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風の旅人 編集便り   〜放浪のすすめ〜 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2017-11-08

*第1014回 時代や地域が変わっても変わらないもの

 11月2日に、スタンフォード大学京都プログラムで来日している学生達に、編集と日本的な時空間の関係などを講義する機会をいただいた。もちろん、『風の旅人』をベースにしての話だ。

 2003年4月から50冊の『風の旅人』を作ってきたが、対談や講演では、写真について語ることが多かったものの、編集の方法や編集の考え方について話す機会はあまりなかった。

 このたびは、編集そのものについて語らせていただき、そのお陰で、自分が無意識にやってきたことを、自分の言葉で捉え直す機会となり、改めて気づくことも多かった。

 また、日本語をまったく理解できない人たちとのあいだで、『風の旅人』を通じて、わかり合える部分があったことは、大いに収穫であり、自信になった。

 この話は、友人の写真家であり風の旅人の掲載者でもある荻野NAO之君からいただいたのだが、当初は、風の旅人の中に編み込んでいるものがうまく伝わるかと心配だった。しかし、授業を行う一週間前に、風の旅人の第49号を少し見ていただいて一人ひとりレポートが提出され、それらを読んで、非常に驚いた。

 彼らは日本語はまったく理解できないのに、ビジュアルの構成を見るだけで、全体と部分と関係や、部分と他の部分の関係を、ちゃんと掴んでいる。しかも、その掴んだ感覚を、非常にロジカルに言語化できる力を持っている。すごいなあと思った。

 これだけ把握力があるのならばと、自分の下手な英語で説明しても大丈夫ではないかと妙な自信を持ってしまった。

 当初の予定では、微妙な綾を伝えなければならないので、以前、風の旅人の編集部に所属し、私の仕事を誰よりも理解していて、さらに現在は、プロの通訳としても活動している中山慶君の力を全面的に借りる予定だった。

 しかし、講義の後に質疑応答も必要だとすると、日本語と英語の両方の説明では時間が2倍かかってしまい、1時間15分の持ち時間では全てを伝えきれないのではないかと懸念もあった。中山慶がいれば、私の英語で意味不明になった場合にうまく修正してくれるだろうと安心して、とにもかくにも、日本語でも伝えにくい領域のことを英語で伝える試みにトライしてみた。

 講義の前のレポートを読んで、スタンフォードの学生たちは、言うに言われぬ感覚を言語化して確認しようとする意欲が強いのだと感じた。日本人の場合、言うに言われぬ感覚を言語化してしまうと、違うものになってしまうんじゃないかと懸念する人も多いけれど、スタンフォード大学の学生のレポートは、人それぞれまったく違う思考のアプローチなのに、的外れになっていない。

 『禅は言語・文字を超えたものだ』という言い方がある。しかし、『以心伝心』『不立文字』という言葉にアグラをかいたままでは、ほんものの禅ではないという考え方もある。言葉を超えたものを言葉に定着させるという懸命なる精神の運動の挙句の言葉からの跳躍でなくして、本当の禅だと言える筈がない。日本の学校教育の問題点は様々あるけれど、情報の断片を知識と称して、それを頭の中に詰め込むだけで、それらの情報を自分なりの思考の方法で編集して自分の考えとしてアウトプットするトレーニングが、どれだけできているのかと心配になる。一国を代表する首相が、自分の言葉で語らず、誰かが作成したペーパーを読むだけなのだ。どちらが優秀かとか、そういう問題ではない。

 スタンフォードの学生向けの講義の大切なテーマは、『風の旅人』の編集で、心とか命という言葉にしずらいものを、どう伝えていくかということだった。だから、編集以前に、今回の講義においても、その伝達にチャレンジする必要があった。

 だからまず、「風の旅人」というタイトルの説明から始めた。

 風という日本語には、色々な意味が含まれている。風景、風土、風流、風雅、風狂などなど。風は、私たちの周りを取り囲む世界と、私たちの内面の世界の両方を横切っている。

 私たちの周りを取り囲む世界と、私たちの内面とが、響きあい、反応し合うこと。私たちの心にとって、それは、とても重要なことであり、それが、風の旅人のテーマである。すなわち、風の旅人は、心の旅の雑誌なのだ。

 心の旅の雑誌であるけれど、果たして、心というのは、どこにあるのか?

 多くの人たちは、心というのは、私たち一人ひとりの中にあるものと考えている。

 しかし、最先端の科学研究では、どうやらそうでないということがわかりかけている。

 最新の脳科学で、ミラーニューロンというものが発見された。

 猿が何かを持ち上げると、脳の中の一部が活性化する。そして、その猿の動作を見ていた他の猿の脳の中でも同じことが起こる。

 ミラーニューロンは、他者の動きを見る時だけでなく、他者の痛みすら共有する。

 たとえば、目の前の人の手を金槌で叩かれるところを見たら、自分も思わず手を引っ込めてしまう。明らかに脳の中の同じ部位が反応はしている。

 しかし、反応するものの、叩かれていない人の手は、当然ながら痛くない。それはなぜか。

 新たな実験で、手を失った人の目の前で、別の人の手を叩いてみた。そうすると、手を失った人は、自分も叩かれているという痛みを感じ取った。

 手がある人は、同じ光景を見た時、自分も叩かれているように感じるけれど、実際に痛みは感じない。しかし、手を失った人は、自分も叩かれているように感じ、さらに痛みも感じてしまう。

 つまり、手がある人は、眼の前の人が叩かれているのを見た時、脳内で自分も叩かれているように感じるものの、自分の手の感覚受容体が、自分は叩かれていないという信号を発しているらしい。そのために、痛みにならない。

 しかし面白いことに、手がある人の手に麻酔の注射を打つと、眼の前の人と痛みを共有してしまうことがわかった。すなわち、皮膚感覚がなくなれば、自分と他者のへだたりがなくなる。だから、人の痛みがわかるという時、それは自分の中に閉じられている心がわかるのではなく、私たちが存在しているこの環境の中に満ちている大きな心があり、その大きな心が、痛みを感じ取って私たちに伝えるのである。

 そして、大きな心が、この環境に満ちているのであれば、そこに含まれているのは人間だけでない。私たちは、様々なものとつながっており、通い合うことが可能なはずだ。

 そして、さらに大事なことは、私たちが今ここに存在している環境もまた、この時代の他の環境だけでなく、過去における環境とも一つながりであるということ。

 これは宗教的な話ではなく、最新の脳の研究から導き出すことが可能な新たな視点である。

 つまり、心というものは、本来は、一つながりのものだけれど、私たちの分別が、それを分断していく。

 とりわけ現代の学問や、表現活動の多くは、その分断に力を貸している。

 その一つが、権威づけを行ったり、カテゴリーやジャンルによって、世界を分けていくこと。

 カテゴリー分けとはどういうことか。一つ見本を見せてみたいと思う。

 そう言って、私が実際に行なっている写真の構成を実演してみせた。素材は私がピンホールカメラで撮影している古樹と磐座の写真。これらを樹木や石というカテゴリーで組むこともできるし、京都や熊野など、場所でカテゴリー分けすることもできる。一般的な雑誌では、そのように編集することが多い。しかし、私は、そういう組み方をしない。樹木や磐座、また地名といったカテゴライズは、人間の都合でかってに行なっていることであり、自然は、そういう分別と無関係に存在している。

 人間は、物事を理解しやすいように、自他を分別し、さらに他者の所属すべき種類やジャンルを決めて分類して整理する。そのように世界は細かく分断されてしまい、本来、全体に満ちていたものを感じにくくさせてしまっている。

 日本の中世文化は、そういう人間の分別意識が世界の実態を損なってしまうということを、とても深く自覚していた。禅はその代表だけど、連歌とか、屏風などの表現方法もそこに含まれる。

 そして、連歌がどういうものか、屏風の時空がどうなっているのか、説明した。

 風の旅人は、自分で言うのもなんだが、そういう日本の伝統的文化の方法論を受け継いで作っている。

 ナショナルジオグラフックスのように、大特集とそれ以外という分け方をしない。

 どの部分も大事な役割を果たして、全体および、他の部分と関係しあっている。

 また、有名な写真家と新人のあいだでも、区別をしない。対等である。一切の権威づけをしない。紹介の順番も、新人の作品が一番最初になっている場合がある。

 そして、写真家や作家の経歴を載せない。どんな賞をとったとか、どれだけ活躍しているかといったことは、写真や文章を読む上で、先入観につながるだけであるから必要ない。だから、作家や写真家の生まれた年と、生まれた場所だけを紹介している。読者は、いっさいの社会的権威とか関係なく、そこにある写真と文章だけに向き合い、何かを感じることが大事なのだ。そして、その何かとは、自分と世界のあいだに満ちている心である。

 私たちの中に心があるのではなく、心は私を含む世界中に満ちていて、私たちの感覚器官がそこにアクセスして、その都度、異なる心の状態を引き受けている。つまり、大きな宇宙の小さな場を引き受けていることが生きることである。

 だから、自分の中心のたった一つの変わらぬ心、世界の中心の変わらぬ価値というものは幻想であり、心も世界も常に動き続け、変容し続けている。

 現代人は、たった一つの変わらぬ中心を欲するあまり、権威を求め、権威に頼る。

 しかし大事なことは、変わらない中心ではなく、絶えず動き続け、生成しては消滅していく過程である。そのことを知るためには、世界に満ちる心と一体になることだ。

 編集という言葉は、日本語では、集めて編むということ。

 世界を切り分けて紹介することではなく、一つの世界を編んでいくこと。編集されたものと、世界はイコールである。だから、編集する者も、それを見る者も、編集を通じて、自分と世界が呼応し合う関係であることを察する時、何かしらの懐かしさを感じている。

 思えば、私が風の旅人を創刊するきっかけとなったのは、2001年9月のアメリカ合衆国テロと、その後の、アフガニスタンへの侵攻である。

 その時、私は、世界が、激しい原理主義の戦いへと陥ることを予感した。

 原理主義というのは、異なる中心を持つものどうしが、頑固に自分の中心を信じて、戦うことである。たった一つの変わらぬ中心というものは宇宙に存在しないということを、私は、風の旅人という時空を通して、表したいと思ったのである。 

 そういった内容を、スタンフォードの学生たちに伝えた。

 物事が伝わるかどうかは、畢竟、心が伝わるかどうかだ。その意味は、私の心の中を他者に理解してもらうことではない。私の外にあって誰もが共有できるはずの心に、他者が気づいてくれることを願って、何かしらの方法で指し示すことだ。

 その繰り返しの果てに見えてくるものは、過去から今日まで連綿と、そうした試みを行なってきた人たちの存在だ。時代がどんなに変わっても、指し示されていることは、そんなに大きな違いはない。

