岡山「魚正」

6月25日に寿司界西の横綱と称される岡山「魚正」を訪問した。以下寿司初心者の精一杯の感想である。日がたっているので当日の興奮が抜けているとは思うが、ご了承頂きたい。

緊張の初訪問

今回の訪問にあたって、先月より我が住まい近郊(車で1時間以内)の寿司屋10店舗ほど食べ歩いた。一つにはこの「魚正」への感度を上げるためと言ってもいいかもしれない。


「魚正」は岡山繁華街の中にある。品のある和建築で看板が無ければ誰も寿司屋はおろか料理屋とは思わないだろう。門から玄関まで適度に水をうたれた石畳の清潔感が心地よく、じんわりとした照明が期待に胸躍らせる僕を落ち着かせる。がやはり緊張はする。


扉を開けるとあざやかな朱塗りのカウンターに目がいく。ご主人の仕事が非常に見やすいしつらえである。数寄屋作り。品の良い生け花。土牛の画がさりげなく飾られる。
すでに店の方が待っておられ、緊張していた僕が一瞬にしてリラックスしてしまうような雰囲気がそこにあった。もちろん僕の背筋は伸びているのだが、しかし心を自然に開けるような心遣いを感じる雰囲気だ。女性のご主人の「いらっしゃいませ」の声からは自信とさりげなさを感じ、お母様の物腰には優しさがあふれる。
僕は最初の客。本日は合計8名の予定。

ちょっとビール

本日は暑く口の中が粘っていたので口を漱ぐためにビール(エビスの小瓶)を。最初の肴は
「鎮台(ちんだい)貝」。珍しい名前の瀬戸内の貝。思ったよりも食べ応えのある旨味のしっかりした貝。しかし砂が歯にあたり少々残念。

次は「米イカの木の芽味噌和え」。米イカホタルイカと似ている。ホタルイカの顔をさらに可愛いらしくしたような感じ。絶妙な歯ごたえと非常になめらかで香り高い木の芽味噌がばっりち。この木の芽味噌はお母様の作。

日本酒に対する考え方

ここでお酒を。そもそもお酒ではじめた方が良い肴である。こちらのお酒は岡山の地酒「歓びの泉」(中田酒造)の上撰だけとのこと。中田酒造のHPを見ると”良撰”かもしれない。ご主人の日本酒に対する考え方は「お魚とけんかしないこと」が絶対条件。だから薫り高い大吟醸や芳醇なもの、さらに甘いお酒は置かない。良き純米酒が一つでも無いのは残念だがポリシーには大賛成である。ご主人の言葉を借りれば「さらりとしたお酒」がお好きとのこと。ぬる燗にしていただく。錫のちろりで提供される。
非常に綺麗なラインの上撰である。糖類は添加していないだろう。普通酒によくある吐きそうな匂いはしない。酸が穏やかに横たわっていて、いくらでも飲めそうである。しかしお魚とお酒がお互いを引き立てるという関係には今一歩のような気がする。

魚を切っていただく。

ここではネタはほとんど室温に置いている。つまり舌がちゃんと旨味を感じる温度にしている。だからといってよくありがちな生ぬるいネタとは全く違う。
まずはひらめくるまえびままかり。最近鯛が良くないとのことでひらめが入っている。絶品ではないが、歯ごたえ、舌触りが良く、旨味にも複雑な表情がありまずまず。それよりも僕の目を覚ませたのは山葵であった。口に入れた瞬間、さわやかでなんとも綺麗な風がさっと通り抜ける。今までの寿司屋での山葵は鮮度も悪く濁っていたのだ。魚正ではお客を捌きながら必要なときに少量ずつ摺り下ろしていく。


刺身で驚いたのがあわび。出色であった。歯ごたえ、香り、甘みはもちろんだが、生なのにかみしめるとスープが出てきて旨い。こりこりとした歯ごたえのみのあわびではない。これだけでも来たかいはある。切れずに繋がっているものが一つあったがご愛敬。


今回のまぐろは残念ながら境港のもの。普段は東京から青森大間産を引いているが、いいものがなくて境港から引いてきた。ご主人曰く「まずまずのまぐろで出さないよりはまあましかという感じで」と。これは仕方がない。味だが穏やかな丸い旨味あるものの後半の持続力が無く、ちょっと気が抜けている感じがした。


手長だこのぶつぎりとキュウリの酢味噌和え。僕はタコは好きでは無かったのだがこれで宗旨替えする。ほどよくやわらかく茹で上げられ、そしてかみしめるほどに旨いタコ。お母様の酢味噌がまた旨い。これに歯ごたえのあるキュウリがさわやかにサポート。器がとても良かった。少し酢味噌がはねて縁に付いていた。

疑問が氷解、アジの美味しさ。

アジに茗荷、ショウガを乗せポン酢仕立てで頂く。僕はアジに関して問題意識を持っていたがそれが解決。今が旬のアジだが、ただの脂ののったアジではなく締まりがあり、豊かな表情、海の味のする軽やかなアジである。


今が旬のアジだが我が住まい近郊の浜田産のアジはなかなか口当たりがよい。とろんとした舌触りである。しかし僕は浜田の寿司屋で食べても自分で捌いてもある疑問があった。非常に単調な味わいで、これを美味いというのだろうかと。さらに浜田市のブランドの取り組みでいろいろ思うところがあるのだが、それは今は述べない。


