音楽家の指は人を幸せにするためにあるんだから、そういう指の使い方はいいの」

「わっかんねーよ」

・・・・いえ、今ならちゃんと分かります、その心。

母の指は、様々な音楽を奏でました。中でも、ピアノ曲の定番中の定番、「乙女の祈り」が大好きだったようです。好んでそればかりを弾いていたわけではありません。でも、この曲がどんなに好きかは、指の動きで分かりました。他の曲を弾く時と、躍動感が違うんです。

「この曲、好きなの?」

「大好きよ、お母さんと似てるのよ、これ作った人」

後になって知りました。この曲の作曲者は、テクラ・バダジェフスカという、ポーランド生まれの18歳(あるいは17歳とも)の女性。満足な音楽教育を一度も受けることなくこの曲を生み出し、華々しくデビューすることもなく結婚し、母となった人でした。それでもたぐいまれな才能と、音楽を愛する心が、こんな名曲を生み出したんでしょうね。

母の実家は、あまり経済的に恵まれた家ではなかったようです。弾けるピアノといえば学校の音楽室のピアノだけ。そんな中で憶えたこの曲と、そこで知った作曲者の少女の来歴。おそらく母はその時、バダジェフスカのように生涯音楽を愛し続けようと心に誓ったに違いありません。

目を閉じると、今でも艶やかな鍵盤の上に踊る母の指が思い出されます。私も時々弾いてみます。そんな鍵盤の白と黒が、私にとっては最も色鮮やかな幸せの色なのです。

私のツリーにふざけたゴミレスはご遠慮願います TomCat2pt

ここは、一人一人の大切な思いを、心を込めて語る場です。人の心を踏みにじるような乱入は、どのツリーであってもご遠慮願いたいと思います。

食事の中のミドリ adgt8pt

実家にいたときは、本当によく野菜が食事に並んでいました。母が家族全員の健康を気遣って使う幸せの色だと思います。実家が田舎だったので、「ちょっとほうれん草とってきて」など言いつけられていたのが懐かしいです。一人ぐらしで食が偏りがちな今になってその有難さというものを痛感します。

食事の中の緑。 nakki13427pt

自分が家族のために食事を作る時には、食事にどうしても野菜が少なくなってしまいます。

自分にとって多く野菜を使ったとして(嫌いなもの)なので

家族からみると緑(野菜)が少ないんですよね

偏食がひどい私ですが

少しでも食事に緑が多くなるといいなとは思いますね

夕焼け色 adgt6pt

友だちと遊んでから家に帰ったり、家族と散歩をしたり、ペットと歩いたり、小さい頃の思い出は夕方がすごく多いです。今でも、夕焼けをみるとふと昔のことを思い出したりします。例えば、小さい頃に両親の帰りを待っている気持ちなんかを思い出すと、ちょっぴり切ない気持ちになります。その色で記憶がよみがえるということはありますよね。