 歴史を通じて流れてきたものは、われわれひとりひとりの魂の奥と、微妙に神秘に通じており、その魂の奥の奥は、どこにも限定されることのない広がりがある。だからこそ、今でも我々は、万葉の防人の歌の哀しみや、飛鳥時代の仏の美しさが、とてもよくわかるのだ。 

2017-10-21

第1013回  政治の問題だけでなく、国民の依存体質がどれほどなのか問われる選挙でもある。


 10月22日の衆議院選挙。当初は、小池人気に頼るだけの何の実績もない希望の党が、安倍政権を悪者にする戦略で大躍進するのではと期待されたが、野党が一丸となって安倍政権と戦うのではなく、仲間に入れるとか入れないのゴタゴタで、状況が大きく変わることになった。

 希望の党と民進党の迷走によって、新しく立憲民主党が立ち上がり、党首の枝野幸男氏が、様々な場所で、ご自身の政治に関する考えを述べているので、原発廃止までの道筋を作るとか、消費税アップの凍結など、単に国民に媚びを売るだけの言葉よりも、これからの日本のあり方や、日本の政治についてじっくりと考える機会になっている。

http://www.ele-king.net/interviews/005949/

 このインタビューの中でも語られているが、枝野氏は、自分のことを保守本流だと宣言している。希望の党に排除されたリベラルの人たちが、”保守本流”というのはどういうことかと疑問に感じる人もいるかもしれない。

 リベラルというのは、アメリカで言うならば、保守の共和党に対する民主党の立場だ。

 共和党は、家族など伝統的価値を大切にして、自己責任と自由競争を重んじ、小さな政府を志向し、市場主義だ。民主党は、政府が市場介入なども行い、オバマケアなど福祉などにおいても積極的に役割を果たそうとする。

 日本の戦後の政治は、吉田茂首相以来、自民党の保守本流が担ってきた。政府が積極的に公共事業などの財政出動を行い、需要創出することで所得の再分配を行ってきた。そして、対米協調というか、米国依存(米国の核の傘の下)のもと、護憲の立場だった。だから、自民党の保守本流が、リベラルな政策を長く行っていたということになる。

 日本は、国民皆保険などを見ても、かなりの福祉大国であり、財政赤字の原因も、有権者が問題にする公共事業よりも年金や医療費などの社会保障費の負担が大きい。平成28年度の一般会計予算において、社会保障費は32兆4700億(33.3%)で、公共事業費は、5兆9700億(6.1%)だ。国債以外の租税歳入が57兆7100億円で、社会保障費は、税収の56%も占めている。

http://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/002.htm

 にもかかわらず、教育その他、日本の福祉は欧米に比べて不十分なところがあるが、消費税率が、欧米とは違う。北欧は25%、イギリスやフランス、ドイツなどは、17から20%(ただし食料品は、かなり安い)。アメリカは消費税がなく、地方ごとに売上税があるが(無いところもあれば、だいたい3%から7%)、そのぶん、医療費などは国民各自が自己責任で保険に入ることで対応せざるを得ず、問題が大きく、そのためオバマケアが導入された。

 日本の歳入のうち、消費税は、17兆1000億あるので、税率を8%から10%に2%ほどあげても売り上げが落ちなければ4兆円ほど歳入が増えて、教育などにまわせるということだろう。

 しかし、借金は、平成28年度だけでも34兆円増えているわけで、毎年、積み上がっていく。この国の借金の問題に対して、消費税を上げると経済状況が悪くなるだけなので、景気がよくなって企業収益や賃金をあげることで税収のアップを目指すべきだという耳障りの良い正論が、有識者などから多く寄せられるが、現在、一年間の法人税と所得税を合わせて30兆円あまりで、一年間の借金である34兆円より少なく、どうやって年間の支出を上回る税収の確保に至るのか、想像がつかない。

 かといって借金の先送りはいけないと言って、今、消費税をあげると、現在の若者は、高い消費税を払い続ける期間が長くなるわけで、けっきょく、若者が、後になって負担するか、今から負担するかの違いでしかなくなる。

 人々はあまり触れたがらないが、本質的には、今この時点の医療や年金のあり方が一番の問題で、年をとっても年金に頼らず、健やかさを失わずに元気に生きていける新しい生活の仕方や、それを支える仕組みづくりが、欠かせない。(シェアリングエコノミーの活用で、定年後も少しは収入を得られる方法とか)。お金をかけて社会福祉を守ります、けれども国民に税負担は求めません、という耳障りの良い政策は、信用したくても、現実が許さないのだ。

 欧米は、労働党や社会民主党など、社会民主主義を基調とする政党が大きな力を持ち、国民に大きな税負担を求めながら福祉国家を目指してきたことが、現在の状況につながった。

 戦後日本の保守本流は、高度経済成長下の税収の増大、労働人口の方が高齢者よりも圧倒的に多いという人口構造によって、積極的な財政出動が可能になり、所得の再分配も可能となり、30年ほど前までは、さほど貧富の格差を感じない一億総中流意識の時代だった。そして、中流意識の人々は、隣人が車を買い換えたら自分も買い換えるなど周りの消費動向の影響を受けやすく、それがまた経済のエンジンになった。

 しかし、もはやそういう状況ではなくなったのだけれど、国民の意識は、あまり変わらないままで、相変わらず、政治を批判しながら政治依存である。

 そうした政治依存の心理につけこんで、戦後長く続いた自民党の保守本流=リベラルにとって代わって、かつては自民党傍流だったタカ派が影響力を増大させた。

 「高度経済成長の頃と、人口構成や新興国の台頭による経済状況、国際情勢が大きく変わったことは認めなければならない。だから、かつての保守本流が行った方法で現在の様々な問題を乗り越えられない。強いリーダーシップで、この国を守りますよ」と自民党安倍政権は主張し、その政策はよくわからないけれど任せておきたいという国民の心理が働いて、安倍政権は、選挙に勝ち続けてきた。今回もまた、国民の依存心が勝って自民党が圧勝すると、安倍自民党総裁は、ますます自信を強めるだろう。

 枝野氏がこのインタビューで述べているような政策も、この借金だらけの国で、どこに財源があるのかという問題がある。現実的に考えられるのは、すでに全体の33.3%を占めている社会保障費の配分を変えることしかないように思うが、自分の老後の安心を求める有権者に納得してもらえるかどうか。

 もはや成長の時代ではなく、定常化の時代である。たとえば、経済産業省は、仮想通貨ビットコインなどで使う技術「ブロックチェーン」の潜在的な国内市場規模は67兆円になると予測しているが、新たに67兆円の経済が誕生するのではなく、かつてあった領域が、ブロックチェーンに取って代わられるにすぎない。

 現在、急速に進んでいるシェアリングエコノミーも同じで、その市場規模が大きくなるということは、既存の産業が滅んでいくということであり、しかも、効率性が増すだけ、売上高や経費(他の会社の売り上げ)は少なくてすむわけで、経済のトータルな数字は小さくなると思う。

 立憲民主党は、右でも左でもなく、下からの民主主義を唱える。立憲民主党が言っている”下”というのは、”弱い立場”であり、弱い立場に手厚くする政策をとれば、結果的に、総合的に需要が高まるのだということ。

 これは、ヨーロッパにおいて、社会民主党や労働党などが進め目指してきた福祉国家の構想であり、所得再分配を積極的に行い、市場経済にも政府が積極的に介入するという政策だ。

 しかし、最近の欧州は、とくにドイツなど、保守派が政権をとっているため基本的には緊縮政策で、左派が、反緊縮の金融緩和や財政出動による再分配や貧困の是正を主張しているので、主張だけ見れば、ヨーロッパのリベラルとアベノミクスは同じということになる。

 アベノミクスの効果が出ているかどうかは別として 基本的には、自民党以外のどの政党も、言い方は違うかもしれないが、アベノミクスの路線である財政拡大、デフレ脱却、成長政策、所得再分配に取り組むと言っている。

 目標は同じでも方法論の違いを主張するのか、それとも、経済政策における目標も方法も同じだけれど、消費税、原発、護憲のところで差をつけて戦うのか。

 しかし、消費税や原発や護憲の問題は、政権政党になった瞬間、現実的な問題として、経済成長や財源や安全保障のために必要だということになりかねない。事実として、これまでの政権交代時のことが記憶にあるから、ここ何回かの選挙では、安倍政権が大勝利しているのだ。政権が変わっても同じだろうと。

 希望の党への期待が減ってきているのも、そういう理由からだろう。

 ならば、立憲民主党はどうか。

 立憲民主党は、もしかしたら、今まで、少数派だと諦め投票にもいかなかった国民の半分の人たちの中から支持者を獲得するかもしれない。そして、政治を行っていくうえで現実の壁の前で妥協しなくてはいけないことがあったとしても、そういう少数派の人たちの声に耳を傾け続けることを必ず約束するという政党になっていけば、面白い存在になるかもしれない。

 時代は急速に変化しており、きっと政府の役割も変わって来るはずであり、シェアリングエコノミーなど新しい仕組みを広げるための規制緩和と、古い仕組みの中の雇用のバランスを考え、セーフティネットを張りながらルール変更をしていくという難しい舵取りも増えるだろう。

 だから、今、これをします、あれをしますと耳障りの良い言葉を並べている政治家よりも、何か問題に直面した時、誰の方を見ているかを判断の基準にしたい。

「権力の行使に慎重であるべき、これが保守の本流である」という宮沢喜一前首相の考えに対して、安倍晋三自民党総裁は、「その考えは間違いであり、権力は積極的に行使してこそ国民の負託に答えること。権力はガンガンガンガン使うものなのだ」と答えたようだ。すなわち、依存心の強い国民というものは権力でガンガン引っ張ってやらなければいけないんだと考えているのだ。

 戦後、自民党の保守本流が、権力の行使に慎重であらねばならないと考えたのは、戦前の苦い記憶があるからだが、それだけではない。権力で何かを決定することは、必ず、何かを切り捨てることになるからで、現実の壁の前で結果的にそうせざるを得なくても、配慮の心があれば慎重にならざるを得ない。

 おそらく、安倍氏に一番欠けているのは、そういう配慮だろう。彼は、国民という言葉を使っているが、国民を見ているわけではなく、権力によって物事を動かせることに優越心と満足心を感じやすく、それが国民のためになるのだ、自分は良いことをしているのだと、意固地になってしまう性質なのだと思う。

 だから、選挙に勝ち続けると、ますます自己正当化を強める。一挙に政権交代とまでいかなくても、少なくとも、権力の行使に慎重であるべきだとわかっている人間が、この国のリーダーになるような選挙結果にならなければならないと思う。

 政治の問題であるが、国民の依存体質がどれほどなのか問われる選挙でもある。

 

2017-10-07

第1012回 どの政党が勝つか、よりも大事なこと

 選挙の結果がどう転んでも、悲しいかな、ろくなことにならないような気がしてきた。希望の党から出馬の中山成彬元文部科学相が、 首相に望ましい人物として「安倍晋三首相がいい」と、堂々と発言しているようだ。

