ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

翻訳の意味について

パイプス先生、実は7月最初の一週間はエジプトにいらしたのだそうです。あの疲労困憊といった感じのラジオ・インタビュー番組は、そういう文脈あってこその会話だったということが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130713)、パイプス先生からのメールでやっと判明。「親切な気遣いを感謝するよ」と。
ご多忙なので、インターネットで公開している以上は(後は自分で判断してね)みたいなところもあるのでしょうが、時々、(え!このブログは、一体どのような背景文脈から突然出て来たの?)と困惑することもあります。国が違い、言語文化が異なれば、同じものを受け取っても、解釈が多様化する危険性があります。単純に機械翻訳では済まされない、生身の人間社会の動態が如実に現れる側面です。
翻訳言語数が増える時の問題はそこにあって、昨日も、バーナード・ルイス先生の回顧録を読んでいたら(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130712)、そのようなエピソードが淡々と楽しげに書かれていました(pp.261-262)。ついでながら、アジア言語へ翻訳されたご著書の中に「日本語」も入っているのですが、日本語については「どうなったのかわからない」という記述(p.262)。いえいえ、日本でも新聞紙上でかなり話題になりましたよね?かつて某大学で同席させていただいたことのある中東研究者が、監訳しておきながら「この訳はまかりならん」と叱責する解説文を邦訳書に含めていて、その異様さが問題視されたという....(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100514)。
欧州言語に関しては、デンマーク語はぴったりの表現が存在したので問題なし。ところが、フランス語では異なった意味合いが選択されたので、「それは違う」とルイス先生。イタリア語はもっと想像力豊かな訳語になり、ドイツ語は、一種の意訳であるものの表現としては最も秀逸だったようです(p.262)。
フランス語とドイツ語に関しては、その辺りの記述の背景が私にもよくわかるので、つい笑ってしまいました。やっぱり、学生時代から曲がりなりにもドイツ語を続けてきてよかったなと思う瞬間であり、この頃は忙しくて中断していますが、フランス語も二年以上前から(ようやく)始めたかいがあったと思う理由です(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120519)。
こういうことがあるので、パイプス訳文でも、多少はぎこちないようでも、あえて勝手に気を利かせたつもりにならずに、出来る限り直訳風にしているのです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120618)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120807)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120821)。ウェブ上で発見されるマイナーミスは、私の場合のみならず、レヴィ君の側の責任のこともありますが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120531)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130125)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130629)、何より正確さを重視するよう心がけているつもりです。もちろん、「翻訳者は裏切り者である」(Traduttore, traditore.)というイタリア語のフレーズが常に脳裏を離れず、困ったものですが(p.310)。