ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「包摂の論理・排除の論理」

プロフィールでも書いたように、ドイツ語とスペイン語は趣味で、かれこれ20年ぐらい続けています。続けていれば、何か役に立つこともあるだろう程度なのですが、人によっては、とても厳しく考えるというのか、硬いというのか、「マレーシアの研究しているって言いながら、どうしてドイツ語やスペイン語なんかやっているの?それが学問的にどういう関係あるの?」とガクモンなるものを盾にして、真面目に聞かれたこともあります。だから趣味なんですってば。「は、それが何か?」とトボケるのが、昨今の若者の切り返しだそうですけれど、ま、そんな感じかも…。

マレーシアについて勉強していたら、ヨーロッパ言語に趣味を持つべきではないとでも?ちなみに、本当にベトナムのことを理解したかったら、ベトナム語、フランス語、中国語、英語の文献が読みこなせなければ、お話にならないってことぐらいはご存じですよね。インドネシアならば、インドネシア語オランダ語、英語、そして地方語・種族語のどれか一つ(例えばジャワ語とかスンダ語とかアチェ語など)ができないと、恥ずかしい思いをするということも…。
マレー語が本当にできる人ならば、サンスクリットアラビア語と少しのペルシャ語の講習も受けていることは常識、らしいです。私は成り行き上、順番が逆になってしまい、大変でしたし今も大変ですが...。
欧米諸語ができる人の中で、自分があたかも高級人種であるかのような態度で話しているのに時々出くわすことがありますが、それは、その人がとても狭い価値観のサークルでしか生きていらっしゃらないからなのだろうと思います。

それはともかく、ドイツ語とスペイン語を続けているのは、一つには「もったいない」という感覚があります。単位取得はドイツ語のみでしたが、試験を受けて、そのためには授業にも出て暗記もして…というそれなりの努力が必要だったわけで、単位がもらえたらそれで終わり、というにしては、辞書代も時間もエネルギーもかかったなぁ、という感覚がぬぐえないのです。では続けてしまおう!単純に言えばそれが理由でしょうか。

ただ、もう少し丁寧な説明をすると、ドイツ語は小塩節先生、スペイン語は清水憲男先生という偉大な先生方に巡り会ったことが一番大きいと思います。お二人に共通するのは、優れた文学者でいらっしゃることです。昔ときどき聞いたのは、文学研究者は語学を低くみて、語学教師は文学を鼻で笑ってという「二項対立」でしたが、真に優れた方ならそんな馬鹿げた話は真に受けません。そもそも、文学を研究するにはことばを大切にしなければ始まらず、文学研究者の卵を左右するのは語学担当者なんですから…。

それにしても、小塩先生といえばゲーテクラシック音楽、清水先生といえばセルバンテスドンキホーテとセットになっているぐらい、お二人とも口癖のように話題にされていました。ゲーテ解釈は、現在では、小塩先生ほど美しいものではなく、現実暴露の方が受けるようですし、セルバンテスに至っては、まだ読んだこともない私です。ですが、初歩の初歩からあれほど情熱を傾けて丁寧に教えてくださった背景には、やはり文学への深い敬意と愛があればこそ、と思うのです。わくわくするような秘境の扉へといざなわれていた気分でした。あ、そうそう、2007年5月22日にイシハラ・ホールでの演奏会で、プログラム以外の即興演出として、ギル・シャハム氏が「サパテアード(を演奏いたします)」(注:サラサーテ作曲)と舞台からおっしゃった時、(ああ、スペイン語をやっておいてよかった!)と踊るような感覚を経験しました。この醍醐味は忘れられません!!

昨日、学部2年の6月から大学ノートにつけ続けている読書記録(1ページに7冊分ずつ書いていき、今は10冊目のノートになります)をめくってみて、自分の読書遍歴(と呼べるほどたいしたものでもありませんが)を懐かしく思いました。名古屋の区立図書館、中央図書館、国立と公立の大学図書館、町立図書館、県立図書館、教会図書室、周囲の知人や同僚など、いろいろな所から借りた本が大半で、実家にあった本や買った本も少しは含まれています。メモもはさみこんであり、おもしろかったです。それにしても、暇そうにいろいろ読んだもんだ、と自分でも呆れています…。

