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風の旅人 編集便り   〜放浪のすすめ〜 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2017-08-16

第1008回 禍福と、かんながらの道(続) 〜小野氏や源氏物語と、古今東西変わらない”祓い”のこと〜

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京都市北区 小野岩戸)

 平安京は、風水を配慮して都を守るように作られていることはよく知られている。しかし、守り方は、一つではない。平安の都の完成に至るまでに様々な陰謀や無数の死が積み重なっており、恨みを残して死んでいった人々の祟りからも、都を守る必要があった。

 日本人は、よく「水に流す」というが、”祓い”もまた罪や穢れを水に流して浄めることとつながっている。しかし、その真意は、この世界のあらゆる罪穢れを徹底的に祓い浄め、「明(あか)き浄(きよ)き正しき直き」境地を求める姿勢からきており、おそろしく深い。

 風の旅人の創刊号(2003年4月)で、今は亡き白川静さんが、”死を超える”という私が投げかけたテーマに対して、「真」という文字で返してこられた。真という字は、首を逆さまに懸けている形で、行き倒れの人の死のこと。それがなぜ真かというと、恐るべき威霊をもつからだ。その霊を鎮めるために、人々は慎んで、祠の中に置き、玉を加えて鎮めた。さらに、「道」という字も、首という文字を含んでいるが、それは、自分の領域を超えて邪霊のはびこる世界に入っていく時、「首」の呪力によって邪を払うためである。実際に、討ちとった敵の首をもって歩いたそうだ。

 また、柿本人麻呂は、宮廷歌人と言われるように尊貴な人のために歌を作ったが、水死者や変死者など、不遇の死を遂げた霊を弔う歌をたくさん作っている。恐るべき慰霊を鎮めるために。

 柿本人麻呂は、遊部という遊魂に関わる歌人だったということも、白川さんは「風の旅人」の創刊号に書かれた。

 遊部は、古墳や埴輪を作るなど、死を通じて永久の魂に至る儀礼を司っていた土師氏によって統括されていたと考えられているが、その柿本氏の起源は、小野氏と同じ和邇氏である。

 平安時代に、疫病など世に災いが頻発した時、今宮神社や八坂神社で御霊会が始まるが、その50年ほど前に、菅原道真の祟りを鎮めるために北野天満宮が作られた。さらにその100年以上前には、長岡京遷都における藤原種継暗殺の件で濡れ衣を着せられ、その抗議のために絶食して死んだ早良親王の祟りを鎮めるために崇道神社が作られた。

 早良親王の霊を鎮める崇道神社は、平安京の政治や祭祀の中心である内裏(今の千本丸太町から北あたり)からは北東の鬼門の位置にあり、高野川に沿ったその地域は小野郷と呼ばれ、小野毛人の古墳がある。そのラインをさらに伸ばしていくと、西近江の小野という土地になり、そこに、古代の古墳がたくさんあり、小野神社がある。高野川も西近江も小野氏の拠点だ。

 そして、菅原道真を鎮める北野天満宮は、内裏から西北の天門の位置にある。鬼門は鬼が入ってくる方位。天門は怨霊や魑魅魍魎が入ってくる方位だ。平安京の内裏と北野天満宮のラインをさらに伸ばしていくと、京都北区の小野の里になる。なぜかこちらも小野である。そしてこの地は、源氏物語において、光源氏と彼の息子の夕霧の栄光に影を落とす女三宮や女二宮の所縁の地である。

 ちなみに、早良親王は、兄の桓武天皇と同じく、土師氏の娘、高野新笠の子供であり、高野氏が拠点としていたのは、崇道神社のある小野郷だった。

 菅原道真は、なぜか、名前に、「道」という字と「真」という呪いと祓いの文字が使われているが、菅原氏というのは、土師氏のことである。桓武天皇が、土師氏出身なので、土師氏は、その名を隠すためか昇格なのかわからないが、菅原、大江、秋篠という姓に変えられた。

 そして、源氏物語を書いた紫式部の父親の藤原為時は、天皇の側に仕えて学問を教授する学者であったが、その師匠は、菅原文時で、彼から歴史(紀伝道)を学んだ。ちょうど、菅原道真の祟りが騒がれ、北野天満宮が作られる頃である。

 紫式部が仕えた藤原道長の娘、彰子は、道長と源雅信の娘のあいだに生まれ、一条天皇の皇后になり、後一条天皇と、後朱雀天皇の生母となる。また、道長は、藤原氏の政敵で、安和の変で失脚した源高明の娘・源明子も妻としている。

 道長は、陰陽師をたくさん抱えていたと言われるが、藤原氏に恨みを持つであろう源氏一族から二人の妻を迎えて、その子を天皇にしたのだ。そして、その道長に仕えていたのが紫式部だから、源氏一族の魂の鎮魂と祓いのために、光源氏の栄華を描く「源氏物語」が書かれたとも考えられる。

 しかし、「源氏物語」を丁寧に読んだことがある人ならわかるが、「源氏物語」は、この本を読んでいない人がステレオタイプに思いこんでいる光源氏の恋愛遍歴や栄華を描いているのではない。恋愛や栄華の場面はあるが、その背後に常に影がつきまとい、罪に苦しめられ、悲哀が感じられ、光源氏当人が、つねに出家を望んでいる。そして、光源氏に一番愛された紫の上には子供ができず、紫の上が亡くなった後、光源氏の最期は書かれず、煙のように消えてしまう。

 ハッピーエンドとは、とても言えない。

 その光源氏の晩年の不吉を象徴する人物が、女三宮であり、光源氏の血をひく夕霧の不吉につながるのが女二宮である。

 光源氏は、最愛の妻、紫の上が側にいながら、朱雀天皇に請われて、その娘の女三宮を妻とする。その時から、紫の上の心の状態が不安定になり、運勢が悪化し、あっという間に亡くなってしまう。そして、その女三宮は、光源氏が将来を期待していた柏木と密通して子供を産む。誰もが光源氏の子だと思っている薫は、実は柏木の子である。そして、光源氏は、そのことに気づき、柏木に告げる。恩人でもある光源氏を恋のために裏切った柏木の苦悩は深まり、その挙句、死んでしまう。そして、ややこしいことに、女三宮に恋い焦がれた柏木の正妻は落葉の宮と呼ばれる女二宮である。柏木は、ずっと女三宮に恋い焦がれていたが、女三宮が光源氏の妻となったために、柏木の父が憐れんで、朱雀天皇に頼み込んで、女二宮を柏木の妻にした。そして、柏木の死後、光源氏の血を受け継ぐ数少ない人物、夕霧は、それまで堅物な男だったのに急変して、狂ったように未亡人となった女二宮にプロポーズする。嫌われているのに、あまりにもしつこくて、滑稽である。小野の里に所縁を持つ女三宮と女二宮によって、光源氏と夕霧の運命は歪んでいくのだ。

 長い長い「源氏物語」が終わる時、唯一、ハッピーエンドなのは、住吉の神に守られた明石の一族である。

 光源氏の血を受け継ぐ明石の姫君は、皇后となり、さらに世継ぎを産む。

 明石一族の長である明石の入道は、光源氏が幼い頃に死んだ母、桐壺更衣のいとこ。かつては京の都の高官だったが、見切りを付けて播磨守となり、そのまま出家して明石の浦に住んでいた。ひたすら住吉明神に祈願し続け、霊夢によって、光源氏を明石に迎え、娘と結婚させた。

 私が18歳まで生まれ育った明石は、かつては明石の門といわれ、柿本人麻呂は、明石の歌を幾つか残している。

「あまざかる ひなのながちゆ 恋ひ来れば 明石の門とより 大和島見ゆ

 (遠く隔たった地方からの長い旅路を続けて、大和が早く見たいと恋しく思いながら帰って来たが、明石海峡から大和の山々が見えてきた。)

 明石の浦は、瀬戸内海に少し出っ張っていて、天気の良い時には、大阪平野の向こうの葛城の山々を望むことができる。

 また、古代、この海峡を通過する船の道標のために、海岸に沿って灯火がたかれていたため、河内(大和の圏内)から、赤い火が見えた。大和から見て、明石あたりが、視覚的に、こちらとあちらの境界と感じられていたのだ。

 光源氏は、京都で政争に巻き込まれ、明石まで落ちぶれる。そして、その”境”の世界から住吉明神の力を得て、京都に復活する。藤原氏に敗れ去った源氏が霊的に復活した。しかし、最期は、空しく煙のように消える。

 そして、住吉明神を大切にしてきた明石の一族の将来の繁栄が暗示されて終わる。住吉三神は、イザナギが黄泉の国から帰ってきた時に、汚れを取り除くために海の真ん中で禊をして身体を洗った時に生まれた神であり、源氏物語のなかには、複雑に、祓いの仕組みが織り込まれているように思われてならない。

 それはともかく、平安京の内裏の東北の鬼門の位置に、小野氏と関係の深い場所があり、西北の天門の位置にも、それがある。西北の小野の里には、岩戸落葉神社がある。かつて、この土地は、平安京に送る重要な材木の供給地で天領だった。今は寂れている岩戸落葉神社は、かつては朝廷とも深いつながりがあった。背後は巨大な岩盤(磐座)であり、瀬織津姫という祓いの神が祀られている。

 昨日、その周辺を探索した。小野岩戸というあたりに、ピラミッド型の美しい山があり、その近くに加茂神社があった。加茂神社にも、瀬織津姫が祀られていた。

 京都市内の下鴨神社も、正式名称は、加茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)である。この中に、御手洗社がある。京都三大祭のひとつに数えられる「葵祭り」に先立って、斎王代が行なう「斎王御禊の儀」は、この御手洗池で行なわれる。十二単を着た女性たちが、御手洗池に入り手をつけて穢れを祓うのだ。由来を読むと、祭神は、やはり、祓いの神、瀬織津姫だ。

 下鴨神社は、平安京の内裏と西近江の小野の里や、崇道神社のある小野郷を結ぶ鬼門のライン上にあり、祓いの神の力で平安京を浄めている。

 また、葵祭は、源氏物語でも重要な鍵を握っている。この祭りでの諍いをきっかけに、六条御息所の怨霊が、光源氏の最初の正妻で夕霧の母親である葵の上を殺してしまうのだ。

 こう書いていくと複雑極まりないが、当時の人が、源氏物語に心惹かれていたのは、単なる恋愛ロマンスではなく、紫式部が織り込んでいる彼岸と此岸を結ぶ暗号のようなものを、我々よりも明確に読み解くことができたからだろう。

 柿本とか小野とか源氏とか加茂とか菅原とか、このように書くと、名前ばかりで何のことかわからないと思う人もいるし、何かしら気になる巡り合わせだと感じる人もいる。

 いずれにしろ、言葉の背景のことを少しでも知っていないと、意味はさっぱりつかめない。

 祓いという言葉にしても、その背景に流れている歴史や信仰が断ち切れた現在では、その真意を理解することは難しい。

 しかしながら、平和の時にはわからなくても、自然災害や病気など、自分の力ではどうしようもない事態に直面した時、ただ絶望するだけでなく、その窮地を脱するために、無意識に人は祈る。災いを避けるために、まじない(呪う)、幸いを祈る(祝う)。そうした祓いの心理作用は、古今東西変わらない。

 柿本人麻呂や紫式部などがつとめた文学の起源は、そういう意味で、祓いのための言霊の呪術なのだろうと思う。

tkz.tkz. 2017/08/17 01:00 ご無沙汰です。

>、、どうしようもない事態に直面した時、
ただ絶望するだけでなく、
その窮地を脱するために、人は祈る。
災いを避けるために、
ーーーーーーーーーー
まさにココ根源!