 希望の党が「安倍政権打倒」を掲げていることに話を向けられても、中山氏は、「そこまで(党内で)意思統一ができていない」と語っている。

 http://www.sankei.com/politics/news/171006/plt1710060114-n1.html

 まあ、こういう情報もメディアの情報操作かもしれないので注意は必要だが、希望の党の公約を見ても、本気で政権をとろうとしていないように感じられる。

■希望の党の公約

?消費税増税凍結

?議員定数・議員報酬の削減

?ポスト・アベノミクスの経済政策

?原発ゼロへ

?雇用・教育・福祉の充実

?ダイバーシティー社会の実現

?地域の活力と競争力の強化

?憲法改正

?危機管理の徹底

■「希望への道」しるべ 12のゼロ

?原発ゼロ

?隠ぺいゼロ

?企業団体献金ゼロ

?待機児童ゼロ

?受動喫煙ゼロ

?満員電車ゼロ

?ペット殺処分ゼロ

?フードロスゼロ

?ブラック企業ゼロ

?花粉症ゼロ

?移動困難者ゼロ

?電柱ゼロ

 政権をとったとしても、首相に誰がなるのかわからず、官房長官をはじめ、閣僚になる人間の顔も思い浮かばない。

 政権政党にならないのであれば、有権者の気を引くために、なんでも言える。そうやって、少しでも多くの議席を獲得しておけば、選挙後に影響力を持てる。その影響力をどのように使うか。本当の駆け引きは、選挙後なのだろう。

 日本の最近の政権をみると、1987年に起こった世界的株価大暴落ブラックマンデーから1990年代前半のバブル崩壊までの混乱が細川政権につながった。

 1997年のアジア通貨危機、1998年のヘッジファンド危機から続く金融危機が、小泉政権へとつながった。

 さらに、2007年にはサブプライムローン問題が起こり、2008年のリーマン・ショックから民主党政権が誕生した。

 いずれにも、政治を「リセット」しなければどうにもなりませんよ、という雰囲気の中で、政治構造の変化が起こった。

 しかし、それでも、日本の政治は大きく変わることがなかった。政治家は選挙のたびにコロコロ変わるが、官僚は変わらない。官僚が敷いたレールから大きく外れないのが、これまでの日本の政治なのだろう。

 しかし、今回の選挙の結果次第では、憲法が変わってしまう恐れがある。民進党が分裂させられ、民進党から希望の党に移った人間が、憲法改正に賛成する誓約書に署名をしたので、自民、公明、維新、希望の連携で、憲法改正に必要な衆議院議員の2/3の賛成を受ける可能性が高まったからだ。

 もちろん、その後、参議委員でも2/3、国民投票では有効投票総数の過半数の賛成が必要だが、大きな流れができるのは間違いない。 

 憲法の問題は、第9条だけとは限らない。

 ヒットラー政権の大暴走の転機は、1933年だった。

 それまで少しずつ国民の支持を広げてきたヒットラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党が単独過半数をとった後、全権委任法を国会承認させた。この法律は、議会の審議を経ないで法律を制定できるもので、7月には政党禁止法によりナチ党以外の政党は禁止された。また、ワイマール憲法に定められた基本的人権や労働者の権利のほとんども停止された。

 法律の力で、ナチスは、自らの行いを正当化していった。そして、そのナチスに、法律を変える力を与えたのは有権者だった。

 一人の極悪人によってドイツは戦争に突入していったのではない。そのことを忘れてはならないと思う。

 選挙を前に、どの党が勝つか負けるかを分析したり、どの党を打倒するかとムキになることよりも、この国の未来がどんな姿になっていくのがいいのか、冷静に自分の頭で考える機会にしなければならない。

 経済成長、福祉充実、国民の暮らしの向上などと、政治家は、耳障りのいいことばかり言っているが、私たちは、自分が生きていくうえで、どんなことを大切にすべきなのか。お金のことや老後の安心が、本当に生きがいにつながっているのか。自分のことも大切かもしれないが、昔の人が孫の代のことを考えて樹木を育てたように、私たちは、未来の種を育むような生き方をしているだろうか。

 私たちが自分のことしか考えないから、結果的に、自分のことしか考えない政治家を選んでしまっているのかもしれない。

2017-10-01

第1011回 リベラルとは何なのか。

 解散総選挙で、日本中が、政治ゲームに染まっている。

 これまで何の実績のない小池党首の希望の党に、つい最近まで政権政党だった民進党が、リベラルな政治家を排除するためだと安全保障と改憲の踏み絵を迫られ、選挙に出馬できるかどうかというキャスティングボードまで握られている。

 言葉の使い方において、付け込まれる隙がないように、慎重に発言する小池氏が、堂々と、「排除」という言葉を使っている。

 つまり、「リベラル派の排除」という言葉をいくら使っても、イメージの低下につながる恐れがないという確信があるのだろう。

 今の日本で、リベラルという言葉は、あまりよくないことらしい。

 そもそもリベラルとはなんなのか。

 小池氏が排除するリベラル派というのは、憲法9条の堅持や安保法反対護憲を主張する政治家、「共謀罪」の趣旨を含む「改正組織的犯罪処罰法」などに反対する政治家ということになる。しかし、小池氏は、とりあえず原発は、この国のリベラル層に少し歩み寄って、廃炉のための工程表を作らなければならないと言っている。

 もはや、保守もリベラルも、その違いがよくわからなくなっていて、保守も、「個人の尊厳」とか「多様性の尊重」という言葉を使うし、本来、自由を意味するはずのリベラル派も、自由競争を批判するし、全体主義的な国家管理による福祉の充実を唱える。

 国の管理による「秩序ある自由」を主張するリベラル派、リベラルを排除するという不寛容さで「寛容な保守」という言葉を使う希望の党。わけがわからない。

 保守が、「多様性」や「個人の尊厳」を大切にすると言う時、それは、「全体の強みに貢献するのであれば、個人のみなさんには頑張っていただき、どんどん多様な活動を展開し、強いものはどこまでも強くなってもかまわない。しかし、全体の安心と安全に必要であれば、多少は個人の犠牲があってもしかたない。全体が、安定的で、発展的であることが大事だ」という意味になる。

 それに対して、「全体のために少数が犠牲になってはならない。弱いものを切り捨ててはいけない」、つまり、”弱い立場の人たちの不自由さをなくすこと”が、リベラル派の信条ということになるだろうか。

 弱いものというのは、貧者や障害者に限らない。どこの組織にも所属しておらず、何で食べているのかよくわからない人、立場が非常に不安定な人、いざとなった時に守ってくれる組織がない人なども含まれる。

 それに対して、たとえフリーで活動していても、権威的な団体の賞などを数多く受賞し、立ち回りも上手で行政からの仕事を多く受けている人、またはそれらを目標にしている人は、考え方や生き方としては保守だろう。

 つまり、社会の価値観の安定と発展に少しでも寄与することが現実的保守であり、その存在自体が不安定で、だから社会に不安定な要素を持ち込む可能性がある人が、”リベラル派”として白い目で見られ、実際に、そういう人が生きにくい構造が作られている。

 今回の選挙でも、希望の党に踏み絵をされるくらいなら無所属で立つと言うだけで、悲壮感が漂うし、実際に、資金や支援団体や大組織同士の調整などによって個人で闘うためには不利なことがいっぱいある。政治は社会の縮図なのだ。

 保守は利益のために戦争をやりかねない人たちで、リベラルは平和主義であるかのような主張を展開するリベラル派の人たちがいるが、こういう単純化された論法が、リベラル派の地盤沈下の原因にもなっている。

 なぜなら、保守の人たちにとって、それは、切り返しのしやすい論法だからだ。「リベラルな人たちは、平和と安定のために具体的に何をすべきかわからず、集まって理想的な空論を叫ぶだけだ。そういう姿勢が、むしろこの国の秩序を不安定にして、平和が脅かされる原因となる」と。 

 多くの国民は、理想よりも現実に生きており、現実の中での安定と、ささやかな幸福を指向している。だから、保守の人の言葉の方が、彼らにとって納得感がある。

 リベラルが、冷静な理論で闘うのではなく、感情だけの単純な言動ばかりが多くなり、結果的に、ヒステリックな主義主張団体のようにしか見えなくなってしまっていること。そのうえ保守が、御用学者で脇を固めた情報操作で、自らの頭で考えようとしない依存的な大勢を丸め込んで、リベラルを、ただの感情的集団として切り捨てている。そうした流れが、小池氏に、「リベラル派の排除」という言葉を安易に使わせるムードを育んできた。

 「リベラル派の人たちとは組めない」という言い方ですむのに、なぜ敢えて、差別的な「排除」という言葉を使うのか。クリーンにすること、純粋化すること、つまり、ナチスの思想に似た適者生存の考え方が、背後にあるのではないか。

 適者生存の考え方が、ポピュリズムによって広まった結果としての、ナチの恐ろしい犯罪があり暴力があった。

 そもそも、リベラル派の人たち自身が、リベラルの力を、保守の力と同じように、団結とか、組織性とか、単一な主義主張によって発揮しようとしていたことが、間違っていた。

 ナチもまた、民衆を重視するといい、物質主義や世界主義を否定した。庶民に身近な文化で、民衆の「心」を掴むことも怠らなかった。そして、それらの価値観を実現するために、忠誠心と奮闘と団結の思想が持ち込まれたことが、最悪の事態を引き起こすこととなった。

 リベラルは、そもそも後ろ盾がないという不安定さや弱さが前提で、その覚悟と矜持のなか、孤独で踏ん張る力を持つことが不可欠だった。まれに、その弱さが共感の力で強みになる可能性があるが、強みになった瞬間、妬みによって簡単に引きずり下ろされる可能性も高く、いずれにしろ、リベラルは不安定であり、不安定の中に生きる覚悟がなければ貫けない。その覚悟と矜持こそが、リベラルの証なのだ。

 この覚悟や矜持は、誰にでも持てるものでもないし、世の中を変える力になるとも限らない。

 しかし、この覚悟や矜持が大きく減退してしまった世の中は、少しでも不安定化すると、その不安に耐えきれず、たちまち全体主義に覆われる危険な状態ということになる。

 今こそ冷静に、戦前の日本の状況をしっかりと見つめなおす時かもしれない。

 太平洋戦争前、近衛文麿は、軍部に媚びて、新体制運動を始めたり、大政翼賛会を作ったのではなかった。

 むしろその逆で、国民全体に及ぶ巨大な組織を成立させ、その政治力を背景に、軍部の独走を抑えたいと考えていた。そして、その根幹にある考えは、「未曾有の国難に対処するため、強力な政治体制を確立する必要がある」というものだった。この考えを、当時の庶民は、現状の厳しい暮らしと閉塞感が打破されるかもと期待し、喜んで受け入れた。政争にあけくれて国民の信頼を失っていた政治家達も、軍部から政治的主導権を取り戻すチャンスになると飛びついた。官僚も、巨大な国民組織を構築し、全体主義的な経済体制を作らなければ、健全な経済を保てないと感じていた。しかし軍部もまた、ナチスのような巨大政党によって、戦争に邁進できると考えた。そのように近衛文麿の新体制運動はすべての人に受け入れられ、既存政党は自ら率先して解党し、近衛文麿を神輿にかついで、その体制のもとへ合流していった。

