沖縄やんばる・高江の人々が守ろうとするもの

副題 沖縄やんばる・高江の人々が守ろうとするもの

非戦を選ぶ演劇人の会 in 伊丹 ピースリーディング vol.1

 
私たち「非戦を選ぶ演劇人の会」はアメリカによるイラク攻撃の報道を受けて、2003年2月14日に発足しました。
石原 燃


やんばるの中に東村があります。
その東村の北はずれにある集落が高江です。人口約150名中学生以下が人口の2割を占めます。
この緑豊かな高江と総面積7800ヘクタールの米軍北部訓練場は、隣り合わせにあります。
現在でも東村には15ヵ所のヘリパッドがあり、そこへ新たに高江集落をまるで取り囲むようにして、6ヵ所のヘリパッドの建設が予定されています。

2007年7月、ヘリパッド建設に反対するために、座り込みが始まりました。
2008年11月、国(防衛省沖縄防衛局)は「座り込みは工事を妨害している」として高江住民ら15名を相手に「通行妨害禁止仮処分命令」を那覇地裁に申し立てしました。
2009年、国の申し立ては、ほぼ却下されるが・・・・
2010年、国はヘリパッドの建設予定地へつながる進入路に、仮設フェンスを設置する工事に着手しました。


 ヘリパッドのいらない住民の会(通称 ブロッコリーの森を守る会)

 <チラシの一部 転載 ↑ >

沖縄・高江の問題を取り上げた、朗読劇というものを観ました。
関西を代表する演劇人が、ボランティアで参加。
台本を読んで演劇をするというスタイルに、違和感があります。

シナリオを作るまで、引用文献・参考資料・協力者が数十点書かれていました。
伝えようとする話は、頭に入りそうでいてイメージがつかめません。
漢字のことばが、いっこうに出てこないのです。

演ずる人にセリフを頭に叩き込んでしてくれという気は、毛頭ありません。
その台本を一緒に読ませてほしい、もしくはスクリーンに字面を写してほしい。
プロであればあるほど、演じるスピードは並みです、ついていけない。

パソコンを開いてインプットして、誤った漢字表記はつい見逃してしまいます。
パソコンで書かれている漢字は知っていても、えんぴつで書けないようになる。
漢字のイメージだけを記憶している。

映画などによる映像の技術が重要視され、字を書く・字を読む文化がおろそかになる怖さを感じています。
平日の昼過ぎのせいか、観客に若くない層が多かったようです。



沖縄には、普天間基地移転問題があります。
2010年5月、移転先を辺野古とする日米共同宣言が発表。
2011年、福島第一原発
2012年、3月の国会に「秘密保全法案」(国家機密法の再来)が上程か危ぶまれた。

すべてに共通した、問題を抱えているとわかりました。
日本のどこでも起こっている、根本的なこと。
自分が住んでいる日本の国土を、大事しようという心を無くしてしまったこと。

自分の棲んでいる故郷をなぜ開け放さなければ、ならないのでしょうか?
果たして都会に住むことが幸せにつながることだ、といえるでしょうか?
国に、国のいう法律に頼りすぎていました。

主題   私の村から戦争が始まる

スタッフ
作:清水弥生、瀬戸山美咲
演出:内藤裕敬
キャスト
円城寺あや  河東けい  はしぐちしん
大森一広   キタモトマサヤ 橋本浩明
岡村宏    栗塚 旭  平岡秀幸
尾崎鷹基   千田訓子  みやなおこ
       出口弥生  もりくるみ
       中川浩三  わかぎゑふ
       中道裕子

ヘリパッドの建設を巡っての、東村高江の座り込みです。
この沖縄基地のことは、<しかたがない>ものとして受け入れてきた。
当事者意識を持っていなかったといえます。
東村高江、辺野古移設、イラク戦争参加、津波福島第一原発、東電、電力業界、産業界、国、公共企業体自治体、新聞・テレビ・マスコミ、官僚、知識人と称する専門家。
こういう流れを経てきたことは、すべてつながっており、私たちの判断にゆだねられています。

どうも箝口令が敷かれているようです、福島で沖縄で東京で日本のようです。
いま私たちが立たされている状況を、新聞・テレビ・マスメディアは語ろうとはしません。
身の回りの人は、本当のことをしゃべっているでしょうか?
「非戦を選ぶ演劇人の会」に巡り会わなければ、わからない情報でした。

2008年のチラシには。
インディアンやネィテイブアメリカンと呼ばれるアメリカ先住民は”何か決めるとき7代先のことを考えて決める”といいます。
自分たちが生きている今だけでなくずっと先の未来の子供たちのことを考えて行動するのです。
私たちの行動や選択のひとつひとつが未来の子供たちの暮らしをかたち作っています。子供たちは私たちから何を受け継ぐのでしょうか?
できれば戦争や汚染された大地や空気や水などではなく、自然の恵みいっぱいの平和な日々で、あってほしいと願わずにはいられません。