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風の旅人 編集便り   〜放浪のすすめ〜 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2018-06-05

第1029回 もののあはれ源流への旅。玉石の力と言霊の力

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 兵庫県北部の出石に行ってきた。

 山の中での水晶拾いに誘われたからだが、個人的には、もう一つの関心事項があった。

 それは、出石には出石神社という但馬を代表する古社があるからだ。この神社の祭神は、天日槍命(あめのひぼこのみこと)という渡来系の神(新羅の皇子)で、神功皇后の母親の祖先にあたる。神功皇后の父方の祖先は私が探っている和邇氏だが、神功皇后には和邇氏と新羅の皇子の血が流れており、その彼女から第15代の応神天皇が生まれ、奈良から河内へとヤマトの拠点が移動する。

 そうした歴史の復習はさておき、”出石”という名のとおり、この地は”石”(玉とか鉱石)と関係あるだろうと推測できるが、実際に出石を含む但馬地方には、金や銀など実に多種多彩な鉱山がある。さらにその周辺も、鉄の大江山、日本一のスズ鉱山として栄えた明延鉱山、佐渡金山(越後)、石見銀山(石見)とともに古代から中世にかけて日本の重要な財源であった生野銀山もある。

 また明延鉱山のある養父には、今でも大きなヒスイの原石を見ることができる。

 勾玉の材料であるヒスイは、糸魚川のものが最上級とされるが、もしかしたら古代は、但馬も、ヒスイの生産地の一つだったかもしれない。

 出石神社の祭神の天日槍命は、一人の人物ではなく帰化人の集団で、製鉄とか須恵器の伝来と関係あるという説もある。

 その天日槍命の伝承の中で、”玉”との関係が綴られる。

 天日槍命が日本にやってきた理由は、逃げた妻を追ってきたからで、その妻は、女性の陰部に太陽が差し込んで生まれた赤い玉から生まれたとされている。

 そして、天日槍命は八種の神宝を持ってきたが、その神宝は、『古事記』では、玉が二つと、振浪比礼(浪を起こす布)・切浪比礼(浪を鎮める布)・振風比礼(風を起こす布)・切風比礼(風を鎮める布)・奥津鏡(沖の航海を守る鏡)、辺津鏡(岸の航海を守る鏡)の八種とされている。

 『古事記』や『日本書紀』に記されている神功皇后の三韓征伐の物語でも玉が重要で、神功皇后が海中から得た水晶の如意珠には、玉の中に剣の形が現れており、この宝珠を得てからの神功皇后は占術の力で遠征において連戦連勝。この物語は、能の「西宮」でも謳われている。その如意珠とされるものは、西宮の廣田神社に納められており、年に一回、秋に公開される。

 勾玉は、三種の神器の一つでもあるが、現在、三種の神器のうち天皇が実物を所持しているのは勾玉だけであり、草薙剣は尾張の熱田神宮、八咫鏡は伊勢神宮にあるとされる。

 そして、日本の古代史の中で、”玉”の位置づけは複雑に変遷していた。

 三種の神器の鏡と劔に関しては、大陸伝来のものであり道教の影響が強いと考えられる。古代中国においても王の葬送儀礼などにおいて鏡と劔が用いられている。

 それに対して、玉は、日本において縄文時代から特別なものとして扱われていた。

 とくに縄文文化の最盛期とされる中期(BC3000年〜BC2000年頃)にはヒスイの素晴らしい大珠が作られていた。しかし、縄文後期から晩期にかけて、ヒスイの大珠は姿を消し、勾玉が登場する。その時から、ヒスイは、北陸の生産地から遠く青森や関東などに運ばれて玉製品が制作されるようになる。

 そうした変化の背景には、稲作が始まって富の蓄積がはじまり、鉄器製品の普及とともに各地域のクニに支配者が生まれてくることがあったかもしれない。クニの支配者たちは、軍事的な支配だけでなく、宗教的な支配者でもあった。なぜなら、穀物の栽培や治水灌漑工事など多くの人々を動かすために、宗教的な儀式や呪術的行為によって、支配者の説得力を高める必要があったからだ。

 勾玉は、一種の呪具として、宗教的な役割をもっていたことは間違いないと思われるが、そうした宗教的統治手法が、農作技術とともに全国に広がっていったのだろう。

 しかし、その後、劔と鏡という大陸由来の神器は、支配者たちの儀礼や祭祀道具として残り続けていたにもかかわらず、勾玉は少しずつ減っていって、奈良時代に入ると、ほとんどなくなってしまう。

 三種の神器うち、劔は軍事権で、鏡は祭祀権を表すともされるが、勾玉は何を意味するのか?

 おそらく劔と鏡は首長や新しい宗教的権威である神官と関係が深く、勾玉は、古くからの呪術者と関係が深かった。小さなクニが統合されて国家が誕生すると、首長的役割と神官的役割を果たすものは軍と宗教を盾に大きな権力を持つようになるが、呪術者は、権力者から嫌われ、時には恐れられ、クニのはずれ、日常的世界と異界の世界の境界に追いやられ、村人たちの霊的相談役のような存在になった。

 大陸伝来の陰陽師や祈祷師、僧侶などに役割を取って代わられた古来からの呪術者は、神がかりをして祖霊たちと交流することができる存在だったのだ。

 勾玉は、魂を意味するものであり、それは祖霊=神の宿りだった。

 勾玉を振ることは魂を振ることで、その共振共鳴の原理で、神を自らに憑依させて力を増大させる。卑弥呼のようにかつてはクニの指導者であった呪術者(シャーマン)は、そのように人々の集団をとりまとめた。

 ”魂振り”という言葉の意味は、活力を失った魂を再生すること。広義には、鎮魂(たましずめ)を含める。

 そして、玉(魂)を振ったり、色彩をヒラヒラと振るわせたり、太鼓などの音を振動させて魂を活性化させたり沈静化するという発想は、音の振動によってメッセージを伝える言霊信仰となる。短歌や祝詞は、書かれている内容よりも発せられる音に重きが置かれた。歌うという行為は、時には呪いであり、治癒であったのだ。

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 近畿地方には出石周辺の山々もそうだが神体山と呼ばれる姿美しい低山が数多くある。そして、それらの山々の頂上付近には必ずと言っていいほど磐座がある。その理由は、神体山が長い歳月を経た風化によって、柔らかい部分が削られ、硬い部分だけが残った山だからだ。その頂上付近は、もっとも雨風に晒されている部分であり、非常に硬い岩だけが風化を免れ、磐座となって残っている。

 古代、それらの神体山の頂上の磐座の周りは、歌垣の舞台だった。近隣の村の人々が山に登り、若い男女が恋の歌の掛け合いを行っていたことが風土記などにも記されている。

 言霊の力がその人物の力であり、男も女も、その力を磨いていった。そして、めでたく男女が多く結ばれるとその年の豊作が期待された。磐座に男性器や女性器を連想させるものが多いのも、生殖と五穀豊穣に共通する生命原理が霊力を通して呼び起こされるからだろう。

 こうした言霊と生殖と生産を結びつける古代文化の伝統が、後の『源氏物語』など日本固有の文学へと流れ込んでいく。”もののあはれ”とは、生命循環の摂理を魂の共鳴共振で受け止めることなのだ。