夕焼けの色 gtore5pt

夕焼けは、働いているとあまり見ることがありませんが、

土曜日や日曜日の夕方に、とてもきれいな夕日を目撃することがあります。

少し高台をゆく電車に乗っているときなどに、夕日が街に差し込んでいる光景を見ることがありますが、

それはもう壮麗といってもいいほどの眺めですよね。

ベージュ色の想い出 ekimusi2pt

・「おから料理の色」

安くて栄養満点だと夕食によく並びましたが、あまりにもよく出されるおからと野菜の炊き合わせに、

私と弟から「もうこれ飽きた〜」と文句が出たため、おからを母親がわたし達の好きなソーセージに似せた

以前イエコト・ミシュランで紹介させていただいた「おからソーセージ」の原型を創作してくれました。

これは今では我が家のお袋の味の一つです。

・手足に貼った「絆創膏の色」

小さい頃はよく転び、手足に生傷の耐えない私には欠かせないものでした。

遊びに行くたびに転んでケガをして帰ってくる私に、母親がエプロンから

そっと絆創膏を出して貼ってくれましたっけ。

今更ながらに絆創膏という字を見て、なぜ絆の字が使われてるんだろうと思い

絆の意味を改めて調べてみました。

きずな【絆】

意味:断ちきれない人と人とのつながり。

絆創膏で、思い出すのは母親の「イタイノイタイノ飛んでけ〜」

というおまじないの後にそっと貼ってくれた、優しい母の手の感触。

絆創膏の絆は、母親と私の絆でもあります。

・家族で育てた「稲穂の色」

小学生三年生の頃に、おかずだけ食べてご飯を残したりする私や弟のために父親が、

「お米がどうやって育っているか見なさい!」と大きなバケツ二つを使い苗を購入し育て始めました。

もちろん夏休みの頃になると世話は私と弟で交代ですることになり、日々の水遣りに雑草とりをがんばりました。

せっかくなので自由研究にして稲の観察日記をつけつつ、少しづつ大きくなっていく稲を見て、

米作りには時間と手間がいっぱいかかっていることがわかりました。、

お蔭様で、今ではご飯粒を茶碗に一粒も残さないように食べることを意識しています。

・日に焼けた「畳の色」

小学生に上がる時に張り替えて最初は青かった畳も、少しづつ日に焼けて

家を出る時には、またすっかりベージュになってしまった畳。

泣いたり笑ったり家で過ごした時間の分だけ、たくさんの思い出がつまった畳の色です。

・父親の「はらまき」

昔から父親が冬になるとこっそり巻いていたベージュの腹巻。

当時はラクダ色の〜とも言われていましたが・・・あれはサンドベージュですねw

温かいだけではなく、貴重品もしまえると重宝していたようです。

私はそんな父が恥ずかしかったのですが、最近はカラフルなハラマキもいっぱいあって

誕生日に友達からハラマキをプレゼントされて使ってみると、コレがとってもイイ!のです。

ハラマキ1枚で服1着分くらいの温かさです。

何よりおなかを温めると風邪を引きにくくなりました。

大人になってから腹巻のありがたみがよ〜くわかりました。

お父さん、あの頃は恥ずかしいなんて思ってごめんなさい。

・ベージュの彼岸花

彼岸の頃に土手に咲いたベージュの彼岸花

彼岸花というと真っ赤な色のイメージがありますが、白やベージュ色した彼岸花もあるんです。

当時は同じ花とは思えず、百合みたいだなぁって思っていました。

休日に買い物をする時に、その土手の近くを通ると母親も足を留めて一緒に見入っていました。

母親もベージュのその花が気に入っていたようで私が満足するまで付き合ってくれてました。

こうした沢山のベージュ色の我が家の想い出は、今も色あせることなく心に焼き付いています。

白いサボテンの花 mododemonandato3pt

私のイエではサボテンの鉢植えがあります。

時々白い花を咲かせます。

以前は大葉とか、ミニトマトなどを育てていましたが、いつのまにか水をやるのを忘れてしまい、枯らしてしまうのがお決まりでした。

そこでサボテンなら水やりをしばらく忘れても、直ぐに枯れてしまう事は無いだろうと思い、鉢植えを買ってきました。

すると思ったとおり、何年も元気に育って花を咲かせたりしています。

今年の夏は二回も白い花が咲きました。

サボテンも生きている家族の一員という感じがします。

白花サボテン eiyan2pt

サボテンの花には赤、黄、白等ありますが、やはり綺麗なものは赤ですね。

でも白色は夜に映えるといわれます。

サボテン以外の鉢植えでは水やりを忘れて枯らしてしまいますが、サボテンならその心配は不要ですね。

逆に水遣りのし過ぎで枯らす場合があります。

肥料も大してやらない方が花の着き咲きが良い様です。

サボテンに水遣りをし過ぎて花が咲かないのが多いのですが、花が咲くという事は適当な水分が行ってるのですね。

花が咲き終わったら切り戻しをしてあげましょう。

切り戻しをすると来年も又咲きますよ!

秋は干し柿の色が似合います。 shig553pt

今年は猛暑が続き、秋の訪れが遅れているようです。もう少し先のことになりますが、秋が深まってくる頃には柿の実もきれいに色づいてきます。

我が家には甘柿の木しかなかったので、昨年ネットで渋柿を探しました。干し柿を作りたかったのです。子供の頃、軒先につるされた干し柿の鮮やかな色を思い出し、久しぶりに作ってみたくなりました。いろいろ探していると地方の青果市場から購入できることがわかりました。早速申し込むと枝の部分がひもを結ぶやすいようにTの字型に切りそろえられた柿が送られてきました。早速家族総出で皮むきです。何十個も剥きました。そして熱湯をくぐらせて2個一組としてへたの部分をひもで結び、横棒に掛けられるようにしました。本当は軒先に置きたかったのですが、もう住宅事情が変わっています。部屋の中に横棒を渡し柿を並べました。柿の色が鮮やかで、昔の記憶そのままです。数日で柿の表面が乾いてきました。そこで優しく柿の実をもみ、全体を柔らかくします。この作業を数回繰り返すうちに柿の色がだんだんに落ち着いた褐色になってきました。食べてみると渋さが消えとても甘くなっています。そしていつしか粉をふき始め白い装いになってきました。

