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風の旅人 編集便り   〜放浪のすすめ〜 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2016-12-05

第972回 自然と伝統文化から日本を見つめ直す

 

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 都会を離れ、慌ただしい日常の時間からしばし離れ、能登半島にこもり、大自然の中で、日本のことをじっくりと振り返りませんか。大きな時間の中で、過去から今、そして未来のことに思いを馳せませんか。

 12月19日(月)、能登半島にある「能登の家じんのびーと」というところで、友人の写真家、マスノマサヒロさんと、以下のようなイベントを企画しました。どうせここまで来ていただくのならばと、時間を気にしなくてすむ宿泊付きの企画です。

 宿泊場所となる「能登の家じんのびーと」は、マスノさんが、原発事故で被災した福島の子供達が思い切り心身を広げられる場として開いている大自然に囲まれた大きな一軒家です。

 と き  12月19日午後2時開演(開場正午)

 

 第一部  京ことば源氏物語 女房語り・山下智子

 第二部  座談会「自然と伝統文化から日本を見つめ直す」 

      コーディネーター・佐伯剛

      能登の伝統文化、自然文化、継承者たちとともに

 第三部  自由自在な交流会

 参加費  3,300円 *宿泊希望の場合は、宿泊費無料、食費は別途2,000円(夕食+朝食)

 場所:能登の家じんのびーと(鳳珠郡能登町柿生天5-14)

    http://www.kazesan.net/pg364.html

     *のと鉄道穴水駅からの送迎あり。

     送迎は正午の穴水駅出発に間に合う方となります。 

 

▶お申し込み・お問い合わせ  マスノマサヒロ写真事務所

   電話 080・2341・3365

   Fax 076−287−6824

   Email : mm@kazesan.net

   (なるべくメールでお願いします)

<趣旨>

 源氏物語は、日本人なら誰でも知っている物語ですが、実際に読み通したことがある人はほとんどいないという不思議な読み物でもあります。現代人がこの物語のことを意識することはほとんどありません。しかし、私たちの無意識の深いところに、この物語のエッセンスは脈々と流れているのです。なぜなら一千年も前の平安時代に書かれた物語は、その後の鎌倉、室町、江戸時代に、無数の写本や絵巻が描かれ、無数の人々に影響を与え、そこから中世日本文化が生まれ、その中世日本文化の影響を受けて、日本人の思考や感性がつくられてきたからです。もののあわれ、侘びや寂び、粋などという日本が洗練させてきた深い精神的態度は、すべてここに遡ると言って過言ではないでしょう。この源氏物語を核に、伝統文化や自然から日本を見つめ直す場を、能登という聖なる時空の中に設けました。

 能登半島は日本列島のほぼ真ん中に位置し、日本海に突き出ています。半島や岬は、彼岸と此岸の境であり、古くから神々の世界と人間界をつなぐ場所でした。能登もまた、神々と人々が自然を介して共存する土地で、しばしば「民俗の宝庫」あるいは「祭りの宝庫」と称されます。古くから、山や海、木や岩など自分を取り囲む自然の中に魂を感じとり、畏敬の念と感謝の気持ちを育ててきた日本人は、世界が急速に均質化して行くグローバル化の大河の中で、自分のアイデンティティを問わざるを得ない状況にもなっています。頭でっかちに考えるのではなく、身体の感覚を敏感にして、記憶の深いところに耳を傾ける。日本人の優れた知恵や技は、そのようにして生み出され、受け継がれてきました。

 都会の中にいると、見えないもの、聞こえない音があります。それは、都会の雑多な情報が、我々の分別や打算という目先の現実に適合するために活性化する大脳の働きを刺激しすぎるからです。記憶の深いところに意識を集中するためには、少し大脳を鎮めて、小脳の記憶にアクセスする必要があります。能登の自然の中で、身も心もリラックスさせて、深いところで日本を見つめ直す一期一会になればと思います。

源氏物語〜もののあはれ源流への旅〜 女房語り 山下智子>

 言霊の国日本。京ことば源氏物語は、京都の国文学者・故中井和子先生が十五年の歳月をかけ源氏物語全五十四帖を今から百年ほど前の京ことばに訳されたものです。(大修館書店より出版-全五巻)

 現代からみると雲の上のような格調高い王朝絵巻ですが、京ことば源氏物語では一人の女房(高の女官)の視点で宮中の出来事のあれこれがあたかもここで話しているように語られ、生き生きとした平安の世の人間模様が浮かび上がります。

 「ことば」はその土地の独特の気候風土が育んだ感性によって紡がれたものです。複雑で微妙に移ろいゆく京都の自然は、そこに住む人々の心にことばにかさねられてゆきました。女房という立場から、配慮を見せつつおぼろげにことばをかさねてゆくことでだんだんと立体化する物語世界は直接的ではありませんが、気候風土のもたらす発想の息吹そのものが「音」となって響いては消えるその中に、源氏物語の底に流れるもののあはれをくみ取っていただけることを願います。


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2016-12-04

第971回  競争から共創へ、利己から利他へ  ―ゞ気遼楴


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 神社が政治的存在感を増している。 http://toyokeizai.net/articles/-/139081

 神社で憲法改正を求める幟やポスターが掲げられ、署名が集められている。神社は、祈りの場なのに政治活動の場になっている。

 そうした神社の関係者は、「個人だけでなく国家の安泰を守るための精神的な柱になりたい、その宗教的権威を取り戻したい」という思いがあるのかもしれないけれど、宗教者として大事なことを見失っている。

 「日本人から道徳心や精神性がなくなっているのは宗教心が弱いからだ、それを取り戻さなければいけない」と考え、政治と宗教を結びつけようとしている人もいるが、それもまた、大事なことを見失っている。

「国家」という言葉を使うと、何か立派なことのように聞こえるが、そうした言葉を大義名分のようにふりかざずのは、小心な人間にすぎない。小心な人間が、自分を立派に見せるために、言葉の上で立派そうなことを言っているにすぎない。国家権威とか宗教権威など権威という虎の威を借る狐にすぎない。

 そして、その狐じたいが、何か立派な存在のように奉られている状況も、現代社会が、大切なことを見失っているからだ。

 お稲荷さんの狐も、本来は眷属であり使者であるが、それを神様のように崇める人が、この世界には多くいる。それは一種の偶像崇拝なのだが、人間は、偶像崇拝によって堕落していくことを、宗教の創始者達は理解し、禁じていた。

 偶像は、心を偶像へと心を向けさせることで、本来、向き合わなければいけないものから目を逸らさせ、偽りの、つかの間の、心の安泰へと導く。

 宗教にかぎらず、現実世界には、偶像が溢れかえっており、権威付けというのは、すべて偶像化による心理操作である。

 だから、露骨な偶像化が行われている時というのは、向き合わなければならない大切なことから人々の目を逸らさせようとする人間の策略だと考えた方が間違いない。

 向き合わなければいけない大切なことは何なのか。それは、虎の威を借る狐が、大きな声で叫ぶ国家の安泰なのか。

 その国家とは何なのか。「一部の政治家や官僚のためだけの国家」という体制批判でよく使われる古い言い方は、もうやめとこう。

 国家という言葉が、国民一般を含むものだとしても、国家の安泰が叫ばれる時の「国家」は、利己への執着の集合体でしかない。

 私たちが今、本当に向き合わなければいけない大切なこと、考えなければいけない大切なことは、利己への執着のためだけに祈る心が、今の社会状況に相応しいかどうかなのだ。そういう人の集合体が国家ならば、その国家の中では、利己への執着のための競争が永遠に続き、その勝者が崇められ、敗者の上に君臨するだけのこと。

 利己主義を自由化と言い換え、その原理に基づく競争が国家を繁栄させるのだと主張する人々は、その貪婪な競争の勝利者であることが多い。そういう価値観が存続することが、自らの地位の安泰を守ることになる。彼らの叫ぶ国家安泰というのは、そうした自分に都合の良い秩序や価値観の安泰ということにすぎない。

 利己への執着の強さは、人を人とも思わないことを考えさせ、実行させる。

 時代を超えて存続してきた宗教は、この利己的な執着を断つことを、人間の最も崇高な精神的態度とみなしている。

 それは、その執着が人間に悲劇をもたらすことを歴史から教訓として学んでおり、まともな宗教は、そのことを真摯に語り継いでいる。

 宗教的マインドの本質は、競争ではなく共創であり、利己ではなく利他であるはずだ。 

 もしも、競争や利己のために宗教を持ち出すものがあれば、すべて紛い物であると心得ていた方がいい。


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2016-11-24

第970回 ドナルド・トランプの勝利と、資本主義の曲がり角


 Δら続く

 ドナルド・トランプが大統領になったアメリカは、金融の資金調達力に情報技術と天然資源を結びつけて、新たな製造業の時代を切りひらき、新たな保護主義政策をとっていくのかもしれない。

 そして、アメリカに限らず、イギリス連邦、EUも、グローバルな自由主義政策から転換し、自分たちの経済発展に有用な国・地域をある程度限定して、「ブロック経済」を構築していく可能性だってある。 