この時人知を越える営みに否応無く触れた時!
ヒトははじめて知る!
その悲惨さを目の当たりにし、、、
トコトン自然を恨む!
、、、
己が生き残った事を恨む、、、、

時が経つにつれ
、、、、、、
フツフツと生き延びた事に感謝!

その後の海は実に穏やか、、
本当、何事も、なかったかに、、
自然は実に穏やかな表情を見せる!

実は非情でも慈悲深くもない!
何も波が、海が、悪い訳ではない!
あるがままの自然!
こんな中に住まわさせて頂いてると!

原発の様な人為的要因ならば別だが!

自然には!
納得せざるを得ない!


知識じゃなく幼い時から言葉を越え育まれて来た
手を合わせると言うこと!

それぞれ個々に感じ取る祈る想い!

この根源的恐れを拭い去ろうとまさに手を合わせる!
が故、出来ると言うこと!
ココ

此処に、ヒトが創った神社と言うハードは!
実は必要じゃない!


但し!
何事もない平常時から!
そう言うハードを幼い子どもに見せる

「幼い時からの育み!」

理由も知らず手を合わせ
言葉を越えた育みの蓄積
そう言う意味では!
言葉も理解出来ない幼子に対し見せ!
体感で知る事は実に大事な仕組みである!

何も金ピカに飾る必要はない!

しかし現在宗教は益々希薄に成り
避けてる?
様に見え益々遠くの存在に!

今迄とは異なり益々ヒトは神の領域を犯そうとしてる
生命倫理は死語と化してないの?
横を向いてないの?
道具と化してないの?

故、実は新しく言う事はないが方便をかえ
本来、人、独りを救える仕組みに戻すべき!

もう、子どもでも知ってる平安時代の方便では
通用しないのでは?
新興宗教が問題を起こすのも?
既存の宗教が受け皿の役目を果たさないが原因に感じる。

2017-08-07

第1007回 禍福と、かんながらの道。

 

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 8月5日は、現在の日本で経験できるもっとも美しく静謐な祭りの一つ、今宮神社の織姫祭りだった。ありがたいことに、私もこの祭りの実行委員会の末席に座らせていただいている。

 神事の後には、神前で、お供え物を参列者で味わう豊かなひととき。かけがえのない時間。本来の祭りの姿がここにあると思う。

 平安京は風水でいうところの四神相応の都。四神とは、青龍、白虎、朱雀、玄武。その玄武にあたる船岡山の真北にあるのが今宮神社。

 10世紀、京都の町が疫病その他の災いに襲われた時、災いを福に転じるための紫野御霊会が、その起源だ。

 かつての風葬地である東山の鳥辺野の入り口にある八坂神社の祇園祭も、御霊会から発展していった。紫野にある今宮神社も、同じく風葬地であった船岡山の北に広がる蓮台野にある。

 どちらも、あの世とこの世の境。

 そして、そのどちらにも小野篁がいる。東山は、私の家のすぐ裏の六道珍皇寺。紫野は、千本えんま堂に。

 京都の北東を流れる高野川に沿った八瀬の地は、京都の鬼門にあたるが、ここに早良親王を祀る崇道神社がある。

 長岡から京都に都を移すきっかけとなった早良親王の祟り。

 この八瀬の地は、小野郷と呼ばれ、小野氏の拠点だった。

 八瀬の里の人々は、皇室の葬儀で棺桶を担いだり警護をしたりする役目を担い、鬼の子孫を自称していた。

門跡(比叡山の座主)の神輿ひき八瀬童子なり。間麗王宮より帰る時、興をひきたる鬼の子孫なり」

 小野氏の代表人物である小野篁が、閻魔大王に仕えるために、毎夜、地獄に通ったという伝説は、きっとここから生まれたのだろう。

 そして、京都のちょうど鬼門にあたる場所にある崇道神社に、早良親王の怨霊を祀り鎮めることで、京都を守っている。

 ちなみに、早良親王も、早良親王の祟りを恐れた桓武天皇も、母は同じ高野新笠で、土師氏の血を引く。ということは、桓武天皇の子孫である今上天皇も、遠い祖先に土師氏がいる。

 天津神でありながら国津神の大国主命に心服して、葦原中国の偵察の使命を放棄して大国主命を祀るために地上にとどまったアメノホヒの子孫である土師氏は、菅原道真の先祖であり、かつては古墳や埴輪を作り、天皇の死に際する祭事を取りしきっていた。(ちなみに、出雲大社の宮司の家系もアメノホヒの子孫である)。

 天皇は死を通して神となり、民を守る存在となる。つまり、古墳は、神となった天皇の肉体。

 怨霊と恐れられた菅原道真が死んで神となったのは、彼が、早良親王と同じく、土師氏であったことも背景にあるだろうと、学者でもなんでもない私は無責任に想像する。

 いずれにしろ、禍を転じて福にするための、かんながらの道。スサノオや牛頭天王、また大物主、そして菅原道真など、疫神というのは、正しく祀ることで、必ずや恵みをもたらしてくれる。台風など自然災害に耐えて生きてきた日本人が、古代から伝えてきた深遠なる知恵がそこにある。その知恵は、今だって廃れていないはず。

 今日から、私の家の裏の六道珍皇寺で、先祖の魂を迎えるための鐘の音が、朝から夜まで、ゴーン、ゴーンと鳴り響いている。

 たった一回の鐘をつくために、私の住んでいる周辺、人々が長い長い列を作っている。

 そういうことを、今も大切にし続けている人たちが、この国にはまだ大勢いる。

 御霊会、早良親王、土師氏、菅原道真、小野篁、そんな昔のこと、なんで今頃関係あんの? と、ITや人工知能や株価の動きなど、社会の表層を激しく流れる情報にしか興味なかったり、そういうことすら興味なく、タレントやスポーツのことだけで十分に楽しいという平和な人も、この国にはたくさんいるが。

 

 しかし、今日も大きな台風に直撃された日本。そして、夏になれば、必ず思い出すことになる原爆や終戦のこと。

 これらの悲劇、禍を、私たちは、まだうまく整理できていないのに、ただ記憶の隅においやって、ごまかし続けているだけかもしれない。無聊の慰めに引きこもったり、会社のため、社会のためと、忙しそうに動き回ることで。

2017-08-05

第1006回 ありのままを伝えることの深み〜ジャン-ウジェーヌ・アッジェと鬼海弘雄の街の写真〜

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撮影:ジャン-ウジェーヌ・アッジェ


 一昨日、神戸まででかけた時、もう10年以上、連絡もしていない同郷の写真家のことを、ふと思い出した。

 そして、驚いたことに、昨日、突然、その写真家からメールがきた。

「佐伯さん、お元気ですか。素晴らしい写真集を作られましたね。アッジェの写真が写真の原点だと僕は思っていますが、そのアッジェを彷彿する見事な写真です。鬼海さん恐るべし!」

 

 どうやら彼は、どこかで私が作った鬼海弘雄さんの「Tokyo View」の写真集を見たらしい。上記の褒め言葉とともに、彼は、この写真集を一冊、注文をしてくれた。

 久しぶりの連絡にも驚いたが、ジャン-ウジェーヌ・アッジェという写真家の名前が出たことに、神様の啓示のようなものを感じた。

 私が、鬼海さんが40年に渡って撮り続けた街の写真を一冊の写真集にまとめて世に送り出す決意の底にある大切なことが、アッジェの写真の中にあるからだ。

 船員、役者などを経て、40歳を過ぎるころに写真家になったアッジェ。(鬼海さんも、トラック運転手、造船所工員、遠洋マグロ漁船乗組など様々な職業を経て写真家になったので、似ている。)

 アッジェは、20世紀初めのパリの街並を写真に撮り、それを、ピカソ、ユトリロブラマンクなど画家に売って生計を立てていた。一枚の写真が、一食分だったそうな。

 ドラクロワの頃から、写真をもとにして絵を描いていた画家は多かった。19世紀、写真家は表現者ではなく、画家に素材を提供する人間であった。そして写真の発明から約半世紀を経た19世紀後半、写真技術者は、表現者として自己主張をし始めるようになり、絵画表現の後追いをするように、合成や修正などによって絵画的に見せるピクトリアリズムという小手先の技術の迷路に陥るものが多かった。(現在と状況は似ている)。

 そんな時、”写真は絵画から独立した独自の芸術である”として、「自然主義写真術」を唱えたのが、イギリスのピーター・ヘンリー・エマーソンだった。

 写真は、文学や絵画と同じように立派な表現である。しかし、あくまでも写真の特性を最大限に引き出すことが大事であり、絵画のような見せ方をすればいいというものではない。エマーソンは、ありのままの光景を写真におさめる写実主義表現を通して、写真の芸術性を追求した。

 エマーソンの影響は大きく、写真の歴史では必ず登場するアメリカのアルフレッド・スティーグリッツもその一人で、20世紀の写真表現が、そこから始まった。

 しかし、”写真という独立した芸術”という意識ばかりが先に立って、再び、作為的で意図的に画面をボカしたり粗くしたり、合成したり、見た目の印象の強さばかりを追求する写真表現が増え、それは、現代でも続いている。

 ”ありのまま”を伝えるところに他の表現とは一線を画す写真ならではの持ち味があるにもかかわらず、”ありのまま”の奥深さへの道を探求する写真家を見つけることは、今日でも非常に難しいが、ジャン-ウジェーヌ・アッジェという写真家は、まさに、その象徴的存在だった。

 彼は、41歳のときから30年間に約8000枚を撮ったが、ステーグリッツなど、華々しく活動する同時代の写真家のように、自分の気持ちのおもむくまま写真を撮ったのではなかった。だから、生きているあいだに、表現者としての自己を主張することもなく、そういう評価も与えられなかった。しかし、彼の死の一年前、彼の写真はマン・レイを中心とするシュールレアリズムの画家たちに認められて、「シュールレアリスト革命」創刊号の表紙を飾ることになる。しかし、その時ですら、アッジェは、「これは単なる資料にすぎないから」と、自分の名前を出すことを頑なに拒んだと言う。