季節の移ろいとともに色の変化も楽しめる干し柿作りでした。もちろん、自家製の味は最高でした。

干し柿 eiyan2pt

今年は柿の豊作年。

昨年余り作れなかったので今年は”干し柿”を沢山作る予定です。

現在は一昨年に作った干し柿を食べていますが、砂糖羊羹の様に甘く美味しいですね。

白いカビが白粉の様に砂糖が着いている様な錯覚を覚えながら食べています。

販売されている干し柿は人工火力強制乾燥ですから、柿色の綺麗な状態での干し柿ですが、手前で作った自作干し柿は自然乾燥ですから、真っ黒になってしまって見た目は気持ち悪い位です。

でも美味しさ栄養面では自然乾燥の方が本物ですね。

今年は果たしていくつ位作れるだろうか?と今から準備を楽しみにしています。

真っ黒な自然柿羊羹。

今年も宜しくって挨拶しておきますね。

あかい花 offkey5pt

うちの父は尻が落ち着かないというのか、なにかやることを見つけてはちょろちょろ動き回っているタイプなのですが、そんな父とは対照的にゆったり構えている母は、時におだて、時にしかりつけながら父の少々軽薄な部分をしっかり補っています。また父は少し臆病なところのある母の良き保護者。こう書くとなんだかお互い助け合う穏やかな夫婦みたいに聞こえますが、実際はといえば、父の妙な思いつきに母は叱咤し、父も負けずに母のいうことなどおかまいなしに物事を行なったりと、決して穏やかとはいえないやり取りをしながら生活しているようです。

性格が正反対とはいわないまでも、かなり違う二人。しかしながら、どこか趣味や価値観に似たところがあるみたいで、仲良く家庭菜園をしたり、旅行に出かけたりしています。

そんな二人だからでしょうか、これは私が大人になって気が付いたことなのですが、両親ともども赤い花が大好きなのです。

もともと母の方は昔から鉢植えをいくつか育てていて、花も赤い花を中心に買っていたので母が赤い花が好きなんだろうということはなんとなく気が付いていました。

なので母の日や誕生日に花を贈るときには、どんな種類の花であっても必ず赤系統の花を選んでいたのです。

しかし、父の方は仕事が忙しかったということもあるせいか、植木鉢にあまり興味を示していた様子はないので、当時どんな花が好きなのかということはよく知りません。

そんな父の仕事もやや緩やかになり、ある程度のひまができるようになると家庭菜園を手伝いながら、時に母と共に車で公園などへ出かけることが多くなってきた頃、ある日、出かけ先から珍しく父が鉢植えを買って帰ってきました。それが赤い蕾をつけていたアデニウム。なんでもこの花が気に入ったとか。

その鉢植えは結局最後には枯れてしまったのですが、その後、聞くともなしに母から聞いた話では

「お父さんはね、花麒麟の花がすきだっていってたんだよね」

花麒麟はずっと家にある鉢植えです。母が好きだから育ててるのだとばかり思ってましたが、父もその花がすきだったらしいのです。

さらにその後、家族全員で園芸店へ出かけることがあったときに、父が「この花綺麗だね」というのは決まって赤い花。

私はやっと父が赤い花を好きなのだということを知りました。

それが母からの影響なのか、父がもともと好きだったのかはいまだにわかりませんが、二人とも赤い花が好きなんて、やっぱり夫婦なんだなあと妙に納得したことを覚えてます。

私の兄弟は私を含めてみんな口が悪いので、たまに両親の花の趣味のことを「赤い花が好きなんて野暮だね」なんてからかったりもしますが、それは口だけ。同じ色の花を好きな二人が仲の良い証拠だと思ってそんなことを言ったりします。

今日も両親の部屋には花麒麟の赤い花がかわいらしく咲いています。

祖母が育てた花の色 adgt4pt

花が好きだった祖母が庭にたくさんの花を植えていました。手入れも大変だけれど、それを根気強く愛情を持ってやっている姿勢は、今おもうと素晴らしいことだと思います。生活にいろどりを加えてくれていました。

緑色の椅子で阪急電車気分 iijiman6pt

2008年に、仕事場の椅子を買い換えました。

買い換えにあたって考慮したことは、

1.長時間座って仕事をしても疲れないこと。

2.安定した5本足。

3.緑色。

4.お買い得価格

……の4つでした。ネットで写真を観ただけでは1.はよく分かりにくかったのですが、ヨドバシの通販で2.〜4.を満たしていそうな椅子を見つけて、何となく購入。

http://www.yodobashi.com/ec/product/100000001000866548/index.htm...