 1929年のウォール街の大暴落を起点とする世界恐慌以後の1930年代、イギリスやフランスなど植民地を持つ国々は、植民地をブロックするという保護政策をとった。それにうまく対応できなかった日本は、次第に孤立し、戦争へと突き進むことになった。

 その時の過ちを繰り返さないために、今から準備しておく必要がある。

 当時と状況が異なるのは、新興国と呼ばれる国が世界中に広がっていることだ。

 これまで日本が、ODA(政府開発援助)で援助してきた国や地域は、185カ国・地域あり、これらの国々の中には、日本がその国にとっての最大の援助国になっている国が多数ある。そして現在、日本から援助を受けていた国々は、新興国として著しい発展の途上にある。それらの国々と、今後、日本がどういう結びつきを作り上げていくのか。まさに日本の利他と共創の精神が、とても重要なカードになっていく可能性がある。

 戦後の日本の発展は、アメリカに軍事的に守られ、アメリカが日本の製品をたくさん買ってくれたからだという指摘を否定するつもりはない。

 しかし、それは、アメリカにもメリットがあったからそうなったわけで、アメリカが、国家の生存戦略を転換しつつある今、これまでのようにアメリカとの関係に依存しすぎていると、アメリカの恫喝に怯えながら、上手に利用されるだけとなる可能性が高い。

 日本は、この70年間、アメリカやイギリスと異なり、どの国も戦争行為で侵しておらず、経済支援だけを続け、それらの国々の発展に貢献してきた。

 そして今、次なる時代を見通し、世界全体の人々の暮らしがより健やかになっていく投資活動を行い、そうした投資分野の成長とともに自らも豊かになっていくというビジョンを描き、実践できるかどうか。

 簡単ではないと言われるかもしれないが、けっきょく、どういう暮らし方が望ましく、幸福なのか、という原理原則が、もっとも大事になる。

 お金がお金を生んでいくこと、ただそれだけに喜びを感じられる人は、不幸だろう。

 もしも資金に少しでも余裕があるのならば、そのお金が、健やかな未来社会につながり、かつ、その分野の成長とともに自らの生活に少しでも潤いがもたらされるのであれば、心の状態としては、とても満たされたものになるのではないかと思う。

 現在、金融分野において、革命的な動きが進行しつつある。

 フィンティック、クラウドファンディングやソーシャルレンディングといった方法で、金融機関を通さず、個人から直接、お金を必要とする企業/団体や個人にお金が投資できるようになっている。

 事業の将来性が高かったり、地方にとって必要な産業なのに、銀行が、担保を取れなければ資金の貸し出しを行わないために成長発展が阻害されたり計画が頓挫するケースが多くあるが、そうした銀行のスタンスを、金融庁は「日本型金融排除」と位置づけ、改めるよう指導していくらしいが、金融庁の指導・管理のもと右往左往する日本の銀行の存在意義は、現在進行中の金融革命によって、今後ますます失われていくだろう。

 日本の眠っているお金を活性化させる力は、もはや既存の銀行システムにはない。

 終身雇用、年功序列の時代は終わり、日本人の働き方が大きく変化している。そして、数多くの若き起業家が、様々な分野で育ちつつある。もちろん、単なる金儲けが目当ての人もいるし、日本社会をより健やかな方向に導きたいという哲学とビジョンを持っている人もいる。

 これまで、こうしたベンチャー企業への投資は、ベンチャーキャピタル(VC)やエンジェル投資家など、ごく限られた投資家にしか門戸が開かれていなかった。

 ベンチャー投資には高度なノウハウや知識、そして財力が必要だったからだ。

 こうした専門的な投資の機会を、フィンテックを使って一般に開放する動きが出てきている。これまでベンチャーキャピタルに頼らざるを得なかった起業家は、自らのビジョンや事業内容に共感、期待してくれる一般の多くの人から資金を集めることも可能になってきたのだ。

 一人一人は少額でも、人数が集まれば、それなりの規模になる。東北大震災の後、石巻の牡鹿半島の漁村が、全国から一口1万円の投資金を集めて話題になったが、あの時よりもシスマティックな方法で、必要な資金を集めることができる。

 特定の金融機関や投資家が、資金の流れを独占し、富めるものだけがさらに富めるという時代は、そろそろ終わりを迎えつつあるのだ。

 お金の回り方が変わってくれば、世界の様相も変わってくる。

 もはや政府が税金を無駄に使って社会を束の間だけ活性化する時代ではなく、また特定の金融業者や投資家が、情報とノウハウとチャンスを独占してマネーゲームに興じる時代でもなく、広く一般の人たちが自分の意思と見識をもって、身体やお金を通して参加することで、福祉や就労や日々の暮らしの健やかさが持続する社会の構築が、10%でも可能性があるのならば、その方向に希望を持ちたい。

 新しい仕組みは、最初は色々なトラブルも発生するかもしれない。自分のお金をそんなわけのわからないものに投じることなどできないと思う人は、現段階では多いかもしれない。

 しかし、15年前には、インターネットで、クレジットカードを使って物を購入することに躊躇する人は多かった。オークションサイトなんか信用できないと言う人は多かった。

 いつの間にか、インターネットで物を買うだけでなく、オークションに出品する人も増えたし、最近では、メルカリには1日50万もの商品が商品が出品され、不用品を売って稼いでいる人がけっこういるらしい。子供が図画工作などで急に必要になったトイレットペーパーの芯を、メルカリに出品している人がいて、それをタイミングよく購入する人もいるそうだ。

 15年後には、お小遣いを自分好みのベンチャー企業に投資し、その成長を見守ることが当たり前になっているかもしれない。こういう投資は、決してリターンだけが目的なのではない。東北大震災の後の牡鹿半島の漁村に一万円を投資した人たちは、漁の復興後、牡蠣の現物を受け取ることが約束されていたが、その前に、家族で漁を見物に行った人も多かった。投資した1万円以上の交通費や宿泊費をかけて、わざわざ現地を訪れているのだ。

 人は、自分の利益だけを目的に生きているわけではない。

 他人との競争に明け暮れ、自己利益の過剰な追求によって心を貧しくしていくのではなく、 他人と共創し、他人に利益となるように図ること(利他)が、心を豊かにする。

 西洋の近代合理主義と個人主義を見よう見まねで追い続けた結果、物質的な豊かさを手にいれることはできたが、肝心の幸福感は遠ざかってしまった。 

 今こそ、競争から共創へ、利己から利他への転換が必要な時なのだろう。

 先進国と呼ばれた国々は、新興国の追い上げによって、これまでの方法で優位を保てなくなってきている。その状況下で、自己の利益のみを守ろうとすると、もはや排他的なブロック経済しかなく、ブロックとブロックの競争が激化するばかりだろう。

 日本も生き残りのために、そうした戦略を重視すべきだと主張する有識者も多くいる。

 どう考えるかは人それぞれだが、老いることや死ぬことに抵抗して、いつまでもこの世に留まりたい人なら話は別だが、どうせ時期が来れば誰でも老いて死ぬ宿命を受け入れるのであれば、せめて生きている間は、自分に損とか不利ということばかりに心を砕くのでなく、人の道としてどうなのかということを考えた方が、この世を去る時に後悔がないだろう。

 とくに、高齢者に、そういうマインドを取り戻して欲しい。

 自分の安心快適のために、武器輸出や原発輸出を見て見ぬふりをする利己的な老人が増えると、若者は、人の道をどうやって学んでいけばいいのか。

 最近の若者は年長者への敬意がないなどと言う前に、自分が若者に尊敬される人間になっているかどうか省みることの方が先だ。

 年長者が尊敬される存在になってはじめて、若者は、人生の先輩から、人としてあるべき姿、人生をいかに生きていくかを学ぶことができる。

 綺麗事だと批判されるかもしれないが、一人ひとりが、人としてあるべき姿や、人生をいかに生きていくかを真剣に考えるようになっていくと、日本のあり方も、おのずから決まってくる。

 日本のように小さな島国で資源を持たない国は、ブロック経済という敵対的な構造の中で卑屈になったり虚勢を張って生きるのではなく、自在なポジションと、信頼関係こそが強みとなるような方法で、世界の新たなる形に貢献していくことが、生き方として理想だ。

 そういうことを夢や目標にできる日本人が増えていけば、今のような刹那主義の虚しい消費社会を脱して、努力の方向性も、より本質的なものへと変わるだろうし、生きていく甲斐が十分に感じられるような社会になっていくのだろうと思う。

 15年前には考えられなかったような、非常に便利な道具がたくさんあるし、これからも増えていく。それらの道具は、国境を超えた人と人との関係や、一人ひとりの働き方や生き方を変えるポテンシャルがある。にもかかわらず、それらを無聊の慰めにだけ使うのは、あまりにももったいない。

 道具は使い方次第。使い方で、人類の未来はまったく違ったものになる。

 道具をどう使うか考えるために、現在そしてこれからどうなっていくかという物語が必要だ。

 私が7回にわたって書いてきたのは、正しい分析のためではなく、あくまでも一つの可能性としての物語だ。

 自分の物語を語らず、人の物語の一部にケチをつける人はけっこういるが、そういう行為は、どこにもつながらない。

 人が組み立てた物語に意義を唱える暇があったら、自分なりの物語を組み立てて、それを語ればいい。 

 一つの命題に対して正しいか否かと議論するのは、20世紀までのやり方だ。なぜなら、「少品種大量」の20世紀は、議論によって導かれた一つのコンセンサスを、広く大きく展開する時代だったからだ。

