町づくりの担い手は高齢者と子ども?

kazatty2006-10-15

今日は学区で防災訓練があるということで小学校に行ったんですけど…。ジジイとババア、そして子どもしかいないじゃないですか(-_-;)。その間のいわゆる生産人口といわれる年齢の人たちがいないじゃないですか。町を良くしようと思ったら、これらの年代の人たちが必要なのに…。防災訓練には興味ないわな。俺もかつてはどうだったし。実際に防災に関わるようになってから、防災訓練は大切だということはわかったけどね。まぁ地域力のなさが良くわかったね。

時代とともに町は変化する

町は徐々に変化してますね。そんなことを今日すごく感じました。
防災訓練の後、自分の町を自転車でプラプラ走っていましたが、小学校時代に見た光景と全く違いますね。久しぶりに町内をクルクル自転車で回ってましたけど、変わった所はガラリと変わってしまうものなんですね。小学校時代の面影がないところもありました。時代とともに町も変化するんですね。
町が変化したというのは、これだけではありませんでした。今日はもう一つありました。それは次の記事「テツでもわからず」で書いた行きたい店のある町だ。この店はもうなくて、風景もガラリと変わっていた。時代とともに町は変化するんだなぁっていうことを感じる1日でした。

テツでもわからず

今日は夜からナゴヤドームにて野球を見に行くことになっていた。その前に大学祭のことで行きたい店があった。名古屋駅から名鉄に乗って、途中金山で乗り換えていくことにした。
名古屋駅に着くと、目の前で河和行きの急行の扉が閉まってしまった。切ないですね〜。目の前で乗りたかった電車が通過するっていうことわ。でも今日は金山だったので、回送電車以外、つまり乗客を乗せて走る電車なら、どの電車に乗っても行ける訳だ。だから1分後に発車する知多半田行きの普通電車に乗っていくことにした。少々名古屋駅のホームで待っていた。
そのとき、外人さんに急に質問された。俺が鉄道マニアに見えたのか、それとも見た目が親切そうだから聞いたのか良くわからない。そういうことは質問してきた外人の張本人に聞かないとわからないからね。とにかく質問されました。その内容は、「スミマセン。コノデンシャオオシュウカイロイキマスカ?」って話された。「スミマセン、コノデンシャハ」までは理解することができた。その後の「オオシュウカイロ」って言う言葉が何を言っているのかさっぱりわからず。「オオシュウカイロ」ではないのかもしれない。しかし俺には「オオシュウカイロ」って聞こえたんだ。「おおしゅうかいろ?」。どこだそれ?テツでもさっぱりわからず。名鉄線で「おおしゅうかいろ?」。漢字で考えてみると「奥州甘寧」?あとで考えると、どうやったらこの漢字を「おおしゅうかいろ」って読めるんだ?俺もあほやなぁ〜、な〜んてね。それは良いとして、より一掃わけが分からなくなる。だって奥州なんて東北やん。名鉄は東北まで走っていないしね。俺がパッと思いついたのは「大須」。「大須ですか」って聞いちゃった。なんだか「ウン」って言っている感じだけど、名鉄のホームで大須なんて説明しようがないので、「この電車行かないと思います」って答えちゃった。そして知多半田行きの普通に乗って金山に向かった。
山王を過ぎたあたりで「オオシュウカイロ」の謎が解けた。あれは「大須観音」ではないかということが発覚した。それならなんとなくわかる。「オオシュウカイロ」って聞き間違えてもおかしくない。同じような発音で名古屋にある地名は思いつかない。俺の最初の想像「大須」っていうのは正しかったんだね。もう名古屋駅では頭パニックになって、テツのくせに、鉄道のことでパニックしてしまったよ。相手の言っている言葉が聞こえにくかったんだもん。「オオシュウカイロ」なんて言われたらわからないですよ。さすがに。「エッ」って思っちゃいますよ。でもこの謎が解けて、何か心がホッとした。すごくこの謎が気になっていたので、解決して安心しました。
さらに山王を過ぎた後にテツらしい発想が。そういえば名鉄にも「大須」って駅ありましたね。2年前か3年前くらいに廃線になり、同時に大須駅もなくなってしまったけどね。この外人さんは「大須駅」はどこって聞いたのではないかって勝手に想像してしまった。まぁそんなわけないかと思いながら…。大須駅なんてマイナーな駅知っていたらすごいですよ。地元の人ならともかく、それ以外の人が知っていたらレアな人ですね。そんな駅を聞いてくるなんてありえないわな。ちなみに間違えられるといけないので、大須駅は名古屋市にある大須ではないですよ。岐阜の羽島の近くにある駅でっせ(T_T)。
さて電車を乗り継いで行きたい店に到着。でもその店は先ほどの記事に書いたように、潰れてました。跡形もなく消えていました。残っていたのはその店の駐車場と、駐車場にある「貸します」というような看板だけ。これまた切ないですわ。2年ぶりくらいに来たので、少しブラブラ歩いてナゴヤドームに向かいました。途中BOOKOFFによってからナゴヤドームへ。ついでにおでんも食べました(^J^)。