 しかし、当然ながら、その合流のあとで、互いに主導権を握ろうと権力争いが激しくなった。その中で作られた大政翼賛会は、大組織であるものの、近衛文麿の意図するものとは違うものになっていた。そのゴタゴタのうちに、この大政翼賛会は、軍部に主導権を握られ、利用される組織になってしまった。近衛文麿の後に首相になった東条英機は、行政官庁の管理下にあった各組織を、この大政翼賛会の傘下におき、大政翼賛会が、その指導監督権、人事予算権を持つにいたった。さらに町内会や隣組なども、その傘下に置いた。こうして、政権政府が大政翼賛会に命令を出すだけで、速やかに国民全体が従わざるを得ない体制が作られた。一度、その体制ができてしまえば、誰がその命令者になるかだけの問題となり、結果的に、軍部がその命令者になった。

 先の戦争の悲劇は、戦争好きの極悪人が仕組んで、国民が騙されて踊らされて巻き込まれた結果ではなく、政治的決定を効率よく遂行しやすい体制が作られた後に、その体制が軍部に乗っ取られてしまい、一度動き出すと、止まりにくい構造だったゆえのことだ。

 その体制を作ったのも、軍部がその体制を乗っ取ったのも、理由は同じで、現在の政治家も国民を説得するために口にすることが多い、”未曾有の国難に対処するため”が大義名分だった。だから誰もがその決定に従わざるを得ない空気になった。

 小池新政党は、閉塞感の漂う日本の現状に変化を与える風のように感じる人が多い。しかし冷静に見ると、過半数をとって強引に物事を推し進めようとする安倍政権の後に、国難に対処するためという大義名分で、今よりも簡単に3分の2以上の議員が集結しやすい状況になる変化だとも見える。つまり、より全体主義に近い道を、日本は歩み初めているのかもしれない。

 「国難に対処するため」という言葉は、不安なく生きたい人を丸め込む切り札だ。誰でも不安なく生きたいと思うのは自然なことだが、悲しいことに、その思いが組織的なものになって、危機を乗り越えるために手段を選んでいられないという状況に陥った時、犯罪的なことが起きる。

 リベラル派の人たちが、平和と安定を声高に叫ぶという手法をとるかぎり、その同じ土俵で、保守には勝てない。保守は、「我々は同じことを目指し、その手段を具体的に講じているが、リベラル派は、理想を口にするだけだ」と切り返す。

 理想主義者よりも現実主義者の方が圧倒的に多い社会では、その切り返しだけで十分だ。

 不安定に揺らぎ続けても、長い時間をかけて、少しずつうまくいく方法を見つけていくことが大事ということを、どのように説得力のある方法で伝えていくことができるか。

 政治に限らず、経済や表現においても、その価値や魅力がステレオタイプに、短いキャッチフレーズで説明されてしまうものではなく、何だかよくわからないということ自体が魅力的であり価値あることだと、どのように伝えていくか。

 わけのわからなさに対する寛容さや敬意が根付かないかぎり、リベラルな社会とは、とうてい言えない。

 不安の波が高まることでパニックに陥り、たちまち全体主義的な傾向を帯びてしまう危険性を回避するためには、本当の意味で「リベラル」が試されている。

 

2017-09-18

第1010回 昭和という時代の欺瞞と虚飾の延長線上の今

 京都の河原町のLumen galleryで福島菊次郎の写真展と記録映画の上映があります。

 

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http://www.lumen-gallery.com/

  

 まだご覧になっていない人は、ぜひ一度見ていただきたいです。きっと感じるところがたくさんあるでしょう。

 現在、安倍政権が、民進党の混乱や小池百合子氏を中心とする新勢力の体制が整っていない今だったら勝てるかもしれないという判断で、解散、総選挙を目論んでいます。

 政治というのは、なんと姑息な手段をとるものなのかと、今更ながら呆れます。

 本来、政治家という職業は、人格に優れ志の高い人になって欲しいのに、その逆の人が政治家になり、国のお金で贅沢をする。

 そして、福島菊次郎氏のように、人間味に溢れ、潔癖で、筋を通す人間が、死ぬまで貧乏な暮らしをするはめになる。

 「問題自体が法を犯したものであれば報道カメラマンは法を犯してもかまわない」という言葉が、映画のキャッチコピーになってしまっていますが、私は、この言葉は、彼の仕事にふさわしいものとは思えません。

 福島菊次郎の仕事の本質は、そんなところにない筈です。

 そして、彼が、法を犯した活動をしたわけでもない。

 この映画を見て非常にはっきりとわかることは、彼が、自分を安全なところに置いて望遠レンズでシャッターチャンスやスクープを狙うなんてことは一切行わず、常に問題の本質の真正面に、そして真近に立っているということです。暴漢に襲われても、家を焼かれても、一切怯むことなく。その気迫がすごい。 

 90歳になっても、日常的には足元がフラフラになることがあるのに、被写体の真正面に、真近に立ってカメラを構える時に、その気迫が全く衰えていないことに驚かされます。

 そして、自分が闘ってきた国家からの年金の受け取りを拒否し、子供達の支援も受けず、わずかばかりの原稿料を糧に、一人で、買い物から食事から洗濯まで何もかもやって生きている姿には、本当に感心させられます。福島菊次郎のような生き方はできなくても、せめて、晩年は、この矜持を見習いたいと思います。

 平成の今も昭和に行われた数々の嘘とゴマカシの広がりの只中にあるので、今の段階で昭和を語っても、情報の峻別ができず、いろいろと夾雑物が混ざってしまいます。

 しかし、200年くらい経って日本史を眺めわたし、今の時点で江戸時代の1700年代の50年ほどを振り返るような感覚で昭和を振り返る時、昭和を知るための情報で、どの情報が大切なものになるか。そういう視点で見ると、もしかしたら、福島菊次郎が残した写真だけで十分かもしれないとさえ思います。それほど、この人は、昭和という嘘とゴマカシと虚飾の時代の真正面に真近に立って仕事をしています。敗戦直後のヒロシマに始まり、天皇問題、憲法問題、自衛隊と軍需産業、三里塚闘争、安保、公害、水俣、ウーマンリブ、原発。しかも、その一つひとつが、スクープ狙いに現場に行った、という程度のことではなく、長く時間をかけて取り組んでいることに驚かされます。

 後世、昭和天皇の以下の言葉と、福島菊次郎氏の写真によって、昭和という時代がどういうものであったか冷静に分析されることでしょう。

  1975年10月31日、日本記者クラブ主催の公式記者会見の席上、昭和天皇は、広島の原爆被災について質問を受け、「原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。」

 そして、戦争責任については、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。」と語りました。

 これは天皇の言葉ですが、昭和という時代全体を流れていた欺瞞を象徴しているように感じるのは私だけではないでしょう。

 問題の核心の真正面に真近には決して立たない卑怯が大人のふるまいとして平然と通用してしまう、むしろその方が賢明で、事を荒立てなくていいのだという卑小な社会風潮の種を、この言葉に感じます。

 1950年に朝鮮戦争が勃発し、敗戦国日本を対共産圏の盾にすべしと判断したアメリカは、戦争責任のある政治家や官僚や表現者やメディアを利用した方が得策と考え、また、それまで鬼畜米英と叫んでいた彼らも手のひらを返すようにアメリカに尻尾をふり、戦前と同じ権益を引き継ぎました。さらに、それら矜持を持たない体制管理者たちにへりくだったり、すり寄ったりした方が、生きていく上でいろいろとメリットがあるという小賢しいシステムを作りあげて、目先のことや自分の利益、立場のことしか考えない多くの国民を抱き込み、体制管理者の権威をより高めることにつなげました。

 その結果、天皇を神にまつりあげて多大なる犠牲を出した昭和の前半よりも虚飾が増して欺瞞の複雑化した昭和の後半とその影響が、今に至るまで続くことになりました。

 平成になってもまだ昭和の欺瞞の中に留まり続けるのか、それとも、昭和にけじめをつけて、現在の政治を捉え直すことができるのか、とても大事な時期にきています。

 福島菊次郎の仕事の本質の真正面に真近に立つことは、その大事な問題を考えるうえで、とても意味のあることだと思います。

 彼は、戦時中、爆弾を持って戦車に体当たりする役目を負い、その行動に入る前に、終戦を迎えました。

 その時、軍服や戦いのための備えをまったく持たされることなく、草鞋を履いた肉体一つで、戦車と自分の命を引き換えにすることを命じられていたわけです。その国家の欺瞞と理不尽さに対して、許せないという思いが骨の髄まで刻み込まれた結果として、彼の戦後の人生があったのではないかと思います。

 戦後に生まれ育った私たちには、戦車と引き換えにさせられる命という経験はないけれど、福島菊次郎が映し出した戦後国家の暴力と理不尽さを目にする時、同じことが何度も繰り返される可能性を感じずにはおれません。

 政治の問題というより、そういう政治を選んでしまう私たち一人ひとりの中の欺瞞の集積の問題だという気がします。

2017-08-26

第1009回 古きを温めて〜日本の風土と魂の行方〜

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(小野妹子の古墳 滋賀県 大津市


 現代のことが気にならないわけではないし、子供を持つ親として未来のことも心配だ。

 そして、政治や経済が、未来のあり方に大きく関わってくることも理解している。

 しかし、それ以上に、今改めて、私たちの足元文を見つめ直すことが大事だという気がしている。

 グローバリズムという掛け声で、その国特有の文化よりも世界標準が優先される時代であるが、心の問題までグローバル化して標準化できるはずがない。

 私たちの心は、私たちが生きている土地に根付いている歴史文化や、気候風土によって育まれている。

 現在の日本人は宗教がないと言われが、お墓参りは欠かさないし、苦しい時に神社や寺で手を合わせる人は多い。私が住んでいる京都東山の六道珍皇寺では、お盆の期間、先祖の魂を迎えるための鐘をたった一回打つために、連日、長い行列ができている。

 未来のことを考える時、日々入れ替わる先端技術、産業の盛衰、ブロックチェーンやベーシックインカムといった新しいシステムや時事的な事件などの情報も必要だろうが、それだけでは不十分だ。

 なぜなら、戦後、ずっと目標にし続けてきた”幸福像”を、そのまま信じていいのかどうか、瀬戸際にきているからだ。

 私たちは、私たちが理想とする未来に向けて、努力をする。私たちは、これまで続けてきたように、物質が豊かで便利な生活だけを求めて、これからも努力を重ねるのだろうか。

 