 21世紀は、少量多品種の時代であり、一つのコンセンサスよりも、多くの物語があった方がいい。 

 いくつもある物語の中で、どの物語に共感できるか、納得できるか、共感でき納得できる物語があれば、それをもとに、自分の物語を磨いていけばいいだけのこと。

 これからの時代を生きていくために、物語の中に織り込んでいかなければならないことは、限りなく存在する。

 私がここに書き連ねてきたことは、途中経過でしかない。


(完)

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2016-11-23

第969回 ドナルド・トランプの勝利と、資本主義の曲がり角

イら続く

 資本主義によってお金や物は増えたけれど、貧富が拡大し、人間が機械部品のように扱われる職場で働きがいや生きがいを喪失し、競争社会でストレスを抱えて鬱病など心の病に陥る人も増え、家族や地域のつながりがなくなって孤立化する人が増え、引きこもり、独居老人、老老介護など様々な問題が数多く生まれ、これらが現代社会の歪みとして毎日のニュースで伝えられる。

 そうした資本主義の行き詰まりを、北欧のような福祉の充実によって乗り越えるという考えを持つ人もいるだろう。

 しかし、福祉の充実のためにはお金が必要であり、そのお金は税収でまかなわれる。

 無駄なお金を少なくして福祉にまわせばいいと単純に言う人もいるが、実際には、現時点ですでにかなりの金額が福祉に投入されている。

 http://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/002.htm


 所得税、法人税、消費税、その他の税を合わせた税収が、57.6兆円に対して、社会保障は約32兆円。さらに地方交付税で15兆3千万だから、この金額のなかにも、地方の社会福祉関係にまわるお金がある。目の敵にされる公共事業は約6兆円、防衛費は約5兆円だ。

 所得税収が、約18兆円、法人税が約12兆円、消費税が約17兆円。税収だけだと国の運営にまったく足りないので、将来の若者が負担しなければならない借金である国債を34.4兆円発行することになる。

 この状況で、現時点で32兆円もかけている福祉をさらに充実させるために税収をあげるとすれば、所得税、法人税、消費税を一体どれくらい上げなければいけないのか。

 理想の国とよく言われるスウェーデンは、人口1000万人に満たない国である。日本のように1億2千万の人々が住み、かつ都会と地方であまりにも環境条件が異なる国で、中央政府が中心になって均質に福祉を行き渡らせようとすると、複雑度が桁外れに違ってくる。

 東京都知事の選挙の際、スウェーデンの国家予算と東京都の予算は同じだと話題になった。スウェーデンと東京都の人口と予算はそんなに変わらないかもしれないが、東京都の場合、保育所を一つ作るのにも大変な騒ぎになる。福祉施設を建設するための近隣住民の説得、土地の買収その他、日本は、スウェーデンのように簡単に物事が進まないのだ。そして、日本で、今以上、福祉を充実させるために税金を高くすると、今以上に巨額のマネーがこの分野に流れるわけで、さらに複雑な利権構造も生まれるだろう。福祉先進国の視察と称して、政治家や役人が、贅沢な外遊をする口実を作る可能性もあり、国民は、もうそういうことにはうんざりのはずだ。

 理想国家のように褒め称えられるスウェーデンというのは、実は、世界有数の武器輸出国である。少ない人口の国の福祉を支える基幹産業が、軍需産業で、国民一人当たりの武器輸出量は、イスラエル、ロシアといったその筋では有名な国についで、世界第3位なのだ。しかも、人権問題で世界から非難を受けているような国にも武器を輸出してきた。

 自分の国の豊かさと安定のためには手段を選ばないという利己主義があり、日本もその路線を追ってしまうと、原発の輸出などが、さらに促進されてしまう可能性もある。

 また、近年、スウェーデンも経済状況が悪化してきているため、国家福祉に綻びが生まれてきて、福祉サービスの民営化が進み、かつてのように手厚いサービスでもなくなってきている。若者の失業は増え、海外に出稼ぎに出る人も多い。失業率は日本の3.18%に対して6.91%。とくに若者がひどく、20%と言われる。高い税金によって老人に対する福祉は充実していても、日本同様、それを支える若者がそろそろ我慢の限界にきている。

 福祉の問題は難しい。かつて日本も、田中角栄内閣の1973年から1983年、高度度経済成長(1955年〜1974年)のピーク期に、豊富な税収をバックに国民の声および政治的な背景により高齢者の医療費を無料にしたが、病院が高齢者の溜まり場になってしまった。

 かつての反省を踏まえ、現在、日本が推し進めている介護保険をもとにした地域包括ケアシステムで老人をケアしていく仕組みは、世界的にもかなり先進的な取り組みである。

 全体としてはかなり良い成果を出しているにもかかわらず、一つでも事故が起きると、マスコミが大騒ぎして、ネガティブキャンペーンのような形になる。

 「看取りは病院から自分の家で」という流れも、手厚く保護しすぎることで生命力を損なうのではなく、自立支援を目的に、病院ではなく地域社会の連携によって高齢者の生きる力を活性化させる取り組みこそが、結果的に財政負担を減らし、借金を将来に先送りしないことにつながるという考えが背景にある。しかし、こうした地域包括ケアシステムのことが、多くの国民に正しく理解されていないから、孤立した高齢者とか、老老介護の問題も起きて、マスコミお抱えの有識者から、人々の不安を煽るネガティブな情報ばかりが流布する。マスコミは、何か問題があればただ大騒ぎするだけで、将来どういう方向に向かうべきなのかという考えを持っておらず、だから、情報の伝え方に工夫を凝らすという配慮がまったくない。

 いずれにしろ、北欧のように税収をアップさせて福祉を充実するというのは日本のように人口の多い大国には困難であり、日本人一人ひとりが、福祉サービスの内容に不平不満ばかり言うのをやめ、つまり単なる福祉の受益者であるという発想をやめ、自分にできることを行ってお互いに支えていく国にしていくしか道はないだろうと思う。

 たとえば、富士宮市は、認知症の人をサポートする仕組みを住民のボランティアを中心に整えている。人口13万人の10人に1人が認知症サポーターだ。住民が一丸となって、「認知症になっても、これまでと変わらぬ暮らしができる街づくり」を進めている。

 もともとは、若年性アルツハイマーで苦しむ個人が、行政に相談に行った時に、行政で解決策を作るのではなく、その相談者に、様々な場所で自分が抱えている問題を語ってもらうというナラティブな方法をとり、それによって、共感の輪がどんどんと広がっていったものだ。

 住民1人ひとりに特別に大きな労力を要求するわけではなく、「気がついたら助ける」という意識を1人ひとりが持つだけで、かなり大きな力になるということを、富士宮市は証明している。

  

 日本はアメリカのように天然資源に恵まれているわけではないし、イギリスの英連邦のような強力な国際ネットワークもない。

 しかし、アメリカやイギリスよりは安定した資金があるし、技術もあるはずだ。

 そして、現在は薄れてしまっているかもしれないが、もともと日本人は、自分の存在意義を、欧米から取り入れた個人主義や、競争に勝つことで示すのではなく、利他と共創の精神によって、より感じられる民であった。その理由の一つは、昔から自然災害に苦しめられ、自然の前で無力な人間が生きていくためには、人間同士が、お互い様の気持ちで連携していかなければいけないという心構えがあったからだろう。

 日本の未来戦略の中に、そうした日本人ならではの心構えが織り込まれていなければ、マネーゲームに翻弄された時のように、他国の後を追うばかりで、先行者の戦略に翻弄されるばかりとなる。

 利己の追求と競争のことばかり考えていると、せっかくの技術と資金は、他者との軋轢と対立を増大させる道具にしかならず、また視野が狭くなってしまう結果、他者に上手にだしぬかれ、利用される。

 利他と共創のスタンスによって、周りに気を配り、関係性に思いをめぐらし、他者のことをより深く考えるようになるわけだから視野は広くなる。広くなった視野と、利他と共創によって自然ともたらされる信頼で、技術と資金は、必ずや、より健やかに生かされる時代になっていく。

Г紡海

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2016-11-20

第968回 ドナルド・トランプの勝利と、資本主義の曲がり角

 いら続く

 今回のドナルト・トランプの勝利後の世界について、漠然とした悲観論や不安を軸にした分析を行う社会学者やジャーナリストは多い。

 そうした分析は、もしかしたら80%は”間違いではない”かもしれない。しかし、間違いではない分析だったとしても、その分析は、来るべき未来社会に対して何ら意味を持たないし、社会の活性化にもつながらないし、人間の意識も変えないし、警告にすらならない。

 警告にすらならない理由は、漠然とした悲観論や不安は多くの人がすでに共有してしまっており、やはりそうなのかと、その不安や悲観論を固定化するだけでの意味でしかないからだ。