今回の魚正でわかったのは個人的にはアジは表情があってこそ美味いということ。脂がのってるからだけで美味いというのはこのお肉やわらかーいというレベルと同じのように思える。まき網だから身がしまっていないのか、釣りアジなら表情のバランスが取れるのか、そこは僕にはわからないが。

最高に滋味深い独特の吸い物

そして「エビの頭の吸い物」。これが一番の驚き。普通の寿司屋ならエビの頭はあぶって塩で提供されるがここは吸い物。この出汁が普通と違ってなんだか独特。千切った海苔のおかげ? 作り方はわからないが本当に旨い!最高の塩梅で美味しい蕎麦湯を頂いたとき以上の心地よさでじんわりと体に吸収されていく。湯飲みのようなもので頂く。

見事な仕事

すでに本日の客が勢揃い。8名の肴、寿司を次から次ぎにこなしていく。まったく無駄の無い動き。「攻め」や「たくましさ」を感じる。その仕事ぶりをみるだけでも楽しい。しかも誰もが間延びしないよう常に気を配っている。さらに提供する際の指先の優雅さのようなものがあれば個人的にはうれしい。これは女性だから言うのではない。

そろそろ握っていただく。

ちょっと肴を頂きすぎた。というのは僕はこういう店は始めてで、握っていただくタイミングを計り損ねたのだ。しかしまだまだお腹には余裕がある。というわけで「一通り」とお願いするがご主人は「大丈夫ですか」と少し苦笑い。つまり食べ物への感度が鈍るまで食べない方が良いということか。ということでおまかせする。「出していない物を中心にお出ししましょうか」・・・握りはとても早い。しかも絶妙のほどけ良さ。しゃりは舌触り良く完璧な塩梅。ネタはほぼ室温であり、しゃりとの違和感は全くなし。


ままかりキスうにの軍艦とろアジ(お好み)、あなごかっぱ巻き(棒のまま)、たまご

  • キス
    • しっかりしっとりとした身で芳醇な味わい。ここで握りの美しさとしゃりの絶妙なやわらかさを体験。しかし小骨が当たる。
  • うに
    • ぱりっとした海苔。嫌な匂いのしないウニ。しかし後味に木の香りが少々残る。
  • とろ
    • そこそこだがやはりもう一つ力が無い。しかしその握りの美しさは瞠目もの。
  • アジ
    • 肴と同じ印象。また、まったく臭みは無い。ネタが大きいからか、半分に割って下さる。まったく雑念がない見事な包丁捌き。強い意志を感じる。
  • 穴子
    • ネタがとても大きく、くの字に折ってしゃりをつつみこむように提供。かなり強い焼き加減。焦げが少々目立つが、全体にこれは「野趣あふれる穴子」を表現か。ちょっとぱさつく。
  • 驚異のかっぱ巻き
    • 今日のMVP。この巻き方がまたみものである。海苔を箱から取り出し、簀巻きに置いてしゃりを非常に薄くのばし、山葵をさっと人差し指で撫で、キュウリを置き、そして(ここが重要)、目にも留まらぬ早業、瞬き禁物のスピードで巻。そして無造作に棒のまま渡される。これがなんと旨い!!!!海苔に歯があたり、ぱりっと香ばしい香りがし、しゃりに当たったかと思えば即座にキュウリの力強い歯ごたえ、それと同時に多めに塗られた山葵の風がびゅんと吹く。旨すぎる、なんなんだこれは!横の別のお客さんが「美味しいでしょ!」と。大きく頷く。これを10本くらい食べたい衝動に駆られるが遠慮してしまった。
  • たまご
    • 最後に「時間がおありでしたらたまごを焼きます。」客を捌きながら、火のある奥へ行きひっくりがえし、10分ほどして出てくる。あつあつ。ご主人は素手でさわる。さすがに熱そう。ささっとカウンターに供される。今回は焼きむらが多かった。ぼそっとしている部分、ふんわりした部分、レアな部分と様々。それを楽しめばいいといえばいいかもしれない。甘さはちょうど良い”優しさ”になっていた。


それから変な甘さの無い潔いガリが口の中をさわやかにしていたことを記しておく。

本当のおもてなし

今回の魚正のネタはご主人が言うとおり、この異常に晴れ続ける天候のせいか、特別に良い物がはいっているわけではなかったかもしれない。これはもう一度検証したい。マグロが良ければ大分印象は違ったかもしれない。
しかし、そんなに最高のネタばかりを信奉する方は東京に行けば良いのだ。その時々で扱える瀬戸内の良いネタを仕入れておられるのは間違いないだろうし、美味しさとは何かということをご自身の技術・信念できちんと提出されている。
今回のように「魚よりかえって巻物の方が今日はいいかもしれない」と正直におっしゃる。しかし「巻物で喜んでいただける」という確かな自信が十分に伝わってくるのである。これぞ本物。本当のおもてなしだろうと思う。
会話のされかたもいい間合いである。お客に媚びは売らないたくましい面構えのご主人だが手を休めずに放つちょっとしたユーモアで場を盛り上げる。
最後は腰の曲がったお母様が見送ってくださった。ありがたい。


正直、お会計はそれなりにする(計20,000円弱)。僕の身分では1年に1度か2度くらいの贅沢だろう。でも再訪は間違いないと思う。が、しかし次は握りだけにしようかな。やはり握りでご主人の技術の神髄が見えるし、多少は値段も下がる(12,000円くらいらしい)。
今になって心残りはイカである。刺身でも握りでも頂かなかった。お任せしたし、まあ良いかとそのときは思ったのだが。