 日本人の魂のことを考え続けた民俗学者で、グラフィック雑誌「太陽」の編集長で、歌人でもあった谷川健一氏が、こんな歌を残している。

 稚(わか)き日に乳母に背負われ嗅ぎたるは洗わぬ髪の燃え立つ匂ひ

 まだ幼かった自分を背負ってくれた女性の洗わぬ髪の燃えたつ匂い。その女性は決して豊かな家の人ではなかっただろう。しかし、そんなことは関係なく、その記憶は、生々しくて、甘酸っぱい。懐かしくて、胸が焦がれるような思い。その陶然たる生の瞬間は、安楽で快適な日々よりも、自分の人生の確かな足跡として鮮烈に胸に刻まれ続ける。

 乳母に背負われた経験がなくても、幼少期から思春期にかけて似たような記憶を抱き続けている人は多いと思う。学生時代、憧れの女子の傍で嗅いだ汗の匂い。汗で髪の毛も乱れてべたついていて、それでも眩しいほどに美しかった。

 お金をかけて着飾って自分を演出することよりも、当人は無意識でも、はるかに美しく輝く瞬間がある。

 さらに、背負われて伝わってくる背中の温もりと、うっとりするような安心感。そこには、無力な自分を完全に依存してしまえるカミサマのような大きな存在がある。

 日本人の抱く極楽は、蜜の河が流れ、甘い物がたくさん手に入るところで楽しいことだけを続けるという類のものではなく、もっとささやかで、それでいて充分に心を満たしてくれるものだ。

 たとえば、日本人は、疲れ果て冷え切った身体を湯船に浸す時も、充分に極楽を感じる。

 その幸福感は、永遠に保証されるものではない。湯船から出たり、背中から降ろされ自分の足で歩かなければならない現実があるからこそ、よりいっそう有り難みを感じるものであり、キリスト教のように、最後の審判の後、永遠に天国で遊ぶ権利を獲得するようなものではない。

 限られた時間の極楽。それでも、その彼岸に対する憧憬の思いは永久であり、心の支えであり、救いである。

 私たちは、未来のことを気にかける。そして新しい情報に飛びつく。しかし、自分にとっての幸福がどういうものかわかっていないと、情報の取捨選択もできず、周りに流されるばかりである。

 新しく珍しい情報をあくせくと追いかけなくても、日本の自然風土は、それだけで充分に多様で豊かである。そして、日本の歴史文化も、実に謎めいていて、魅惑的である。

 中世の日本人も、古代の日本人も、同じように感じていたのではないか。はるか縄文の時代から受け継がれ、積み重ねられてきた日本の文化は、日本の自然と響き合っている。だから、現代の私たちも、縄文土器や万葉集、西行や芭蕉の言葉から、多くのイメージを獲得できる。

 そして、日本人の死生観や他界観は、目の前に存在している自然に即しているので、海や山、岩や古木などが、彼岸と此岸を行き交うための、具体的な出入り口となる。

 だから、人工物に覆われた現代に生きていても、磐座や古木を見る時、我々は、言葉にならない何かを感じる。一切の加工がなされていない大きな岩が山のてっぺんに鎮座するのを見るだけで、古代人の魂と通い合える。

 人工知能やブロックチェーンやベーシックインカムも大事なテーマだけれど、魂という水源が涸れてしまえば、どんな手段を講じようとも、幸福の潤いはない。

 魂は、古いところとつながっており、その古いところこそが未来の卵を温める巣であり、それは、自分をおぶってくれた人の背中なのだ。懐かしくて、温かくて、人生の岐路に立つ時、道しるべとなり、心の拠り所となるものだ。


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☆「日本の風土と魂の行方」をテーマに、ピンホールカメラで写真を撮り続けています。

https://kazesaeki.wixsite.com/nature

2017-08-16

第1008回 禍福と、かんながらの道(続) 〜小野氏や源氏物語と、古今東西変わらない”祓い”のこと〜

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京都市北区 小野岩戸)

 平安京は、風水を配慮して都を守るように作られていることはよく知られている。しかし、守り方は、一つではない。平安の都の完成に至るまでに様々な陰謀や無数の死が積み重なっており、恨みを残して死んでいった人々の祟りからも、都を守る必要があった。

 日本人は、よく「水に流す」というが、”祓い”もまた罪や穢れを水に流して浄めることとつながっている。しかし、その真意は、この世界のあらゆる罪穢れを徹底的に祓い浄め、「明(あか)き浄(きよ)き正しき直き」境地を求める姿勢からきており、おそろしく深い。

 風の旅人の創刊号(2003年4月)で、今は亡き白川静さんが、”死を超える”という私が投げかけたテーマに対して、「真」という文字で返してこられた。真という字は、首を逆さまに懸けている形で、行き倒れの人の死のこと。それがなぜ真かというと、恐るべき威霊をもつからだ。その霊を鎮めるために、人々は慎んで、祠の中に置き、玉を加えて鎮めた。さらに、「道」という字も、首という文字を含んでいるが、それは、自分の領域を超えて邪霊のはびこる世界に入っていく時、「首」の呪力によって邪を払うためである。実際に、討ちとった敵の首をもって歩いたそうだ。

 また、柿本人麻呂は、宮廷歌人と言われるように尊貴な人のために歌を作ったが、水死者や変死者など、不遇の死を遂げた霊を弔う歌をたくさん作っている。恐るべき慰霊を鎮めるために。

 柿本人麻呂は、遊部という遊魂に関わる歌人だったということも、白川さんは「風の旅人」の創刊号に書かれた。

 遊部は、古墳や埴輪を作るなど、死を通じて永久の魂に至る儀礼を司っていた土師氏によって統括されていたと考えられているが、その柿本氏の起源は、小野氏と同じ和邇氏である。

 平安時代に、疫病など世に災いが頻発した時、今宮神社や八坂神社で御霊会が始まるが、その50年ほど前に、菅原道真の祟りを鎮めるために北野天満宮が作られた。さらにその100年以上前には、長岡京遷都における藤原種継暗殺の件で濡れ衣を着せられ、その抗議のために絶食して死んだ早良親王の祟りを鎮めるために崇道神社が作られた。

 早良親王の霊を鎮める崇道神社は、平安京の政治や祭祀の中心である内裏(今の千本丸太町から北あたり)からは北東の鬼門の位置にあり、高野川に沿ったその地域は小野郷と呼ばれ、小野毛人の古墳がある。そのラインをさらに伸ばしていくと、西近江の小野という土地になり、そこに、古代の古墳がたくさんあり、小野神社がある。高野川も西近江も小野氏の拠点だ。

 そして、菅原道真を鎮める北野天満宮は、内裏から西北の天門の位置にある。鬼門は鬼が入ってくる方位。天門は怨霊や魑魅魍魎が入ってくる方位だ。平安京の内裏と北野天満宮のラインをさらに伸ばしていくと、京都北区の小野の里になる。なぜかこちらも小野である。そしてこの地は、源氏物語において、光源氏と彼の息子の夕霧の栄光に影を落とす女三宮や女二宮の所縁の地である。

 ちなみに、早良親王は、兄の桓武天皇と同じく、土師氏の娘、高野新笠の子供であり、高野氏が拠点としていたのは、崇道神社のある小野郷だった。

 菅原道真は、なぜか、名前に、「道」という字と「真」という呪いと祓いの文字が使われているが、菅原氏というのは、土師氏のことである。桓武天皇が、土師氏出身なので、土師氏は、その名を隠すためか昇格なのかわからないが、菅原、大江、秋篠という姓に変えられた。

 そして、源氏物語を書いた紫式部の父親の藤原為時は、天皇の側に仕えて学問を教授する学者であったが、その師匠は、菅原文時で、彼から歴史(紀伝道)を学んだ。ちょうど、菅原道真の祟りが騒がれ、北野天満宮が作られる頃である。

 紫式部が仕えた藤原道長の娘、彰子は、道長と源雅信の娘のあいだに生まれ、一条天皇の皇后になり、後一条天皇と、後朱雀天皇の生母となる。また、道長は、藤原氏の政敵で、安和の変で失脚した源高明の娘・源明子も妻としている。

 道長は、陰陽師をたくさん抱えていたと言われるが、藤原氏に恨みを持つであろう源氏一族から二人の妻を迎えて、その子を天皇にしたのだ。そして、その道長に仕えていたのが紫式部だから、源氏一族の魂の鎮魂と祓いのために、光源氏の栄華を描く「源氏物語」が書かれたとも考えられる。

 しかし、「源氏物語」を丁寧に読んだことがある人ならわかるが、「源氏物語」は、この本を読んでいない人がステレオタイプに思いこんでいる光源氏の恋愛遍歴や栄華を描いているのではない。恋愛や栄華の場面はあるが、その背後に常に影がつきまとい、罪に苦しめられ、悲哀が感じられ、光源氏当人が、つねに出家を望んでいる。そして、光源氏に一番愛された紫の上には子供ができず、紫の上が亡くなった後、光源氏の最期は書かれず、煙のように消えてしまう。

 ハッピーエンドとは、とても言えない。

 その光源氏の晩年の不吉を象徴する人物が、女三宮であり、光源氏の血をひく夕霧の不吉につながるのが女二宮である。

 光源氏は、最愛の妻、紫の上が側にいながら、朱雀天皇に請われて、その娘の女三宮を妻とする。その時から、紫の上の心の状態が不安定になり、運勢が悪化し、あっという間に亡くなってしまう。そして、その女三宮は、光源氏が将来を期待していた柏木と密通して子供を産む。誰もが光源氏の子だと思っている薫は、実は柏木の子である。そして、光源氏は、そのことに気づき、柏木に告げる。恩人でもある光源氏を恋のために裏切った柏木の苦悩は深まり、その挙句、死んでしまう。そして、ややこしいことに、女三宮に恋い焦がれた柏木の正妻は落葉の宮と呼ばれる女二宮である。柏木は、ずっと女三宮に恋い焦がれていたが、女三宮が光源氏の妻となったために、柏木の父が憐れんで、朱雀天皇に頼み込んで、女二宮を柏木の妻にした。そして、柏木の死後、光源氏の血を受け継ぐ数少ない人物、夕霧は、それまで堅物な男だったのに急変して、狂ったように未亡人となった女二宮にプロポーズする。嫌われているのに、あまりにもしつこくて、滑稽である。小野の里に所縁を持つ女三宮と女二宮によって、光源氏と夕霧の運命は歪んでいくのだ。

