あっ、自笑軒を利用しそうな文人を調べていたのであった。谷崎潤一郎の「晩春日記」(『黒潮』大正6年7月号)にも田端の天然自笑軒を見つけた。
五月三日。
(略)
山本露葉、武林無想庵二氏の発起なる「たべる会」と云ふもの、午後四時ごろより田端の自笑軒にて催さる。(略)
既にして会場に集まりしもの、露葉、無想庵、白鳥、聲秋、勇の諸氏に我をあはせて六人なり。小山内、長田両人の雲がくれを慨嘆しつゝ酒を始めたる頃、小山内氏独り飄然として来る。(略)
秋聲氏は頻りに此の家の板まへを賞し、大酒豪無想庵氏は、最後まで踏みとゞまりて片端より銚子を空にし、ひとり酔の不足を嘆ずるうちに七時半散会となる。
無想庵も自笑軒で飲んでいたということで、黒岩比佐子さんの惚れ込んだ人物*1も自笑軒主人『秘密辞典』(千代田出版部、大正9年6月)の合作者の一員の候補*2になってしまった(笑)
あと、(その2)では坪内逍遙は予定だけで実際に利用していなかったが、大正15年に利用していたことが判明した。
大正15年5月14日 午後四時半より自笑軒にて選集の小会、金子、五十嵐、本間、河竹、大村、伊達、和田利彦、木呂子斗鬼次、高島小三郎 主人夫婦 \82余
「選集」は、この年の7月から刊行開始の春陽堂『逍遙選集』。大村弘毅、伊達豊が編集助手、金子馬治、五十嵐力、河竹繁俊が編集委員だった。和田は同社の社長。木呂子については、2007年12月2日参照。「主人夫婦」の主人が自笑軒の主人のこととすると、創業者の宮崎直次郎は既に亡くなっている*3ので、宮崎平太郎・ミツ夫婦のことになる。
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大正4年〜6年の秋田雨雀、谷崎潤一郎、武田豊四郎、山村暮鳥、来日インド人らの動向とともに、三浦関造の動向も調べる必要があると思われる。三浦は、『新理想主義』(『第三帝国』の後継誌)67号、大正5年5月の「自我生命の魔力と隠秘」*4で、「私は大天才ブラバトスキーの星学を読んで、自我の神秘不可思議なことを思はせられたことがある」と書いている。これは、2008年9月5日に言及した関係のことと思われるが、ブラヴァツキーおばさんに「星学」という著作があるのだろうか。