契丹古傳で好成績を挙げた犬塚惟重

 犬塚惟重『人類の母国「神国日本」』は八宏会発行。昭和18年10月発行の非売品。上海での3年、南方での1年の経験を織り交ぜて、日本が世界の親国であり、人類の母国であることを論証したもの。太平洋周辺の巨石文化や陥没したミユウ大陸、原日本人、神代文字などについて、各種の資料を引用してゐる。

 犬塚は上海では、現地新聞社のユダヤ青年に働きかけて記事を掲載させた。「被圧迫民族は極東に新しき未来を獲ん」「飛騨史蹟発見」「基督は日本で死亡した」などの見出しで、紙面の写真も載ってゐる。ミユウ(ムー)大陸についてはチャーチワードの説を引用。日本語の50パーセント以上はミユー語であるから、日本人は太平洋諸島や中南米の原住民と通訳なしで話せる筈だといふ。

 古文献では契丹古傳の重要性を挙げる。

これは余が上海で中国知識層への宣伝戦に応用して、好成績を挙げたと自負し得る支那の資料で、対華僑及び東洋諸民族思想宣伝戦に利用して可なりと認めるものである。

 同書にはスサノオが神子神孫をアジア各地で統治させた記述があり、「さながら日本神代史に接するの感がある」と感心する。

 神代文字についても、

国幣社百九十八社中四十六社までが、神代文字を使用した神璽、御札等を発行授与してゐる

 とし、各地の社寺や図書館にも資料が保存されてゐるといふ。常識的に考へても、漢字が渡来する応神天皇までの時代に、字がなかったとする方が不自然だと推測する。

 飛騨の巨石文化は、かつての政治の中心地。これが高天原で、日本各地にある。高貴な方々は文字通り雲の上の涼しいところで祭政を行ってゐたのだ。

 犬塚は歴史学だけでなく地質学、人類学、考古学などを幅広く参照し、自説の補強に努めてゐる。

 

 

・伊勢谷武『アマテラスの暗号』読了。荒唐無稽なトンデモ本ではないかと警戒しながら読んだが意外に楽しめた。目次がないのは、先の展開を読ませないためだらうか。その代はりか、同書に登場する各地の神社が日本列島の地図に示されてゐる。神々の系図の次には登場人物紹介。賢司が主人公で、ゴールドマン・サックス元トレーダー。歴史学専攻。そのほか元同僚、神職宮司、領事館員、諜報員、ユダヤ人の神道研究家、元駐日イスラエル大使などが列記される。単なる日猶同祖論にとどまらず、イスラエルと敵対するアラブ諸国、日米接近を警戒する中国、日本の右翼などの影が見え隠れして謎を呼ぶのも読みどころ。古代史やミステリーの愛好家だけでなく、いはゆる本職の人が読んでも得るものがあるのではないか。

 

 

柳家金語樓の新作落語「鋏の音」

 『時局と人物』は時局と人物社発行、第百書房発売。2巻1号は昭和14年1月発行。表紙のイラストは洋装の婦人。裏表紙の広告がいい。第百書房発行のユーモア小説三人集のもの。兵隊さんは戦地に長く居るので、顔がひげだらけ。その顔で白い歯を見せて笑ってゐる。滑稽百出、爆笑の雨だといふこの本を読んだのだらう。第百書房と今日の問題社は一体のやうで、他の書籍広告は今日の問題社のもの。

 本文では北村小松が「現代小説 電影女王」を書いてゐる。画は筒井直衛。上海の銀幕の女王、葉琴芳を主人公にしたもので、冒頭で意味ありげな紙片を渡されたり、新聞記者が噂し合って「誰だつて一度は夢中(クレーヂイ)になつてしまふぞ!」と言ったりと、盛り上げ方が巧みだ。

 他にも柳屋金語樓が「新作落語 鋏の音」を書いてゐる。床屋の親子を描いたもので、時局下の特色をよく捉へてゐる。この日は定休日で、衛戍病院に傷病兵の散髪に出かけることにし、職人や小僧たちは休ませてゐる。ところが、一緒に出掛ける筈の息子の亮一がゐない。酔っぱらって帰ってきたところを問ひ詰めると、出征する友人と飲んでゐたのだといふ。そんなことでバリカンが持てるか、と水をかけて酔ひを醒まさうとする父。しかし母は息子をかばって反論する。

『貴方だつて、若い時には、散々呑んで私を困らせたくせに』

『何んだと、この便衣隊、敗残兵、国賊!』

『何が国賊です!』

 兵士が軍服を一般人の服に着替へて偽装したのが便衣隊。スパイの同類として、このやうに罵倒したのだらう。母が息子をかばったのは、ただ可哀さうだったからだけではない。もし風邪を引いて病気にでもなったらどうするのか。「それこそ、日本の為に働く兵隊さんを一人へらす様なもんです」。いったいどちらが国賊か、といふことだらう。父と息子と母、それぞれに言ひ分があるところが面白い。出征といふ、当時の庶民に身近で切実な問題を上手に落語に昇華してゐる。