 『源氏物語』は、現代の小説のように一人で室内にこもって目で読むものではなく、女房語りといって一人の女官が声に出して読み、周りの者が声の震えを身体で受け止めて言霊を共有し、共振共鳴する場を作り出す装置だったということを考慮しないと、物語の真相も理解できない。「源氏物語」研究が、作者が紫式部単独かどうかといった史実の調査や、一つの文献的資料として解釈の相違の議論に落ちこんでいくと、本質から遠ざかっていくような気がする。

 現代的感覚では、自らの成長はみずからの努力によるものとされるが、そうした自助努力の意識は自己意識の肥大化を伴う。成功者がより傲慢になっていくのも、そのためだ。

 それに対して、古代人は、力は外側からきて自分に憑くものと考えていた。外と自分のやりとりを魂と感じ、とりわけ祖霊との交感を重視した。祖霊といっても人間だけとは限らない。岩や樹木や川、山など自らを取り囲む森羅万象は、それぞれ世代交代を繰り返しながら今という時を刻んでおり、その恩恵を受けるうえで、それらの自然物の祖霊に対する感謝も大切なこととなる。富の蓄積が始まって特権階級ができる前は、そうした信仰が当たり前のものだった。長く平和が続いた縄文時代は、まさにそういう時代だった。

 そして、玉は、そうした祖霊との交感のための呪具だったのだ。そう考えると、なぜ勾玉が胎児のような形、もしくは、偉大なる漢文学者・東洋学者の故白川静さんが示されたように、骨の屈折すなわち「死体」を著す形なのか納得できる。誕生と死は、過去と未来の接点。不思議なことに、胎児は、まもなく死にゆく皺々の翁のような顔で生まれてくる。

 ”玉石”の位置づけの変遷の歴史は、魂の捉え方や森羅万象と人間との関係の変遷の歴史でもある。

 まずは、縄文後期に、ヒスイの素晴らしい大珠が消えて勾玉になった。

 次の変遷は、小さなクニが統合されて一つの国家が形成されていく過程で、劔や鏡が大王や神官の側で祭祀道具として用いられ続けたのに対して、玉を用いる呪術者が、支配者によって政治の中心から遠ざけられていった。

 そして、次なる大きな変遷は、天武天皇の時代となる。

 壬申の乱(672年)に勝利したことによって専制君主として君臨し、律令制の導入に向けて制度改革を進めた天武天皇は、自らが陰陽師でもあり、日本で最初の天文台も作り、官僚組織としての陰陽寮を設置した。当時の最新科学である陰陽道を政治に積極的に取り入れたのだ。

 新しい価値観と思想を摂取することに積極的だった天武天皇の時代に、日本や天皇のルーツを描くことで過去を尊重する心構えを広める『古事記』と『日本書紀』の編纂が指示される。

 それは天皇の権威づけという意味もあるが、過去から現在までの系譜を整えることで今ある世界の正当性を示し、争い事を抑える目的もあっただろう。

 三種の神器という概念が生まれたのは、この頃だ。

 『古事記』の中では次のように記される。

 スサノオが、亡き母イザナミのいる根の国に行く前に、姉のアマテラスに会おうと思って高天原へ昇ると、山川が響動し国土が震動したので、アマテラスはスサノオが高天原を奪いに来たと思い、武具を携えて彼を迎えた。スサノオはアマテラスの疑いを解くために、ウケイ(誓約)をしようと提案し、まず、アマテラスがスサノオの持っている十拳剣(とつかのつるぎ)を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧から以宗像三女神が生まれた。 

 次に、スサノオが、アマテラスの「八尺の勾玉」を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧から五柱の男神が生まれた。

 その男神の一人、アメノホシオミミの息子が天孫降臨のニニギであり、その三代後が神武天皇だから、天皇家のルーツは勾玉ということになる

 その後、ニニギが高天原から天孫降臨する時、アマテラスが三種の神器をもたせ、その後、天皇となるものは、その三種の神器を受け継いでいくこととなる。

 しかし、第10代の崇神天皇の時に、三種の神器のうち、鏡と劔の祟りを恐れ、その相応しい落ち着き場所を求め、豊鍬入姫命、次の垂仁天皇の時に倭姫命が受け継いで各地を巡り、最終的に伊勢にいたり伊勢神宮に祀った。

 さらに、第12代の景行天皇の息子であるヤマトタケルが東征に出発する時、伊勢神宮の斎女だった倭姫命から草薙の劔を与えられ、遠征からの帰路、尾張のミヤズヒメに預けたまま伊吹山に登り、神の怒りに触れて病となり命を落とし、そのまま草薙の劔は尾張の熱田神宮が保持し続けていることになっている。

 天皇のルーツを、スサノオが噛み砕いた勾玉として描かれ、勾玉以外の劔や鏡は、ヤマトの宮中を出て別のところにあると古事記日本書紀に記されていることは、とても暗示的だ。

 玉を日本古代からの呪具としてみると、天皇の呪術者的な役割が、より明確になる。軍を象徴する劔や、謀略につながる知識を象徴する鏡をヤマトの宮中に置いておくことは、禍の種をそばに置いて秩序を不安定にすることであり、そのことを「祟りを恐れる」と表したとも考えられる。

 それはともかく天武天皇の時代、勾玉の取り扱いは、不可思議な動きを見せる。

 まず、天武天皇が亡くなったすぐ後に制定された飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)は、日本史上、最初の体系的な律令法と考えられているが、現存しておらず、詳細は不明な部分が多いのだが、その中で、勾玉は三種の神器に含まれていなかったが、後に、中臣氏の主張で新たに加えられたという説がある。

 そして、古事記(712年)の中で、玉石は”勾玉”と記されているのに対して、その後に完成した日本書紀(720年)では、曲玉と記されている。卑字・凶字が吉字・好字として書き換えられているのだ。

 天皇がルーツが勾玉なのだから、卑字・凶字はふさわしくないと考えられたのかもしれないし、勾玉を天皇の魂そのものとすると、天皇即位の儀礼の時に神器として受け継ぐのは、劔と鏡という大陸伝来の神具だけでいいということにもなるし、色々と試行錯誤があったかもしれない。

 いずれにしろ、勾玉も三種の神器の一つとして落ち着き、その日本古来の呪具が、三種の神器のうちただ一つ、天皇家が保持し続けるものとなる。(実物は誰も見ていないが、劔と鏡は、それぞれ熱田神宮と伊勢神宮にあり、天皇家が保持しているのは「形代」ということになる。)

 大王の時代(第10代崇神天皇の頃から)、劔と鏡という武力と知力を象徴する大陸由来の呪具が権力者の重要な祭祀道具であったが、第40代の天武天皇の後、日本古来からの呪具である”玉”(魂)の権威が、復権した。それは、どうやら祖霊の力の復権も意味している。

 応神天皇をはじめ歴代の大王たちは激しい戦いに勝ち残ったものであったが、天武天皇は、そうした戦いに懲りていた可能性がある。(古代日本では、権力の頂点をオオキミ(大王)と呼ばれたが、遣隋使を始めた推古天皇の頃から「天皇」という称号が用いられるようになったと考えられる。)

 672年に壬申の乱が起こる前、当時、大海人皇子だった天武天皇は、死を間際に迎えた兄の天智天皇に次の天皇になるように懇願されるが、そのことが禍の種になることを察し、次の天皇は天智天皇の子供の大友皇子がなるべきだと答え、自らは、妃の鵜野皇女(後の持統天皇)や子供の草壁皇子ともに吉野に隠棲した。