 そして、死後、彼の膨大な写真作品が発掘される。

 アッジェが撮ったありのままのパリの街並みは、作為的処理がなされていないのに、なんとも生々しい質感と存在感がある。彼は、写真最大の強みである”記録”に徹しているだけだが、単なる資料としての記録を超えて、人類の”記憶”が、そこにとどめられている。自分の魂が肉体を抜けて、その人類普遍の記憶の中を漂うことができるような、そんな感覚だ。

 肉体を持つ人間は、限られた時空の中しか経験することができないが、魂の感覚として、肉体が行けなかった時と場所を体験することを可能にする写真。この魂に食い込む感覚は、世界中の珍しい光景を記録に収めて旅心を誘う類の観光写真とは明確に異なる。

 おそらくアッジェは、匠のような鋭利な感覚と技術を備え、邪念や作為を持たず、ましてや矮小な自己承認欲求などもたず、黙々と対象と関わり続けた。だから、軸をぶらすことなく、同じことをずっと継続することができた。

 アッジェが活動したのは、100年前のフランス。

 そして、現在の日本には、鬼海弘雄がいる。人類の足跡の記録を、人類普遍の記憶にできる稀有なる写真芸術家の一人として。おそらく、そういう存在は、同時代に、一人か二人しかいない。

 その記憶を形として明確に残すために、私は、鬼海さんの街の写真集を作った。

 私が言うまでもなく、鬼海さんは今日の日本を代表する写真家であり、すでに国際的にも高い評価を得ている。しかし、その鬼海さんの評価は、浅草で撮り続けたポートレートやインドの写真に負うところが多い。鬼海さんが取り組んできた対象は、一つひとつにじっくりと時間をかけるため、非常に限られていて、この二つ以外には、トルコ、そして、今回、私が写真集を制作した東京の街くらいのものだ。

 鬼海さんの浅草のポートレートや、インドの写真は、確かに素晴らしく圧倒的で、ポートレートは、高名なダイアンアーバスを超えていると私は思うし、世界中に無数のインド写真が溢れているが、鬼海さんのインドの写真を一度でも見たことがあれば、有象無象のインド写真の中から一瞬で鬼海さんの写真を選別できる。それほど他と際立っている。

 しかし、それでも敢えて言うが、東京の街の写真こそが、鬼海さんの真骨頂なのだ。なぜなら、インドや浅草の写真は、鬼海さんの匠の腕があってこそだけれど、被写体そのものの魅力が大きい。つまり、料理人でいえば、癖があって二流の料理人では上手に料理できないけれど、一流の料理人の手にかかれば、素晴らしいものになるという世界だ。

 それに比べて、東京の街を撮った「Tokyo VIew」は、雑草の中に埋もれている山菜を見つけ出して、よけいな手をくわえずに、その繊細な味を見事に引き出している料理だ。インドや浅草の写真は、「うめえ! こんなの食ったことない!」と食べ応えもあり、感嘆の声が出やすいもの。それに比べて「Tokyo view」は、なんともいえないしみじみとした香り、ホッとするような味が滲み出てきて、余韻が広がる出汁のうまさ。色々と美味しい物を食べ尽くしてきた人、つまり色々と素晴らしい写真を見てきた人にしか、その良さは、心底わからないかもしれない。

 様々な分野のコレクターが最後に行き着くのは”石”という言葉があるが、なんでもない表情の中に、深遠なものを見出すためには、受け手側にも、それだけの経験が必要になる。

 そして、そこまでたどり着いている人は、華美なものや大仰な刺激など求めず、シンプルで深遠なものを味わい尽くすことができるので、それを毎日のように眺めても飽きることがない。

 鬼海さんの「Tokyo View」は、まさにそういうもの。

 写真は文章と違って見れば誰でもわかるものだと思っている人が多いが、実は違う。

 テレビ映像のように、注目を集めさせたいポイントをクローズアップする誘導的な映像体験に染まってしまうと、テレビのような恣意的ではない写真、見る人が自分で何かを発見しなければならない映像からは、何も感じ取れないということが起こってしまう。

 化学調味料で味付けをした刺激の強い加工商品ばかり食べていると、山菜の味とか香りがまったく感じられなくなるのと同じだ。

 悲しいかな、わかりやすく誘導的な写真に慣れすぎた人が多すぎるので、発行される写真集、評判のいい写真集、売れる写真集も、そういうものばかりになってしまう。

 だから、「Tokyo view」が、世間で評判になったり、バカ売れすることはあり得ないとわかっていた。

 しかし、アッジェの写真のように、「Tokyo View」が、歴史的な記憶になることは間違いないと確信していた。だから、コストは上がっても、写真の力を最大限に引き出す写真集でなければならなかった。数年で飽きて捨てられたり、みすぼらしくなるような安っぽい装丁にするわけにはいかない。 我々が20世紀前半のアッジェの写真に対して抱く気持ちのように、100年後の人間が「Tokyo view」の写真集を見る時、写真だからこそ現すことができた驚くべき世界を、時を超えて堪能できる喜びと幸運を感じてもらえるものにしなければならなかった。そして、アッジェの100年前のパリと同じく、40年ほど前に鬼海さんが撮影した街の写真と同じような光景が今もあることに現在の我々は何とも言えない感慨を覚えるが、100年後も、同じような深い感慨を抱く人がけっこういる筈であり、そういう時を超えたつながりを、私はイメージしている。

 いくらマン・レイに請われても自分の名前を出すことを拒んだアッジェは、いったいどんな思いで、長いあいだ、同じような写真を黙々と撮り続けたのだろう。

 鬼海さんの「Tokyo View」の写真を見ていても、40年にもわたって、鬼海さんはどんな思いで写真を撮り続けていたのだろうと、ふと考えてしまう。

 そういう他人には計り知れない気持ちを抱えたものは、人の心を惹きつける。

 ”自分の気持ちのおもむくまま”写真を撮っていると、トークショーや対談などで、誇らしげに語る写真家は多い。対象に向かう時の自己中心のスタンスの正当化は、写真業界を支える趣味の人にとっても自らの正当化につながるので心地よく、共感もされやすい。

 しかし、自己中心を語る人の写真は、それを見ても、いったいどんな思いで写真を撮り続けているのだろうという謎めいた気持ちになることはない。そこに写っている対象の奥行きよりも、撮影者の自己承認欲と自己顕示欲が、明確に透けて見えるからだ。いくら当人が、謎めいた演出を施そうとしても、そうすればするほど、意図と思惑が浮かび上がる。 

 鬼海さんや、アッジェは、自分の気持ちのおもくままではなく、対象の尊重が常に先にあった。

 政治もテレビも、”コンセプト”という狙いや思惑が透けて見えるものが多く、その中で自己の主張の仕方の優劣が競われ、そういう安易なものばかりに触れていると、人間が底の浅いものに感じられ、人間そのものへの敬意や信頼がゆるぎがちになる。

 写真も含めて芸術行為は、人工の賜物であるが、一体なぜそこまでの努力をし続けているのか、安っぽい言葉に簡単に置き換えることのできない深遠で具体的な形や物や行為に触れる時、人間の計り知れない奥行きを感じる。

 ともすればゆるぎがちな人間性への信頼を取り戻す回路こそ、今、もっとも必要なことで、芸術表現は、そのためにあると言っても過言でないと思う。

 斬新的であるとか、カッコいいいとか、すぐに消費されるような言葉で賞賛される程度のものではなく、その作品そのものが、人間とは何か、自然とは何かと、世界とは何かと、計り知れない問いをジワジワと問いかけてくるもの。

 歴史を振り返ってみても、レオナルドダヴィンチ、デューラーセザンヌ長谷川等伯、紫式部、俵屋宗達ドストエフスキーなど時空を超えているものは、みんなそうだ。

 写真の世界は、他の表現ジャンルと比べて歴史が浅く、他の表現分野では通用しない制作者の意図が見え見えのものが、いいね!と賞賛されたりする段階の表現分野であるが、ジャン-ウジェーヌ・アッジェや、エドワード・カーティス、そして鬼海弘雄といった人たちの仕事が、きっと100年後には、まさにこれこそが写真にしか現せないものとして、より明確に認識されているだろう。記録を記憶にする力こそ、写真に勝るものはないという認識とともに。

 今後ますますデジタル記録に依存する社会状況の中で、記録ではなく記憶こそが、人間の心を養い、満たし、救う力だと気づかなければ、因果を安易に結びつけるわかりやすさ、取り組みやすさ、数字の上げやすさ、といった効率ばかりが追求され、計算や打算が見え見えの殺伐とした現実ばかりが広がっていくことになる。

 写真の真価が問われるのは、これからなのだ。ノイズがあまりにも多くて、その真価は、見失われがちだが。

 それはいつの時代でも同じ。大事なものが本当に必要になる時、その大事なものを見る目が曇らされる。

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鬼海弘雄さんの街の写真の魅力が少しでも伝わるよう、「Tokyo View」の専用ページを作りました。

https://kazesaeki.wixsite.com/tokyoview

2017-07-04

第1005回 政治の単純化と、われわれの思考の単純化は相互関係にある。

 安倍政権は、これまで、選挙に強いことが強みだったらしい。選挙に強かったから、自民党内でも、安倍一強だったようだ。

 安倍政権が選挙に強かったのは、実績でも、実力でもなかった。他に受け皿がなかったこと。そして、他の政党よりも、「経済」に特化した単純なアピールを行い、「成果をあげます。任せてください」と単純な言い方で強調し、その政策に期待するしかないと国民に思わせてきたからだ。

 安倍首相や、稲田防衛大臣をはじめ、彼のお気に入りの閣僚の論法は、非常によく似ている。核心の部分についてはまったく答えず、「いま我が国を取り巻く本当に厳しい状況のもとで、一層の緊張感を持って、しっかりと職責を果たして参りたいと思います。」という内容をオウムのように繰り返すだけである。日本語が理解できる人なら、質問と回答が噛み合っていないと何度も感じさせられている。

 こうした答弁が、あまりにも続くので、さすがに、国民は苛ついてきた。

 また、安倍政権は、自らの政策の成果として、株価などのわかりやすい数字だけをアピールする。しかし、株価の実態は、日銀や年金積立金管理運用独立行政法人(GRIF)からのお金で、株価の底上げをしているだけである。

 もっとも安易な方法で株価を上げようとしてきたため、日銀の日本株の保有残高は17兆円を突破し、発行済み株式数の5%以上を保有する企業数は83社に上る。日銀は、年6兆円ペースでETF(日経平均株価などの動きに合わせて、それと同じように動くように作られている上場投資信託)を購入するという市場経済の原則からすると禁じ手としか思えない方法で、日経平均株価を買い支えている。