 

 

古川緑波が見た生大黒様

『川柳祭』は川柳祭社発行、昭和24年10月号に古川緑波が「シヨウコンシヤ」を書いてゐる。招魂社、つまり靖国神社のこと。といっても、すべて春秋の祭りにやってきた見世物小屋の様子を描いてゐる。明治36年生まれで10歳に満たない頃のことといふから明治末頃のことだらう。

 奇妙な看板で客を呼び込む例が2つ報告されてゐる。1つは足が5本で眼が3つの娘の絵。呼ぶとその娘が返事をするのだ。しかし入ってみると、そこにあるのはアルコール漬けの瓶に入った怪しげなカタマリ。別人が返事をしてゐたのだ。もう1つは猫がラッパを吹いてゐる図と猫が煙管で煙草を吸ってゐる図。しかしこれも猫は人が見てゐたり明るかったりすると恥づかしがるといって、箱の中に入れてしまふ。箱からラッパや煙草だけが出てゐて、そこから音や煙を出すのだ。緑波は猫の代はりの人間の様子を想像して面白がってゐる。

 しかし生大黒様はちゃんと実物をみることができる。

たゞブクブク肥つて、耳が大きく、ヒゲを生やしてゐるのが、画にある大黒様に似てゐる――といふ男。(略)生大黒は、面倒くさゝうに、(何しろデブデブ肥つてゐるから、動くのが大儀らしい)立上つて、木槌を持つて、踊る。踊ると言つたつて、まことに不器用なもので、たゞ木槌を持つて、うろううろするだけ。

 大黒様の恰好をした太った男が、踊りともいへないやうな動きをしてみせる。それが生大黒。ほかには河童もゐた。真っ黒な池のやうなものが用意され、それらしい姿のものが一瞬だけ現れては沈んでゆく。これは1銭か2銭。

 正真正銘の本物としては大蛇が毎年必ず来た。行者姿の釜鳴り仙人は呪文を唱へて釜を鳴らした。火渡りもしたといひ、これは修験か山岳系の神道者ではなからうか。

 サーカスや活動写真、猿芝居、犬の芝居などもあり、当時の靖国神社はかなり楽しさうだ。

 

清家正「電車の中でも立ちつゞけ得る健康と若さを誇れ」

 『教育修身公民研究』は精神文化学会発行。復刻がある。臨時増刊号の日本的錬成教育方法研究特輯は昭和17年11月発行。

 三井甲之の「臣道感覚錬成の教育法」があるが、これは談話と著書の引用をつなぎ合はせたもの。理由はわからないが「執筆など絶対せぬ」とのことで、記者が苦労してまとめた。影響を受けた人物として、ゲーテヒトラー、黒上正一郎、近角常観、清沢満之の名を挙げてゐる。

 「国体観念」を反転させたやうな「臣道感覚」については、次の高橋鴻助が解説。国体を全心身的に知覚することの大切さと、和歌のリズムを体得することを訴へる。

 吉田秀造は「神道実践に於ける日本的方法」を寄せてゐる。肩書は禊実践家。禊は神道の骨髄を心に植ゑ付ける最上の修養方法だと強調し、敬神崇祖の根本義も禊でなければわかりにくいといふ。天皇と臣民との関係は、榊の枝葉によって説明する。

根幹は天皇、枝葉は吾等臣民である。即中心と分派とは不二一体である。されば嵐の時、枝葉は必要に応じて散り又は折れることによつて中心を護る。それは滅私奉公ではない。(略)天皇が生きてゐられると云ふことは即ち自己が生きてゐるといふことである。

 戦争をしてゐる米英との関係も枝葉によって論じる。

荒身魂たり枝葉たる米英が中心となりては人類は幸福にはなり得ないと同時に米英と雖も天皇の御肉体の一部でさへあることを思ひ、天皇はやむを得ず米英等を撃ち給ふけれ共、それは御肉体の腫物を切開遊ばされるにも似たもので、世界を正しきにおくための御戦即ち皇戦であることを銘記せねばならない。

 清家正は東京府立高等工業学校長・東京府立電機工業学校長。自身の学校で実践してゐる教育法を披露してゐる。首を傾げるものもあれば、うなづけるものもある。「早出・残業・休日出が笑顔で出来る」「弱い身体の持主は工業人として勿論不適当である。死なないうちに早く他へ転向してほしい」「目は常に目的物にそゝげ。授業中ならば師の目に、作業中ならば作業に、雷が鳴つても、仮令大爆発が起つても目をそらすな」。