 しかし、時代の流れに抵抗することはできず、吉野で挙兵して東国に向かって軍を整え大友皇子の軍を打ち破った天武天皇は、天皇を軸とした調和の国を作ろうとしたのではないか。天皇という存在は、おのれ一人の力によって国の中心に君臨しているのではなく、祖霊たちに守られることで国の安定を保つ媒介者であり、そのための各種の儀礼を司る。祖霊とは、戦争で死んだ英霊という意味ではなく、上にも述べたように森羅万象を循環していく生命全体のこと。そうした思いで、体系的な律令法を作るとともに、陰陽道など森羅万象の摂理を科学的に整える方法を導入し、さらに祖霊の魂をより意識化するための歴史書の編纂を命じた。

 その時から、日本は、独自の統治方法を作り出した。中国においては、歴代皇帝が全権力を手にしていたが、日本では国家統治の『権威』を天皇が担い、『権力』を握る最高責任者を天皇が任命するという形になった。天皇は、皇帝のように民衆を支配する存在ではなく、民衆の生活に責任を持たなければならない存在であるという位置付けである。

 この統治方法は、後の摂関政治だけにとどまらず、武士の時代においても征夷大将軍を天皇が任命するという形、現在でも、衆議院議長が内閣総理大臣の指名の経過を天皇に直接報告し、 天皇が、国会の指名に基づいて内閣総理大臣を任命する(憲法6条1項)という形で引き継がれている。

(天武天皇の功績かどうか、奈良時代から平安時代の終わりまで、日本は、権謀術数は数多く発生し、そのたびに祟りの騒動が持ち上がるが、政治の中心部における大規模な軍事的対立はなくなる。)

 そのように魂の力で国土を治める天皇のルーツが、スサノオが噛み砕いた玉である。玉は、天皇の魂であるとともに森羅万象に満ちる生命の振動と関わっている。

 玉は、縄文時代から続く生命全体を共振共鳴させる呪具であり、祝詞や和歌などに、その力が受け継がれていった。文学とは何かを考える上でも、そのことを忘れてはならない。

 そのことを一番理解して実践して形にした現代の文学者は、今年の2月に亡くなられた石牟礼道子さんだろう。20世紀文学で唯一つだけ後世に伝えるとしたら、石牟礼さんの「苦海浄土」がもっとも相応しい。石牟礼さんの晩年、インタビューをさせていただいた時、重度のパーキンソン病で身体を静止させることができず、玉振りのように激しく身体を震わせながら一つひとつ言葉を発していたことが忘れらない。(不思議なことに、話す時には身体が震えるが、筆を持って書く時は、身体の震えを収まると仰っていた)。

 言葉の美しいことを玉にたとえて「言葉の玉」と言うが、言葉の美しさとは言霊の力を感じられる言葉ということであり、そうした霊力の備わった言葉だけが、時空を超えて、祖霊神のように、人々に共振共鳴される。

 源氏物語が、古代の和歌と、中世の「能」をはじめとする様々な文学や絵画を結んだように。

 17世紀末に生きた芭蕉が12世紀末に生きた西行の言霊に感化されたように、そして、西行が7世紀に生きた柿本人麿たち万葉歌人の言霊を昇華させたように。

2018-05-24

第1028回 アメリカンフットボールと近代合理主義社会。

 アメリカンフットボールのことが大問題になっている。どのニュースもこの件を大きくとりあげ、それ自体が異様な状況となっている。アメリカンフットボールのルールを知っている日本人はほとんどいないが、今回の出来事は、ストーリーとして面白いのだろう。権力者の非情と、権力者に翻弄されて傷つけられた若者の構図が。私は、大学を中退するまで強豪チームでラグビーをやっていて、この種の戦闘的なスポーツのことを少しは理解できるので、おそらくだけれど、今回の問題の真相は、テレビニュースなどが誘導している方向と若干違うのではないかと思っている。

 勝利至上主義であること、全てがトップダウンで、上には一切意見を言えない体質であること。そのため、監督が神様のようになってしまっていたこと。これは、アメリカンフットボールという完全分業制の近代合理主義の賜物のような特殊なスポーツが陥りやすい落とし穴ではあった。

 今回、監督やコーチ、そして選手が自分の人生を大きく狂わせてしまうような事態に直面することになってしまったのは、こうした環境の問題が一番大きく、その環境の特殊性を、その中にいるために自覚できていなかったことが今回の結果を招いてしまった。当事者たちにとって痛恨の極みであると思う。

 今回の事件の当時者である監督もコーチも、スポーツマン出身であり、悪意をもって相手選手を怪我させようとしていたとは到底考えられない。いくら勝利至上主義といえど、子供の頃にテレビアニメで見たような、ライバルのスーパーヒーローを試合前に怪我をさせるという構図が成り立つようなスーパーヒーロー(その選手がいるかいないかで勝負の結果がまったく違う)は、現状のどのチームにも存在しないと思う。(大リーグで大活躍する大谷選手でさえ、怪我で戦列を離れても代わりの選手はいる。)

 おそらく、コーチが選手に放った「相手選手を潰せ(怪我をさせるくらい)」という言葉は、会見に臨んだ選手の真摯さから判断するに、真実だったと思う。

 同じく会見に臨んだコーチの発言から想像するに、このコーチは、うまく言葉を操れずに激しく単純な言葉で気持ちだけを前面に出して指導してきたのだろう。

 そして、このコーチが想定していたのは、相手のクォーターバックがボールを持って走っている時、またはボールを投げる時に、相手がぶっとんでしまって怪我をするくらいの猛烈なタックルをくらわせることだったのではないかと思う。

 「怪我をさせろ!」というのはそういう意味で、まさか、ボールを投げ終えた後、しばらく時間が経って、気持ちが緩んで後ろ向きになって何の警戒もしていない状況の選手に、背後から強烈なタックルをくらわせることまで想像していなかったのではないかと思う。

 「やれなかったではすまないぞ」と試合直前にコーチが選手にかけた言葉も、「手段を選ばずにやるんだぞ、いいな!」という極悪人の台詞のようなことではなかったと思う。

 ただ、退場した選手が一人で泣いている時、「優しすぎるのがダメだ」などと声をかけたのは、このコーチの想像力の乏しさで、起ってしまった事の大きさがわかっていなかったのだろう。局面が自分の想像を超えて一人歩きしてしまった時、自分の言動が理に添わなくなっていくのはよくあること。

 アメリカンフットボールというのは、一人一役で、試合中に自分に課せられた仕事は極めて限られている。アメリカが作り出したこのスポーツは、近代合理主義社会の仕組みそのものであり、大企業の不祥事につながる問題もここにある。

 自分の目の前の仕事の結果だけが問われる。そして失敗をすれば、自分の居場所を失う。代わりはいくらでもいる。そういうプレッシャーをかけられ、かつ、限られたターゲットだけを与えられたら、全体のこと、先のことなど考える余裕がなくなり、そのターゲットだけを目指して、猪突猛進するしかなくなる。

 テレビで何度も繰り返された今回の事件の現場映像で、遠く離れた相手のクォーターバックに向かって、試合の流れとは無関係に全力で走っていき、背後から猛烈なタックルをくらわせた選手の姿が、何か象徴的な意味をもって私たちの心に食い込んできたのだ。それが何なのかは意識できないけれど、何とも言えない恐ろしいもの。その恐ろしさは、組織の中で追い詰められ、生きていくために自分の居場所に執着し、権力者の評価に怯えて暮らす自分とも重なる。