 孫正義氏がサウジアラビアと連携して立ち上げた10兆円の巨大ファンドが大騒ぎになったが、それ以上の規模の実態のないお金が日銀によって動かされている。企業の業績とは関係なく株価だけは上がっているから、株に投資できる富裕層や、低金利のため資産運用で利益を出すしかない保険業、そして本業が芳しくないので株などの運用益で利益を出そうとしている会社は、この政策を支持する。こうした皺寄せが後からどう出てくるかわからないが、とりあえず今、恩恵を受けることができればいい。そういう考えを持っている人が多いことも、安倍政権が支持される原因になっていた。

 しかし、世の中の多くの人は、そういうイカサマから恩恵を受けることはなく、安倍政権が行っていることがまことに都合のいい人と、そうでない人とのあいだで、差が露骨になってきた。そして、自分にすり寄ってくる人たちを仲間として扱い、自分に反発したり批判する人たちを感情的に敵視することしかできない幼稚な人物が、この国のトップであることに疑問を持つ人が増えてきた。

 こうした幼稚な人物が高い支持を受けてきたのは、アメリカのトランプ大統領の場合も同じだが、国民じたいに、幼稚なところがあるからだろう。

 幼稚さは、感情と思考が単純であるところに明確に現れている。

 「難しい状況説明はいいから、結果だけを出してくれればいい。」

 世の中の至るところで、こういうやりとりが増えた。長文の文章を読んで文脈を読み取ることよりも、わかりやすい答えだけ教えてくれればいい、もしくは、具体物さえ見せてくれれば説明はいらないというスタンス。

 政治だけではなく、文化においても同じだ。美術展なども、行政や企業から資金援助を受けるためには、内容よりも、集客数が問題になる。だから、近年、話題性を狙った企画が非常に多くなっている。集客数の多さや、メディアでの露出=成功という単純さなのだ。

 ワンフレーズポリティックスなど典型的だが、難しい話だと人の心に届かないという判断で、できるだけ簡単な言葉で、細かいところは省略して伝えることが効果的だと、政治でもビジネスでも文化でも信じられている。

 しかし、時代の問題、社会の問題、人類の問題を自分ごととして引き受けて考えるならば、単純な言葉で語ることなどできない。

 単純化できるのは、けっきょく、自分にとって都合の良いことかそうでないかを判断させる際の言葉だ。

 「そんなの自分にはメリットはない」、「自分には意味がない」というレベルにことなら、それ以上の説明はいらない。しかし、未来の社会にとってどうなのか、人類の問題として考えるならどうなのかを説明しようとすると、簡単な言葉にならないし、簡単な結論も出せない。簡単に答えを出せない状況のなかで、みんなで知恵を出し合って考えようよと問いかけることしかできない。しかし、宙ぶらりんの状態で葛藤することに耐えられない人が増え、そうした思考の積み重ねを、拒否するようになっている。

 時代の問題、社会の問題、人類の問題を自分ごととして引き受けて悶々とする過程をスルーしてしまっているのに、そんな自分を正当化するように、もっとわかりやすく、もっと単純に、と要求するのである。もはや、難しい内容の本は数多く売れないから、出版社も作らず、さらにわかりやすく、単純なものばかりが跋扈するようになっていく。

 また、原発や平和をテーマにしたイベントなどにおいても、仲間意識を持っている人が集まっているだけのことが多く、論理的に異論を述べている人は、ほとんどいない。できるだけ議論しないで衝突を避ける空気が蔓延している。だから、異なるものの考え方に対して、抵抗力もつきにくいし、応じる力も育たない。結果として、どちらにつくかという感情的な判断しかなくなり、こちらにつかないものを、敵とみなす。

 「あんな人たちに負けるわけにはいかない」と、一国の首相が都議選の応援演説で言い放ち、リーダーとして器の小ささをさらけだしてしまったが、私たち一人ひとりにとっても、他人事ではないのだ。

 老獪な小池都知事は、自民党に勝つために活動しているのではなく、古い自民党をやっつけて、都民ファーストを引き連れて新しい自民党の総裁になり、この国の首相になることを目指しているかもしれない。小池都知事は、安倍首相よりもはるかに上手に、敵と味方を分けて戦いを優位に進める策士である。

 安倍首相は、加計学園問題などで批判されているが、誰にでもわかるような傲慢さと稚拙さがすぐに明らさまになってしまう脇の甘さで、実はまるで大したことのない、凡庸な人物なのだろう。

 だから、担ぎやすく、結果として、一強に見えていただけかもしれない。

 たとえ安倍政権でなくても、「金が儲からなければ、意味ないでしょ」「金がなければ、福祉も、平和も、実現できないですよ」という価値観がはびこっているのならば、これまで安倍氏のやり方で押し通せたところは押し通してきたけれど、それが難しくなってきたら他の方法でそれを押し通そうとする人が出てきて、国民に支持されて、代わりにトップになるだけかもしれない。安倍首相のように、「あんな人たちに負けるわけにはいかない」などと稚拙な対応をとることなく、次のリーダーは、穏健ながらも賢く容赦のない方法で、邪魔者を切り捨てていくかもしれない。もしかしたら、それが小池都知事ということもありえる。

「そうしないと、経済発展しないんですよ」という、やんわりとした言い方に納得させられてしまう人間は多いだろう。共謀罪は、テロリストに対する備えではなく、「危険思想」の持ち主に対するものであり、危険思想というのは、現在においては、国家の豊かさや強さの邪魔になることを指す。

 政治家に期待する前に、はたして自分の中の価値観や思考や暮らしの中の実行がどうなのかが大事であり、政治の方向性は、畢竟、その一人ひとりの価値観や思考や実行の総合が決めていくことになる。

 国民の暮らしを守るということは、価値観と思考を単純化してしまうと、経済を豊かにする(原発容認)ことと、防衛力や治安維持力(共謀罪容認)を増すこと、でしかなくなる。そういう価値観と思考と実行によって、いったい何が失われていくのかじっくりと考え、備えていなければ、後になって、そんな筈じゃなかったということになる。

 今回の都議選に関しても、驕った自民党への制裁とか安倍政権への打撃などと単純化しない方がいい。

 我われは、政府にいったい何を求めているのか。

 多くの人は、生活が安定し、福祉も充実し、老後の心配もなく、子育ての不安もなく、外国の脅威も感じず、公共設備も整った状態を望む。そのことは仕方がない。

 しかし、そうした望みに対して、「お金がなければ、できないでしょ」「経済状態が悪ければ、そんなこと無理でしょ」という論法に対して、一人ひとりが、どう答えられるか。なんとなく違和感を感じながらも、その違和感をうまく説明できないため、空気に流されて同意してしまうかもしれない。

 今すぐに答えられなくても、自分の考えをじっくりと育んでいけるかどうか。そのように思考の準備をする人の数が増えなければ、単純で強引で巧みな論法に安易に絡め取られてしまう人の数ばかりが増え、その数に飲み込まれてしまうだろう。今回の都議選における都民ファーストの圧勝にしても、いくら自民党の不祥事があったとはいえ、それだけでは今回のように歴史的大差になるとは思えず、大勢の人が、小池都知事の敵味方を単純化した巧みな戦術に絡め取られた結果かもしれない。

 

2017-06-14

第1004回 世界でいちばん美しい村

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(撮影:石川梵)

 石川梵監督の「世界でいちばん美しい村」というドキュメント映画がある。日本全国で上映され、人々の心を捉えているが、6月17日から、大阪の第七藝術劇場でも公開される。

http://www.nanagei.com/

 6月19日には、13時55分からの上映の後、私と石川監督でトークをすることになった。

 映画の内容については、ここで私が述べるよりは、ホームページを見た方が写真付きで詳しい。https://himalaya-laprak.com/

 だから、ここでは、私の印象だけを述べることにする。

 この映画には、本当に驚かされた。

 チラシには、「大地震を乗り越えて強く生きる。貧しくても明るい家族。子供達の輝く眼差し。圧倒的な映像美」などと、ステレオタイプのフレーズが踊っている。ホームページにも、「感動のヒューマンドキュメンタリー映画」とキャッチコピーが付けられているので、被災地を舞台にした、よくあるようなドキュメンタリーと思ってしまう人がいるかもしれない。しかし、この映画は、それらの安っぽい言葉では括れない、深く鮮烈な体験を与えてくれる。

 この映画からは、人間の共同体の原点というべきものが、生々しく、力強く迫ってくる。人間は、この映画の中の人々のように、何百年、何千年と生き続けてきた。その間、なんども自然災害などに遭遇しながら、不死鳥のように人間の共同体を復帰させ、維持して、生きてきた。脆弱なように見えるけど、実際は、とても強固なもので、だから何百年、何千年と続けることができた。それに比べて、私たちが生きている現代社会は、安全性とかセーフティネットとか、自分の暮らしを守るために神経質なほど色々と気にしているが、本質的なことが抜け落ちているのではないか。映画を見ながら、そういうことを痛切に感じさせられた。

 そう感じずにはおられなかったのは、この映画には、村の人々の暮らしや信仰が、通り一遍のものではなく、あまりにも濃密にこめられているからだ。よくぞここまで記録化できたものだと感心せざるを得ない。

 あらかじめシナリオを作って、そのシナリオに適した場面を集めるという発想の取り組みでは、とても不可能だろう。偶然性に満ちた、だからこそリアルな、生々しい姿や声が、全編に溢れている。かといって、偶然性だけに頼ると、表層的なものになりがちだが、そうはなっていない。人々の営みの中への入り込み方や、人々との密着度が素晴らしいのだ。

 この映画を作った石川さんの動機の一つは、大地震の後の窮状を世界に知らせることであったかもしれないが、映画の内容は、そうした政治的、社会的なメッセージ性だけにとどまっていない。人類学という視点で見ても、非常に興味深いものなのではないかと思う。

 20世紀を代表する思想家で人類学者のクロード・レヴィ=ストロースは、近代合理主義の世界に生きる人間が発展途上国とされる地域を訪れる際に、西洋の知で見るなという警告を発していた。つまり、我々の社会の中で身につけてしまった世界観や人生観、道徳や倫理や自己否定も含めて、我々の尺度で対象を分析したり、価値付けたりするなということだが、教育などを通じて思考の方法なども西洋の知で組み立てられてしまっているので、そこから自由になることは簡単ではない。

 そういう軋轢の中で、レヴィ=ストロースが、神話世界を通して発見した思考の組み立て方法は「ブリコラージュ」だった。

 ブリコラージュは、もともとは「寄せ集め」いった意味だが、あらかじめ作り上げた全体の設計図にそって中身を作っていくのではなく、きっと何かの役に立つと思って集めておいた断片を、その後の進行の中で、適時、必要に応じて組みこんでいくことで、自ずから構造が立ち上がっていく。そして、それぞれの断片がしかるべきところに収まっていく。神話というものは、そのようにしてできあがっている。

