通勤電車で読む『頭のうえを何かが』。造形作家・批評家のひとが脳梗塞になって麻痺した手で描いたドローイング、とリハビリ記。

横長の変形の本で、なにかよくわからない線の、色鉛筆か何かの落書きのようなものが表紙になっているわけで、しかしこの本は造形作家・批評家の著者が脳梗塞になったという本らしいので、それはどういう本だろうということで読むわけである。そうするとこの表紙の絵は著者が色鉛筆(太さがとても太くて指のところを削って細工がしてあるやつで、握力が出ないからだと思うけれどその削ったところに指をひっかけて滑らないようにしてるように見える)で、麻痺した手で描いたものだとわかる。判型が横長なのは、たぶん紙の形そのままということで、表紙の絵は、脳梗塞から1カ月、リハビリ病院に移って差し入れの色鉛筆でためしに描いてみたものの2枚目、ということだった。1枚目はほんとうに意味のないっぽいぐるぐるした線で、2枚目から、なんとなくちゃんと猫に見える(魚にも消防車にも見えない)、しかもなんとなく愛嬌を感じさせる猫に見える絵になっていて、まぁそれはやはりもともとが造形作家だからうまいもんだなと思うけれど、もちろん本人としては、右手が麻痺してこんな幼児の落書きみたいなものができてしまうことはかなり情けない思いもあったのかもしれないとも思ったけれど、しかし著者のリハビリ記を読むと、色鉛筆が差し入れられて手に持ってみて、ふと絵が描けるような気がして描いてみたら描けたってことで、うれしかったとシンプルに書いているね。それでまぁ、この本の前半は、リハビリ病院で著者が描いたドローイング(と、いくつかの作品)がそのまま日付順に並べられて構成されている。だんだんリハビリが進んでいろいろ描けるようになっているのかなとも思えるし、しかしやはりたいへんなのかなとも思える(作品にかんしては、そもそもが抽象ということでよくわからないというのはある)。それで、そもそものはなし、この著者の人の症状というのが、たぶんいくつかの幸運も重なったのだろうけれど、右半身にかなり麻痺が出たけれど、さいわい意識とか顔面とか発話とかには障害がほとんど残らなかったようで、だから口述で原稿も書けたし大学の授業もオンラインで再開できたし、そして一部始終を詳細に語るリハビリ記がこの本の後半ということになる。ある日パソコンで文字を打っていた時に指がもつれる感じがして、あっというまに右手右足がうごかなくなってこれは脳梗塞だということで家族を呼び救急車で緊急入院、というところから、急性期病院、リハビリ病院、そして退院して現在までのあいだの変化とリハビリの進み具合について詳細に・冷静に語られている。そのなかでは、もちろん本書前半のドローイングのことも出てくるけれど、まぁ本人的にはやはり歩けるようになることが重要ということなんだろう、右半身の麻痺とともに体幹の麻痺があって歩行するのに体が支えられないところからリハビリがスタートし、なかなか大変だなあというわけだけれど、とにかく語り口が詳細で冷静なので、これまた自己記述として読んでてとても勉強になる。

通勤電車で読む『死ぬまで生きる日記』。カウンセリングを受けたひとが書いた記録。

死ぬまで生きる日記

死ぬまで生きる日記

  • 作者:土門蘭
  • 生きのびるブックス株式会社
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10歳のころから死にたいという気持ちを抱えながら生きてきた著者の人が、あるとき、オンラインカウンセリングというのを受けはじめて、45分×隔週のカウンセリングを受けながらそのやりとりだとかその間の心持だとかその変化なんかを書いた記録。認知症とか統合失調症とか発達障害とかの自己記述はあれこれ読んだけれど、うつの人の自己記述って意外と読んでなかったかなあというのと、カウンセリングが進んでいく感じをたぶんあるていどきちんと言葉にしているので、おもしろかった。まぁこういう本の感想としておもしろかったというのが適切かどうかはよくわからないけれど。読んでてちょっとあれ?と思ってたのは、とくに最初のあたりで、これちょっと進み方がえらく早いのでは?と思った。なんかこう初回からどんどん進んで、また著者であるクライアントの側の理解が最初からスムーズで、いろいろな気付きを得たり変化がおこったりして、えーなんかこうカウンセリングってもっとゆっくり進むイメージだったんだがなぁと思いながら読んでたわけである。しかしまぁ、読んでいくと、この1冊でおおよそ2年か3年が経過しているので、1章が1回のセッションというわけではないのかなあという気もする(そのへんはよくわからなくて、すなおに文章だけ見るとおおよそ1章が1回のセッションとその前後の心持やら変化やら考えたことやらで、それをふまえて次の章が次のセッション、というふうに書かれているように読めて、そして後ろのほうの章でいきなり2年ぐらい時間が飛んで…というふうに書かれているように読めるわけだが)。あるいはじっさいに初回からぐんぐん進んだのかもしれないし、まぁ、この著者の人がたぶんクライアントとしてこのカウンセラーさんのやりかたのカウンセリングに合ってた(?)のかもしれない ー たとえばこの人は文章を書く仕事の人なのでいろいろなことを言語的に理解して表現したり操作したりすることが得意であるかんじはありそう ー とも思った。