 最近、今回の選手のような状況に陥った人の会見がとても多い。とくに大物政治家や組織内の権力者に忠実であったがために自分の行為を歪めてしまった人たちの釈明。

 彼らは組織内でとても優秀と評価されてきた人たちで、順調に出世もした。根っからの悪人ということではないと思う。しかし、結果的に、自分の行為を歪めてしまった。そして、それが明るみに出た後も、日大の20歳のアメフトの選手のように潔く語ることができていない。

 この両者の違いは、アメフトの選手が、自分のやってしまった行為を受け止めて、自分にはアメフトをやり続ける資格はない、そのつもりはないとケジメをつける心境に至ったのに対して、空疎な言葉を繰り返す政治家や官僚は、色々と複雑なものを抱え込みすぎて、そのケジメをつけられないのだ。悲しいかな、人生の成功と失敗の判断の基準が、まったくわからなくなってしまっている。

 日大の選手のように、自分の言葉で、誠実に語ることで、過ちに至った状況を多くの人々は理解してくれる。しかし、空疎な言葉で真実を歪め続けると、迷路から脱けだすことはできない。

 そして、もう一つ恐ろしいことは、メディア社会というのは、当事者同士が腹を割って話し合えば解決するかもしれない問題でも、全国民を巻き込んだ異様な騒ぎにしてしまい、結果として、当事者たちの人生を嘲笑うかのように狂わせてしまうこと。たった一度の過ちが、それまでの努力の全てを粉砕してしまい、未来も暗澹たるものにしてしまうこと。

 さらに、問題が当事者だけに止まらなくなる。大学一になってモチベーションも高かったはずの日大フェニックスの選手たちも巻き込まれてしまったし、この異様な騒ぎで、日大の学生たちも、世間に対して、どこか後ろめたい気持ちを持たざるを得なくなる。

 テレビの解説者や専門家は、わかりやすい構図で語ろうとするが、彼らもまた、アメリカンフットボールの選手のように組織内で非常に限られた役割だけを与えられ、目の前の結果(視聴率)だけがターゲットであり、結果を出せないと自分の居場所を失うというプレッシャーにさらされ、必死になっているだけのこと。そして、メディアは、関係者の家族を待ち伏せして大勢で取り囲んでインタビューするなど、一人ひとりは悪人ではないかもしれないけれど、結果的に神経が麻痺して思考停止状態に陥り、常識を欠いた行為で、人を傷つけることを平気で行っている。そのことを果たして自覚できているかどうか。

 もっと言うならば、子供達の健康を損なうことを利益に結びつけている企業活動を行っている会社や、手抜き検査を続けていた自動車会社や欠陥住宅販売の社員も同じ。

 私たち近代合理主義社会の住人は、自分に与えられた役割以外のことに、意識も思考も配慮もいかなくなり、目の前の結果だけを負わされるプレッシャーの中にいる。そして、時々、その行為が深刻な事態とつばがり大問題となるが、大問題となっている企業や個人だけを一斉に非難攻撃することばかりが繰り返されている。

 同じ環境の中に居続けていると、非常に限られた役割でしかないのにそれが世界の全てのように感じてしまい、それを失ったら世界が崩壊してしまうような恐怖で、絶望し、プレッシャーに押し潰されて自殺してしまう人もいる。 

 今回の日大の選手のように、その世界に見切りをつけるという心境に至った時、もしかしたら別の視点を得ることができるかもしれない。その時、自分はなんて狭い世界の中に閉じ込められていたのかと気づき、本当の意味で、やり直せるのかもしれない。

 しかし、過ちに気づいてやり直すことを許さない雰囲気を作り出す大衆メディア社会の暴力が無くならないかぎり、それは簡単ではない。

2018-04-13

第1027回  室礼ーOfferings

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 京都のど真ん中の京町家で、4月14日から5月13日まで、写真と工芸と美術のコラボレーション第4回「室礼展」を開催します。本日、なんとか施工を終了させました。今年は、同じ時期に開催されるKyoto grapieの期間に合わせましたので、昨年までに比べて、写真を充実させています。

 詳しくは、こちらのホームページをご覧ください。

https://kazesaeki.wixsite.com/shitsurai

 日本を代表する写真家、鬼海弘雄さんの「 portrait 」を、ほぼ等身大の大きさで10点ほど展示しました。鬼海さんは、海外を含め、様々なところで展覧会が開催されていますが、通常の写真展と違い、他の工芸美術との響きあいをご堪能ください。私も、ピンホール写真を2点、展示しています。テーマに即して、写真だけでなく、建築、工芸、美術などとともに絶妙に響きあい、相乗効果を発揮しています。ぜひ、体感していただければ幸いです。

2018-04-07

第1026回 リアリティと幻想の交錯


 

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4月5日、写真家の森永純さんが亡くなった。80歳だった。森永純さんのことを、知っている人は少ないと思う。森永純さんは、日本の写真界で、写真展という形で最初に展覧会を行った人だ。それまで日本における写真家というのは、雑誌や新聞などに素材を提供する者であり、一人の表現者として作品を世に問うということを行わなかった。だから、森永さんの展覧会の時に、朝日新聞にべったりの木村伊兵衛が文句をつけた。

 森永さんの作品集は二つしかない。一つは、ユージンスミスがその写真を見て(原爆を連想して)号泣した東京のドブ川の写真。そして、もう一つが30年以上撮り続けているのに作品集にまとめようとしなかった森永さんを私が説得して編集をさせてもらった「WAVE」。

 「WAVE」は、森永さんの名前を知っている人はそんなにいないだろうと思って600部しか作らず、50部を森永さんに進呈したが、全部、売り切れてしまった。

 この写真集を作る2年くらい前だったか、小説家の田口ランディさんが、森永さんの作品のファンなので、彼女を連れて森永さんの所に行った。そうすると、森永さんは、数ヶ月会わなかったうちにげっそり痩せていて、本人は自覚がなかったのだけれど、重い病だった。私たちに言われて、翌日、森永さんは病院に行ったが、病院のロビーのところで気を失って倒れ、医者に、もし倒れた場所がここでなかったら死んでいたと言われた。

 長い入院生活の後、リハビリを行い、自宅に戻った頃、「WAVE」の写真集を作りましょうと森永さんに提案した。森永さんは、まだ未完だからと渋ったが、このまま未完のまま終わってしまうのではないかという危機感が私にあったのだと思う。それだけ、森永さんは重症だった。

 その後、写真集も無事にできたし、それをきっかけに、各地で展覧会が行われた。ちょっとした森永純ブームだった。

 一度は死にかけたけれどなんとか生命をつなぎ、最後の最後に、長いあいだの沈黙を破って、写真家、森永純の仕事を世に問うことができた。

 「WAVE」は、ひたすら波だけを撮った写真集だが、長崎への原爆投下で父と妹を失い、真っ白な廃墟から戦後を生き始めた森永純さんが、ご本人は意識しないまま、高度経済成長期の東京のヘドロで埋まったドブ河の写真を象徴的に撮り続け、シャーマン的な素質のあるユージンスミスは、それらの写真に衝撃を受けた。

 ユージンスミスは、森永さんのドブ河の写真を見たことで若かった森永さんを、日立の会社案内を作る仕事でアシスタントに望み、ユージンスミスと森永さんは行動をともにした。

