ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

囚われない心を保つ

「あれこれ本を読むな!」と怒ってくる人がいます。「専門分野だけに狭く絞れ!」というのです。または、「マレーシアが専門だと言いながら、どうしてクラシック音楽を聴いているわけ?学問的には、どういう連関があるの?」と高見から見下ろす人もいます。
でも、これは囚われたヘンな考え方だと思います。それに、せっかく押さえつけられていた好奇心を伸ばすには、今しか時間がない。実は、高校時代から関心を持ち、勉強したかったものはいろいろあるのですが、あと残り少ない短い人生でどこまでできるか、毎日が時間との勝負。音楽だって、幼稚園から大学院1年まで、音楽学校に毎週通っていたのです。4年間しか滞在しなかったマレーシアと、どちらが長いお付き合いなんでしょう?
というわけで、毎日、散歩を兼ねての買い物の帰り道には、車が通らないことを確認して、二宮金次郎よろしく、本を読みながら歩いています。いえ、別に私が変人なのではありません。この辺りは、山が近くて一本道の坂が長く続いているので、ただ歩くには手持ちぶさた。先日も、高校生らしき青年が、自転車を片手で引きながら、別の手で本を広げて読みふけっていました。漫画かな、と思いきや、ちゃんとした文庫本。似たようなサラリーマン風の男性とも出会います。私には、確かに同志がいるのです。
話変わって、今夜、いずみホールでの庄司紗矢香さんとカシオーリさんのベートーヴェンのリサイタル、楽しみです。一足早い誕生日プレゼントのつもりです。彼女だって相当な読書家で、いろいろなものを読んでいます。だから、毎回のインタビューや演奏会が、新鮮でおもしろいのです。前例に囚われずに、新しいことにチャレンジし続ける若い彼女から、多くを学び、励まされています。

[追加情報]

asahi.com http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY201011050386.html

感じるすべてを音色に バイオリニスト・庄司紗矢香
2010年11月5日16時7分


コンクールの覇者は、スポットライトと引き換えに、時として思わぬ「業」を背負う。過度の注目や思惑に自由を奪われたあげく、繊細な才能の翼をもぎとられることだってある。

 だからこそだろうか。16歳までに数々の国際コンクールを制しつつ、27歳の今もたくましく自身の世界を開拓し続けているこの人を見ていると、救われるような気持ちになる。

 幼い頃、演奏会で耳にしたバイオリンのまろやかな響きに魅せられた。仕事で帰りが遅い両親に代わり、楽器が幼い少女の「最高の遊び相手」になる。

 「続けたければ自分で何とかしなさい」と両親に言い渡されてもめげなかった。自活を意識し、コンクールに出るように。プレッシャーを力に変え、舞台でベストを出す自信はあった。

 「16歳の私が、成熟したテクニックなど持っているはずがない。未熟だと分かっていたから、むしろベストを尽くせた」

 そんな天才少女が葛藤(かっとう)を感じ始めたのは20歳のとき。周囲の期待と自分の目指す世界が少しずつズレてきたように感じた。

 私は一体何を弾きたいんだろう――。生まれて初めて自らに問いかけ、ふと読んだドストエフスキーにその答えを見つけた。人は愚かで人生はあまりにもはかない。ならば、私は私を精いっぱい表現しながら生きていくしかない、と吹っ切れた。

 「自分自身で壁を求め、そうしてそこにぶち当たっていたのかもしれない。つらかったけど、自分の素直な気持ちを見つけ出すには必要なステップだった。乗り越えたあとは、以前よりさらに自由になれた」

 先月、ベートーベンの「クロイツェル・ソナタ」のCDをリリース。華やかな演奏効果で知られる名曲だが、技巧に走らずどっしりと、密度濃く編み上げた。「和声の微妙な変化や内部のメランコリックな旋律など、ベートーベンの思いをできるだけ表現してみたかった。自分なりの音の空間、つくれたかな」

 学究肌のピアニスト、ジャンルカ・カシオーリととことん音の迷宮に遊んだ。「音楽と私たちだけの時間を満喫した」

 見たもの、読んだもの、共演した人々。すべての出会いがいつか豊かなひらめきに結びつくと信じている。「優等生」を脱ぎ捨て、理屈のない芸術の大海原へ。その飛翔(ひしょう)を見届けたい。(文・吉田純子、写真・池上直哉氏)
    
 しょうじ・さやか 1983年、東京生まれ。97年のポーランド・ビエニャフスキ国際コンクールで日本人初、99年の伊パガニーニ国際バイオリンコンクールで史上最年少優勝。欧州を拠点に活動中。6日に川崎、8日に東京で公演。

(引用終)