 指導は授業中だけでなく、電車の中の動作にも及ぶ。

電車の中でも立ちつゞけ得る健康と若さを誇れ。席を譲る譲らぬの問題ではない。満員電車に屈強の若者が座席を占めて居るのは体裁のよいものではない。立ち得る若さを誇るがよい。それ故に病気の場合は大威張りで着席して居てよい。仮令教師や先輩が目の前に立たうとも。

 健康なのに電車の席に座るのはあまりよくない。しかし病気ならば無理して立たずに、堂々と座ればいい。自主自律の精神を教へてゐる。

成瀬文学博士「火星とは何処か外国の町の名前ですか」

 暖かくなってきた。

 『衛生新報』の明治41年5月号は通巻81号。衛生新報社発行。「男子罵倒論」の黒光女史は相馬黒光だらうか。青柳有美に反論してゐる。もしも現在の男性と女性の立場を入れ替へたならば、女は男以上の好成績を収めるに違ひない、と自信を見せる。女が男に対してイエスともノーともいはない鰻主義でのらりくらりと立場を曖昧にしてゐると、男は泣いたり笑ったりと悲喜劇を演じる。見物してゐると、この世にこれほど痛快なものはない、と男をからかってゐる。

 両冠人の小説「火星の結婚」は火星小説、精神病小説における傑作といっていい名文。目次では雨冠人。

  成瀬文学博士は旧友の天谷医学博士を訪ねるため京都に向かった。天谷博士は京都で精神病院を経営してゐる。

 新橋から汽車に乗って、買った夕刊も読み終へて退屈してしまった。自分のすぐ向かふの席には50ぐらゐの老婦人と20歳前後の淑女が座ってゐる。心配さうに話し込んでゐるのに耳を傾けると、どうやら娘の許婚者が危篤だといふ電報を受けて駆けつけてゐるところだが、助かる望みは薄いやうだ。自分は楽しい旅行なのに気の毒なことだ、と同情する成瀬博士。 

 京都で天谷博士の歓待を受けた成瀬博士は、自慢の設備の病院を見学してゆけといはれる。院内を一周して天谷博士と話をしてゐると、患者が急変したといふ知らせが来て、天谷博士は出ていってしまった。なかなか帰ってこない。室内には、ほかに熱心に事務を執ってゐる書記一人しかゐない。「よほど前からこの病院の書記をしておいでですか」と尋ねた。

『然うです、丁度一年になります、私が火星から帰つて来ると、直ぐ此の書記をやりましたから』と答えて、異様に煌めく眼光で成瀬博士を見詰たが、其の顔は色蒼めた痩せた面容である。

 成瀬博士は此の書記の異様な答を怪しんで再び尋ねた『火星から?、火星とは何処か外国の町の名前ですか』

 成瀬博士が方向違ひの質問をするのも無理はない。しかし火星といへばあの、宇宙にある惑星のことに他ならない。書記は3年前に肉体は死んだが霊魂は火星に飛んで行き、それから去年帰ってきたのだといふ。火星はこの地球とさほど違ったところはない、しかしただ一つ大きく違ふところがある。詳細は割愛するが、書記は火星での人生の特色を滔々と説明してくれた。そのうちに火星と地球の違ひを再認識し、地球の方がをかしいと言ひ出した。

『…これを火星界の人生に比べるに、此の地球の人生は宛然(まるで)狂人のやうです、然う狂人です!、確かに狂人です!!』

 火星から帰ってきたと自称する書記は、ナイフを持って成瀬博士に襲ひかかる。危ふし、成瀬博士!!

 詳細は割愛するが、この小説はハッピーエンドの大団円で終結する。一時はどうなることかと思ったけれど、成瀬博士は無事なのだ。万歳、万歳、万々歳。外には桜も咲いてゐる。心もぽかぽか温かい。

 

 

・『めぐろかんこう大百科 ダイジェスト版』は奥付なしの冊子。一般社団法人めぐろ観光まちづくり協会発行。表紙にゆるきゃらのやうなのが7組描かれてゐる。彼らはmeguroレジェンダーズ。目黒の寺社の伝説から生まれた。くろにおう、きりん、とろけじぞう、ばくおう、おしろいじぞう、きしもじん、アカガシの巨大な株。…なぜ全員に名前をつけてあげないのか。ばくおうは全部で9つの目があり、白澤ともよばれてゐる。とろけじぞうが一番キャラが立ってゐる。アニメ化され、有名声優が声を当ててゐる。

 冊子には四コマ漫画、ぬり絵、クロスワード、まちがひさがしがあって、子供も楽しめる。大半は目黒の社寺や観光地の紹介になってゐる。地図があるともっとよかった。

 