 世界的に有名な写真家ユージンスミスのアシスタントとして紹介される森永純さんだが、森永さんは、とくにユージンスミスの写真の影響を受けておらず、ユージンスミスこそが、森永さんの写真によって触発されるものがあった。晩年、日本と縁が深くなったユージンスミスが撮った水俣病の写真には、森永さんの写真からの影響が強く出ている。この社会の中で、1000人にも達しないかもしれないが、森永さんの写真と正面から向き合ったことのある人にだけ、そのことがわかる。そうでない人にとっては、そんなことはどうでもいいこと。

 しかし、長崎の原爆から戦後の水俣病の問題のあいだに、森永純さんのドブ川の写真が存在しているが、一つの作品で、間違いなく、あの時代の重要な何かを伝えている。あの時代を伝える芸術作品として、森永さんのドブ河は外せないものだ。

 その森永さんが、ドブ河の作品を発表した後、昇天したかのように、波という森羅万象の律動だけを、写真に撮り続けた。 

 ユージンスミスが生きていたら、森永さんの「WAVE」を見て、何を創造しただろう。

 ユージンスミスのようなシャーマン的素質のある写真家がどれだけ残っているかわからないが、「WAVE」の中に、宇宙の根本原理を見出す写真家が、きっといると思う。

 ここ2年ほど、いろいろあって、森永さんと会えなかった。

 森永さんが元気な時は、代々木の喫茶店で、よく話をした。私に、写真を撮れともよく言っていた。森永さんが亡くなる前に会っておけばよかったとは思わない。4年前に亡くなった「アンダーグラウンド」の写真家、内山英明さんもそうだが、生前、いくら親しくても、会っている時は表現の話しかしなかったので、亡くなってからも、作品が手元にあるかぎり、生きているような感覚がする。

 芸術家の魂というのは、そういうものだから。

 森永さんは、「WAVE」の中でこう書いている。

 「海の波ほど、私たちの脳でおこる夢に似て、リアリティと幻想の交錯が激しい世界はない」。

 芸術家の人生も同じだろう。

https://www.kazetabi.jp/%E6%A3%AE%E6%B0%B8%E7%B4%94%E5%86%…/

2018-04-06

第1025回 琵琶湖の周りに点在する聖なる岩山

 

 

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 琵琶湖の湖東、近江八幡から東近江、そして栗東にかけて、裾野が広がった美しい姿の岩山が数多く点在している。

 それらの山々の多くは、頂きに巨大な磐座が鎮座し、古代から聖なる山、神が宿る神体山として崇められてきた。

 こうした地勢ができたのは、日本列島が作られた時よりも遥かに古い。日本列島が大陸から引き離されたのは、2100万年前から1100万年前と考えられているが、東近江で太郎坊宮として知られる阿賀神社が鎮座する標高350mの赤神山を中心として、約7000万年前の火山活動の名残であるカルデラが、ぐるりと環状形に広がっており、その環は、琵琶湖の湖西の比良山系や伊勢と近江のあいだに横たわる鈴鹿山脈にまで及ぶ。

 琵琶湖は、ロシアのバイカル湖、アフリカのタンガニーカ湖に次いで世界で3番目に古い淡水湖で、600万年前に形成されたと考えられているが、当然ながら、琵琶湖周辺の大地も古い時代のものである。

 その長い歳月を経て、花崗岩とか、マグマで焼き固められた硬い変成岩以外の柔らかいところは風化されていった。その結果、火山ではないのに火山のように美しく裾が広がった山が、いずれも単独峰で形成された。そのほとんどが高さ500m前後だが、周辺が平地なので遠くからでも目立つ。そして、それらの山の頂上付近は、柔らかい土の層が洗い流されて岩盤が剥き出しになっており、数々の磐座がある。簡単に登れる山の頂上に、奇岩、怪岩が多く見られるのだ。

 古代人は、それらの磐座を神聖視した。そして、春秋など特定の日時に、麓のクニの住民たちが山に登り、一緒に食事をして、磐座のまわりで歌垣が行われた。

 歌垣は、若い男女が伴侶を見つけるためのもので、互いに求愛歌を掛け合いながら、機知や教養が試された。時に、老人が、若い頃の過ちなどを歌い上げ、人生はそんなに長くないのだと消極的な男女に恋することを促した。多くのカップルが誕生することが豊作につながると信じられていたのだ。

 古代歌謡としての歌垣は、古事記万葉集、風土記などに見えるが、こうした歌のやりとりは、日本の歴史上もっとも優れた小説とされる『源氏物語』の中でも、男女の重要な交流手段となる。

 一千年前、紫式部によって書かれた『源氏物語』の中では、お互いの顔を見ないまま、簾越しに歌が交わされたりするが、歌にこめられた言霊は、ものごとの境界において、その力をより強く発揮する性質のものだったのだろう。

 『源氏物語』は、登場人物が、430余人にも達し、人物の性格描写は精彩で、個性的に描き分けてあり、それゆえ、西欧においては、20世紀を代表する世界的傑作として知られるマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』との類似性が指摘され、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』や、トルストイの『戦争と平和』などとともに、人類が生み出した最も優れた12の小説の一つに位置付けられている。

 それらの偉大なる小説は近代の表現物だが、『源氏物語』だけが、一千年も前に書かれた。『源氏物語』は、突然変異的に、この日本に現れたのではなく、古代から続けられてきた歌垣などを通して、一人ひとりの個性が、心の微妙な機微を歌い上げて言霊を磨き上げてきた伝統の積み重ねの中から生まれたと考えてよいだろう。その一つの集大成として『源氏物語』があり、『源氏物語』を通して、禅や能など中世日本文化が洗練されていき、それらの中世日本文化が、近代文化の行き詰まりの中で足掻く欧米人に再評価されたりしている。

 歌垣の風習は、日本の他に、中国南部からベトナム、インドシナ半島、フィリピンやインドネシアにも存在する。このことから、古代日本の文化は、東南アジアから中国南部にかけての地域と一体の文化圏を築いていたという見方もあるが、日本人にかぎらず、言霊の力で、創生神話を伝え、祖先を敬い、収穫を祈り、死者を悼むことは、人類普遍の精神活動だったとも言える。

 しかしながら、古代の日本人が、磐座など境界性の強い場で、歌垣を行いながら、心の微妙な機微を読み合っていたことは、非常に意味深い。

 というのは、日本の文化、文芸、芸能は、その境界性の中でこそ一段と深められてきたからだ。

 日本人は、”境界”を、固定的な分け隔てるものとして捉えるのではなく、異質のものを共存させる”間”という柔軟な時空間として捉えてきた。

 中世において、茶の間、床の間などが発達し、襖だとか障子で部屋を仕切るようになった。

 日本語の空間・時間・世間・人間というように、「間」という言葉は、私たちが生きていくうえで関わる重要な局面に使われている。芸術から建築、死生観に至るまで、日本文化の真髄は「間」にある。日本の「間」は、壁でもなく、だからといって何もないわけでもなく、微妙なバランスを保ちながら大きな力を発揮するポテンシャルを備えたものなのだ。

 そうした”間の文化”が、近代的自我によって、自分と他人、この場所と別の場所、生と死を峻別する西欧的な時空観の限界を超える可能性を秘めたものとして心惹かれる人が増えているのかもしれない。

 「間」を重視する日本人の時空間に対するセンスは、きっと風土によって育まれた。異なる形や性質のものが絶妙に配置され、響きあい、美しく調和し、時とともにダイナミックに変化していく日本の風土によって。