 だとすれば、”きっと何かの役に立つ”と感じる感じ方が重要になる。その感じ方は、一体何に基づいているのか。お金儲けに興味がある人は、世の中に数多くある情報の中から、きっと後になって役に立つだろうと直感が働くものを集めてプリコラージュしていくだろう。

 石川さんの場合、”きっと何かの役に立つ”という直感は、そうした世俗的なことを超えた大いなる存在とつながっている。神という言葉を使ってしまうと陳腐になってしまうが、人々が意識できないけれど、確かに存在している力で、その力が、私たちを生かしている。そういう経験のある人ならわかるだろうが、不思議で、奇跡的だと感じられこと。縁とか、巡り合わせとか、昔から人々が実際に感じ取り、言葉にしてきたこと。

 石川さんは、この映画を作り始めた後に、その大いなる力を感じとったのではない。彼は、それ以前からずっと一貫して、その大いなる力を具体的な形にするために、仕事を続けてきたと言っていい。

 彼は、伊勢神宮を30年にわたり取材し続けていて、20年に1度だけ行われる式年遷宮を2回に渡り映像と言葉で記録しているという、一千年を超える日本史の中でも極めて限られた貴重な人物だ。おそらく次も記録し、日本の長い歴史の中で唯一の、式年遷宮を3度にわたって記録した人物となるだろう。

 伊勢神宮は、宗教や信仰といった言葉では簡単に括れない。厳粛な宗教的儀礼の背後にあるもの、自然と人間のあいだをつなぐ巨大な有機的システムが、そこにある。木を育て、米を作り、布を織り、様々な道具を用いて自然に働きかけ、自然からいただき、活用し、自然に還していく。それらのすべてが厳粛に執り行われることで、人間共同体と自然とのあいだ調和を維持していく。

 私は、風の旅人という雑誌のなかで、石川さんが長年取り組んできた作品のうち、インドネシアのラマレラ島の鯨漁と、タナトラジャの盛大な葬儀を特集した。

 そして、この二つもまた、伊勢神宮と同じく、自然と人間のあいだをつなぐ巨大な有機的システムであり、石川さんは、そのシステムを映像と言葉の力によって具体的に浮かび上がらせていた。単に物珍しい異国情緒溢れる昔ながらの風習を撮ったドキュメンタリー映像ではなかったのだ。

  鯨漁という危険な漁においては、鯨を必要以上にとりすぎないことや、鯨に対する感謝と敬虔さ、鯨に立ち向かう人間への敬意、そして、捕らえた鯨を村全体で分けること、老人は道具作りで貢献するなど全ての人間が大切な仕事のために協力し合うこと。また、タナトラジャにおいては、財産を残さずにすべて自分の葬儀のために費やすことが美徳とされ、そのことが村人たちを潤わせるという構造の社会。

 人間と人間、人間と自然のあいだの調和とバランスが編み込まれた暮らしが、長年にわたって続けられていて、石川さんは、実に見事に、その構造を浮かび上がらせていた。 

 石川さんは、若い頃、プロの写真家になることを目指し、戦火のアフガニスタンを取材した。荒廃する国土、至るところに地雷が仕掛けられ、いつ空から爆弾が落ちてきたり、至近距離から狙いを定めて射撃する戦闘ヘリの餌食になるかわからない状況の中で、アフガンの戦士達の信仰の力をまざまざと見せつけられ、彼は、信仰について深く考えずにはいられなくなった。いつか死ぬことを宿命付けられている人間が、いったい何を拠り所にするのか。

 そうした問いを積み重ねてきた石川さんは、2011年の東北大震災の時、ただ被災地の現状をニュースとして伝えるだけではなく、「我々は、いかに生きていくのか」という問いを、自分自身に発しながら、写真や文章の表現としてアウトプットしていったが、今回のネパールを舞台にした映画においても同じだった。

 人間として生きているかぎり、誰でも、無慈悲な運命によって、自らの無力を思い知らされることを避けることはできない。それでも、生きるに値する命、何ものかに生かされている命というものを感じる瞬間が私たちにはある。そうした命そのものの謎に深く向き合い続ける仕事、それが石川さんが目指してきた道であり、生き様そのものなのだろう。普遍であり、根元であり、2000年前も、おそらく2000年後も変わらない人間のテーマだ。

 彼の求めるものは、そのように大きくて底知れぬものだから、驚くべき時間と労力をかけなければならな。しかし、彼の仕事が予算に恵まれているわけではない。にもかかわらず、なぜ今回のような映画が作れるのかといえば、一人で全てをやりきってしまっているからだ。そのエネルギーには本当に驚かされる。

 今回の映画を見た多くの人は、大集団の撮影クルーが作ったものだと感じるだろう。しかし、実際には、テレビ番組のドキュメントよりもはるかに少ない人数であり、石川さんと助手一人だけでやりきっているのだ。当然、テレビ局の撮影現場などでよく見かけるマイクとか照明や、スタッフの弁当を手配するアシスタントなどを現場に連れていっていはいない。

 そして、偶然性に頼り、作為的な演出を行っていないドキュメントなのに、あまりにも多くの素晴らしいカットがありすぎて、いったいどういうタイミングでカメラをまわしているのか不思議でならない。写真家として長年培ってきた経験で、次の展開が読めてしまうのだろう。そして、常にいつでもカメラをまわせる態勢でいるのだろう。相手に警戒されたり、意識させたりすることのない絶妙な間合いを保ちながら。そのように蓄積した重要な細部を、レヴィ=ストロースが説くようにプリコラージュ(寄せ集め)していくことで、まさに神話のような世界ができあがった。

 神話は、世俗的な側面では役に立たないかもしれないが、無慈悲な運命によって自らの無力を思い知らされるような時にこそ力になるものがこめられている。

 神話に地域性も時代性もない。神話は、共同体の中でしか生きられない人間にとって古今東西変わらない普遍的な知恵なのだ。

 近代合理主義思想から生まれた個人主義が、共同体の知恵の歴史的蓄積ともいうべき神話を遠ざけてしまった。しかし、そんな時代においても、今、起こりつつあることをもとに、現代の神話をプリコラージュしていくことはできる。時を超えて語り伝えられていくものは、きっとそういうものだろう。

 「世界でいちばん美しい村」を見る人は、どこか遠くの出来事を記録したものとして見るのではなく、きっと自分に突きつけられる問題として見ることになる。そして、我々よりも遥かに大きな時間の中で生きている人たちの姿を見て、個人の暮らしの快適さばかりを追求する社会の卑小さを、思い知らされることだろう。人間には、まだそうした良心が残っていて、神話は、きっとその良心に働きかける。

2017-06-04

第1003回 過去と未来の橋渡しになる映像を


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 一般社団法人カメラ映像機器工業会(CIPA)が発表している数字を見ると、デジカメ販売の長期衰退は、著しい。 

 コンパクトカメラは、2010年が1億900万台で9,774億円だったが、2016年は、1,200万台で1,630億円。

 レンズ交換式カメラは、2010年が1,300万台で3,950億円、2016年は、1,100万台で3,643億円。

 この6年で、レンズ交換式カメラは15%減、コンパクトカメラは、なんと10分の1近くに減っている。両方を合わせた台数では、この6年のあいだに、年間で1億台も減っているのだ。

 その原因は、誰もが知っているとおり、わざわざカメラを買わなくても、スマホのカメラで十分な撮影ができるからだ。

 フィルム時代においては、友人と一緒に旅行に行くと、写真が下手な人と上手な人とのあいだには、明らかな差があった。しかし今は、誰でも同じように綺麗に写真が撮れる。ピントも露出も全自動で、画像処理アプリも簡単に使えるから、素人とプロとのあいだの差も、見分けがつかなくなっている。

 展覧会などにおいても、評論家が褒めていたり名の通った写真家が撮った写真ということで、これは良い写真なのだろうなという顔で見ているが、そういうラベルを外して素人の写真と混ぜて展示しても、気づかないタイプの写真は多い。

 報道写真も、2011年3月11日の東北大震災の時に明らかになったが、プロの写真よりも現場に近いところにいた素人の写真が、震災のリアリティを伝えていた。

 そして今、映像の発展の方向は、さらに鮮明さを追求する4Kとか8Kという超高精細な画像の実現と、3次元画像とかバーチャルリアリティとなっている。

 20世紀は、映像時代だった。コマーシャルやメディアなどの媒体を通じ、映像が、時代の価値観をリードしてきた。しかし、現在、映像が目指している発展の方向(鮮明な映像の力によってすべてをあからさまにしていくことや、仮想空間と現実空間を錯覚させること)が、時代の価値観をリードするものとなるだろうか。

 こうした映像技術の発展において、私が一番気になっているのは、人間の想像力や、心との関係だ。

 映像は、それを使ったり見ている人が意識している以上に、人間の想像力や心の状態に影響を与えている。

 コマーシャル映像が、消費社会のなかで必要のない物を買わせることに貢献したことは間違いない。そして、最近のSNSに関する調査で、Instagramやsnapchatといった画像中心のSNSが、青少年の心を一番蝕んでいるという結果もあった。その原因は、映像による演出で自分を見栄え良く見せようとする人々が大勢いて、それらの映像を見てコンプレックスを抱いたり、自分の暮らしのつまらなさに落ち込んだりする人が増えているのだという。映像は、自己顕示欲と自己承認欲求を満たすための手段としては、もっとも手軽であり、そうした映像の使われ方が、表現分野から一般まで広くいきわたった結果だ。

 いずれにしろ、映像を作る人間の価値観や意思や思惑によって、映像のあり方は異なり、人間にとって、害になることもあれば、逆も有り得る。

 そのため、映像技術の開発に携わる者や、映像の作り手の責任は大きい。映像を通して、いったい何を目指しているのか、自らに問い続けることは必要だ。

 これまで私は、風の旅人という雑誌を作り続けてきた。雑誌を作る際に、人が撮った写真を使わせていただいて編集を行っていたが、映像の責任についてはかなり自覚的だった。そして、その考え方をブログなどを通して明らかにしてきた。

 最近、その考えに基づき、自分でも写真を撮り始めたのだが、デジタルカメラだと自分の感覚と合わず、ピンホールカメラを用いるという方法になった。

 そして、それらの写真を、ホームページを作って、フォトギャラリーやフォトエッセイという形でまとめていくことにした。

  https://kazesaeki.wixsite.com/nature

 ピンホールカメラは、ファインダーも絞りもシャッターも何もなくて、ただ暗箱と、フィルムがあるだけ。光を通す穴は、わずか0.2mm。露出時間は、光の状態を見て勘に頼るしかない。写る範囲も、だいたいこのあたりと見当をつけるだけ。