通勤電車で読む『映画技術入門』。撮影や編集の技術というよりフィルムをめぐる、スクリーンサイズとか発色とかサウンドトラックの技術で一冊。

映画技術入門

映画技術入門

  • 株式会社明幸堂
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なにか検索したときに画面に出てきたか何かでおもしろそうで読んでみた(ちなみにこの本の漫画パートの著者がこの本(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2024/04/12/174110)のひとだったんだった)。映画技術というので、なんとなく、キャメラの置き方・動かし方とか編集の仕方とかみたいなかんじの内容かなと思ったら、読んでみたら、もっぱらフィルムをめぐる、スクリーンサイズだとか(シネスコはどんな仕組みでどんなキャメラでどんなレンズでどう撮影する、とか)、発色とか(テクニカラーはどのように撮影してどのように現像して、とかなんとか)、あとサウンドトラックが磁気式とか光学式とかなんとかかんとか、あとデジタルとか、修復とか、そういうはなしで一冊にしている。

通勤電車で読む『多職種チームで展示をつくる』。会議研究だった。

以前よんだ会話分析のテキスト(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20170125/p1)やこの前読んだこの本(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2024/04/04/130258)の著者・編者のひとが編者で、ひつじ書房の「シリーズ フィールドインタラクション分析」の第1巻であると。タイトルを見てなんかてっきり「展示」の研究だとばかり思っていたのだけれど、読んでみたら、展示をつくるまでのミーティングを録画して分析していた。つまりこれ、会議研究だった。で、ちょうど自分が以前書いた論文「会議をうまくやる方法の教育と研究について」(https://opac.tenri-u.ac.jp/repo/repository/metadata/4522/)で参照したかったようなことがあった(あれっと思って見たら、いちおう自分の論文が出たギリ後に出た本だったのでまぁ参照できなかったということで)。

通勤電車で読む『バレーボール超観戦術』。

Twitterを見ていたら紹介されていて面白そうで読んでみた。バレーボールを見るときに分析的に見れるように、という本で、サッカーについてはたとえばこのまえ読んだもの(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2023/09/20/002333)とかがあってそれと同じようなノリの本。
帯に「3回の間に数的優位を作れ!!」と書いてあって、また裏表紙がわの帯には「ローテーションを理解すれば、観戦力が一気にレベルアップ。「バレーボールの何を見ればいいのか」がわかる!!」と書いてある。
バレーボールにはローテーションというのがあるわけで、ローテーションによってどの位置にどの役割の選手がいるという状態が決まり、それによってどこにサーブを入れて誰に受けさせれば攻撃の選択肢の幅を限定させることができて、等々、じっさいのプレイヤーの念頭にあるものや、「見て」いるものや、その「原理」を、言語化してくれている。そういうことを理解して踏まえたうえで観戦したら、「駆け引き」や「意図」が見えてくるようになって、そうするとより面白くなるのかしら、と思う。
こういう本を参照しながらバレーボールの試合を見てみて、ちがうものが「見えて」くるようだと面白いのかなあ。

通勤電車で読む『認知症の人の「かたくなな気持ち」が驚くほどすーっと穏やかになる接し方』。

なんか認知症本というのは芋づる式になんか面白そうなのが見つかるわけだが、たぶんこのまえのこのあたり(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2024/02/09/081237 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2024/02/21/203932 )を読んだり検索したりしていたら言及されてたか関連本で出てきたかだと思うのだけれど、まぁ面白そうだった&電車ですぐ読めそうだったので読んでみた。著者の人は、「スーパー介護ヘルパー」のひとと「認知症介護スペシャリスト」のひとであると。でまぁ、内容的にはタイトル通りのことなのだけれど、まぁ基本的にはちゃんと理解して落ち着いて不安とか思いにきちんと寄り添ったうえで接する、ということにつきると言えばつきるわけでそのへんはまぁそうでしょうなと。まぁでもこういうのはたぶん具体例とか、そこにでてくるちょっとしたTipsとかがおもしろいんだと思う。あるいみ、コミュニケーションの技法としてはまぁ認知症ということに限らずちょっとヒントになるようなことが含まれるんだろうね。

通勤電車で読む『食べものから学ぶ現代社会』。よくわかる資本主義批判。

れいによってTwitterで見かけて。ちゃんとジュニア新書していて、わかりやすい。食べものから学ぶ、というわけで、小麦なりなんなり、たんに農家の人が作って消費者が食べますということではなくなっていて、国際的市場で、ごく少数の企業によって売り買いされる、しかもそれがさらに金融化して、需要だとか供給だとかとはかんけいのないところで、小麦だろうが大豆だろうがしったこっちゃないようなマネーゲームのプレイヤーたちによって投機の対象となり、まぁそれによって価格だのなんだの左右されるよ、これすなわちグローバル資本主義であって、なんかもうおかしなことになってるよと。でまぁ、それはなるほどと勉強になる。でまぁ、たとえばアート系のこの手のものが文化左翼っぽい(たいてい嫌いではない)のと同様ないみで、まぁ本書はエコ左翼っぽいわけで、それはそれでまぁ嫌いではないのだけれど、これ新書本ということで学生さんに薦めるかどうかということを考えるわけだけれど、まぁ、読みやすいしわかりやすい、身近であるし、社会問題に触れているし、いいかなあとも思いつつ、うーん、この本「だけ」いきなり読んで学生さんが浅い「買ってはいけない」みたいなかんじの陰謀論っぽいかぶれかたをしてくれてもめんどくさいかなあという気もじつはちょっとする。まぁそれはそれで、なったらなったでもしほんとうになってくれたら面白いってのもあるけれど。