 とりわけ近江は、磐座のある神体山に登ると、琵琶湖の広がりと平野の広がりの中に、周辺の美しい形をした山々が散在するのを見ることができる。

 そうした風景を堪能する気持ちは、私たちと古代人のあいだに違いはなく、その気持ちを誰かと共有するために何かしらの表現を行おうとする心の衝動も同じだろう。

 琵琶湖の周りに点在する幾つもの聖なる山は、日頃、忘れているその感覚を、わずか1、2時間ほどの登山で蘇らせてくれる。

2018-03-13

1024回 近代文明の本質と、その行方〜私たちは何を捨て、何を守るべきか。

 4月1日(日)、午後1時から、第3回 この惑星に生きる作法〜レジリエンスダイアローグを開催します。

 https://kazesaeki.wixsite.com/resilience/blank-1

 テーマは、「近代文明の本質と、その行方〜私たちは何を捨て、何を守るべきか。」です。ゲストは、社会思想家の佐伯啓思さんを迎えて行います。

 詳細、お申し込みは、ホームページをご確認ください。

 趣旨:「日本政府が掲げる経済成長優先の政策は、一人ひとりの暮らしを豊かにするという大義名分にも関わらず、数字が上がっても豊かさの実感に乏しく、富めるものはさらに富んで貧富の差が拡大する状況を作り出していますが、この構造は、一体どうなっているのでしょう。

 全体の生産性を増大させるために、一人ひとりの人間を機械部品とみなし、その効率をあげることが追求されるシステムの中では、効率を妨げる部品は、全体のマイナスになるからという理由で取り替えられます。あげくの果て、少数の最新の部品で全てをうまくコントロールすることが最善の価値となり、一人ひとりは、知らず知らず、そのシステムに従わされ、全体の流れを滞らせるものは不具合、不良品ということになります。

 この価値観や仕組みは、誰かに命令されてそうなっているのではなく、一人ひとりの意識の中に巧妙に刷り込まれています。差別や、いじめなどの集団暴力、そして、善良なる組織人の隠蔽や改竄などの犯罪行為も、根は同じでしょう。

 この意識の形成は、長い歴史を通して作り上げられてきたものように人々は錯覚していますが実際はそうではありません。

 江戸時代末期の欧米による圧力、そして大平洋戦争の敗戦以降、世界情勢の中でそう教育せざるを得なかった事情がありました。その結果、国家(組織)のために個人が犠牲になることも潔しという価値観が醸成され、そうした秩序維持に反せず、歯車として動き続けるのであれば、消費や所有や娯楽の利己的な活動は保証されました。物は豊富にあり利便性は向上したけれど、閉塞感と不安がつきまとうのは、自分の存在が全体の仕組みの中の一つの部品にすぎず、その中で役に立つかどうかを常に計られている感覚が抜けきらないからだと思われます。

 真の意味で、”豊かな人生”から遠ざかってしまうその構造は、社会を豊かにするという目標を掲げた近代文明の価値観やシステムに適応できるように作られた私たちの意識と一体化しています。 

 しかし、時代は急激に変化しています。これまでの量的拡大発展を牽引してきたシステムが、様々な歪みを生み、軋みを立てて崩れていく現実が日増しに多くなっているのです。

 この時代に生きる私たちは、まず第一に、私たちが当たり前のこととして信じて疑わない価値観が、いったいどういう構造のもとに出来上がっているのか冷静に認識する必要があるでしょう。そして、果たしてその価値観は、普遍性を持ったものかどうかを見極める必要があります。

 さらに普遍性といっても、西欧のように絶対的で固定的な神を想定せず、万物流転、諸行無常の精神の中で育まれてきた日本の歴史文化における普遍性という、別の視座による普遍性があることを知ることも大事です。

 第3回 レジリエンスダイアローグでは、今日の経済および社会の問題から、私たちが本当に大切にすべきことを改めて深く考え、少しでも知っていく機会としたいと思います。

2018-03-12

第1023回 ジェノサイド(集団殺戮)に対するダイアモンド博士の考えに対する違和感。


 昨日の夜、寝る前に歯を磨きながらテレビのスイッチを入れたら、ジャレド・ダイアモンド博士が講義する番組が始まるところで、それは、ジェノサイド(集団殺戮)をテーマにしたものだったので、思わず、見続けてしまった。

 ジャレド・ダイアモンド博士は、「銃・病原菌・鉄」でピュリツァー賞を受賞した人で、「世界最高の知性の一人」などと宣伝されていたので、この本と、もう一冊他の本に目を通したのだけど、その時、あまり大したことを書いていないなあ、なんでこれが世界最高の知性なの?という印象だった。

 昨日の番組の内容も、ひどいものだった。

 番組では、冒頭から、20世紀になってからの様々な集団殺戮が列挙された。ドイツ人によるユダヤ人の虐殺、ルワンダ、ボスニアカンボジアといったところが示されたが、博士の所属するアメリカ合衆国が行った原爆投下は出てこなかった。原爆は、集団虐殺とは別のものと考えているのだろうか。

 博士は、番組の中で述べているように、「集団殺戮の起源は動物にある」と考えていて、その説を強調するために、博士は、チンパンジーなどの殺戮行為を一つひとつ取り上げていく。その中には、肉食動物が草食動物を殺して食べることも含まれる。博士は、人類の集団殺戮もその延長線上に位置付けているので、食料や資源などを奪うために、人は人を殺すといった話が展開される。そして、「シリアスな話が続いたけれど、希望もあるのだよ」と学生たちに語る。

 博士が口にする希望とは何かというと、20世紀になって虐殺で殺された人の数は膨大だけれど、ニューギニアなどの戦闘行為などで死んだ人の数に比べて、人口比率では少なくなってきていると言うのだ。つまり、目を背けたくなるような集団殺戮がテレビなどを通じて紹介されるけれど、それは我々の全人口のごく一部で、その他大勢は無事に生きているでしょ。人類は進化しているのだよと。

 あまりにも話の展開が凡庸なので、ちょっと調べてみたら、この博士は、もともとは生理学者として分子生理学の研究をしていた人で、ニューギニアでの体験から人類の発展について興味を持ち、その考察が『銃・病原菌・鉄』という形になって、この本が評判になったために、それ以降、よくあるような文明の盛衰についての考察をまとめた『文明論』の本をいくつか出しているようだ。そういう経緯はどうでもいいが、「銃・病原菌・鉄」を読んだ時に、あまり深みがないなあと感じたのは、あらかじめ自分が組み立てているストーリーに添って、それを裏付ける証拠だけを集めて構成し結論付けているだけという印象が強かったからだ。

 そして、そのストーリーも、学問的な確かさとは関係なく、知的に受け入れられやすいものになっている。”知的に”といっても、本当の意味の知性というより、たとえば上流階級もしくは、それに憧れる人の社交の場で、ワイングラスを片手に語るうえで、ちょっと優越感に浸れるような、世界の現状に即した内容で、説明しやすく、深刻になりすぎることはない知識情報と教養(そんなものは本当の教養ではなく、ファッションみたいなものだけど)。

 「人類は、あいかわらず虐殺とかやっていて、ひどいものだよね。でも、きみは知っているかい? 過去に比べて、人口比率の上では、殺される人の数は減っているんだよ。たとえば、ニューギニアではこれだけの人が死んだ。それに比べて、ドイツの人口はこれだけで、そのうち殺されたのはこれだけ。パーセントでは、ニューギニアの方がひどかったんだよ。問題は解決されたわけではないけど、人間は進化しているんだよ。」と。

 ダイアモンド博士は、福島原発事故後の2012年1月の朝日新聞のインタビュー記事で、「温暖化のほうが深刻、原発を手放すな」と主張し、原発肯定の姿勢を取ったらしいが、この人の思考論理だと、そう考えても不思議ではない。だから、原爆による殺傷も、虐殺に入っていない。虐殺に入れているけれど、たまたま口に出なかっただけとも考えられるだろうけれど、仮にそうだとしても、近代の集団殺戮のことで、原爆のことが真っ先に出てこないことが、この人の知的ストーリーの浅さを露呈している。だから、これまで起こった人類の殺戮を、全人口に対する死んだ人のパーセンテージで計るという発想になる。

 肉食動物が草食動物を襲うことや、先住民族が槍や弓矢で人を殺すことと、ナチスによるユダヤ人虐殺は、同じ土俵のことだろうか?