 長い長い「源氏物語」が終わる時、唯一、ハッピーエンドなのは、住吉の神に守られた明石の一族である。

 光源氏の血を受け継ぐ明石の姫君は、皇后となり、さらに世継ぎを産む。

 明石一族の長である明石の入道は、光源氏が幼い頃に死んだ母、桐壺更衣のいとこ。かつては京の都の高官だったが、見切りを付けて播磨守となり、そのまま出家して明石の浦に住んでいた。ひたすら住吉明神に祈願し続け、霊夢によって、光源氏を明石に迎え、娘と結婚させた。

 私が18歳まで生まれ育った明石は、かつては明石の門といわれ、柿本人麻呂は、明石の歌を幾つか残している。

「あまざかる ひなのながちゆ 恋ひ来れば 明石の門とより 大和島見ゆ

 (遠く隔たった地方からの長い旅路を続けて、大和が早く見たいと恋しく思いながら帰って来たが、明石海峡から大和の山々が見えてきた。)

 明石の浦は、瀬戸内海に少し出っ張っていて、天気の良い時には、大阪平野の向こうの葛城の山々を望むことができる。

 また、古代、この海峡を通過する船の道標のために、海岸に沿って灯火がたかれていたため、河内(大和の圏内)から、赤い火が見えた。大和から見て、明石あたりが、視覚的に、こちらとあちらの境界と感じられていたのだ。

 光源氏は、京都で政争に巻き込まれ、明石まで落ちぶれる。そして、その”境”の世界から住吉明神の力を得て、京都に復活する。藤原氏に敗れ去った源氏が霊的に復活した。しかし、最期は、空しく煙のように消える。

 そして、住吉明神を大切にしてきた明石の一族の将来の繁栄が暗示されて終わる。住吉三神は、イザナギが黄泉の国から帰ってきた時に、汚れを取り除くために海の真ん中で禊をして身体を洗った時に生まれた神であり、源氏物語のなかには、複雑に、祓いの仕組みが織り込まれているように思われてならない。

 それはともかく、平安京の内裏の東北の鬼門の位置に、小野氏と関係の深い場所があり、西北の天門の位置にも、それがある。西北の小野の里には、岩戸落葉神社がある。かつて、この土地は、平安京に送る重要な材木の供給地で天領だった。今は寂れている岩戸落葉神社は、かつては朝廷とも深いつながりがあった。背後は巨大な岩盤(磐座)であり、瀬織津姫という祓いの神が祀られている。

 昨日、その周辺を探索した。小野岩戸というあたりに、ピラミッド型の美しい山があり、その近くに加茂神社があった。加茂神社にも、瀬織津姫が祀られていた。

 京都市内の下鴨神社も、正式名称は、加茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)である。この中に、御手洗社がある。京都三大祭のひとつに数えられる「葵祭り」に先立って、斎王代が行なう「斎王御禊の儀」は、この御手洗池で行なわれる。十二単を着た女性たちが、御手洗池に入り手をつけて穢れを祓うのだ。由来を読むと、祭神は、やはり、祓いの神、瀬織津姫だ。

 下鴨神社は、平安京の内裏と西近江の小野の里や、崇道神社のある小野郷を結ぶ鬼門のライン上にあり、祓いの神の力で平安京を浄めている。

 また、葵祭は、源氏物語でも重要な鍵を握っている。この祭りでの諍いをきっかけに、六条御息所の怨霊が、光源氏の最初の正妻で夕霧の母親である葵の上を殺してしまうのだ。

 こう書いていくと複雑極まりないが、当時の人が、源氏物語に心惹かれていたのは、単なる恋愛ロマンスではなく、紫式部が織り込んでいる彼岸と此岸を結ぶ暗号のようなものを、我々よりも明確に読み解くことができたからだろう。

 柿本とか小野とか源氏とか加茂とか菅原とか、このように書くと、名前ばかりで何のことかわからないと思う人もいるし、何かしら気になる巡り合わせだと感じる人もいる。

 いずれにしろ、言葉の背景のことを少しでも知っていないと、意味はさっぱりつかめない。

 祓いという言葉にしても、その背景に流れている歴史や信仰が断ち切れた現在では、その真意を理解することは難しい。

 しかしながら、平和の時にはわからなくても、自然災害や病気など、自分の力ではどうしようもない事態に直面した時、ただ絶望するだけでなく、その窮地を脱するために、無意識に人は祈る。災いを避けるために、まじない(呪う)、幸いを祈る(祝う)。そうした祓いの心理作用は、古今東西変わらない。

 柿本人麻呂や紫式部などがつとめた文学の起源は、そういう意味で、祓いのための言霊の呪術なのだろうと思う。

tkz.tkz. 2017/08/17 01:00 ご無沙汰です。

>、、どうしようもない事態に直面した時、
ただ絶望するだけでなく、
その窮地を脱するために、人は祈る。
災いを避けるために、
ーーーーーーーーーー
まさにココ根源!

この時人知を越える営みに否応無く触れた時!
ヒトははじめて知る!
その悲惨さを目の当たりにし、、、
トコトン自然を恨む!
、、、
己が生き残った事を恨む、、、、

時が経つにつれ
、、、、、、
フツフツと生き延びた事に感謝!

その後の海は実に穏やか、、
本当、何事も、なかったかに、、
自然は実に穏やかな表情を見せる!

実は非情でも慈悲深くもない!
何も波が、海が、悪い訳ではない!
あるがままの自然!
こんな中に住まわさせて頂いてると!

原発の様な人為的要因ならば別だが!

自然には!
納得せざるを得ない!


知識じゃなく幼い時から言葉を越え育まれて来た
手を合わせると言うこと!

それぞれ個々に感じ取る祈る想い!

この根源的恐れを拭い去ろうとまさに手を合わせる!
が故、出来ると言うこと!
ココ

此処に、ヒトが創った神社と言うハードは!
実は必要じゃない!


但し!
何事もない平常時から!
そう言うハードを幼い子どもに見せる

「幼い時からの育み!」

理由も知らず手を合わせ
言葉を越えた育みの蓄積
そう言う意味では!
言葉も理解出来ない幼子に対し見せ!
体感で知る事は実に大事な仕組みである!

何も金ピカに飾る必要はない!

しかし現在宗教は益々希薄に成り
避けてる?
様に見え益々遠くの存在に!

今迄とは異なり益々ヒトは神の領域を犯そうとしてる
生命倫理は死語と化してないの?
横を向いてないの?
道具と化してないの?

故、実は新しく言う事はないが方便をかえ
本来、人、独りを救える仕組みに戻すべき!

もう、子どもでも知ってる平安時代の方便では
通用しないのでは?
新興宗教が問題を起こすのも?
既存の宗教が受け皿の役目を果たさないが原因に感じる。

2017-08-07

第1007回 禍福と、かんながらの道。

 

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 8月5日は、現在の日本で経験できるもっとも美しく静謐な祭りの一つ、今宮神社の織姫祭りだった。ありがたいことに、私もこの祭りの実行委員会の末席に座らせていただいている。

 神事の後には、神前で、お供え物を参列者で味わう豊かなひととき。かけがえのない時間。本来の祭りの姿がここにあると思う。

 平安京は風水でいうところの四神相応の都。四神とは、青龍、白虎、朱雀、玄武。その玄武にあたる船岡山の真北にあるのが今宮神社。

 10世紀、京都の町が疫病その他の災いに襲われた時、災いを福に転じるための紫野御霊会が、その起源だ。

 かつての風葬地である東山の鳥辺野の入り口にある八坂神社の祇園祭も、御霊会から発展していった。紫野にある今宮神社も、同じく風葬地であった船岡山の北に広がる蓮台野にある。

 どちらも、あの世とこの世の境。

 そして、そのどちらにも小野篁がいる。東山は、私の家のすぐ裏の六道珍皇寺。紫野は、千本えんま堂に。

 京都の北東を流れる高野川に沿った八瀬の地は、京都の鬼門にあたるが、ここに早良親王を祀る崇道神社がある。

 長岡から京都に都を移すきっかけとなった早良親王の祟り。

 この八瀬の地は、小野郷と呼ばれ、小野氏の拠点だった。

 八瀬の里の人々は、皇室の葬儀で棺桶を担いだり警護をしたりする役目を担い、鬼の子孫を自称していた。

門跡(比叡山の座主)の神輿ひき八瀬童子なり。間麗王宮より帰る時、興をひきたる鬼の子孫なり」

 小野氏の代表人物である小野篁が、閻魔大王に仕えるために、毎夜、地獄に通ったという伝説は、きっとここから生まれたのだろう。

 そして、京都のちょうど鬼門にあたる場所にある崇道神社に、早良親王の怨霊を祀り鎮めることで、京都を守っている。

 ちなみに、早良親王も、早良親王の祟りを恐れた桓武天皇も、母は同じ高野新笠で、土師氏の血を引く。ということは、桓武天皇の子孫である今上天皇も、遠い祖先に土師氏がいる。

 天津神でありながら国津神の大国主命に心服して、葦原中国の偵察の使命を放棄して大国主命を祀るために地上にとどまったアメノホヒの子孫である土師氏は、菅原道真の先祖であり、かつては古墳や埴輪を作り、天皇の死に際する祭事を取りしきっていた。(ちなみに、出雲大社の宮司の家系もアメノホヒの子孫である)。

 天皇は死を通して神となり、民を守る存在となる。つまり、古墳は、神となった天皇の肉体。

 怨霊と恐れられた菅原道真が死んで神となったのは、彼が、早良親王と同じく、土師氏であったことも背景にあるだろうと、学者でもなんでもない私は無責任に想像する。

 いずれにしろ、禍を転じて福にするための、かんながらの道。スサノオや牛頭天王、また大物主、そして菅原道真など、疫神というのは、正しく祀ることで、必ずや恵みをもたらしてくれる。台風など自然災害に耐えて生きてきた日本人が、古代から伝えてきた深遠なる知恵がそこにある。その知恵は、今だって廃れていないはず。

 今日から、私の家の裏の六道珍皇寺で、先祖の魂を迎えるための鐘の音が、朝から夜まで、ゴーン、ゴーンと鳴り響いている。

 たった一回の鐘をつくために、私の住んでいる周辺、人々が長い長い列を作っている。

 そういうことを、今も大切にし続けている人たちが、この国にはまだ大勢いる。

 御霊会、早良親王、土師氏、菅原道真、小野篁、そんな昔のこと、なんで今頃関係あんの? と、ITや人工知能や株価の動きなど、社会の表層を激しく流れる情報にしか興味なかったり、そういうことすら興味なく、タレントやスポーツのことだけで十分に楽しいという平和な人も、この国にはたくさんいるが。

 

 しかし、今日も大きな台風に直撃された日本。そして、夏になれば、必ず思い出すことになる原爆や終戦のこと。

 これらの悲劇、禍を、私たちは、まだうまく整理できていないのに、ただ記憶の隅においやって、ごまかし続けているだけかもしれない。無聊の慰めに引きこもったり、会社のため、社会のためと、忙しそうに動き回ることで。