 また、「未来は予測不可能」という言い方がなされるが、本当にそうだろうか。

 200年後の世界は予測不可能でも、20年から30年後は、予測可能ではないか。

 どの企業の株が上昇するとか、そういう具体的なことまでわからなくても、今後どういう方向性に進んでいくか、その可能性は、ある程度は想像できるのではないか。

 過去においても、15世紀後半から世界を侵略する大航海時代が突然始まったのではなく、14世紀からのルネッサンスがその準備をしていた。

 18世紀後半からの市民革命は、宗教戦争に明け暮れた17世紀前半から育まれていった近代意識が準備をしていた。

 ならば21世紀に構造変化が起こるとすれば、現時点でそれは準備されているはずだ。その準備とは一体何なのか深く考える必要があるだろう。

 たとえばソーシャルメディアにしても、今はまだ古い構造の中で使ううえでは便利なツールにすぎないが、次なる構造の下地になる可能性は秘めている。

 また、企業の海外現地生産なども、古い構造の中では生き残りのための苦し紛れの手だったかもしれないが、結果的に、現地に雇用を生み、現地から受け入れられ、新しい国際関係の切り札になっている場合もあり、その切り札が、次なる構造で大いに有効になる可能性がある。

 具体的には、例えばアメリカ軍が去って日本は中国からの攻撃を防げるのかといった議論もあるが、それぞれが自国の安定に必要不可欠な存在になった状態になることが、最大の防衛策という新しい構造ができる可能性だってある。

 人々の意識はどうだろう。たとえば自動車配車会社uberが誕生し、米国では車を購入しない若者が増えた。各種のシェアリングビジネスで、物を所有することに価値を持たず、物を持つことの不便さを意識する人が増えた。オークションサイトが当たり前のように使われ、リサイクルショップを利用する人も増えた。企業に勤めなくても収入を得る手段が増え、また安く生活する手段も増え、就職に対する意識も変わり、それとともに、進学に対する意識も変わってきた。こうした意識変化は、20世紀の大量生産、大量消費の構造を強化するために誘導された人間意識と、かなり異なり、21世紀の新しい構造を準備する人間意識となるかもしれない。

 もちろん、未来に向けての準備が、別の角度から見れば不吉なものに感じられることもある。

 たとえば数日前、イーロンマスク率いるスペースXが、4,425個の衛星を製造して打ち上げる計画を米連邦通信委員会(FCC)に申請した。実現すれば、地球上のほぼすべての地域で高速インターネットが利用できるようになるという。高速インターネットを通じて、学校のない辺境の村でも、オンラインで教育が受けられて、そこから才能ある若者たちが次々と現れてくるなど、様々な新しい可能性がある。その反面、人間が作り出したものだから、それらの機械はやがて壊れる。現在、地球の上空には、すでに1万数千の人工衛星が存在し、その状況を確認することすらできる。http://www.gearthblog.com/satellites

 原発の作り出す放射性廃棄物と同様、簡単に回収できないゴミが、われわれの周りに溜まっていき、未来にいけばいくほど、それは増える。

 未来を左右する重要なカードは、これ以外に無数にあるだろう。

 未来の構造を決めていくのは、それらのカードをどう使うかという人間の意識であり価値観だ。

 ルネッサンスから17世紀に近代意識が準備されたように、未来に重要な影響を与える新しい意識が準備されているのか、それとも、人間の尊厳よりも人間が作り出す物や、お金(資本)の方に価値が置かれた近代資本主義の価値観が、これからも続いていくのだろうか。

 原発事故や原爆をはじめ、人間が作り出した物で、人間の尊厳など、木っ端微塵に打ち砕かれた20世紀から21世紀初頭。

 商品に少し欠陥があったというだけで、店のフタッフや企業の顧客窓口に、人を人とも思わない言葉でクレームをつける人の増大。

 近代資本主義というのは、資本家が、労働力以外には売る物がない労働者から労働力を買って、それよりも価値の高い商品を作り、その差額を利益として資本を増やしていくというメカニズムであった。だから、商品よりも労働者の価値が低い構造になっており、商品が、市場競争によって、また大量生産によって世の中に溢れるようになって、その価値が限りなく下がっていく(有り難みがなくなる)と、それを作ることに携わる人間の価値も限りなく下がっていく。

 物を手にいれる満足よりも、労働を提供する不満足の方が強く、その不満足を埋めあわせるために物を購入するが、それでも満たされないために次々と商品を捨てては新たな商品の購入を繰り返す。これが消費社会のメカニズムだが、この繰り返しで世の中に物がさらに溢れていくにつれ、人間の価値は下がり、不幸感が増していくという悪循環になる。

 この構造のなかでは、労働は美徳になりえない。

 労働が美徳になるのは、仮に商品に不備があっても、連絡を受けたら駆けつけてうまく修め、その対応に感謝されるような構造の中でこそだ。

 昔の職人は、そういう意味で、働くことが美徳になり得た。その人にしかできない仕事を持っている人は、現在でも、商品よりも自分を下に見られて尊厳を傷つけられるということはないだろう。

 幸福を考えるうえで、これはとても重要なポイントであり、未来の社会の構造を考える時に、このことを忘れてはならない。

 人に優しい社会などというキャッチフレーズで福祉の充実を謳っていても、ただ人にケアされるだけでは、人間は幸福になれない。一人ひとりが、他にとりかえのきかない自分であると実感できる何かが必要なのだ。

 それは、近代主義を支えてきた利己主義を”基”にした、自由、平等、権利(財産、友愛)とは違う。

 他に取り替えのきかない自分というのは、利他的なマインドを”素”にした、他者との関わりの課程で育まれるものだからだ。

 大手メーカーによる建売住宅を買った場合と、地元の大工さんと相談しながら作った家を比べればわかりやすい。

 大手メーカの住宅は、何かしらの欠陥や条件違いがあれば、契約書をもとに、場合によっては企業の顧問弁護士が出てきてやりとりをしながら、購入者は、自らの権利と自由を守ろうとし、企業の担当者も、家の価値から企業の利益や広告費やパンフレット代を引いて、下請け会社への支払いも引いたごくわずかな手数料の価値でしかないと相手に思われ、屈辱的な言葉を浴びながらの対応となる。

 地元の大工さんなら、何か不具合があればすぐに直してもらえるし、顔が見える関係なので、後々、何かあったら対応してもらえる安心感もあるし、メンテナンスなど先のことも十分に考えて仕事をしてもらえる。

 とにかく売ればいいというスタンスではない。仕事の報酬は得ても、マインドとしては、利己的ではなく、利他的なのだ。

 次なる時代の人間意識の準備が、こういうことでなければ、次なる時代も人間は幸福になれないだろう。

 近代資本主義には、人間の尊厳を傷つける構造的問題があった。しかし、だからといって、全て悪いということではない。

 近代資本主義にしろ、現在、知識人の多くが批判するグローバリスムにしろ、物がないことが不幸の原因となっている人々に物を行き渡らせる効果はあった。

 富める者を富ませ、何もない人たちを少しマシにした。世界に目を向ければ、貧困国とされていた国々の生活水準は間違いなくあがった。

 問題は、上にも書いたように、物が増えていくにつれ物の価値が下がり、それとともに人間の価値も下がるから、中間層とされる人々の下の方から、次第に貧困層になっていくということと、生きていくために労働を提供しているかぎり、商品よりも価値の低い労働という構造の中で、人間の尊厳の回復が難しいということだ。

 未来の幸福のためには、この構造を転換させていかなければならないが、これまでの問題の多い資本主義システムの中で、人間が自らの尊厳を傷つけながら作り出してきた物が、もしかしたら、構造転換の重要なツールになる可能性もある。

 そして、利己主義に基づく、自由、平等、権利(財産、友愛)では幸福になれないという気づきが、そのツールと結びついた時、それが次なる時代の準備となるかもしれない。

 そこに資本が関わっていくことで、お金の回り方が変わるかもしれない。お金の回り方が変わることで、社会の構造と、それを促進する人間意識が、より変化していくかもしれない。

 未来に対してネガティブなイメージはいくらでも想定できる。

 しかし、可能性は限られていても、そうでないストーリーも考えることはできる。

 イメージを持つことは自由であり、クリエイティビティは、自己実現の武器にはなるだろう。しかし、それだけでは足らない。

 望ましい姿のイメージと、その実現性のストーリーがあることで、クリエイティビィティは、より磨きがかり、大きな力を発揮できる。

 その結果として、わずかなポジティブの可能性が、小さな空論ではなく、もう少し大きく実際的なものになっていくと思いたい。

 Δ紡海

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2016-11-15

第967回 ドナルド・トランプの勝利と、資本主義の曲がり角

 から続く

 「ドナルド・トランプの勝利と、資本主義の曲がり角」というテーマでブログを書いてきて、昨日、そろそろまとめようと思って書き終えた途端、衝撃的なニュースが入ってきたので、まとめの前に続きを書かなければいけない。

 シリコンバレーのカリスマ、哲人+投資家・起業家であるピーター・ティールが、トランプの政権移行チームに入るのだという。

 まさに私がここ数日書いてきた「新しい製造業」「新しいアメリカ」を展開していくうえで、最も実践的な力になる人物が、トランプ政権に深く関わることになった。そういうことが起こるかもしれないと思っていたが、本当にそうなった。