既に基本型はノートの1冊目からできていて、今でも大きな変化はありません。生き方本、一人暮らしのアドバイス本、女性の人生設計の本、健康関連の本、心理学、日本文学、ドイツ文学、フランス文学、ロシア文学、ドイツ語関連、スペイン語関連、メキシコ文化、国語・日本語の研究、言語学、国際関係、異文化交流、東南アジア文学、聖書分野、キリスト教イスラム分野などを中心に読んできました。本は読めるうちに読まなければ、と必死になっていたからでもありますが、それが充分、今までの人生に反映されているかどうかは心もとないものがあります。

ところで、新渡戸シンポの話をすると、主人いわく「結局、仲間に入れてもらえなかったんだね」と一言。「だって、話聞いてると、それ、公開シンポじゃなくて、内輪の会合だよ、どうみても」「でも、誘われたと思ったから、夜行バスで出かけて行ったんだよ」「でもさ、そのエスペラントの話って、できる人達だけの話じゃないか。そんなの、聞いてたって何にもおもしろくないわさ。東京までわざわざ行って、通訳付でわからん言語を聞かされて、二日間ずっと一人でご飯食べて、ホテルでお風呂に入れたって喜んでるのって、ちょっと淋しくないかい?」…言われてみればそうかもしれませんね。私なりにいろいろ時を生かして用いたつもりだったんですけれど、その辺のところがどうも鈍感で、なかなか気がつかないようです。

そういえば、入り口で資料をもらおうとしたら「それ、エスペラントですよ。いいんですか?」なんて言われてしまいました...エスペラントだとわかっているから手にとったんですけど、それが何か?

ま、言語であれ民族であれ宗教であれ、その類の範疇には、どうしても「包摂の論理・排除の論理」が働きますから、仕方ないとあきらめるしかありません。みんなぁ、自分の力量の範囲内でがんばって生きていこうぜ!

読書ノートから、外国語学習に関して明記しておきたい参考書を3冊列挙します。

渡辺照宏外国語の学び方岩波新書462  1962年
この方は仏教学の専門家でしたが、体が弱かったこともあり、自己の世界を広げるためにも相当多くの言語を学んだそうです。内容が本当におもしろくて、夢中になって読んだことを覚えています。今の方が、外国語教授法もよく研究され、さまざまな道具立てと人的交流によって、外国語学習環境は格段に飛躍したにもかかわらず、どうして昔の先生方の方が、格調高く上質な文章を書かれ、不自由をものともせずに外国語で堂々と渡り合えたのか、ということは、充分考察の余地があろうかと思います。

千野栄一外国語上達法岩波新書329 1986/89年
この先生には、いつかどこかでお目にかかれたらなあ、と思っているうちに、2002年3月19日に70歳でお亡くなりになってしまいました。今から思えば、まだお若い歳なのに、という気もしますが、長年どこかで無理をされていたのかもしれません。この先生も、学問的には大変厳しそうな印象でしたが、書かれたものはどこかユーモラスで、読んでいて明るく元気になりました。

J・V・ネウストプニー外国人とのコミュニケーション岩波新書215 1982/89年
ノートにはさんであったメモによれば、120ページには次のように書いてあるそうです。
「なぜ語学を勉強するか」
(1) 体制維持−語学教育がただ伝統的な教育体系をそのまま問題なく続けられるために行われる
(2) 趣味−自由時間が余っている、又は、現実の種々の心配事に余暇をうばわれないために
(3) 象徴−語学教育の過程が何らかの象徴になる
(4) 技巧形成−語学の勉強は高度の規律、忍耐力と組織立った態度を育てる
(5) 異文化理解−他文化に対して寛容になり、その文化と自分自身との間に積極的関係をつくる訓練を受ける
(6) コミュニケーション
(以上、メモ終わり)
おもしろいのは、(2)の後半理由です。では、私のドイツ語とスペイン語は、一体どの範疇に入るでしょう?案外どこにも当てはまらないような気もします。ただ一つ言えることは、知らないよりは知っていた方が断然得だ、ということです。

結局のところ、人間、生きるか死ぬかとなったら、火事場の馬鹿力じゃないですけれど何でもやるでしょう。こんな私でも、たぶん…。でも、エスペラントって、本当に今後も広まるのでしょうか?部分的に、根強い人気と支持者が存在するのはわかるんですが…。