最終戦の醍醐味1

さて、いつものように、ナゴヤドーム前イオンでビールを調達してナゴヤドームへ。今日はお菓子も調達していきました(・_・)。
ナゴヤドームに着くと、すでに1回表は終了。しかもベイスターズが1点取っているではないか(-_-メ)。また今日も負けるのか?ちなみに今年は3試合見に行って1勝2敗。負けの方が多いんだなぁ(:_;)。今日こそは勝ってほしいなぁ。そう願うばかりですね(>_<)。
試合は3回裏に動いた。ドラゴンズが2点取って逆転。4回表からは何と川上憲伸が中継ぎで投げるではないか。これにはビックリ。憲伸がリリーフでっせ。こんな試合は珍しい。もしかして7回からは山本昌が投げるのではないかと想像したり、周りの人もそんなこと言っていたりしていた。本当に7回から山本昌が投げて、しかも9回まで投げてしまった。山本昌にセーブがついたではないか。今日の投手起用はビックリでした。最初は想像つかなかったけど、途中から落合監督の考えていることがわかる試合でした。
試合は結局3回以降動くことなく終わってしまった。ホームランは1本なく終わってしまった。今年見に行った試合で唯一勝った試合もホームランなかったなぁ。ホームランが1本でもあった試合は、ドラゴンズは負けていたなぁ。これは何かのジンクスなのか…。まぁそのうちこんなジンクスはなくなるだろう。おそらく。
さて今日はナゴヤドームでの公式戦最終戦でした。試合後には、最終戦ならではのセレモニーが行われました。詳しくは後ほど書きます。ちなみに最初の写真は川相の胴上げです。

最終戦の醍醐味2

試合後に行われたセレモニーを箇条書きでまとめようと思う。その後詳しく書いていきます。
1.牛島監督への花束贈呈
2.川相選手への花束贈呈&あいさつ
3.優勝ペナントと優勝トロフィーの贈呈
4.落合監督のあいさつ
5.選手、優勝ペナントの球場1周
6.中日クラウン賞の表彰
7.花火

以上7つが行われた。今回の記事では5番まで書きます。6番7番は、写真の関係上、次の記事で書きます。
まずは横浜ベイスターズ牛島監督のセレモニーが行われた。落合監督から花束が贈呈された。球場は牛島コールが響いていた。ベイスターズファンは当然のことながら、ドラゴンズファンからも牛島コールがされた。このセレモニーが終わるとベイスターズの選手はベンチ裏に下がっていった。
次は川相選手への花束贈呈とあいさつが行われた。まずは選手会長井上一樹選手と家族から花束からが渡された。球場中は川相コールだった。
3番目に優勝ペナントと優勝トロフィーが、セリーグの偉い人から落合監督に贈呈された。贈呈後に落合監督のあいさつが行われた。「今日は泣きません」と一言言ってから始まった。今日はハキハキとインタビューに答えていた。
その後に選手が優勝ペナント・優勝トロフィーを持って球場を1周回った。写真はその時の写真です。

最終戦の醍醐味3

球場を一周した後は中日クラウン賞の表彰が行われた。最優秀選手は岩瀬仁紀投手、優秀選手は川上憲伸投手、ウッズ選手だった。また特別賞には、41歳でノーヒットノーランをやった山本昌投手、中日ドラゴンズ選手会長井上一樹選手になった。5選手が表彰された。
表彰が終わると花火が行われた。花火が嫌いな自分にとっては嫌だなぁと思っていた。そしたら以外にショボイこと。まぁそうだわな。ドームの中だからね。花火大会のような花火を想像していたから、それと比べるとショボイわな。そんなデカイのやったらヤバイわな。天井燃えてまうわな。まぁそんなことになったらエライことだわな。想像しすぎた。写真はその花火のシーンです。

優勝チームの地域の醍醐味

以上がセレモニーの内容です。試合は21時に終わったのに、セレモニーが終わったのが21時45分だった。
セレモニー終了後、近くのイオンで飯を食べた。今日は人が少なかったので、すぐに着いた。
イオンでは食堂街みたいなものがあり、そこにいろんな店があった。その店の中には優勝記念セールをやっているところがあった。自分の食べた店も優勝割引セールが行われていた。やっぱり優勝セールの経済効果は大きいらしいですね。是非とも日本シリーズも優勝してほしいですわ。最近日本シリーズ勝ってないですからね。もっと名古屋経済が活性化すればいいですね。
ちなみに家に帰ったのは23時半でした。