レヴァイン/ブラームス 『ドイツ・レクイエム』
テレビ/映画監督の実相寺昭雄がこんなことを書いている。
キャスリーン・バトルがうたうと、風が吹く。
「本番いこう」
と声をかけると、それまで静かに凪いでいた空気はざわつき、撮影現場に風が舞う。
何やら、バトルの天与の美声を造物主が嫉妬しているように思える。あるいは、その声を彼岸からの贈りものとして、ひろく撒きちらしたい意志が働くのかもしれない。
ときに、クレーンを押すスタッフたちの手を止めるほど、かぜは強く吹く。
風はやむことがない。
そんな風の中に立つバトルの姿は、まるでこの世のものとは思えないほど凛然としている。
実相寺昭雄 「バトルの風」 『夜ごとの円盤―怪獣夢幻館』(大和書房、1988年)所収
キャスリーン・バトルというソプラノ歌手を、日本で一躍有名にしたウィスキーのテレビ CM を監督したのが、実相寺だった。以下の映像がそれである。曲はオルフ作曲 『カルミナ・ブラーナ』 より 「イン・トゥルティーナ」。
前置きが長くなったが、ブラームスである。
『ドイツ・レクイエム』 は7つの曲からなる管弦楽と合唱のための組曲。全ての曲に合唱が用いられ、第3曲および第6曲にはバリトン、第5曲にはソプラノの独唱が加えられている。オペラを書かなかったブラームスにとってこの作品は最も長大で、演奏時間は約70分になる。
重厚で深みのある名曲なのだが、さすがに長い。続けて聴くのがややしんどい部分もある。だが、第5曲の美しいソプラノ歌唱が、清涼剤のような効果を上げていると思う。(初演時には、この第5楽章がついていなかったらしい。)
ここで、バトルの歌う 『ドイツ・レクイエム』 第5曲 「汝らも今は憂いあり」 を聴いてみよう。以下の映像は1985年撮影。カラヤン指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン楽友協会合唱団の演奏である。
ブラームスが使用した歌詞はルター訳ドイツ語聖書より引用されたもの。以下、新共同訳聖書より該当箇所を記す。
今はあなたがたも、悲しんでいる。
しかし、わたしは再びあなたがたと会い、
あなたがたは心から喜ぶことになる。
その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。
ヨハネによる福音書 16:22
目を開いて見よ。わずかな努力で、
わたしが多くの安らぎを見いだしたことを。
シラ書 51:27
母がその子を慰めるように、
わたしはあなたたちを慰める。
イザヤ書 66:13
バトルの声の美しさを十分に堪能できる演奏だと思う。
荘厳なカラヤンの演奏は、映像つきで見るかぎりそんなに気にならないのだが、合唱パートの音がもやもやしていて、何を歌っているのかよくわからないのである。(そもそもドイツ語なんかわからないのだけど、意外に大切なことなのだ。)
こちらは同じくソプラノにバトルを起用した、もじゃもじゃ頭のレヴァイン盤(1983年録音)。ジェームズ・レヴァイン指揮、シカゴ交響楽団および合唱団、ホーカン・ハーゲゴール(バリトン)の演奏。合唱の音やバランスが遥かに良く、感動的なレクイエムである。