 11月13日にも書いたように、アメリカ大統領には閣僚任命権があり、大統領に資金を提供したビジネス関連の人間を閣僚に任命できる。すると、そのビジネスは、国家の生存戦略の要として扱われ、より強固なものになっていく可能性がある。

 トランプは、ピーター・ティールを側近にした。「新しいアメリカ」の道筋をつけていくうえで、彼ほど面白い人物はいない。「新しいアメリカ」における彼の知識と経験と人脈は圧倒的だ。そして彼は、その分野において成功した起業家であり、莫大な資金を投入して結果を出している投資家でもあり、その分野の洞察力と実践力に優れている。さらに、自らが思い描く理想的な未来ビジョンがあり、机上の空論ではなく、実際に自分のお金を投じてリスクを負って形にしようとしている。安倍政権の取り巻き学者とは質とスケールが違う。そして彼の未来ビジョンの背景には、物事の本質を深く考え抜く彼ならではの哲学がある。彼は、シリコンバレーのカリスマだが、シリコンバレーの利益を代表するなどという矮小なミッションに興味がなく、もっと大きなミッションを抱いている。

 彼は、現在の、シリコンバレーにも多い、目先の金儲けと贅沢な遊びを成功の証と考えるようなチャラチャラしたアメリカを相手にしておらず、その先しか見ていない。

 彼は、ベンチャーキャピタル「ファウンダーズ・ファンド」を創立したが、そのスローガンは、「空飛ぶ車が欲しかったのに、手にしたのは140文字だった」だ。

 そして、「もし本気で長期的な人類の発展を望むなら、ただの140 文字や“永遠の15 分" を超えた未来について考えなければならない。」と述べている。

 140文字というのはツイッターのこと。永遠の15分というのは、アンディ・ウォーホールが1968年に語った「未来には、誰でも15分間は世界的な有名人になれるだろう」という言葉からもじったもの。

 ウォーホールは、情報の加速性を預言していた。当時、インターネットは存在していなかったが、メディアが、時代の「イコン」を作り出すことはわかっていた。すぐに飽きられるようなものでも、メディアの力で”有名”になってしまうが、すぐに忘れ去られる。インターネット時代になって、ますますその時間が短縮された。ユーチューブで一躍世界の有名人になってしまい、翌日には、違う人物のパフォーマンスが次々とシェアされる。

 つまり、ピーター・ティールが、ファンドのスローガンで言っているのは、テクノロジーの時代だと人々は信じているけれど、テクノロジーによって人類が手に入れたものは、SNSを通じた日常の見せ合いっこや、人の「いいね!」を数多く得たいだけのパフォーマンスを無料で簡単に見るツールを手に入れたこと。あわよくばそれで有名になろうなんて姑息な魂胆。そんなものを延長させた未来なんて、真っ平御免ということ。

 だから、彼は自らのファンドを通じて、そういうものには投資をしない。

 彼の投資における哲学は、彼自身が思い描く理想社会に近づけるためにお金を投じること。

 そんな彼は、トランプの側近になったからと言って、シリコンバレーの利益のために考えたり動いたりするはずがないし、自分の利益のためにそうすることもありえない。なぜなら、トランプもそうかもしれないが、ピーター・ティールは、平均的な投資家の逆張りみたいなことばかりしているが、それでも結果に結びつけて大金持ちなのだ。推定資産は2360億円とされているが、そういう金勘定は、彼には無意味だ。

 シリコンバレーの創業者たちの多くが理系で技術屋なのに対し、彼は文系であり、社会人第一歩は、法律事務所だった。アメリカ社会でとりあえずエリートの道を歩み始めた彼は、数ヶ月でやめてしまい、Paypalを生み出した。しかし、その革命的なシステムを、彼は、数年で売ってしまった。

 フェイスブックの可能性を誰よりも早く理解し投資し、フェイスブックを世界的な存在にした最大の貢献者である彼だが、上場時にフェイスブックの株のほとんどを売り払ってしまった。

 彼に関する伝説は、こんなところに書き連ねても意味がない。それこそネット上に溢れているので、すぐにわかる。

 そんなことよりも、今大事なのは、2014年長者番付けにおいて、ベンチャーキャピタリストの4位に君臨する投資家である彼の投資哲学だ。

 私が、この数日、「トランプの勝利後の世界」についてブログで書き続けてきた趣旨は、資本主義が製造業主体から金融業主体になったものの、その投資の仕方に問題があるということと、その投資の仕方が変われば世界が変わる可能性があるということだからだ。

 リバタリアン(完全自由主義者)であるピーター・ティールが、海上に独立国家をつくるために実際に投資して動いていることはよく知られているが、そういう奇想天外なものは一つのシンボルとして傍において、彼は、たとえば、大学で学ぶことなんか意味がないと大学教育を否定して、大学を中退して起業する若者を支援する基金を発足させたりしている。

 また、Paypalの共同創業者イーロン・マスク(Paypalはイーロンマスクが創立した会社とピーターティールが創立した会社のライバル争いが転じて合併した会社)が、従来の産業の常識を破って革新的に展開する、電気自動車のテスラモーターズや、スペースX(かつては国家プロジェクトだったロケット開発を行い商業衛生市場で大きなシェアを獲得している)などを賞賛し、積極的に投資している。

 また、単なる新しい宿泊サービスとは言えず、新たな人間意識や人間関係を生む可能性のあるairbnb(私が4ヶ月実際に運営してそう感じた)にも投資している。そして、近年、大麻産業への投資を行っている。大麻についてはここでは書ききれないが、多くの人は、大麻=麻薬だと誤解している。

 大麻は、貴重な資源であり、人類は、長い間、この有用な植物を利用してきた。麻といえば一般の人のイメージではヨーロッパリネン(亜麻)だが、リネンは成長も遅く土地を荒れさせ、人々が天然であるからと愛好するコットンのように肥料や農薬も大量に必要で、環境を損なう。それに比べて大麻は、成長も早く、強いので農薬もいらない。人間の健康にも良い繊維だ。そして、医療用にもなり、近年では、育てるのが楽でバイオエネルギーを取り出すことができるため、「石油に代わる」などと、一部で注目を集めている万能の植物なのだ。

 ピーターティールが投資するのは、当然ながら合法の大麻産業。今後、米国を中心に、大麻が違法な扱いから、合法に管理されていく流れになるだろうと時代の先を読んでいる。

 また彼は、動物を殺さずに肉を培養したり皮革製品を作る方法を開発しているバイオテク企業、モダン・メドウに投資している。また、人工知能の研究専門のシンクタンク、マシーン・インテリジェンス研究所にも投資している。そこでは、人工知能が、機械自体が望む行動ではなく、人間が望むような行動をとることを保証しようと研究を続けている。

 つまり彼は、目先の金儲けや、消費者の無聊の慰めにしかならないようなテクノロジーにはあまり興味を持っていない。

 そんな彼は、「理想を言えば、我々が出資しなかったら日の目を見ないような事業、我々が資金を提供しなかったらほかのところからは決して資金を得られないような企業に投資したいと思っている」と語る。

 ただ、ソーシャルメディアに関しては、それらが直接、「我々の文明を次のレベルまで引き上げるものでないかもしれないが、だから必要ではないということではなく、もっと必要だと思う」という言い方をしている。つまり、ソーシャルメディアも、どう使うべきか考える必要があるということであり、私もそう思う。

 それはともかく、ピーターティールは、国家の存在を否定し、ゲイであることを宣言するなど共和党の政策とは相容れない完全自由主義者であるが、ほとんど全員が反トランプであったシリコンバレーのリーダー達のなかで、ただ一人、トランプの勝利を信じて、彼を支持していた。トランプが大統領になった方が、アメリカが変わる可能性があると読んでいたのだろう。自分の哲学に近いアメリカ(ハイテクと言いながら、おもちゃのようなものを作って浮かれていたり、マネーゲームに興じているアメリカではないアメリカ)になると考えているからだろう。

 ピーターティールは、シリコンバレーという異端世界の中のさらなる異端児なのだ。

 彼にとって、ドナルドランプの人柄や、共和党の政策と相容れないことなど、些細なことなのだろう。そんなことは、「140文字」や、「永遠の15分」の中の出来事に関心を持ったり、それらに一喜一憂するなど、そこに人生の価値があるかのような錯覚と同じレベルの話だからだ。

 彼の言葉によれば、それは、「テクノロジーと知性の停滞した現在のアメリカ」の現象の一部でしかない。

 現在、一斉を風靡するチマチマするテクノロジーは、科学と技術の進歩への信頼をもたらし人々を活気づけるものではなく、漠然とした悲観的な未来を伝染させ、増幅させるものでしかない。

 そうではなく、確実な未来をもたらすテクノロジーの開発と普及と、そのための投資。その結果としての国家の繁栄と、人々の幸福。それが、彼のアメリカンドリームなのだろう。

 今私がここで書いている内容は、ピーター・ティールを絶賛しているような記事になっているかもしれないが、あくまでも「アメリカにおける資本主義の曲がり角」における要に他の誰よりもなり得る彼が、トランプ政権に入ることの意味を考えるために書いている。