 そして対象の前で立ちすくんだまま、何分か、ひたすら待ち続けるのだが、その場では、フィルムに写っているかどうかわからない。だから現像後に、像が写っていると、それだけでホッとする。同時に、こんなシンプルな仕組みで写ることが不思議でならない。

 最新のデジタルカメラで撮影すると、自分の眼で見ている時より細部まで鮮明に写りすぎている。他の人の目にはどう写っているのか私にはわからないが、自分の場合、どうも感覚が違う。

 ピンホールカメラは、レンズを使っていないので、そういう細密さはない。でも、自分が風景の前に立っている時の見え方は、むしろピンホールカメラで映し出されたものの方が近い。風が吹いていれば枝や葉は揺れ動いており、揺れ動いているという感覚で樹木を見ている。

 その動きを、高機能のデジタルカメラは高速シャッターで静止させる。そして薄暗い森の中も、高感度センサーで明るく鮮やかに処理をする。それが、消費者のニーズだからだ。

 しかし、消費者のニーズというのは、人々がある程度意識して要求していることであり、世界は、自分では意識できていないこととの出会いに満ち溢れていて、その事実が、人間を触発し続ける。

 意識によって限定された世界ではなく、無意識が感応する世界が、偶然と必然の組み合わせの中で写し出されることの驚き。何枚も撮って、その中の一枚だけかもしれないけれど、自分で恣意的に切り取った写真ではなく、偶然と必然の組みあわさった恩寵のような写真が受け取れるかもしれないと祈りのような心境で、暗箱に0.2mmの窓を開けて待っている。

 数日前、詩人のさとう三千魚さんから最新詩集「浜辺にて」を送っていただいたが、その中に、「死者から委託されたコトバを語ろう」という一文があった。

 その一文に触れた時、ピンホールカメラで撮っている写真も、死者から委託されたものを写しているようなものだと感得した。

 最近、近畿圏で古くから人間が大切にしてきた場所を訪れている。その地勢、山の形などからも、古代、人々がそこを聖地にした理由を、しみじみと感じる。

 それらの場所を訪れるたびに、現代人よりもはるかに死者から委託されたものを大切にしていた古代人の感覚と、少しでもつながることが、今、とても大切という気がしている。

 死者から託されたものを意識できないことは、未来に託すべきものを意識できないことと同一だと思うからだ。

 そして、そして、その委託の作法は、ピンホールカメラの受容的な方法が適しているという直観がある。あまりにも恣意的で鮮明すぎる映像は、現在のこの一瞬だけを大切にして切り取って満足してしまっていると感じるからだ。

 今、目に見えているものを鮮明に映し出すことよりも、今見えていないものの中に潜む前後の時間に対する想像力を喚起する映像の方が、過去と現在と未来の橋渡しになるような気がする。

2017-05-04

第1002回 天の恵みを授かる作法ー鈴鹿芳康の作品世界ー

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 鈴鹿芳康は、アーティストである前に旅人である。旅人というのは、実際にその環境を訪れて、土地と空気と水などの物質や様々な価値観をもった人々と身体感覚を通して交じり合う感覚をリアルなものと記憶しているから、その感覚を抜きに、物事を判断することができない。

 旅する人間は、合理的精神が重要視されている人間社会では気にも留められない木々のざわめき、雲の形、月の満ち欠け、風の向き、気圧の変化、地中深くで大地が押し合う気配、気流や磁場などに対して、昆虫や野生動物たちのように神経が敏感になる。

 そのように旅を通じて身体感覚を鋭敏にしている鈴鹿氏は、視覚や聴覚だけに頼らず、物質の微妙な物理反応や化学反応をも感じ取って、ピンホールカメラをセッティングして撮影を行う。そんな彼が1988年から撮影を続けている”聖地”というのは、世間によく知られた名所と限らず、身体感覚を刺激する力が、他に比べて強くなっている場所だ。

 旅人である鈴鹿氏の表現における作法は、合理精神からできるだけ離れ、自然の側に立った時間の中で自然と向き合うこと。持ち運びに不便な8×10インチの大型サイズの、レンズをつけないピンホールカメラを抱えて辺境の地を旅し、太陽の昇る方角と位置を正確につきとめ、三脚をセットし、直径0.3mmという小さな孔を通って差し込んでくる光が像を結ぶのを長時間露光で待ち続ける。

 その間、自然の息づかいを感じながら、のんびりと待っているだけ。写っているかどうかは現像に出した後でないとわからない。

 もともと写真撮影というのは、自分が向き合っている世界を区切り、その構図の中で何かを表そうとする行為だから、人間を中心に限定された世界しか写らないという特性がある。たとえば空や森にしても、その全体から感じられるものと、カメラでその一角をとらえたものでは、その感動はまったく違うものになる。自然の拡がりに対して弱いところがあり、だから自然本来の姿はなかなかとらえられない。 

 また、近年のカメラは、コンパクトで携帯性に優れ、1/8000杪などという目にも止まらぬシャッター速度を実現し、超高感度のデジタルセンサーで暗闇でも写るという人間の都合に大変役に立つ機械であり、その場で撮った画像をチェックして何度でもやりなおしが効く機能なども、当然ながら合理精神によるものだ。

 その高性能機械で、自分のニーズにそって風景を乱暴に切り取り、その切り取り方が上手だとか下手だとか、目の付け所がいいとか悪いと競い合っている。 

 結果的に、一番大事な、風景の向こうとこちらの入り交じるところ、魂が、行き来する彼岸と現実の境が、切り捨てられる。

 鈴鹿氏が現そうとしているのは、まさにその境の領域である。

 彼は、ピンホールカメラの小さな孔に、自然界を包み込む豊かな時間が一点に凝縮して流れ込んでくる気配に神経を集中している。

 写真を通して世界を切り取るのではなく、世界に呼応する魂を何らかの意味あるものとして外に定着させるための集中作業。そうして結ばれた映像は、優れた山水画と同じだ。山水画は、写実的な自然描写ではない。自然の奥行き、はるか下を流れる時間、人間の尺度を超えた大きな時空が、そこにある。鈴鹿氏の作品を前にすると、写真を観ているというより、遥かなる時空を体験しているという感覚になり、記憶の深いところが揺さぶられる。観るということが、目の前にあるものを観ているだけでなく、記憶と重なり合った体験(自分ひとりの記憶というより、DNAに刻まれた人類普遍の記憶)であると、高名な画家が言っていたような気がするが、鈴鹿氏の写真は、そのことをリアルに感じさせる。

 鈴鹿氏の創造活動は、偶然と直観によるところが大きいが、むろんそれだけではない。一つのことに打ち込み経験を積み重ねていくうちに自然の摂理を肌で感じ、その摂理に近づくために、彼は、暦や天文など人類が古代から蓄積してきた智恵を身につけてきた。

 太陽や星の位置、月の満ち欠けなどが、潮の干満をはじめ、地表の現実と大きな関わりを持ち、自分の行動の指針となるからだ。

 それ以外にも、たとえば、彼の風景作品のなかに、時折、虹のフレアが発生しているが、針穴の素材が銅であるかアルミであるかなどによって特徴が異なる。

 感光材に像が描かれる現象も含めて、化学反応である。長時間露光の産物であるから、その時の太陽光線の状態だけでなく、湿度や温度、もしかしたら聖地に特有の微量な自然放射線の影響も受けて、作品はできる。だから、彼が、カメラを設置する場所と時を選ぶ際にも、視覚だけでなく、自分の全知識と全感覚を総動員することになる。風景に向かい合う瞬間は、どこまでも謙虚に、作為を排除して、天からの恵みに任せることになるが、その準備には、それまでの人生の全てが関わっているのだ。

 そういう意味で、鈴鹿氏の作品は、一期一会の結晶である。一期一会というのは、二度と繰り返されることのない一回かぎりの機会のために心を尽くすことだが、その時になって慌てて取り繕ってもボロがでる。自然な流れのなかで互いに相応し、調和が生まれることが重要視されるが、タイミングの読みがとても大事で、それは、日頃の心がけがあってこそできることなのだ。

 しかし、そういう準備がしっかりとなされていても、結果はあまり大した問題ではないという無欲さがないと、わざわざ巨大なカメラを背負って辺境の地を旅し、場所を決めてセッティングし、露光している長い時間を待ち続けて、きちんと写っているかどうか確信が持てないという活動を続けていられない。

 のんびりと待っていられること。それは風景と対立していないからできること。

 鈴鹿氏は、我欲を持たず、敬意をもって自然と心通わせ、ひたすら待つことで、その場に包摂されている。

  そのように待つ姿勢が、「鈴鹿」という主語を消していく。鈴鹿氏が意図的に切り取った写真ではなく、風景の中に潜在的にある何ものかが、自分の方から語り出すものとなる。

 主体と客体、こちらとあちら、撮影者と被写体という対立が無化された、ありのままを受けとめるという全肯定の大きな世界がそこにある。

 待つことの深さは、信頼と肯定の深さにつながっており、それは、人智を超えたものへの信仰であり、彼の作品は、その信仰がなければ成立しない。その信仰が、全ての対立的になりがちなもののあいだをつなぐ媒介となる。

 所属する国や宗教や諸々の団体、また時代背景や社会状況に関係なく、あらゆる人々が、鈴鹿氏の作品を前にした時、自分の内に在る風景だと感じ、懐かしさや安らぎを覚えることもあれば、時には哀しみや有り難みとともに、自省や憧憬の念が起きることもあるのではないか。そういう力こそが、芸術の普遍性なのだ。

 どこまでも謙虚に自然の摂理に従い、天の恵みを授かる作法を身につけた芸術家だけが、一つの作品を通して、世界全体をつなぐことができる。その真理は、古今東西変わらない。


*京都の五条にあるギャラリー、galleryMain [ギャラリーメイン] で鈴鹿芳康さんの写真展が開催されています。

5月14日まで 13:00ー19:30

*展覧会の最終日、5月14日の午後1時から、鈴鹿さんと私でトークを行います。

 この展覧会は、入場料500円ですが、トークショーの時以外に展覧会を観た人は、トークショーのために再び訪れても無料のようです。あと、KYOTO GRAPHIEのパスポートを持っている人も、無料で展覧会を観ることができるようです。

 http://www.gallerymain.com/exhibition2017/suzuka.html

2017-04-26

第1001回 「室礼展」に見る、緩く心地よいつながり。中央集権的な構造から分散処理的な構造へ。

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 京都ではKyoto Graphieという写真祭りで盛り上がっています。私も、この期間中、「The Terminal Kyoto」というところで、最近、ピンホールカメラで撮り続けている古樹の写真を、和紙に出力して展示させていただいています。

