ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

目に見えない不思議な結びつき

昨晩も、5本の翻訳を送信。ここ3日間で、11本提出。7月中旬からしばらく止まっていたので、まずまずでしょうか。
パイプス先生は、いつでも「すばらしいね」「すごいね」のオンパレード。とっても喜んでくださり、何を訳しても、そのまま受け取ってくださいます。
繰り返しているように、隔週コラムだけは、各言語の訳者宛メーリングリストで一日早めに送られては来ますが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120525)、提出の締め切りもなく、メール受信を拒否したければ申し出てほしい、とも書かれてあります。その他は、こちらの完全自由。一切、強制も抑圧もありません。

それにしても、パイプス先生がテレビや講演や対談でお話されている内容は、訳文をある程度続けると、だいたい同じことの繰り返しだということがわかります。何だか、よく飽きもせず続けていらっしゃるんだなって。私なんて、一度読んだり聞いたりすれば、(わかった)と納得してしまうのですが....。
「私の人生は、あまりおもしろくない」と謙遜されていますが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120807)、せっかく一生懸命に書いたり話したりしているのに、どうしてわざわざ変な方向へ歪める論客がいるのか、私にはよく理解できません。異論や反論があるだろうとはいえ、大事な物の見方や解釈を提出されていることは事実。後は、いかに論理的に説得力を持って語り続けるかが勝負なのでしょう。

「僕は信頼しているよ。全く疑ったこともないよ」と書かれたメールを受け取って(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120807)、改めて出会いの不思議さを思い起こしています。そもそも、昨年11月か12月のまだ寒かった頃、2004年2月のカリフォルニア大学バークレー校での対談の映像(http://www.youtube.com/watch?v=Q7JqbFcQf6A)を、二度ほど繰り返し見ていました。(端正な話し方をする知的な方だな)と感銘を受けつつ、(ここまで落ち着いて冷静に一生懸命に語るアメリカ人男性って、本当に久しぶり)なんて思っていました。時期的にも8年も前の映像で、(ご本人の背景や経歴も私からかけ離れているし、中東研究者なのだから私とは無関係)と思う一方で、熱心に自分の考えを語るパイプス先生を見ているうちに(あれ?私、この人とどこかで結びつくことになるかもしれない)なんて、胸の奥のどこかから沸き上がってくるような気がしたのです。
今から思えば、本当に不思議。でも、確かにあの映像がきっかけだったのです。もちろん、何ヶ月も前に「バークレーでの2004年の映像は、私の好きなインタビューです」とだけ、お伝えしてあります。すると「ありがとう。もう、随分前のことだから、何をしゃべったか忘れちゃったよ。後で見てみるね」というお返事をいただきました。
ただ、お目にかかったこともないのに、書評などを訳してみると、案外に接点があることに気づくのです。例えば、昨晩、提出した書評は、著者がハートフォード神学校の元教授で、昨年7月2日にヨルダンのアンマン(古代名フィラデルフィア。パイプス先生のオフィスとご自宅がある場所と同じ地名!)で開かれた会合に出席中、急逝された方でした。パイプス先生はその出版物を酷評されていましたが(http://www.danielpipes.org/698/intellectual-origins-of-islamic-resurgence-in-the-modern)(http://www.danielpipes.org/11799/)、私にとっては、その教授の指導生だったシンガポール人女性のことを少し知っていたので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080910)、接点に驚くばかり。
パイプス先生によれば、その元教授は、イスラミストと関わりがあったそうで、だからこそ酷評されていたのです。ところが、それを読んだ私は、(だから彼女はああいう論文を書いて得意になっていたんだ)と、4年もたった今、やっと合点がいった次第。しかも、彼女から受け取り通知だけはあったものの、「よく考えてから返事をする」という回答そのものは、未だにありません。そうこうするうちに、指導教官だった元教授が亡くなってしまったという....。
パイプス先生は、「うん、それには僕も気づいていたよ。まだ若かったよね」と私に書き送られました。享年55歳でした。そこで、彼女に宛てて書いた上記の長文のお手紙(4月頃に英文校正にかけておいたもの)を、パイプス先生にお送りしました。読んでくださるかどうかはわかりませんが、イスラエルのことも含まれていますし、私がこれまで一人で作業してきた内容が、パイプス先生の活動内容や趣旨と、見事に重複する面があるという雄弁な証明になるかと思います。
私の勝手な好みで残念に思っているのが、あまりにも一般向けメディアに出演し過ぎではないかということ。パイプス先生自ら、「時間があったら研究したいテーマ」と題して10ぐらい列挙されていましたが、どれもこれも、重たい課題ばかり。つまり、本当に調べたり考えたり本を読んだり文章を書いたりするのが得意で大好きで、学究肌そのもの。本来ならば、どこかの大学の教授におさまって、もっと落ち着いていろいろ研究していれば、今ほど世間的には目立たなかったかもしれませんが、一方で、それほどイライラもされず、不愉快な思いをすることもなく、研究費も潤沢で、自分の所に来た学生に対しては、厳しくも熱心に指導して、立派に育て上げる責任感のある方だろうに、と惜しい気がします。
「先生、基本的な質問があります。学的努力の目的は、事実や証拠に基づく真理の追究なのに、どうしてシンプルな事柄を複雑にする傾向が、アカデミアでも存在するのですか?」
あまりにもバカバカしいとは思いましたが、そこでただ一言。「僕は信頼しているよ。全く疑ったこともないよ」というわけです。