2017-08-05

第1006回 ありのままを伝えることの深み〜ジャン-ウジェーヌ・アッジェと鬼海弘雄の街の写真〜

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撮影:ジャン-ウジェーヌ・アッジェ


 一昨日、神戸まででかけた時、もう10年以上、連絡もしていない同郷の写真家のことを、ふと思い出した。

 そして、驚いたことに、昨日、突然、その写真家からメールがきた。

「佐伯さん、お元気ですか。素晴らしい写真集を作られましたね。アッジェの写真が写真の原点だと僕は思っていますが、そのアッジェを彷彿する見事な写真です。鬼海さん恐るべし!」

 

 どうやら彼は、どこかで私が作った鬼海弘雄さんの「Tokyo View」の写真集を見たらしい。上記の褒め言葉とともに、彼は、この写真集を一冊、注文をしてくれた。

 久しぶりの連絡にも驚いたが、ジャン-ウジェーヌ・アッジェという写真家の名前が出たことに、神様の啓示のようなものを感じた。

 私が、鬼海さんが40年に渡って撮り続けた街の写真を一冊の写真集にまとめて世に送り出す決意の底にある大切なことが、アッジェの写真の中にあるからだ。

 船員、役者などを経て、40歳を過ぎるころに写真家になったアッジェ。(鬼海さんも、トラック運転手、造船所工員、遠洋マグロ漁船乗組など様々な職業を経て写真家になったので、似ている。)

 アッジェは、20世紀初めのパリの街並を写真に撮り、それを、ピカソ、ユトリロブラマンクなど画家に売って生計を立てていた。一枚の写真が、一食分だったそうな。

 ドラクロワの頃から、写真をもとにして絵を描いていた画家は多かった。19世紀、写真家は表現者ではなく、画家に素材を提供する人間であった。そして写真の発明から約半世紀を経た19世紀後半、写真技術者は、表現者として自己主張をし始めるようになり、絵画表現の後追いをするように、合成や修正などによって絵画的に見せるピクトリアリズムという小手先の技術の迷路に陥るものが多かった。(現在と状況は似ている)。

 そんな時、”写真は絵画から独立した独自の芸術である”として、「自然主義写真術」を唱えたのが、イギリスのピーター・ヘンリー・エマーソンだった。

 写真は、文学や絵画と同じように立派な表現である。しかし、あくまでも写真の特性を最大限に引き出すことが大事であり、絵画のような見せ方をすればいいというものではない。エマーソンは、ありのままの光景を写真におさめる写実主義表現を通して、写真の芸術性を追求した。

 エマーソンの影響は大きく、写真の歴史では必ず登場するアメリカのアルフレッド・スティーグリッツもその一人で、20世紀の写真表現が、そこから始まった。

 しかし、”写真という独立した芸術”という意識ばかりが先に立って、再び、作為的で意図的に画面をボカしたり粗くしたり、合成したり、見た目の印象の強さばかりを追求する写真表現が増え、それは、現代でも続いている。

 ”ありのまま”を伝えるところに他の表現とは一線を画す写真ならではの持ち味があるにもかかわらず、”ありのまま”の奥深さへの道を探求する写真家を見つけることは、今日でも非常に難しいが、ジャン-ウジェーヌ・アッジェという写真家は、まさに、その象徴的存在だった。

 彼は、41歳のときから30年間に約8000枚を撮ったが、ステーグリッツなど、華々しく活動する同時代の写真家のように、自分の気持ちのおもむくまま写真を撮ったのではなかった。だから、生きているあいだに、表現者としての自己を主張することもなく、そういう評価も与えられなかった。しかし、彼の死の一年前、彼の写真はマン・レイを中心とするシュールレアリズムの画家たちに認められて、「シュールレアリスト革命」創刊号の表紙を飾ることになる。しかし、その時ですら、アッジェは、「これは単なる資料にすぎないから」と、自分の名前を出すことを頑なに拒んだと言う。

 そして、死後、彼の膨大な写真作品が発掘される。

 アッジェが撮ったありのままのパリの街並みは、作為的処理がなされていないのに、なんとも生々しい質感と存在感がある。彼は、写真最大の強みである”記録”に徹しているだけだが、単なる資料としての記録を超えて、人類の”記憶”が、そこにとどめられている。自分の魂が肉体を抜けて、その人類普遍の記憶の中を漂うことができるような、そんな感覚だ。

 肉体を持つ人間は、限られた時空の中しか経験することができないが、魂の感覚として、肉体が行けなかった時と場所を体験することを可能にする写真。この魂に食い込む感覚は、世界中の珍しい光景を記録に収めて旅心を誘う類の観光写真とは明確に異なる。

 おそらくアッジェは、匠のような鋭利な感覚と技術を備え、邪念や作為を持たず、ましてや矮小な自己承認欲求などもたず、黙々と対象と関わり続けた。だから、軸をぶらすことなく、同じことをずっと継続することができた。

 アッジェが活動したのは、100年前のフランス。

 そして、現在の日本には、鬼海弘雄がいる。人類の足跡の記録を、人類普遍の記憶にできる稀有なる写真芸術家の一人として。おそらく、そういう存在は、同時代に、一人か二人しかいない。

 その記憶を形として明確に残すために、私は、鬼海さんの街の写真集を作った。

 私が言うまでもなく、鬼海さんは今日の日本を代表する写真家であり、すでに国際的にも高い評価を得ている。しかし、その鬼海さんの評価は、浅草で撮り続けたポートレートやインドの写真に負うところが多い。鬼海さんが取り組んできた対象は、一つひとつにじっくりと時間をかけるため、非常に限られていて、この二つ以外には、トルコ、そして、今回、私が写真集を制作した東京の街くらいのものだ。

 鬼海さんの浅草のポートレートや、インドの写真は、確かに素晴らしく圧倒的で、ポートレートは、高名なダイアンアーバスを超えていると私は思うし、世界中に無数のインド写真が溢れているが、鬼海さんのインドの写真を一度でも見たことがあれば、有象無象のインド写真の中から一瞬で鬼海さんの写真を選別できる。それほど他と際立っている。

 しかし、それでも敢えて言うが、東京の街の写真こそが、鬼海さんの真骨頂なのだ。なぜなら、インドや浅草の写真は、鬼海さんの匠の腕があってこそだけれど、被写体そのものの魅力が大きい。つまり、料理人でいえば、癖があって二流の料理人では上手に料理できないけれど、一流の料理人の手にかかれば、素晴らしいものになるという世界だ。

 それに比べて、東京の街を撮った「Tokyo VIew」は、雑草の中に埋もれている山菜を見つけ出して、よけいな手をくわえずに、その繊細な味を見事に引き出している料理だ。インドや浅草の写真は、「うめえ! こんなの食ったことない!」と食べ応えもあり、感嘆の声が出やすいもの。それに比べて「Tokyo view」は、なんともいえないしみじみとした香り、ホッとするような味が滲み出てきて、余韻が広がる出汁のうまさ。色々と美味しい物を食べ尽くしてきた人、つまり色々と素晴らしい写真を見てきた人にしか、その良さは、心底わからないかもしれない。

 様々な分野のコレクターが最後に行き着くのは”石”という言葉があるが、なんでもない表情の中に、深遠なものを見出すためには、受け手側にも、それだけの経験が必要になる。

 そして、そこまでたどり着いている人は、華美なものや大仰な刺激など求めず、シンプルで深遠なものを味わい尽くすことができるので、それを毎日のように眺めても飽きることがない。

 鬼海さんの「Tokyo View」は、まさにそういうもの。

 写真は文章と違って見れば誰でもわかるものだと思っている人が多いが、実は違う。

 テレビ映像のように、注目を集めさせたいポイントをクローズアップする誘導的な映像体験に染まってしまうと、テレビのような恣意的ではない写真、見る人が自分で何かを発見しなければならない映像からは、何も感じ取れないということが起こってしまう。

 化学調味料で味付けをした刺激の強い加工商品ばかり食べていると、山菜の味とか香りがまったく感じられなくなるのと同じだ。

 悲しいかな、わかりやすく誘導的な写真に慣れすぎた人が多すぎるので、発行される写真集、評判のいい写真集、売れる写真集も、そういうものばかりになってしまう。

 だから、「Tokyo view」が、世間で評判になったり、バカ売れすることはあり得ないとわかっていた。

 しかし、アッジェの写真のように、「Tokyo View」が、歴史的な記憶になることは間違いないと確信していた。だから、コストは上がっても、写真の力を最大限に引き出す写真集でなければならなかった。数年で飽きて捨てられたり、みすぼらしくなるような安っぽい装丁にするわけにはいかない。 我々が20世紀前半のアッジェの写真に対して抱く気持ちのように、100年後の人間が「Tokyo view」の写真集を見る時、写真だからこそ現すことができた驚くべき世界を、時を超えて堪能できる喜びと幸運を感じてもらえるものにしなければならなかった。そして、アッジェの100年前のパリと同じく、40年ほど前に鬼海さんが撮影した街の写真と同じような光景が今もあることに現在の我々は何とも言えない感慨を覚えるが、100年後も、同じような深い感慨を抱く人がけっこういる筈であり、そういう時を超えたつながりを、私はイメージしている。

 いくらマン・レイに請われても自分の名前を出すことを拒んだアッジェは、いったいどんな思いで、長いあいだ、同じような写真を黙々と撮り続けたのだろう。

 鬼海さんの「Tokyo View」の写真を見ていても、40年にもわたって、鬼海さんはどんな思いで写真を撮り続けていたのだろうと、ふと考えてしまう。

 そういう他人には計り知れない気持ちを抱えたものは、人の心を惹きつける。

 ”自分の気持ちのおもむくまま”写真を撮っていると、トークショーや対談などで、誇らしげに語る写真家は多い。対象に向かう時の自己中心のスタンスの正当化は、写真業界を支える趣味の人にとっても自らの正当化につながるので心地よく、共感もされやすい。

 しかし、自己中心を語る人の写真は、それを見ても、いったいどんな思いで写真を撮り続けているのだろうという謎めいた気持ちになることはない。そこに写っている対象の奥行きよりも、撮影者の自己承認欲と自己顕示欲が、明確に透けて見えるからだ。いくら当人が、謎めいた演出を施そうとしても、そうすればするほど、意図と思惑が浮かび上がる。 

 鬼海さんや、アッジェは、自分の気持ちのおもくままではなく、対象の尊重が常に先にあった。

 政治もテレビも、”コンセプト”という狙いや思惑が透けて見えるものが多く、その中で自己の主張の仕方の優劣が競われ、そういう安易なものばかりに触れていると、人間が底の浅いものに感じられ、人間そのものへの敬意や信頼がゆるぎがちになる。

 写真も含めて芸術行為は、人工の賜物であるが、一体なぜそこまでの努力をし続けているのか、安っぽい言葉に簡単に置き換えることのできない深遠で具体的な形や物や行為に触れる時、人間の計り知れない奥行きを感じる。