上記の条件の中で、一番大事なのは1.次に2.でしたが、その次に重要だったのは3.でした。緑色。

なぜか。

単純に緑色が好きということもあります。仕事場のカーテンは若緑に統一していますし。

しかし、「椅子の緑色」はちょっと特別。

それは、子供の頃よく乗っていた「阪急電車の車内」を連想するからです。

阪急電車は、インテリアに独特のルールがあります。

まず、壁は木目。(実際には金属板に印刷。)この木目にも大まかに分けると3種類あって、初期の暗い色調→1960年代頃からのかなり明るい色調→1980年代頃からの、初期と次の中間くらいの色調。最後のものが比較的好評と聞きますが、私は1960年代頃からの明るい色調が好きです。

そして、その壁面と対をなして映えるのが、ゴールデンオリーブ(艶のあるオリーブグリーン)の座席。

椅子の形も深すぎず浅すぎずよく出来ており、掛け心地がよい。

そして、何と通勤電車なのに「アンゴラヤギのモケット」を使用していたということで(最近は違う例もあるそうな)、手触りも優れていました。

http://rail.hobidas.com/rm-now/archives/2008/02/post_4973.html

一時期他の素材に変更していたこともあったようですが、最近の新車では再びアンゴラヤギのモケットが復活しているようで、嬉しいです。(って、普段乗りに行けないくらい遠いんですけれどね。)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E6%80%A59000%E7%B3%BB%E9%...

そんな「阪急電車の車内」に少しでも近づけたいと思い、仕事場の壁面は(木目は無理だったので)明るいクリーム系に塗り、椅子も(アンゴラヤギのゴールデンオリーブは無理ですが)、掛け心地の良さそうな、そして何より「緑色」であるものを選びました。

http://www.yodobashi.com/ec/product/100000001000866548/index.htm...

実際には、阪急は8人くらいで掛けられるロングシート、うちは1人用の肘付き椅子と、どうみても全然違うものではあるのですが、それでも「気持ちだけでも」インテリアで阪急電車気分を味わってみようと頑張ってみました。

しかしまあ、何ですね、仕事に熱中していると、椅子の色なんか忘れていますけれどね・・・

椅子 eiyan6pt

椅子の色はカラフルがいいですね。

それは並んで比べるとよくわかりますね。

最近は手作り椅子が流行ってますね。

緑黄色カラー Dictionary7pt

幸せの色と聞いて一番に思いついたのがこのカラーです。

我が家の食卓には必ず毎日この「緑黄色カラー」を取り入れています。

食卓ではついつい茶色のものが多くなりがち。

お肉、醤油の濃い味付け、揚げ物などなど…

勿論これらの茶色いものってお腹が満たされるし満腹感がありますよね。

けれど体は本当に喜んでいないのも現実。

体も喜んでもらうためにはこの「緑黄色カラー」が大事だと思っています。

我が家で取り入れる緑黄色カラーの料理はこんなものがあります♪

かぼちゃの塩煮

・かぼちゃ適量

・塩

・水

かぼちゃ、塩、水を鍋に入れて火にかけます。

水分が無くなるまで煮たら出来上がり。

とてもシンプルな調理法です。

しかしながらカボチャは素材そのものが甘いのでお砂糖など要りません。

醤油を入れると色も悪くなります。

なので塩で煮るだけで十分に美味しいです。

人参のオレンジ煮

人参

オレンジジュース

砂糖

オレンジジュース、砂糖、人参を鍋に入れて火にかけます。

お好みの柔らかさになったら出来上がり。

これは外食の際に食べて凄く美味しかったのでハマった一つです。

オレンジの酸味と人参の甘みが凄く美味しいです。

ピーマンのバター炒め

ピーマン

バター

塩コショウ

フライパンにバターを熱し、溶けてきたところでピーマンを入れます。

塩コショウで味付けします。

火が全体に通ったら出来上がり。

お肉料理の付け合わせなどに最適です。

少し緑が足りないときに合わせています。

ほうれん草の梅肉和え

ほうれん草

梅干し

醤油

ほうれん草を茹でてしぼっておきます。

梅干しの果肉を叩いておきます。

ほうれん草、梅を合わせ和え、醤油で味付けします。

梅の酸味がとても食欲そそります。

緑に映える赤色が綺麗です。

一部しかご紹介出来ていませんが、このように出来るだけ緑黄色カラーを食卓に添えるようにしています。

我が家の幸せは、家族みんなが健康でいること。

つまり緑黄色カラー=家族の幸せの色。

親愛なる家族がこの先もずっと健康で元気でいてくれますように!!!

