原動力の源

http://anond.hatelabo.jp/20100212132124

マスコミで疑似科学が取り上げられたと聞けば早速現物入手、テレビの場合もそれらしき番組は欠かさずチェックして袋叩き、
疑似科学に対し肯定的な記述をしていればそれがマイナー個人ブログだろうとブクマで晒し上げて袋叩き、
(やってる事は2chヲチ板住民と一緒だよな、あれ)
あの原動力はどこから生まれるんだろう。

僕も同じこと言ってんだけどねえ。。。原動力、ネトウヨやはてサの原動力が何かと考えたら、答えは簡単だ。マジの正義感。


http://favotter.matope.com/status.php?id=8930043945&utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter

血液型診断を否定したら「冗談に本気になるなよ」って空気になるけど、本気で怒る人がいる話題を冗談でするって最悪じゃないか。 血液型診断は生まれ持っての性質で人を判断する日本特有の人種差別だって何度言えばわかるんだ。 面接書類に記入させといて何が冗談だ。

血液型性格判断を人種差別扱いするのって、ものすごい。ここまでくると「嫌韓」「反中」の感覚とか、ネトウヨが「竹島」とか「靖国」とかのキーワードに引っ掛かった途端に感情的になるのと何にも変わらない。


元の増田に戻って。

単にブクマ稼ぎたいだけなのかなあ。叩きやすいものを叩いていると簡単に賛同得られるしね。

それならまだいいわけだ。ただの「ネタ」になっちゃうから。でも、そうじゃない。あの人たち、本気だから。

それとも「この世には悪が蔓延っている。正しい知識を持つ自分が正してあげないと」という正義感からだろうか。

そうらしいですよ。
Abstract for Symposium at JPS meeting Sprin 06 (Ikeuchi)

それだけではなく、現代社会には非合理性(戦争、テロ、飢餓、核兵器、南北問題、環境問題など)が溢れ、非理性的・非合理的生き方(政治や官僚の腐敗、弱肉強食の企業社会、勝ち組と負け組の大きな格差など)が罷り通っているが、それに対して大人社会は声を挙げることもなく従順に従っている。社会に認知されている疑似科学(サイコセラピー、自己啓発セミナー、文部科学省の心の教育など)も大きな顔をして蔓延っている。大人達は現代の非合理になす術もなく流されているように見えるのだ。それに対して抗議をしようなんて誰も考えていない、そう若者達が考えるのも無理ないことと言えるかもしれない。

心ある科学者は、バカな奴が陥るバカな所業として放っておかず、懐疑主義を広めるのに力を尽くすことが必要ではないかと思っている。    

基本、菊池先生も天羽先生もこれだもの。「懐疑主義」ってなご立派なもんでないの、明らかなのにねえ。

ニセ科学批判は情緒的でないのか

ああ、これは面白い。
ニセ科学批判に多様性・自由性は存在しない。 : 社会学玄論

Commented by 自分のことはよく見えない at 2010-02-12 00:36 x
単にニセ科学批判批判が、多くのニセ科学と同様に情緒的に過ぎてくだらないからでしょう。
自分の敵を勝手に妄想して、それと戦って、でもその敵の姿は実はあなた自身の内心を写したものというオチ・・・典型的なニセ科学の挙動ですね。

ニセ科学批判が情緒的でないかのように言ってるけども、菊池先生たちのほうがよほど情緒的だ。
柘植明さんのコメントへの返信: 技術系サラリーマンの交差点

(略)
 ニセ科学の蔓延の元にある社会病理とはなにかを別に自然科学者に限らず多くの有識者で考えてみて欲しいわけです。

Posted by: 柘植 | 2007.08.22 at 06:02 PM

柘植明さんのコメントへの返信: 技術系サラリーマンの交差点

ニセ科学」というカテゴリーの必要性について言うと、「ニセ科学」を社会の病理だと考えるからです。(略)

Posted by: きくち | 2007.08.22 at 12:39 PM

変でしょ。ニセ科学の個別対処も大事だけど、目標は本丸の根本治療だというわけ。過激な思想でしょ。単純すぎて過激。社会の病理って表現、すごいよ。上のエントリに絡めて言うと、社会病理の解消を目指してるんだから、自分たちが間違ってるはずがないんだ。ネトウヨ憂国してるのと何が違うのか、違いを見つけるほうが難しいね。


だいたい、ここのコメント欄をずーっと読んでると分かるけど、なんで菊池先生が他人のブログのコメント欄でここまで書くのか、感情的でないとしたら理解できないよ。
「ニセ科学」関連・本当の最終記事: 技術系サラリーマンの交差点

(略)
危機感を共有できないのは結構。しかし、それならなぜ沈黙を守らないのか。
「そんなことは大事ではない」とことさらに言うことが、いったいどのような意味を持つか、考えられるとよいのではないでしょうか。
Posted by: きくち | 2007.09.06 at 01:23 AM


結局、建前として言ってることと、ポロっと出てくる本音がずれてくるんだ。だから、こう書くのももっともでしょうよ。
「ニセ科学」関連・本当の最終記事: 技術系サラリーマンの交差点

(略)
一段上のメタレベルに議論を持ち込んではぐらかすくらいなら、いっそ言及そのものをやめたほうがいい。僕たちは、上のメタレベルでの議論には辟易しています。それはただ単に不毛だからです。

Posted by: きくち | 2007.09.04 at 01:45 PM

そりゃ不毛だわ。個別論に持っていかないと、支持が得にくいんだもの。個別論なら、これは間違ってる、科学的でないと言いやすいからね。


でもさ、根本がおかしいのに個別論でしのいだって仕方がなくて、ニセ科学批判がネトウヨ化する理由もたぶんここにあるんだ。ま、外国の疑似科学批判トンデモ批判団体も似たような感じみたいだけど、団体を作って主体がはっきりしてるだけまだましだ。