 Kyoto Graphieが写真メインの展示に対して、「The Terminal Kyoto」での展覧会は、「室礼」という切り口で、写真だけでなく、工芸や美術作品なども一緒に京都の伝統的家屋である京町屋の中に配置していることが特徴です。

 写真や工芸が響き合って、面白く、居心地のよい空間になっています。それぞれの部屋と作品は、こういうものです。https://www.facebook.com/kazesaeki/posts/1538936189459125?pnref=story

 美術館のように壁と向き合って見るのではなく、座り込んだり、寝転んだり、時には窓の外の庭に目を向けたり、いろいろな味わい方ができます。

<テーマ>

混迷と分断の時代、外部からの異人を和の心で歓待しながら、異質のせめぎ合いを溶かしこむ調和と融和の文化の創造を希求する。趣向を凝らして配置された写真や工芸は全体を構成する要素として共振しながら一体となり、主客も金剛合掌のように重なり合い一体となる。「室礼」の志は、生活の場所であると同時に精神的、創造的存在として日本のかたちそのものである町家の中に、古今東西で枝分かれする人間文化を根元で和合させること。

 ぜひ、足をお運びください。入場無料です。

 展示は、4月22日(土)から5月19日(金)です。場所は、ここです。京都の四条通り、烏丸の近くです。 https://www.facebook.com/theterminal02/

 Kyoto Graphieが一つの建物に一人の作家の作品を展示しているのに対して、室礼では、様々なアーティストが共同しているのですが、私は、自分の写真を出すだけでなく、一つの部屋のディレクションを行い、皮革工芸作家の河野甲さんと、画家の廣海充南子さんに声をかけて、空間を作りました。昆虫や麒麟など想像上の生き物を皮革で精密につくりあげる河野さんは、私の写真を見て、”虫の死に様”をイメージしたと、参加を引き受けてくれました。廣海さんは、下絵無しのフリーハンドで、驚くべき調和と均衡のとれた様々な曼荼羅図を描くのですが、最初は河野さんと二人でコラボレーションをしようと考えていたところ、偶然、廣海さんの作品を見る機会があり、一目見て、今回のテーマにぴったりだと思って参加してもらいました。

 私がディレクションした部屋のテーマは、こういう内容です。

 天地の眼

 いのちの働きに、初めも終わりもない。

 過去、現在、未来にわたって変わることもなく、

 あらゆるものが、働き合い、補い合いながら連続し、

 その模様は、たえず変わり続ける。

  

 いのちは、すべてのものに分け隔てなく行き渡っているが、

 食べるものと食べられるものが存在し、

 前の条件が後のものを限定する。

 しかし、食べられることで別の形で生きることや、

 前の条件が壊れて次の土台となることもある。


 時には、いのちの冒険によって、新たな生の条件が作られる。

 水中から陸上へ、大地から空へ、森からサバンナへ、大陸から別の大陸へ、

 新たな生の条件によって、多様なすみわけが進む。

 そしてまた、互いに関係し合い、調和と安定を目指し、矛盾を生む。


 今回、様々なアーティストや工芸作家と共同して感じたことは、こうした取り組みは、まさに中央集権的な構造から分散処理的な構造へと移行しつつある時代を反映しているのではないかということです。

 どういうことかというと、一般的な展覧会のように、中央に実行委員会のような組織があって、そこがお金を集め、運営方針を決め、全体の計画を立て、それに基づいて個々の内容を取り決めていくという中央集権国家のようなやり方ではありません。

 運営の趣旨に関するコンセンサスをしっかりととり、参加するアーティストや作家が、その趣旨をどう具体化するか考え、それぞれの持ち場でそのアイデアを発揮する。その上で、それぞれの持ち場が、他の持ち場を見ながら、響き合うように修正をくわえる。全体として緩く統合する連邦国家のようなものです。

 中央集権組織の場合、お金を集めるところが大きな権限を持ち、そのお金を各部分に配分することで成立するわけですが、連邦組織の場合、お金を集める中心はなく、それぞれの持ち場を運営するものが、いろいろなネゴシエーションを行ったり、手持ち弁当で仕事をしたり、工夫を凝らします。

 もしも、この多彩な作品の組み合わさった「室礼展」を中央集権的な組織で行うと、相当なお金がかかったはずです。連邦組織だからこそ、それぞれの現場は、自分たちで責任をもって行うという意識が高く、施工のプロに仕事を丸投げするということも当然行わず、自分の手で行いました。

 中央集権的な組織で何かを行おうとすると、その莫大な予算のやりくりのために、権力や商業スポンサーに依存し、へりくだることになります。それこそお金の切れ目が縁の切れ目、スポンサーがつかなくなったり助成金を打ち切られると、実行の終焉となります。

 日本国家も、これまで中央権力がお金を集め、そのお金を配分するイニシアチブによって、中央が権威的な存在となる構造でした。

 何を行う場合も、その権力に頭を下げ、従わざるを得なかったわけです。しかし、その中央権力の財源が枯渇し、大赤字となり、その無駄遣いが非難を浴びています。

 従来の権力構造が限界に達し、そろそろ構造変化が起こる気配が出てきているのです。

 沖縄などがその先駆けとなり、日本全体が、もう少し分権化され、それぞれの地域にそった運営方針とルールが制定され、連邦化され、全体が緩く結合する時代の訪れを夢想します。

 観光が柱になるところもあれば、文化が重要なところもある。過疎が問題のところもあれば、人口集中による弊害の大きなところもある。全国均一の税制やルールで管理することが、もはや不可能なのです。

 たとえば京都などでは、企業や個人の判断で伝統工芸や伝統文化を援助する場合には税制優遇措置がとられるような仕組みになれば、それらの伝統分野に携わっている人たちは、様々な企業に積極的に働きかけることができる。国の助成金に頼るだけだと、国の定める基準にそっているかどうかだけで判断されてしまいますが、交渉相手が様々な企業や個人であれば、たとえ”集客数”が少なくて現時点での公共性がなくても、将来的に大事だと判断する社長や個人が存在すれば、資金の援助を受けることができるのです。

 少し前、山本地方創生相の「学芸員はがん。一掃を」発言が波紋をよびましたが、そもそも、こうした発言や、それに対する非難には、日本の学芸員と、欧米のキュレーターの役割や責任や権限が違っているという前提が抜け落ちています。

 欧米のキュレーターは、美術館などの運営資金に関する責任もあり、その権限もあります。国から配分されるお金を待っているしかない日本のような状況ではない。なかには、資産家をまとめたツアーを組んで、自らが添乗員になって海外の美術品を見るための案内をする美術館長もいます。資産家に作品を買ってもらって美術館に寄付してもらうためです。美術品の研究の前に、自分の責任と行動で、美術館の運営をしなければいけない。そういう意識を持てる環境にあると、おのずから働き方や働き甲斐も異なってくるのでしょう。

 山本地方創世相の失言の時に、学芸員を労働者とみなし、労働時間や仕事量のことで異議を唱える人もいました。ようするに、国家が、学芸員を含めて国民に対して、もっとしっかりと働けと脅し、そうしないと国が強くならない、みんなが豊かにならないぞと、あいかわらず高度経済成長時期の論理をふりかざしているということが問題なのです。

 単なる労働者とみなされているから労働意欲もわかなくなっているという、この時代の事実認識の方が大事です。

 私が参加した今回の「室礼展」の展示の準備が、雇われ労働者のように労働時間ではかられるようなものであれば、参加意欲も低く、よりよくするための主体的な努力もあまり行われなかったでしょう。

 何よりも、参加することに喜びも楽しみもないし、達成感もない。人と人との連帯も弱い。

 中央権力に管理されて結束させられた組織よりも、連邦的なつながりの方が、人間と人間のつながりはより深くなります。そのつながりは、誰に命じられたものでもなく、それぞれに対する敬意と信頼と配慮に基づいているから。


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2017-04-22

第1000回 自分のモラルから言葉や表現物を発するということ

 小栗康平監督のDVDブックのFOUJITA (小栗康平コレクション 別巻) <駒草出版>が発表された。

https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=25VR46+1RPEIA+249K+BWGDT&a8ejpredirect=https%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2Fdp%2F490544778X%2F%3Ftag%3Da8-affi-145793-22

 装丁もとてもよくて、長く手元に置いておきたくなる味わいがある。

 そして映画のDVDと同梱されている前田英樹さんの批評文と、小栗さんと前田さんによる対談が濃密ですばらしい。表現者や批評家の真摯さ、誠実さとはなんであるか感じるためにも、映画作りに携わる若い人はもちろんのこと、表現や批評を志す人にはぜひ読んでいただきたい。

 実は、この『FUJITA』という映画については、舌鋒鋭い論客とか批評家と言われる大学教授の浅田彰氏が、このリンク先のようにあまりにも虚しくて、悲しくなるような批評を展開している。

http://realkyoto.jp/blog/asada-akira_160107/

 浅田彰という人はいったい何をどうしたくて、こういう虚勢を張っているのか。現代社会における言葉の使われ方というのは、政治家も、ビジネスマンも、そして言葉の専門家とされる批評家も、いかに相手(競合他者)よりも自分の方が優れていて強いのかとアピールする手段でしかないのだろうか。

 浅田氏は、この批評文の中で、自分の知っていることを並べ立てて、相手をなんとか威圧しようとする。時に暴力的とも言える雑な言い回しで。彼は学生に対して、このような言葉で相手を制していく方法を教えてきたのだろうか。未来につながっていく若い人たちに、ここに書かれているような空疎な内容、雑な言語使用のスタイルが伝えられていくのかと思うと、悲しくなる。

 彼は書く。「近年の日本映画の中でも飛び抜けて貧乏くさくて辛気臭い映画が、小栗康平の『FUJITA』である。一貫して鈍重な映画を撮り続けてきた小栗康平が、「軽薄才子」と貶されながら世界を股にかけたトリックスター藤田嗣治を撮るーこの話を聞いた時から「何かの間違いでないか」と思っていたのだが、その危惧は、最悪の形で実現されてしまった。」と。

 浅田氏は、冒頭から勢いよく先制攻撃のように小栗康平藤田嗣治の二人を貶すが、その後、彼は、何がどう貧乏くさいのか、辛気臭いのか、鈍重なのか、トリックスターなのか言葉で掘り下げることなどしない。あとは俳優のフランス語をけなして、延々と自分が持っている藤田嗣治に関する知識をひけらかすばかり。ようするに、それら自分の知っていることが小栗康平監督の「FUJITA」の中に盛り込まれていないから、この映画は最悪なのだと言っているとしか読み取れない。