緑黄色 eiyan6pt

栄養バランスの良いお料理は”5色”。

白、黒、赤、黄色、緑

つまり、白いもの、黒いもの、赤いもの、黄色いもの、緑色のもの。

白いものは大根や豆腐。

黒いものはしいたけや黒豆。

赤いものはトマトや人参。

黄色いものは生姜や黄色ピーマン。

緑色のものは野菜や緑豆。

これらを毎日組み合わせてお料理を作ると健康食だね。

白と茶色と黒の三毛猫の色 MINT8pt

白と茶色と黒の三毛。今はもういませんが、小さなころからずっと、わが家の幸せの中心にはこの色がありました。家族の団らんの時も、独りぼっちのお留守番の時も、必ず一緒にいてくれた、大切な大切な家族。子供の私は、人間と猫は言葉が通じるのかなんていう疑問を持つこともなく、ごく自然にお話をしていました。

「おなかすいたねー」

猫は、ほんとね、といった顔をしながら私を見つめます。

「なんか食べようか」

私が立ち上がると、猫も喜んでついてきます。ちゃんと会話が成り立っています。

「今日ね、学校でけんかしちゃった」

うつむいている私の顔を、猫は心配そうにのぞきこみます。

「あした、謝った方がいいのかな、私は悪くないんだよ、でも…」

猫がするんと頬ずりしてくれます。

「そっか、悪かったから謝るんじゃなくて、仲良しでいたいから謝るのか」

猫は、うんうんというような顔をして私を見つめています。ちゃんと会話が成り立っています。

私から話しかけるばかりでなく、猫の方からも色々話しかけてきてくれました。とととととっと元気よく駆けてきて、こっち来て、と言いたげに私を見上げている時は、何かすてきなものを見つけた時。

「どうしたの?何を見つけたの?」

猫の後をついて行ってみると、コオロギさんがいました。

「うわぁ、秋がやってきたんだねぇ」

猫は頭を低くして、後ろ足を踏ん張って、お尻をふりふりしています。これは「見ててね、今から一撃でつかまえるよ」という猫のボディランゲージ。

「わぁ、だめだめ、コオロギさんはお外に出してあげようね、そしたらきっと今夜、いい歌を聞かせてくれるよ」

猫の背中にそっと手の平を置くと、ちょっとピクンと反応して、そして満足そうにゴロゴロ。

「うんうん、こんなすてきなお客さんを見つけてくれただけでお手柄お手柄」

「ごろごろごろ」

ほらね、ちゃーんと会話が成り立っています。

家族もみんな、この三毛さんが大好きでした。だから、家族の思い出の中には、いつも必ずふかふかの三毛の色。この色がわが家から消えた時は、わが家の幸せまで一緒に消えてしまったかと思われるほどでした。でも、今は違います。だって、家族なんですもの。何年たっても、忘れるなんてありえません。だから今も、家族の幸せの中心には、いつもふかふかの三毛の色が見えています。ここにはもういなくても、目には見えなくても、でもいつもそばにいてくれる。そんな実感があります。今だって、これからだって、大切な大切なわが家の一員。そんな猫の三毛の色。それがわが家のあったかな幸せ色です。

三毛猫 eiyan6pt

三毛猫は普通強いと言われています。

それは雑種野生に近く、何事にも巻かれない性質を保持し、どんな逆境にも打ち勝つ極意を自然に身に付けています。

飼育された家猫よりも野生並みに育った血統を受け継いだ三毛猫だからこその野性味あふれる育ちをしますね。

家族に飼われてもどんな環境にも順応する能力を持ち合わせた三毛猫はしっかりと生き抜く極意を知ってるんですね。

食事の風景 adgt5pt

一人ぐらしをして切に感じますが、「一緒に食事をとる」ということが家族の絆を深めてくれるものの1つだと思います。それぞれが、細かくは好き嫌いなどが違うけれど、一緒に同じものを食べる。その中で、良い事ばかりでなく色々な問題についても話をしていって、一番ちかくにいる家族がどんな人であるかを日々気付いていく。そういった営みの積み重ねが、家族の絆をだんだんと深めていくのだと思います。

食事の風景 Rytandrezone4pt

昔はよく食卓を囲んでましたが、家族内が仕事上バラバラの時間帯で食べることが多くなりました。

会話も少なくなり、家族内でもすれ違いというか、誤解が多くなりましたね。

できれば、一緒に食卓を囲んで食べることが一番いいことだと思います。