 ともすればゆるぎがちな人間性への信頼を取り戻す回路こそ、今、もっとも必要なことで、芸術表現は、そのためにあると言っても過言でないと思う。

 斬新的であるとか、カッコいいいとか、すぐに消費されるような言葉で賞賛される程度のものではなく、その作品そのものが、人間とは何か、自然とは何かと、世界とは何かと、計り知れない問いをジワジワと問いかけてくるもの。

 歴史を振り返ってみても、レオナルドダヴィンチ、デューラーセザンヌ長谷川等伯、紫式部、俵屋宗達ドストエフスキーなど時空を超えているものは、みんなそうだ。

 写真の世界は、他の表現ジャンルと比べて歴史が浅く、他の表現分野では通用しない制作者の意図が見え見えのものが、いいね!と賞賛されたりする段階の表現分野であるが、ジャン-ウジェーヌ・アッジェや、エドワード・カーティス、そして鬼海弘雄といった人たちの仕事が、きっと100年後には、まさにこれこそが写真にしか現せないものとして、より明確に認識されているだろう。記録を記憶にする力こそ、写真に勝るものはないという認識とともに。

 今後ますますデジタル記録に依存する社会状況の中で、記録ではなく記憶こそが、人間の心を養い、満たし、救う力だと気づかなければ、因果を安易に結びつけるわかりやすさ、取り組みやすさ、数字の上げやすさ、といった効率ばかりが追求され、計算や打算が見え見えの殺伐とした現実ばかりが広がっていくことになる。

 写真の真価が問われるのは、これからなのだ。ノイズがあまりにも多くて、その真価は、見失われがちだが。

 それはいつの時代でも同じ。大事なものが本当に必要になる時、その大事なものを見る目が曇らされる。

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鬼海弘雄さんの街の写真の魅力が少しでも伝わるよう、「Tokyo View」の専用ページを作りました。

https://kazesaeki.wixsite.com/tokyoview

2017-07-04

第1005回 政治の単純化と、われわれの思考の単純化は相互関係にある。

 安倍政権は、これまで、選挙に強いことが強みだったらしい。選挙に強かったから、自民党内でも、安倍一強だったようだ。

 安倍政権が選挙に強かったのは、実績でも、実力でもなかった。他に受け皿がなかったこと。そして、他の政党よりも、「経済」に特化した単純なアピールを行い、「成果をあげます。任せてください」と単純な言い方で強調し、その政策に期待するしかないと国民に思わせてきたからだ。

 安倍首相や、稲田防衛大臣をはじめ、彼のお気に入りの閣僚の論法は、非常によく似ている。核心の部分についてはまったく答えず、「いま我が国を取り巻く本当に厳しい状況のもとで、一層の緊張感を持って、しっかりと職責を果たして参りたいと思います。」という内容をオウムのように繰り返すだけである。日本語が理解できる人なら、質問と回答が噛み合っていないと何度も感じさせられている。

 こうした答弁が、あまりにも続くので、さすがに、国民は苛ついてきた。

 また、安倍政権は、自らの政策の成果として、株価などのわかりやすい数字だけをアピールする。しかし、株価の実態は、日銀や年金積立金管理運用独立行政法人(GRIF)からのお金で、株価の底上げをしているだけである。

 もっとも安易な方法で株価を上げようとしてきたため、日銀の日本株の保有残高は17兆円を突破し、発行済み株式数の5%以上を保有する企業数は83社に上る。日銀は、年6兆円ペースでETF(日経平均株価などの動きに合わせて、それと同じように動くように作られている上場投資信託)を購入するという市場経済の原則からすると禁じ手としか思えない方法で、日経平均株価を買い支えている。

 孫正義氏がサウジアラビアと連携して立ち上げた10兆円の巨大ファンドが大騒ぎになったが、それ以上の規模の実態のないお金が日銀によって動かされている。企業の業績とは関係なく株価だけは上がっているから、株に投資できる富裕層や、低金利のため資産運用で利益を出すしかない保険業、そして本業が芳しくないので株などの運用益で利益を出そうとしている会社は、この政策を支持する。こうした皺寄せが後からどう出てくるかわからないが、とりあえず今、恩恵を受けることができればいい。そういう考えを持っている人が多いことも、安倍政権が支持される原因になっていた。

 しかし、世の中の多くの人は、そういうイカサマから恩恵を受けることはなく、安倍政権が行っていることがまことに都合のいい人と、そうでない人とのあいだで、差が露骨になってきた。そして、自分にすり寄ってくる人たちを仲間として扱い、自分に反発したり批判する人たちを感情的に敵視することしかできない幼稚な人物が、この国のトップであることに疑問を持つ人が増えてきた。

 こうした幼稚な人物が高い支持を受けてきたのは、アメリカのトランプ大統領の場合も同じだが、国民じたいに、幼稚なところがあるからだろう。

 幼稚さは、感情と思考が単純であるところに明確に現れている。

 「難しい状況説明はいいから、結果だけを出してくれればいい。」

 世の中の至るところで、こういうやりとりが増えた。長文の文章を読んで文脈を読み取ることよりも、わかりやすい答えだけ教えてくれればいい、もしくは、具体物さえ見せてくれれば説明はいらないというスタンス。

 政治だけではなく、文化においても同じだ。美術展なども、行政や企業から資金援助を受けるためには、内容よりも、集客数が問題になる。だから、近年、話題性を狙った企画が非常に多くなっている。集客数の多さや、メディアでの露出=成功という単純さなのだ。

 ワンフレーズポリティックスなど典型的だが、難しい話だと人の心に届かないという判断で、できるだけ簡単な言葉で、細かいところは省略して伝えることが効果的だと、政治でもビジネスでも文化でも信じられている。

 しかし、時代の問題、社会の問題、人類の問題を自分ごととして引き受けて考えるならば、単純な言葉で語ることなどできない。

 単純化できるのは、けっきょく、自分にとって都合の良いことかそうでないかを判断させる際の言葉だ。

 「そんなの自分にはメリットはない」、「自分には意味がない」というレベルにことなら、それ以上の説明はいらない。しかし、未来の社会にとってどうなのか、人類の問題として考えるならどうなのかを説明しようとすると、簡単な言葉にならないし、簡単な結論も出せない。簡単に答えを出せない状況のなかで、みんなで知恵を出し合って考えようよと問いかけることしかできない。しかし、宙ぶらりんの状態で葛藤することに耐えられない人が増え、そうした思考の積み重ねを、拒否するようになっている。

 時代の問題、社会の問題、人類の問題を自分ごととして引き受けて悶々とする過程をスルーしてしまっているのに、そんな自分を正当化するように、もっとわかりやすく、もっと単純に、と要求するのである。もはや、難しい内容の本は数多く売れないから、出版社も作らず、さらにわかりやすく、単純なものばかりが跋扈するようになっていく。

 また、原発や平和をテーマにしたイベントなどにおいても、仲間意識を持っている人が集まっているだけのことが多く、論理的に異論を述べている人は、ほとんどいない。できるだけ議論しないで衝突を避ける空気が蔓延している。だから、異なるものの考え方に対して、抵抗力もつきにくいし、応じる力も育たない。結果として、どちらにつくかという感情的な判断しかなくなり、こちらにつかないものを、敵とみなす。

 「あんな人たちに負けるわけにはいかない」と、一国の首相が都議選の応援演説で言い放ち、リーダーとして器の小ささをさらけだしてしまったが、私たち一人ひとりにとっても、他人事ではないのだ。

 老獪な小池都知事は、自民党に勝つために活動しているのではなく、古い自民党をやっつけて、都民ファーストを引き連れて新しい自民党の総裁になり、この国の首相になることを目指しているかもしれない。小池都知事は、安倍首相よりもはるかに上手に、敵と味方を分けて戦いを優位に進める策士である。

 安倍首相は、加計学園問題などで批判されているが、誰にでもわかるような傲慢さと稚拙さがすぐに明らさまになってしまう脇の甘さで、実はまるで大したことのない、凡庸な人物なのだろう。

 だから、担ぎやすく、結果として、一強に見えていただけかもしれない。

 たとえ安倍政権でなくても、「金が儲からなければ、意味ないでしょ」「金がなければ、福祉も、平和も、実現できないですよ」という価値観がはびこっているのならば、これまで安倍氏のやり方で押し通せたところは押し通してきたけれど、それが難しくなってきたら他の方法でそれを押し通そうとする人が出てきて、国民に支持されて、代わりにトップになるだけかもしれない。安倍首相のように、「あんな人たちに負けるわけにはいかない」などと稚拙な対応をとることなく、次のリーダーは、穏健ながらも賢く容赦のない方法で、邪魔者を切り捨てていくかもしれない。もしかしたら、それが小池都知事ということもありえる。

「そうしないと、経済発展しないんですよ」という、やんわりとした言い方に納得させられてしまう人間は多いだろう。共謀罪は、テロリストに対する備えではなく、「危険思想」の持ち主に対するものであり、危険思想というのは、現在においては、国家の豊かさや強さの邪魔になることを指す。

 政治家に期待する前に、はたして自分の中の価値観や思考や暮らしの中の実行がどうなのかが大事であり、政治の方向性は、畢竟、その一人ひとりの価値観や思考や実行の総合が決めていくことになる。

 国民の暮らしを守るということは、価値観と思考を単純化してしまうと、経済を豊かにする(原発容認)ことと、防衛力や治安維持力(共謀罪容認)を増すこと、でしかなくなる。そういう価値観と思考と実行によって、いったい何が失われていくのかじっくりと考え、備えていなければ、後になって、そんな筈じゃなかったということになる。

 今回の都議選に関しても、驕った自民党への制裁とか安倍政権への打撃などと単純化しない方がいい。

 我われは、政府にいったい何を求めているのか。

 多くの人は、生活が安定し、福祉も充実し、老後の心配もなく、子育ての不安もなく、外国の脅威も感じず、公共設備も整った状態を望む。そのことは仕方がない。

 しかし、そうした望みに対して、「お金がなければ、できないでしょ」「経済状態が悪ければ、そんなこと無理でしょ」という論法に対して、一人ひとりが、どう答えられるか。なんとなく違和感を感じながらも、その違和感をうまく説明できないため、空気に流されて同意してしまうかもしれない。

 今すぐに答えられなくても、自分の考えをじっくりと育んでいけるかどうか。そのように思考の準備をする人の数が増えなければ、単純で強引で巧みな論法に安易に絡め取られてしまう人の数ばかりが増え、その数に飲み込まれてしまうだろう。今回の都議選における都民ファーストの圧勝にしても、いくら自民党の不祥事があったとはいえ、それだけでは今回のように歴史的大差になるとは思えず、大勢の人が、小池都知事の敵味方を単純化した巧みな戦術に絡め取られた結果かもしれない。