Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

明確な敵を見いだせない左派

若者に届かぬリベラル 宇野常寛さん、都知事選を読み解く(http://www.asahi.com/articles/DA3S10974587.html)  内容については別のブログのものを紹介しておく(http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4624412.html)。

 小泉元総理は郵政選挙で同じ自民党の一部を抵抗勢力として取り扱うことで、見事に政治劇を成立させた。もちろん、明確な敵を仕立てあげられたドラマチックな展開を国民は受け入れた。今となっては郵政選挙が一体何だったのかもよくわからないと思うが、少なくとも当時はそれが社会的には受け入れられた。民主党政権交代も同じようなストーリーである。「自民党にお灸をすえる」といった国民認識と、二大政党制を連呼するマスコミ(識者も含む)報道が物語を作り上げた。
 そして、先日の都知事選での田母神氏の善戦(とは言え、あくまで予想以上のと言うべきレベルではあるが)は各所に波紋と危機感を巻き起こしているようである。これは日本の右傾化ではなく、宇野氏が書いているようにリベラル(私は左派だと思う)が幅広い国民不安や不満に具体的な策を一向に提示していないkとがあると思う。

 熱湯浴(ネット右翼の誤記)と呼ばれる存在を、左派系のネットメディア(や識者)などは一部の社会の低収入層が不満のはけ口として行っているように書き立てるが、投票結果を見る限り決してごく一部の存在ではないことがわかる。
 特に、最近では中国や韓国の言論戦(イメージ情報戦)に不安を覚える層がかなりの速度で増加しているが、リベラル系メディアは融和を謳うだけで何ら具体的な処方箋を国民には提示していない。少なくとも現状に至るまでの経緯に関する分析が論理的ではなく、その言論に信頼性を抱けない。
 別に国民の知性が劣化したわけでも、社会が右傾化したわけでもない。ただ、現状の日本を取り巻く環境を考えた時に最も妥当であろう方法を選択しようという行動であるに過ぎない。そして、宇野氏も触れているようにリベラル(かつての左翼にも)には国民を見下したような態度があるのも事実であろう。それは論理的な正当性ではなく実効性を求めている国民のニーズとすれ違いを生じている。

 例えば、リベラル系の運動で反原発がある。確かに様々な意見はあってよいと私も考えるが、報道等を見る限り反原発運動は同時に反政府運動と密接にかかわっている。純粋な反原発活動ではなくイデオロギーの影響を多大に受けているように見えるのだ。加えてその主張は理性よりも感情を前面に押し出したある意味醜悪なものと私は日々感じている。
 これは、反原発が目的ではなく反政府的な行動の道具として用いられているのだろうと感じているからこその認識ではあるが、逆に言えば今多くの日本国民か感じている不安感とは必ずしも一致しない。原発に不安を感じている人に対しては、その琴線に触れる言葉を発することができるかもしれないが、その活動がそれ以上に広がりを見せることはないのは都知事選を見ても明らかである。
 逆に近頃の嫌韓・嫌中運動の一部は確かに行き過ぎの部分はあると感じるものの、同時に多くの国民の漠然とした不安に対して答えているとも言えなくはない。私は、韓国や中国の政治・経済的な行き詰まりが現状に反映されていると思うが、だからと言ってそれを受けて日本側が脅かされる必然性は存在しない。

 言い方が適切ではないだろうが、保守派は韓国や中国というある意味明確な敵(もちろん戦争をするのではないが)を見出したことで力を増している。その原因を彼らは日本側に押し付けようとするが、大部分の日本人からすれば一方的な態度と感じられる。
 それを融和(宥和)で何とかしようとしてきたのが過去の日本であったが、それは当時韓国や中国が日本と比べて経済規模がかなり小さかったことがある。その差があったからこそ、日本は援助の手を差し伸べ中国や韓国はそれを得るために日本批判を抑えてきた。
 中国に至っては日本のGDPを統計上追い抜き(正しいかどうかはわからないが)、韓国も一部の分野では日本を追い越した部分もある。この状態に至り、日本は援助や融和を積極的に図る必要はなくなり、逆に韓国や中国は下手に出る必然性が無くなった。
 彼らからすれば、追いついた(近づいた)からこそ日本を本格的に敵と定めて追い抜きのためにあらゆる攻勢をかけているのであり、日本からすれば助けるべき対象から競争すべき対象に変化したのだからもはや一方的な譲歩は見せないという状況になる。それが現在の対立である。
 田母神氏の台頭は、こうした情勢下の国民(都民)心理が大きく影響を与えている。これをさらなる融和により解消できるとするリベラル派の言説からは、私としては具体的な方法論や論拠を見い出せないし信用を置くこともできないでいる。

 反原発はこうした状況に対する代償的行為として祭り上げられていると感じるのだが、だとすればそれは反対のための反対を訴えているに過ぎない。要するに今の安倍政権が気にくわないから、そのためにできることは何でも持ち出そうという状況だ。安倍政権の施策において私は違うと思うものも少なからずあるが、唯一正しいと思っているのは中国や韓国に下手な妥協をしていないところだと考えている。
 リベラル派が力を持ちえないのは、一向に変わらず昔ながらのパターンで政府批判のために外国勢力と同じ方向性を取って、日本を弱体化させるのに寄与していると見られているからである。その疑問に答えられない限り、よほどのことがなければ現状の流れは堰き止められることはないだろう。