 

裏口からソット逃げ出す坂井杉三郎

 『あなたの明日をつくる接客理論』は坂井杉三郎著、昭和37年3月第2版発行、国際理容協会出版部発行。坂井は明治43年2月、京都生まれ。昭和4年から亡父の後を継ぎ理容店を経営してゐる。理容関係の役員、特別講師などを務める。

 接客理論といふと堅苦しいが、実際は接客の心構へ、来店者の心理、理想的な店舗などについて分かりやすく解説したもの。特に女性心理についての持論を12章にまとめたものが目を引く。

 「理論的より気分的」「積極的協調心に乏しい」「仲間のあいだ(同性・同職・同級)で反目し易い」「小さい事を気にする」「おしゃべり」などが女性の特徴だといふ。

私がこれを黒板に書きますと、「随分失礼しちゃうわ」とか「まアヒドイ」なんて、聴衆の中の女性から不平が飛びだすことが多く、帰りには、裏口からソット逃げ出さないと、生命の危険に関すること等も御座いますが、私は、その時、いつも次のように説明します。

 女性は男性から見ると、つまらないことを気にしたり、ささいなことをいつまでも覚えてゐたりする。接客に際してはこのことをよく心得て、女性からの評判をよくすることが大事だと強調する。女性は虚栄心が強く妬みが強い。他人の衣服やアクセサリーをいつも気にしてゐる。接客するときはそれを逆手に取り、女性には年よりも若く見えるとか、顔、声、様子、髪型、衣服など、虚栄心を満たすやうに褒めることが大事だと説く。

 男性は10年ぶりに会った兄弟でも2、3分で話の種がなくなる。ところが一般に、女性はおしゃべりで話題が豊富で尽きることがない。接客する側としては、これを煩はしいと思ってはいけない。女性のおしゃべりな性格を利用して、店の良い評判を多くの人に伝へてもらふやうに日頃から心がけるべきだ。

 「強情で嘘が自然」といふ項では、新興宗教の開祖に女性が多いのも、神の声を聞いたと思ひ込みやすいからだと推測してゐる。

 

 

正雄少年のお見舞ひはカステラと少年雑誌

 『模範少年』は文盛堂編輯部編、榊原文盛堂魚住書店発行、大正5年1月発行。日記風の体裁で、正雄少年の善行が記されてゐる。模範的でない悪事も描かれるので、当時の世相をうかがふこともできる。

 最初は3月26日。お母さんが父の墓参りに行かうといふ。父は去年の2月13日に亡くなった。今日は父の命日ではない。墓の前で母が正雄に、お父さんの仰ったことを覚えてゐるだらう、と尋ねる。父は生前、しっかり勉強して偉い人になるやうに、と正雄に遺言してゐた。それなのに正雄の成績は悪くなるばかり。母はこの場で死んで、父におわびをするのだといふ。正雄は心を入れ替へて、翌日から学問に励み、品行を良くし、体を丈夫にすることを決心するのだった。

 伊藤君と上野に遊びに行った正雄。伊藤君は西郷隆盛銅像の前に立つと、紙をかみつぶして銅像に投げようとする。正雄は西郷が大英雄であり、紙つぶてを投げつけるのは無礼だと忠告した。伊藤君も素直に聞き入れてやめてくれた。西郷像に紙を投げつけるのは出世の願掛けのためなどといはれてゐるが、ここでは特に説明されてゐない。その必要がないほど、ありふれたことだったのだらう。そしてあまりよくない行動だったこともうかがはれる。

5月18日の日記には、弱い者いぢめに対する憤りを記す。この日、正雄少年は子供たちが集団で1人の若い盲人をいぢめるのを目撃した。袖を引っ張ったり杖を取り上げたりしてゐる。それを見て囃し立てたりしてゐる。子供から杖を取り返し、盲人の手を取って逃がさうとしたが、突き飛ばされて溝に落ちてしまった。気が付くと病院のベッドの上で、そばにはお母さんがゐる。自分の頭には包帯が巻かれてゐる。頭を打って、気を失ってゐたらしい。この話は、正義を遂行しようとすると危険な目に遭ふこともあると教へてゐるやうだ。

 7月1日は急性肺炎で寝込んでゐる伊藤君のお見舞ひに行ってゐる。カステラと二、三種の少年雑誌を持って行った。起きるのはつらさうなので、伊藤君に読み聞かせをしてあげた。

私は『日本少年』の中から、面白さうな題目を択んで、静かに読み聞かせた。伊藤君の顔には、時々笑ひが浮ぶ。私は更に、『少年世界』を読み聞かせた。

 病人には雑誌を差し入れするのが模範的。スマホ普及以前までは受け継がれてきた。