 彼は、老いることや死ぬことに対しても本気で抵抗し、そのためのお金も投じており、日本の思想風土の中で育ってきた私とは、根本的に世界観や人生観が異なるところもある。

 彼の「空飛ぶ車が欲しかったのに・・手に入れたのは140文字」というスローガンにも、アメリカ的な夢の形が現われていて、彼はそういう方向に向かって努力しているのだろうが、140文字に代わるものとして本当に欲しいものは空飛ぶ車なのか、それとも他の何かなのかと考えることが、彼とは異なる未来の形を探り始める最初の一歩になるだろう。

 グローバルスタンダードが終わりを告げようとしている今、アメリカにはアメリカ、日本には日本のやり方がある筈であり、日本は、「日本における資本主義の曲がり角」について、考えていかなければならない。

 イ紡海。


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2016-11-14

第966回 ドナルド・トランプの勝利と、資本主義の曲がり角。

 △ら続く。

 日本は、イギリスやアメリカに遅れて、製造業依存の輸出型生存戦略から、投資型へと移行しつつある。

 しかし、日本は、法人税が高く、外国企業の参入を阻む規制も多く、タックスヘイブンを使ったり企業に対する税の優遇措置をとるアメリカやイギリスのように、海外の富裕層や多国籍企業の資金をうまく集める構造になっていない。

 なので、日本の資金力は、世界一の対外純資産残高だ。 

 日本の資金力は、長年、貿易黒字を続けながら蓄積したものであり、日本は、25年連続で世界一の債権国になっている。

 日本は、これまで蓄積してきた資産を通じた直接投資などによって、近年、貿易の利益よりも遥かに巨額の利益を獲得しているのだ。

 2015年度、企業の知的財産権などの使用料、海外子会社から得られる配当、海外有価証券への投資などの収支は、2014年度からさらに2兆6563億円増の20兆7767億円の黒字で、3年連続で過去最大を更新している。

 日本は、自らの手で蓄えたお金を、より多くの人々が豊かになる可能性のある分野に投資しながら、その分野の成長を収益に結びつけることを生存戦力にできる数少ない国の一つである。

 投資に使える資金として、もう一つ日本が持っている巨大なものがある。

 それは、年金積立金であり、150兆円規模になる。

 日本の年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の運用資産は、世界で2番目の規模だが、第1位のアメリカ合衆国の社会保障年金信託基金の運用資産約200兆の全額が、全額米国債(非市場性)で運用されているので、GRIFこそが、世界最大の機関投資家であり、2位のノルウェー政府年金基金に2倍以上の差をつけている。

 この莫大な年金資産と、世界一の対外純資産残高(2015年末で339兆2630億円)をどのように生かしていくかが、日本にとって、とても大きな鍵になるだろう。

 しかし、せっかく蓄えたお金を、アメリカやイギリスのしたたかな金融業者たちによる株価操作で失ってしまうという愚かな投資行動は、あまりにも悲しい。

 GPIFは、2015年度の運用実績が5兆3098億円の赤字になったと発表した。ここ近年、運用資産は15年6月末(141兆1209億円)、16年3月末(134兆7475億円)、16年6月末(129兆7012億円)と減り続けている。

 これまで日本の公的年金は安全運用が第一ということで運用してきた。それに対して安倍政権は、運用方針を180度見直し、株式を中心としたリスク運用への転換を行った。

 それ以前は、国内債券60%、国内株式12%、外国債券11%、外国株式12%、短期資産5%だったのが、国内債券35%、国内株式25%、外国債券15%、外国株式25%と、株式への投資を倍増し、総資産の半分を国内外の株式市場に充当するポートフォリオとなっている。

 日本の公的年金は受給者への支払いが、現役世代からの徴収額を上回っており、このままでは積立金がなくなってしまうので、運用益を得ようとする試み自体は批判するべきことではないかもしれないが、株高が続くことを期待して、株価が下がりそうになったら日銀が買い支えるなどという人為的操作でコントロールする株式市場で運用するというのは、非常に危険な行為だ。

 2016年7月29日、日本銀行はETF(上場投資信託)の買い入れ枠を年間6兆円に拡大すると決めた。従来の3.3兆円からほぼ倍増になっている。

 これは、アベノミクス始動直後の2012年12月〜2013年4月、日経平均を9,000円台から1万4,000円程度まで引き上げる原動力となった海外投資家の買い越し額(7.6兆円)に迫る金額だが、投資総額は近くても、海外投資家と日銀では、購入時の株価がまったく違うという悲しい現実。

 海外投資家は日経平均1万円前後の段階で大量に株式を買い、日銀は、1万6000円〜20000円のところで株価を支えるために買っている。その差は、外国人投資家の利益だ。アメリカやイギリスの金融のプロ達に、いいようにカモにされている。

 日銀と足並みをそろえるようにGRIFも、海外投資家の後を追う形で株を購入しているかぎり、海外投資投資家が利益を得た後にいち早く売り逃げしてしまうわけだから、GRIFは、資産を減らしてしまう。

 せっかくの莫大な資金がありながら、このような対症療法を繰り返していると、未来につながる投資にはならない。

 ソフトバンクのような民間企業は、自分自身がリスクを負うことを前提に、自分の洞察力を信じて投資活動ができるが、官僚は、現在の状況を守るという他人から非難されにくい手しか打てない。だから対症療法になり、未来につながる投資にならない。

 国家にかぎらず民間企業の場合もそうだが、対症療法しかできないところは、時代の変化の後ばかり追い続けることになるから、けっきょくは衰亡していくことになる。

い紡海


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2016-11-13

第965回 ドナルド・トランプの勝利と、資本主義の曲がり角

 ,ら続く

 アメリカ合衆国大統領選挙には莫大な資金が必要になるので、その資金を提供する者が、大統領の政策に大きな影響力を持つことになる。

 にもかかわらず、アメリカ合衆国の大統領には巨大な権限がある。その一つが閣僚任命権で、大統領に資金を提供したビジネス関連の人間を閣僚に任命できる。すると、そのビジネスは、国家の生存戦略の要として扱われ、より強固なものになっていく可能性がある。

 さらに大統領には法案拒否権がある。議会が、大統領に資金を提供したビジネス分野に不利な法案を可決しても、その法案を承認せず議会に突き返すことができる。その場合は、再度、議席の三分の二を獲得しないと法案にならない。

 そして、三つ目の大きな権限が、アメリカ軍の指揮権。

 ドナルド・トランプは、大統領選挙を戦ううえで、特定のビジネス分野から多額の資金提供を受けずに大統領になったと言われている。(実際にどうなのかはわからない)。

 その彼は、企業に対する大型減税とインフラ整備を含む公共投資の拡大を経済政策構想として掲げている。金融緩和と同時に財政拡大を行って景気を回復させるというのは、世界恐慌時にルーズベルト大統領が行ったニューディール政策に遡ることができるが、トランプと同様、大衆人気を得て大統領になった元俳優のレーガン大統領の政策とも共通している。

 この政策は、財政状況でその通りに実行できるかどうかは別として、古典的でわかりやすいので、大衆には受けやすい。

 そして、対外的には、

(1)自由貿易に制限をかけることで米国民の雇用を増やして、米国民を豊かにする。

(2)軍の展開を縮小することで米国が負担しているコストを下げる。

 ということを宣言している。

 これらのトランプの政策について、アメリカが排他的で自国の利益しか考えない国になるのではと心配している人は大勢いる。

 しかし、どの政権においても、自国の利益を第一に考えるものなのだ。だから問題は、今後のアメリカにとって、自国の利益第一というのは、どういう形なのかを考えることだ。

 現在は、ルーズベルトの時代ともレーガンの時代とも異なり、瞬時に海外から莫大な資金を調達して海外に投資して稼ぐこともできるし、それを国内に投資することもできる。

 こうした国家戦略を展開するためには、保護主義はありえず、自らが率先して、世界中を規制のない自由主義市場にしていくことが必要になるし、その方がメリットは大きい。

 だから、もしトランプが本気で保護貿易を掲げるのであれば、これまでと異なる国家の生存戦略があるということだ。もしくは、自己都合的な保護主義を、各国との関係を悪化させるリスクをおかしても押し通せる強みを持っているということだ。(彼のようなしたたかな人間が、単に自分の感情だけで動いているはずがないし、優秀なブレーンもいる。)

 また、今後のアメリカ軍の展開にしても、大衆向けにはコストのことを訴えることが一番通じやすいが、彼なりの考えがあるのだろう。

 これまでのアメリカは、単にお人好しで、自分のお金を使って各国に軍隊を展開していたわけではなく、それが国益にかなっていただけのことだ。

 製造業の輸出に依存した国家ではなく、投資に依存した国家になっていれば、国益を守ることは、国境の内側を守るだけでなく、重要な投資先を守ることになる。

 だからイギリスは、戦後、スエズ戦争とフォークランド戦争を引き起こした。 

 イギリスはスエズ運河の大株主であったが、エジプト大統領のナセルがスエズ運河の国有化を宣言したため、イスラエルとフランスと組んで戦争をしかけた。

 また、フォークランド諸島は、南米最先端でイギリスから遥かに遠く離れたところにあるが、パナマ運河が閉鎖された時に重要なルートでもあるし、今ではタックスヘイブンネットワークの拠点となっているジャージー島ガーンジー島、マン島の王室属領、ケイマンやジブラルタルなどの海外の小さなイギリス領土を、その周辺国が簡単に奪うことなどできないのだよと実力で示すために、現在のイギリス経済発展につながる新自由主義経済政策を推進した鉄の女サッチャー首相は、国土から遠すぎてアルゼンチンから奪いかえすことは難しいという軍部の反対を押し切って、素早く大軍を送り、勝利した。