 ”人間が進化している”というのは、殺害数のパーセントが減っていることで証明できることだろうか。

 近代文明の成果の一つである効率化を進化の形態とするならば、その進化によって、ボタンに指を載せるだけで、一瞬にして何十万人、何百万人の人を殺すことができるようになっている。その行為は、自分の肉体と相手の肉体をぶつけ合い、自分も死ぬリスクを賭けてのものではない。ライオンがシマウマを襲う時も、必ず勝てるわけではなく、油断すると、強力な後ろ足で蹴られて致命傷を負う可能性がある。自然界は、人類史よりもはるかに長い歳月をかけて、生態系のバランスが大きく崩れないように、それぞれの個体の能力を絶妙に整えている。だから、強いライオンの数が増えすぎて弱いシマウマが絶滅するということにはならなかった。

 現在の人類が考えなければならないジェノサイド(集団殺戮)の恐ろしさは、そうしたバランスを無視するところまで進化させられた効率化が、人間の想像力の限界を超えた力を持ってしまっていることだ。それを実行すると、いったいどういうことが起こるか想像もつかない。計算はできるけれど、確かなイメージを共有しずらい。計算によって導き出された数字によって、ある程度は想像できて牽制はできるけれど、リアリティが弱いために、権力者が、引いてはならない引金を引いてしまうかもしれない。

 たとえば北朝鮮とアメリカの問題にしても、いくらアメリカが先制攻撃によって北朝鮮の軍事施設を爆撃したとしても、韓国や日本で最初の数日のあいだに100万を超える人間が死ぬと算出はされている。100万人の数字のリアリティを、どれだけ人は感じることができるだろう。それでもパーセントとしては、100人に1人だから、先住民の戦闘のように、戦いによって10人に1人が死んだケースよりマシだと言えるだろうか。

 ドイツのユダヤ人虐殺の戦慄するような怖さは、人が人を殺すことの残虐さだけでなく、人を殺すために冷徹に、効率よく準備して、計画して、できるだけ無駄を省くように考え、大量の人間を工場のような設備に運び、規則的に殺していったことだ。しかも、殺しに加担した人たちは、野獣のように凶暴な顔つきで事を行ったのではなく、官僚的に、事務的に、それを行った。合理性を進化させた人間の集団殺戮の怖さは、その冷静さにある。

 人間は、理性があり冷静になれるから動物や先住民よりマシで、だから希望があるのではなく、むしろ、その理性と冷静が、狂気につながる。

 人類のジェノサイド(集団殺戮)を今日の問題として考えるならば、動物との比較ではなく、近代人が身につけた理性と冷静について、もっと掘り下げる必要がある。理性は、”計算高い”ということでもあり、冷静は、”容赦がない”ということにもつながるのだから。計算高く、容赦のない仕打ちほど、恐ろしいものはない。

2018-03-07

1022回 いにしへの近江をめぐる。


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九頭弁財天八大龍王

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馬見岡綿向神社

昔を思い出すことが忘れていた今を思い出すことであるような、そういう想い出しかたがありそうな気がする。 西郷信綱『古代人と夢』 

 近江は、京都より古い歴史がある。高島や伊吹山周辺も記紀以前の史跡が数多くあるが、甲賀も興味深く、最近、続けて訪れている。甲賀から伊賀の道は、かつての東海道で、別名、杣街道と呼ばれた。杣とは、宮殿や寺院の造営や、それを維持する建築材を得るために設けられた山林のことで、古代の甲賀郡には、東大寺が経営する「甲賀杣」などの杣が集中して設けられていた。

それらの木材は、筏に組まれ、野洲川の水運を利用して各地に運ばれていた。

 小栗康平さんの映画『埋れ木』は、甲賀の高速道路建設現場で、飛鳥時代に伐採され、斧などで製材する途中の杉の巨木が地中から大量に発見された時のことが、インスピレーションの種になっている。

 古代において大いに賑わった甲賀の名残は、各地に残されている立派な神社を見るとわかる。創建がいつかわからないが、927年にまとめられた『延喜式』の神名帳に記載されているので、それ以前に建てられたことは間違いないという神社が、実にたくさんある。そして、それらの神社は、今も氏子さん達に大切にされ、とても美しく維持されている。

 甲賀を訪れると、国家ではなく、”くに”を単位にした人々の暮らしが、なんとなくであるが、偲ぶことができる。

 グローバリスムの潮流に乗るために、中央集権的国家が、それぞれの地域の特殊事情を無視した政策を強引に押し進め、その成果を数字で主張するが、そうした数値主義によって、仕事も暮らしも、つまらないものになっている。今の社会は、豊かであることを誇示し、そして華美に、大仰に、アピールしているものの、その内実はどうかというと、つまらないなあと感じるものが実に多い。

 つまらないということに対して、もう少し正直になれる人が増えるだけでも、社会は変わっていくような気がするのだけどね。

 昨日はあいにくの天気だったけれど、聖地は、雨に濡れることで、より味わい深くもなる。

 おそらく古代の祓いの場だったろう九頭弁財天八大龍王から、杣の中心地だと思われる新宮神社、甲賀で最も美しいと言われる油日神社、湖東地方最大の日野祭で賑わう馬見綿向神社、熊野神社、竜王町の中心に鎮座し、古代の古墳群と隣接する苗村神社、喧嘩祭りと言われる”おおはら祇園祭で賑わう大鳥神社と訪れた。すぐ近くに、これだけ立派な神社が次々とあり、それぞれ別の”くに”の氏子さん達に崇敬され続けているのが興味深い。

2018-02-21

第1021回 宇宙の摂理と人間をつなげる力。〜ウィリアム・ターナーの絵画世界〜

 

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 京都文化博物館でターナー展が始まったので、さっそく見に行ってきた。 

 20歳の時、大学を中退して放浪中に、ロンドンのテートギャラリーで見たターナーの絵画。それまでヨーロッパの絵画には大して心動かされなかったが、ターナーの絵は格別で、心が震えた。大自然の崇高さと、その中の人間の営み。産業革命が急速に進行し、人間の傲慢さが増大する社会状況の中で、ターナーは、自然への畏怖心と人間の尊厳のバランスを、壮大なスケールで描き出している。150年以上の時を超えて、ターナーの絵は、人間の都合を優先させる近代合理主義社会を生きる人間に、深い啓示を与え続けている。