 この浅田氏の批評文に対して、素朴な読者が、下記のコメントを残している。

「この映画はストーリーとかよりももっと大きなものを撮ってるんじゃないかなってわたしは思いました。難しいことはよくわからないですけど、人間の知覚とは別の、機械の知覚を通して私たちが見落としてる世界、宇宙を流れているものを上手く撮っている映画で、たまたま藤田嗣治がストーリーで使われたんじゃないんですかね。特にロングショットはすごく神秘的でわたしは好きな映画です。」

 自分がバカだと思われたくないという小心さで、浅田氏の文章にポーズだけでもウンウンと頷いてしまう人が多いなか、このコメントを寄せた人は、「難しいことはよくわからないですけど」と素直な子供の心で、批評界隈の権威的存在らしき浅田氏に対して、「あの映画って、そのように見えないですよ、言っていることがおかしくないですか?」、つまり、「王様は裸だよ!」と言っているように私には思える。

 それはともかく、「小栗康平のFUJITAは、伝記として失敗している」と、自分勝手にこの映画を伝記映画と決めつけて、失敗作だと見下す浅田彰氏の言葉など眼中にないとばかりに、前田英樹氏は、次のように書く。 

 「FUJITAという映画は、映画が史劇たりうる最高の方法を示していると言っていいだろう。主人公の画家「フジタ」は、単にかつて実在した人物だったというだけではない、過去のなかに厳とした役割を与えられて、歴史の真髄を生きさせられている。」と。

 前田氏は、これはフジタ個人の伝記映画なんぞではなく、史劇であると書き、その後の文章で、その根拠とするところを丁寧に書き重ねていくのである。だから、浅田氏の文章と違って、どんどんと歴史の深いところ、藤田嗣治の内面、そして、それらを描き出す映画の時空に引き込まれていくような感覚になる。

 さらに前田氏は、浅田氏が、「近年の日本映画の中でも飛び抜けて貧乏くさくて辛気臭い」とか、「動きがない、鈍重である」と蔑むところに関しては、こう書いている。

「FUJITAの終盤、疎開先の寒村でフジタが観る美しいさまざまな幻想は、ただの幻想ではあるまい。画家の記憶の、奥の奥で生きられている古い日本の現存であろう。映画は、それを次々に、はっきりと映し出し、私たちの心を遂には痛いほどに掴む。村の夜道を跳んで横切る金色の狐、あれは私の魂だと、感じさせるのである。」と。

 浅田氏は、映画そのものについて前田氏のように丁寧に書かず、自分が持っている藤田嗣治に関する一般知識(本で読んだか誰かから聞いただけで、自分の目で事実を確認したわけでも、想像力を働かせているわけでもない)の羅列のあいだに、「運動が鈍重」とか、「怠惰な反復」と書くので、その意味するところがさっぱり伝わってこない。

 ただ、「編集が乱暴になってもいいから、ゴダールのように確信犯的なつなぎ間違いを連発してもいいから、上映時間をとりあえず5〜10%ほど削ってみてはどうか」とか、「藤田は戦争画でチャンバラに挑戦すると言っているのだから、藤田の伝記映画もチャンバラのように撮るべきなのだ。」とか、「フリーダ・カーロが出てきても面白いだろうし、そこで岡本太郎と再開するのでもいいかもしれないし」などと書いているので、浅田氏の考える鈍重でないもの、怠惰な反復でないもの、面白いものというのは、その程度のことなのだと納得するしかないのである。

 このように文章を照らし合わせていくと、前田氏と浅田氏は、同じ映画を観ていても、見えているものの奥行きがまるで違っているということはわかる。

 けっきょく浅田氏は、好きか嫌いかでものを言っているだけのような気がする。

 どちらの意見が正しいかではない。どちらの批評文が心構えとして美しいかが重要だ。

 美しいという言葉がわかりにくければ、どちらの文章が、何度でも読み返したくなるか、時間を置いてもう一度読みたくなるか。それほどの深みを感じられるか。

 批評家は、映画や絵画などを一方的に裁定する優位な立場にあると錯覚している人がいて、読者も、知らず知らず、そういものだと思わされているかもしれないが、そうではなく、我々はまず、その批評家の文章を評価しなければならない。正しいか間違っているかではなく、対象に対する心構えに誠実さを感じるかどうか。言葉の使い方や論の展開のさせ方などに欺瞞がないかどうか。どこか”あざとい”と感じるものはないか。知識のひけらかしや、すでに権威となっている人物の引用で論理武装するばかりで、上手に自らを権威付けていないか。

 浅田氏が、映画に求める手前勝手な”面白さ”と対照的に、前田氏は、対談の中で次のような言葉を発している。

 「藤田嗣治という人は、このような問題を(注:日本の伝統の蓄積と、西洋から強圧的に入り込んできた異質の文明を拒絶することの不可能さと、同時にそれに惹きつけられるということのあいだの激しい葛藤、心中の闘いの問題ー要約:佐伯)、明治末期から太平洋戦争のまっただ中に至るまで、全身で引き受けたのでしょうね。その痛ましさを、小栗さんの映画はほんとに親身に描いている。事件を追う歴史ものとしてじゃなく、魂から魂へ、共感を刻みつけるように。藤田が観たら、どんなに救われるだろうかと思いました。」

 これを読んで一目瞭然なことは、何かについて表明する言葉や表現物は、けっきょく、その人のモラルから発せられるべきものであるということ。

 その人のモラルが伝わってくるものは、正しいとか間違っているという分別を超えて、自分の魂の中に潜んでいるモラルに食い込んできて響きあう。

 魂の中のモラルと関係ないところで、面白いかどうか、売れたかどうか、新しいか古いか、正しいかそうでないかと競い合う光景は、なんとも虚しい。そこから望むべく未来が拓かれていくとは、私にはとうてい思えない。そういう虚しい闘いが優劣を競い合うことだと、これからの時代を作っていく若い人達に思ってもらいたくない。

 私は、批評家ではない。傲慢な批評家は、映画や絵画などを自分勝手の方法で分析して評価付けするだけだし、誠実な批評家は、表現に潜在する力を引き出そうと奮闘する。私は、「風の旅人」という雑誌の媒体運営者で編集者でしかないけれど、批評家であれ誰であれ、その人たちがアウトプットしたものを自分の媒体に載せるかどうか判断する立場にある。

 私ならば、FUJITAについて浅田氏が書いているような文章を、自分の媒体に載せるという判断はしない。その判断の根拠が何からきているのか、生理的な感覚だけでなく言葉として認識しておくべきだと思った。

 2004年11月から、くだらない長文のブログを書き始めて、今回が1000回目。

 1000回目の節目としてどういうことを書くのかなあと思って、ここ数日、空けておいたのだが、自分のモラルと表現の関係について書くことになったのは、きっと必然だったのだと思う。

 そして、自分がなぜ風の旅人を50冊も出し続けてきたのか、1000回にわたってブログを書き続けてきたのか、より明瞭にもなった。

2017-04-02

第999回 畏れという人間の良心

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アルビノの木:監督 金子雅和」

 京都みなみ会館で、4月15日から21日まで上映される『アルビノの木』という映画がありますが、4月15日の14時15分からの上映後、監督の金子雅和さんと私のあいだで、30分ほどトークを行います。

 8ヶ月ほど前、「アルビノの木」という映画を見た時、途中までは、あまり上手でないなあという印象をもった。構成も演出も役者の演技も。

 そして、見続けながら、上手でないことが、なにかとても大事なことのようにしみじみと感じられてきた。

アルビノの木」という映画の作り手は、とても難しい課題に向きあっている。自然と人間の現実とのあいだの葛藤。人間の中にある基準では、どうにも手に負えず、自然と人間の両方を俯瞰する神様の目で見なければ、正しいことはわからないという課題。しかし、当然ながら、自分には神様の目は持ち得ない。だから、演出も演技も、おぼつかなくなる。

 「わかったつもり」になって、正しさを主張することなんか、とてもできない。

 表現に限らず、どんな活動も、自らの正しさの正当化のために傲慢になっていると感じられるものは信用できない。また、正しさの為に動いている自分に酔いしれているようなものは、行動も、表現も、薄気味悪い。

 だからといって、表現することが無意味であるということではない。

 正しいか正しくないかというのは、答えが正しいかそうでないかではなく、伝え方として正しいかどうかの方が、遙かに大事なのだ。

 ならば伝え方の正しさというのは、どういうことだろうか。

 色々あるだろうが、一つ大事なことは、伝えるための方法に対して、どれだけ心が尽くされているかではないだろうか。 

 その人が信じられるかどうかは、伝え方がうまいかどうかではなく、何かを伝えようとする方法において、十分に心が尽くされているかどうかだ。言葉で伝えているのに言葉の限界や矛盾を感じることもなく、映像で伝えているのに映像の作為性や誘導性が持つ問題を意識することなく、それらを使っている人は、あまりにも真実に対して傲慢だ。にもかかわらず、そういう人に限って、正しさを主張するために言葉や映像を用いている。

 何かを伝えようとする時、人の誠実さは、伝えようとする内容や主題よりも、そのスタイルに現れる。日本文化は、能であれ、茶道であれ、そのスタイルに、まことの心が凝縮している。ともすれば形式主義に陥りやすい欠点があるが、それは、伝えるべきものを持たず(まことの心を持たず)、前例をコピーしているにすぎないからだ。

 だから、形式主義者ほど、内容や主題を説明したがる。そのスタイルを通して、内側にある誠実さが十分に伝わってくるものは、説明などいらない。

 とはいえ、”説明などいらない”と大見得をきっている人のものが、そこまでのレベルに達していることも、あまりない。

 隅々まで心を行き渡らせていながら、伝える相手に、そのことを負担にさせないこと。日本人が昔から大切にしてきた真の意味での”おもてなしの心”は、表現にも通じる。表現もまた一期一会だからだ。その誠意は、どんな主張よりも、相手の心に深く残るし、そういうものが残るあいだは、人間性への信頼を諦めずにいられる。

アルビノの木」は、人間性への信頼や自分自身の良心を、自分の心にそっと問うことを、どこまでも控えめなスタイルで促している。

 この映画は、上手な映画ではないが、文明の利器が発達して誰もが上手に振る舞える時代、この映画の作り手は、上手さが空々しさにつながることを一番畏れているのだろう。

 その畏れこそが、人間の良心なのだ。

アルビノの木」は、上手に作られた映画ではなくて、畏れという人間にとって最も大事な良心の扉を、おぼつかない手で恐る恐るノックする誠実な映画だと思う。

 このおぼつかなさ、心許なさこそが、現代の誠実だろう。わかっているつもりになって自信満々に声高に正しさを主張するよりも、本当のところはわからないということを自覚したうえで、それでもやはりおかしいのではないかと考え続ける姿勢からしか、自分自身も、その延長線上にある世界も、変わっていかないと思う。

京都みなみ会館HP

http://kyoto-minamikaikan.jp/show

アルビノの木 公式ページ

http://www.albinonoki.com/


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