 そしてアメリカの場合、東アジアなど自国の投資経済と深く結びついたところは、安定した状態を維持して、その投資価値が下がらないことが重要だった。

 安倍政権は、アメリカによる安全保障を大切にしながら、日銀と連携した異様な金融政策によって株価を上昇させた。この株価上昇は、日本人以上に、日本に先行投資を行っていたアメリカの富裕層や金業界を潤わせただろう。まさにそれこそが、アメリカの望むところだったのだ。

 また、中近東など石油資源が中心の地域は、これまで世界最大の石油輸入国であったアメリカが、近年のシェールガス革命でアラブの産油国の強力なライバルとなるわけで、米軍の使い方にも変化が出てくる。石油価格などのイニシアチブを握るために、巨大産油国であるサウジアラビアとイランの対立を利用して、軍隊の展開を含めて、微妙な駆け引きが行われている。

 もしトランプが、軍の展開を本気で縮小し、同時に自由貿易に制限をかけるとするのならば、それは、彼の独断ではなく、アメリカのビジネスモデルを変えていく段階にきているということではないか。

 近年までアメリカが推進してきた金融を中心とするビジネスモデルは、世界を規格化(グローバルスタンダード)すれば、どこよりも巨額の資金調達をできるアメリカの強みを生かすことができるものだった。そのために、イギリスと連携して、自由主義経済政策を推進し、他国にもそれを強要してきた。

 しかし、その結果、アメリカやイギリスは国家として金融分野の競争に勝つことができても、国民は豊かになれないという事実が明確になった。

 そこに、シェールガス革命が起こった。アメリカでは、シェール層が国土のほぼ全域に広がり、そこに埋蔵されている石油や天然ガスは100年分を超えるといわれている。

 これによって自国の安い資源を利用しながら、かつてのように製造業に力を入れ、今よりも多くの国民に富を分配する政策をとることが可能かもしれないし、その動きを支援する勢力も存在するだろう。

 そのうえ、シェール層は、アメリカだけでなく、中国、オーストラリア、ウクライナ、ロシアなど他国にも存在するが、そこから石油や天然ガスを取り出す技術は、現時点では、アメリカだけだと言われる。

 アメリカは、それら各国のシェール層の開発に深く関わりながら、時には買収したり、資金面や技術面で影響力を増大させ、アラブの産油国を圧倒する石油資源ネットワークを構築することができる。

 さらに重要なことは、トランプが保護すると主張しているアメリカの製造業は、現在、アジア諸国が仕掛けている家電などの安売り商品ではないということだ。

 グーグルなどアメリカ企業が積極的に開発を進めている自動車の自動運転技術や、Iot(物のインターネット)などを見ればわかるように、これからの製造業は、アメリカが世界をリードしている人工知能や情報技術と一体化したものとなるだろう。

 奇しくも、先日、ソフトバンクの孫正義社長が、サウジアラビアと組んだ10兆円規模の巨大ファンドを設立したことがニュースになった。

 この巨額のマネーは、新しいテクノロジー分野に優先的に投資するためのものだとされいるが、この発表の前に、ソフトバンクは3兆円以上かけてイギリスのARMホールディングスを買収しているので、新しい巨大ファンドの投資先は、おそらくIot分野が主になると考えられる。

 アメリカは、現在備えている強力な資金調達力で、海外に投資して儲けることをメインにするのではなく、国内の人工知能や情報技術など先端技術分野に投資して、その成果によって自動運転自動車など新しい製造業分野を生み出し、さらに、シェールガスという格安で調達できる自国のエネルギー資源を生かしながら新しい製造業を強力に発展させて、雇用を生み、輸出し、利益をあげる準備が、どの国よりも十分に整えられている国家である。

 莫大な投資資金と最先端技術と格安資源を融合した製造業の新しいステージが、アメリカの目の前に開かれている。そのことを見通したうえでの、トランプの保護貿易主義と考えなければいけないだろう。もはや、日本の自動車やラジカセをハンマーでぶっ壊すという古い時代ではないのだ。

 イギリスの場合は、EUとの結びつきよりも英連邦との結びつきの方が自国にとってメリットが大きいとも考えられる。英連邦には54ヵ国が加盟していて、さらに、独裁政権を倒して民主化を果たした主にアフリカの国々などが新たに参加し、加盟国は増え続けている。

 そして、資源大国であるカナダ、オーストラリア、南アフリカ、世界で2番目に人口が多いインド、経済成長の著しいマレーシア、シンガポールも含まれる。また、近年、賃金の高くなった中国にかわって「世界の工場」となると考えられているアフリカ諸国の多くも英連邦だ。

 イギリスのEUからの離脱の中心人物が、前ロンドン市長のボリス・ジョンソン氏であることも象徴的だ。なぜなら、彼は、金融都市ロンドンの繁栄のために、規制緩和や構造改革に熱心に取り組み、世界中の企業をロンドンに誘致し、イギリスの金融主体のビジネスモデルを成功させた立役者の一人だからだ。

 その彼が、一見、自由主義経済から保護主義経済への移行のように見えるイギリスのEU離脱の中心人物になった。

 とすれば、この変化は、従来のような内向きの保護主義への変化ではなく、格差を生むばかりの金融ビジネスに依存した国家の生存戦略に代えて、英連邦のネットワークを生かしながら、調達した莫大な資金と、資源、技術開発、製造、マーケットを結ぶつける新たなビジョンを国家の生存戦略とし、より多くの英国人を潤わせることが意図されている可能性もある。

 すなわち、アメリカもイギリスも、自由主義から保護主義に単純に逆戻りするのではなく、また単純に金融業から製造業に向かうのではなく、全ての強みを統合した資本主義の新たなステージに進む条件を整えている。

 それに対して、日本の場合は、どうなのか。

 に続く。


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2016-11-12

第964回 ドナルド・トランプの勝利と、資本主義の曲がり角。

 2016年に起きたイギリスのEU離脱、アメリカ大統領選挙でのドナルドトランプの勝利、そして、パナマ文章事件で象徴されるタックスヘイブンの問題。この三つは、製造業主体から金融主体へと移行した資本主義が、さらなる段階へと移行していく重要な暗示であるように思う。

 イギリスのEUからの分離に続き、アメリカで、ドナルド・トランプが大統領選挙に勝利した。この二つの結果は、国家として繁栄しながら、その富が富裕層に集中し、人口の多い中間層の仕事や生活の水準が下がり、格差が拡大し、その不満が増大したからと分析されている。

 しかし、この構造は、ブルジョワジー(資本家階級)とプロレタリアート(労働者階級)の対立という従来考えられていたような単純なものではない。

 なぜなら、イギリスもアメリカも、長い間、貿易収支が慢性的に赤字の国である。つまり、物を作って、それを売って利益を得るという旧来の資本主義システムは、とっくの昔に卒業している。

 他のどの国よりも早く資本主義システムを作り上げた両国は、先行者メリットで、物を作って他国に得ることで利益をあげ、国民は豊かになった。しかし、国民の生活水準が高くなり賃金が高くなることで、日本やアジア諸国など新興の工業国に対して輸出競争で勝てなくなった。だから、早い段階で資本主義の新しい仕組みを確立し、移行していた。

 イギリスは、GDPの7倍もの巨額のマネーを海外から調達し、それを海外に投資し、その運用益が国家の豊かさを支えるとともに、その金融資本の力が、世界に大きな影響を与えている。

 また、アメリカは、世界最大の借金国であることはよく知られているが、アメリカ国債を世界中に売りつけて借金をしながら、ドルという基軸通過を持つことで、その為替レートの変動によって借金額を操作することができる。

 そして、アメリカもまた、海外から資金を調達し、それを海外に投資して儲ける金融サービス業や、特許などの知財使用料で、莫大な収益を得ている。

 アメリカは、1951年にGDPにおける製造業の比率は31.7%で、金融サービス業は、わずか9.9%だった。それが、90年代のはじめにほぼ同じになり、今では、金融サービス業は18%で、製造業は10%。

 にもかかわらず雇用者数は、製造業が全雇用者数の9.1%に対して、金融は5.9%でしかない。

 アメリカに多くの利益をもたらしている金融サービス業に携わっている人間の数が、製造業に携わっている人間に比べて極端に少ないのだ。富が一部の者に偏っている原因がここにもある。

 強い労働組合に守られている製造業の従業員の待遇は、もしかしたらまだマシかもしれず、日本も次第にそうなっているが、アメリカでも高学歴で飲食店などのチェーン店で非正規の社員として働く人の数は多く、その待遇は、もっと悪い。