 ターナーの絵は単なる自然描写ではなく、かといって、単に内面を抽象化したものでもない。

 彼の絵には自然と人為の両方が描かれているが、大自然の強大な力の前に人間の営みは、あまりにもはかなく、かといって決して悲観的ではなく、おこがましさもなく、画面全体からは祈りのような繊細な感覚が響き渡ってきて、人間の営みも含めた大自然のエネルギーが崇高な光となって放射され、それを全身に浴びるような感覚になる。

 英国史上もっとも偉大な画家の一人と言われるターナーは、1775年にロンドンで生まれ、1851年に亡くなったが、その生涯は、産業革命によって社会が急激に変貌していく時期と重なっていた。

 26歳でロイヤルアカデミーの正会員になるなど、若くして高い評価を得たターナーは、当初、写実的な風景画を描く画家であった。しかし、年齢が熟するとともに作風は抽象的なものに変わり、他の人々にとって次第に理解されにくいものになっていった。

 ターナーが描こうとした風景は、目の前にある風景を正確に写し取ったものではなく、自分自身の中に特別な感慨を伴って存在するものだった。その画面からは何かしらの感情の震え、宗教的な昂揚感に通じるものが感じられる。理性では説明しずらい何か、日常の知覚を超える何か、画家自身が心の深いところで感じる一種絶対の親近感や畏怖心が、ドラマチックに反映されている。

 ターナーは、崇高な光が満ち溢れるキャンバスの中に、古代遺跡や、近代以降に作り出された鉄道、蒸気船など過去から現在へと連なる人間の事象や、同時代を生きる人間の営みを小さくを描いているが、小さいながらも人間の存在を示すものが、印象深いアクセントになっている。

 人間の歴史を掘り起こしながら現在にも強く関心を向けるターナーは、きれぎれに変化する一瞬ごとの時間の断片ではなく、宇宙(大自然)のエネルギーと、自分を含めた人間一人ひとりの連関を鋭く察知し、その霊的な実感をキャンバスに蘇らせようとしていると感じられる。

 人間の暴力的なエゴが剥き出しになり、人間の在り方が根本的に問われる時代に人間として誠実に生きることは、嵐の中の小舟のように翻弄されることであり、そうした時代に、通り一遍の知識や理性だけでは何の助けにもならないことをターナーは理解していた。

 困難な状況のなか、自分を前向きに推進させる力は、自らの内部に湧き起こる驚き、感動、憧れ、畏れなど、宗教的ともいえる情感を必要とする。それは決してセンチメンタルなものではなく、人間の理性と敵対するものでもなく、理性の限界を自覚した時に人間をさらに高みへと導く霊的な直感と想像力の賜物だ。その境地に至って初めて、自分が宇宙(自然)の摂理に帰属しているという安心と自信を得ることができる。

 ターナーにとって真理と美は、そのように引き裂かれていく人間の自我の隙間に差し込んでくる感動的な心の働きであり、それは、大自然を循環するエネルギーに等しいものであったように思われる。

 人間と自然の関係が歪んでいく時代、ターナーは、大いなる自然と、人間の心の根底に宿るものを一体化させることの重要性を誰よりも深く悟っていたに違いない。

 晩年になるにつれて、ターナーの絵は、ますます奔放になって光と色彩は壮麗に輝き、混沌の中に至純の美を醸し出すが、実利的なものを求める世界との隔たりは増大し、次第に彼は変人扱いされるようになる。

 印象派を30年以上先取りしていたターナーは、成功者でありながら先駆者ゆえの孤独の生涯をおくることになるが、彼の肉体は滅んでも、大いなる自然と一体となった魂の律動は、キャンバスの中で永久に生き続けている。

 ターナーが心眼で照らし出した光景は、崇高ないのちを帯びて輝き、現代を生きる私たちの心に畏怖の念を呼び起こす。

 近代文明という人間が作り出した限定的な世界の中に閉塞し、鈍麻してしまった人間の心の奥底に眠る自然への憧れ、郷愁、そして畏れを取り戻す回路が、彼の絵の中に秘められている。

2018-02-19

第1020回 個々の死を超える自然の大調和の世界

 2月10日、石牟礼道子さん亡くなられた。90歳だった。

 石牟礼さんのロングインタビューを行ったのは、2014年の春だった。6月1日に発行する「風の旅人」の第48号に間に合わせるための、ギリギリのタイミングだった。

 インタビューの予定は、1月くらいだったけれど、石牟礼さんの体調が思わしくなく、延期をしていた。毎号、ロングインタビューを行っていたけれど、「死の力」というテーマでは、石牟礼さん以外に考えられず、そのことをお伝えし、熊本までお伺いすることで了承をいただいてはいた。

 しかし、とてもインタビューを受けられるような状態ではないとお聞きし、待ち続けていて、諦めた時に、突然、ご連絡をいただき、今なら大丈夫ということで、すぐに飛行機に乗って飛んでいった。

 インタビューはその翌日、熊本市内の病院だったが、約束は午後だったので水俣に宿泊することにした。駅からタクシーに乗り、真っ暗な中、その直前、適当に見つけたホテルを探して宿泊して、翌朝、目覚めて窓を開けると、目の前が海。ホテルの人に確認して場所を把握すると、そこは、石牟礼さんが幼い頃に過ごした場所で、「椿の海の記」で描かれていた舞台だとわかった。偶然の一致だった。

 インタビューの最初に、その海の話をすると、石牟礼さんの目が光り、幼い頃の話からインタビューが始まった。海の生物とか母親のこと、まさに石牟礼文学の原点がそこにあった。何をどうお聞きすればいいのか、それまでずっと考え続けてきたが答えが見つからなかったので、椿の海に助けられたと思った。その後、石牟礼さんが白川静さんの大ファンだと知っていたので、二人で、白川さんのことを軸に、話を進めることができた。白川さんの人柄から、古代から変わらない普遍のことまで。白川さんにお守りいただいていると感じた。インタビューは、全体として、個々の死を超える自然の大調和の世界へと展開していった。

 石牟礼さんと向き合うインタビューは、とても私の力の及ぶものではないと思いながらも依頼し、あとは天に任せるしかないと肚を決めていたので、なんとかインタビューを形にできたことは、自分でも奇跡だと思う。

 20世紀に書かれた小説は膨大な数にのぼる。しかし、100年、200年、300年経った時に、この時代がどういう時代であるかを伝えるとともに、その時代に向き合う人間の崇高な魂を普遍的に示すものを一つだけ選べと言われれば、私は、石牟礼道子さんの「苦海浄土」をあげる。

 石牟礼さんの詩魂は、芭蕉や西行や柿本人麿のように時代を超えるだろう。そして、「苦海浄土」は、数千年後でも、古代のギルガメッシュ叙事詩のように、語り継がれる内容だと思う。

 「風の旅人」は、これまで50冊作ってきたが、この石牟礼さんのインタビュー記事を掲載した48号を数冊残すだけで、他に在庫は残っていない。

 特に売りたいという気持ちもない。これまでご縁のなかった方、たとえば少し前に、宗教学者の山折哲雄さんとご縁ができた時に、名刺がわりに、この48号をお渡しした。この1冊で、風の旅人を通じて私が何をやろうとしていたのが、ご理解いただけた。

 白川静さんや石牟礼道子さんなど、この時代にかぎらず、間違いなく人類史のなかで、肉体は滅んでも魂は輝き続けるであろう人たちの魂の言葉をいただけたことに、心から感謝したい。