 つまり、アメリカもイギリスも、富が一部の人間に集中し、貧富の格差が問題になって、その不満が高まって今回の変化が起きているのだが、その格差は、経営者と労働者の間の格差(その格差も大きいが)の問題ではなく、両国がとっている資本主義の戦略が金融依存となっていることの問題なのだ。

 金融依存型の資本主義は、余ったお金で投資ができる富める者をさらに富ませる体制であり、アメリカもイギリスも、ここ2、30年の間、そういう方法が国家の生存戦略になっていた。

 そして日本もまた、多くの日本人があまり意識していないあいだに、アメリカやイギリス型の資本主義システムに移行しつつある。

 2015年の日本の貿易収支は、6434億円の赤字である。(その前年は、10兆4016億円の赤字だったが、原油などの値下がりが赤字を大幅に圧縮した)。

  一方、企業の知的財産権などの使用料、海外子会社から得られる配当、海外有価証券への投資などの収支は、2014年度からさらに2兆6563億円増の20兆7767億円の黒字となり、3年連続で過去最大を更新している。日本もまた、かつてのイギリスやアメリカと同様、新興の工業国との国際競争に勝つことが難しくなり、製造物の輸出ではなく投資によって利益を生み出すシステムが国家の生存戦略になりつつあるが、このシステムは、アメリカやイギリスのように、富める者をさらに富ませるものになることが予想される。

 ただ、アメリカやイギリスは、植民地利益や戦勝国としての既得権益をもとにどこよりも早く新たなシステムを確立して、そのシステムを国際的なスタンダードにすることで常に先行者メリットを得てきたのに対し、日本は、その後を追いかけながら、持ち前の勤勉さや日本的な創意工夫をくわえることで、その変化に対応してきたという歴史がある。

 同じ投資型の国家生存戦略でも、アメリカやイギリスとは異なる方法をとることは、十分に可能だ。

 国際的な投資活動において、イギリスとアメリカの場合、まず英語が国際言語になっていることは非常に大きい。多国籍企業との間のコミュニケーション、契約書、各種書類などは、基本的に英語だ。

 そして、イギリスのロンドン証券取引所には、新規株式公開の審査基準を緩和した市場であるAIMがあり、2008年には世界の新規株式公開の半分のシェアを占めた。

 これらの新興企業の株に投資して株価の上昇によって差益を得るという間接投資の方法もあるが、イギリスやアメリカにおいてさらに巨額の利益をもたらしているのは、海外の企業を買収したり、経営に直接関与していく直接投資だ。未上場の有望企業を発掘し、その会社を経営サポートしながら、上場によって多額のキャピタルゲインを得ることができるのは、富裕層や、資金調達力のある企業や組織に限られる。

 日本のソフトバンクは、多額の資金調達を行いながら有望な新興企業などを買収したり、その会社の経営に関与できるほどの大量の株式を保有してきた。なかでも上場前に大量に購入したアリババ株は、投資額が105億円に対し、保有株の時価総額は約6.7兆円にもなったが、アメリカやイギリスは、その優れた資金調達力によって、そうした直接投資の利益を拡大させてきたのだ。

 その資金調達力の一つとして機能しているのが、タックスヘイブンだ。

 2016年には、アメリカとイギリスに起こった大きな政治変化とともに、現在の富の構造を考えるうえで象徴的な事件があった。

 それはパナマ文章事件で、機密扱いだった金融取引文書が大量に流出し、この事件をきっかけに、各国の富裕層や権力者、企業、犯罪者などが、租税回避やマネーロンダリングのためにパナマやケイマン島といったタックスヘイブンを利用しているという事実が、明らさまになった。

 イギリスは、ケイマン、キプロス、バヌアツ、ジブラルタルなど、イギリス連邦加盟国や旧植民地に多くのタックスヘイブンがあり、世界の金融センターとして君臨するロンドンのシティと、強力なネットワークを築いている。

 さらに、シティ自体が、多国籍企業や富裕層に租税回避や守秘性などの優遇措置をとっている一種の伝統的タックスヘイブンだ。

 つまり、世界の富裕層や、利益を多く出した企業が、ロンドンのシティを通じて投資活動を行い、それによって増やした利益を、タックスヘイブンに隠していたということ。お金持ちは、持っているお金を眠らせたくない人たちなので、貯金をタックスヘイブンに隠しているのではなく、その前に、積極的に投資活動を行っている。その投資活動や利益の動きが表沙汰にならない方法こそが、彼らにとって最もありがたいことで、ロンドンの金融業界は、その仕組みを牛耳っている。その結果が、GDPの7倍もの巨額のマネーを海外から調達し、それを海外に投資して稼ぐというイギリスの異様な資本主義を作り出したのだ。

 アメリカもまた、イギリスと同様、豊富な資金調達力によって金融ビジネスで稼いでいるが、イギリス同様、タックスヘイブンがある。

 アメリカは一つの国家ではなく連邦国家で、それぞれの州が、一つの独立国のように様々なルールを法律で決める権利を所有している。

 アメリカで2番目に小さな州であるデラウェア州は、人口が、約90万ほどなのに対して、企業の数は約95万もある。2015年は、13万3297社の企業がデラウェアで設立されたが、この数字は、アメリカ国内の全公開会社の半分近くになる。

 また、フォーチュン500社のうち3分の2が、この州の法人とも言われる。その理由は、この州が、租税を回避する法人や個人を、法律によって保護しているからだ。1930年代の頃から、デラウェア州の歳入は、企業からの税金や手数料で構成されるようになっており、企業に甘いこの州の体制によって、この州は潤っているが、それによって他の州が、税収を失う結果となっている。

 デラウェア州は、アメリカのタックスヘイブンであり、ここを通して、巨額のマネーが、世界の金融市場を席巻している。

 イギリスもアメリカも、こうしたからくりを巧みに使いながら、1970年から1980年代にかけて行き詰まった製造業主体の資本主義システムを金融業主体のものへと転換させ、さらに世界の金融界のルールを、先行者である自分達の都合の良い方向へと修正させながら、莫大な利益をあげ、貿易収支の巨額の赤字を埋め合わせてきた。

 しかし、上にも述べたように、金融による利益は、製造業の利益に比べて国民のごく一部にしか行き渡らず、格差が拡大し、その不満が、2016年度のイギリスとアメリカの変化につながった。

 両方とも、僅差での勝負だったが、その結果によって、今後の情勢が、ガラリと変わる可能性がある。

 その変化は、次なる資本主義のシステムにつながっていくだろうが、それがどういうものか、近年になって、アメリカやイギリスに遅れて製造業から金融投資業へと国家の生存戦略を変えつつある日本は、知っておく必要がある。

 (△紡海。)

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2016-11-08

第963回 若冲に還る。(後半)

(前半から続く)

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若冲は、次のような言葉を残している。

 今の所謂画は、皆画を画く者にして、未だ能く物を画く者を見ず。且つ技を以って售(う)らんことを求め、未だ能く技より進(まさ)る者有らず。是れ吾の人に畸とする所なり。(もと漢文、訓み下し)

 (現代語訳)

 「現今の絵を称するものは、すべて絵を描いているだけであって、物の生気を凝視して描いたものがまったくない。もっというなら、ひとが買ってくれるように技倆を磨いているだけで、その技の向こうにある深い領域にまで達しようともしない。わたしは物を描いているばかりであるが、この点が他の画家と違うところだ。」(引用 「若冲の京都 展覧会図録」文:狩野博幸 より)

 私たちは、単純に西洋と日本を比較し、現代と過去を比較するが、若冲のこの言葉を見れば、そうした分別は関係なく、どの時代のどの場所でも、問題意識を高く持って物事の本質に迫るために創作に取り組んでいる人は、ごく限られているということだろう。

 江戸時代の若冲も、この記事の(前半)で言及したモネやセザンヌマチスも、時と場所を超えて畸人であり、絵を通して同じところを目指していた。

 現代社会においては、絵に限らず、芸術、芸能、工芸の多くは、時間つぶしの鑑賞物になったり、知識教養の素材として消費されてしまうが、”深い領域に達しているもの”は、私たちに、生きていく上で大切な気づきを与えてくれる。

 その気づきとは、私たちが日頃意識することのない森羅万象に宿る普遍の摂理だ。その普遍性に少しでも気づくことは、私たちと世界(他者)との関係性を修正する力となる。

 私たちは、自分の中から生じる力によって様々な物事をアウトプットして生きていると考えがちだ。しかし、実際には、空気や水や食物にしてもそうだが、私たちは、森羅万象から多くの力をいただいて生きている。

 私たちの生にとって、私たちの周りのものから力をいただき、生かされているという事実が大事で、その大事に気づくからこそ、今この瞬間の生を祝い、感謝できる。そして、何かしらの形でお返し(アウトプット)したいという衝動が生まれる。

 そして、自分がいただいているものの大きさを認識すると、自分のお返し(アウトプット)など大したものでなく、申し訳ないという謙虚と詫びの心が生じる。それが、日本人が美学として洗練させてきた”わび・さび”の根本的な心構えであった。

 しかし、ともすれば人間は、そうした本質に気づくことなく、世の中の風潮に染まり、なびき、若冲が述べたように、「售(う)らんこと(奸計を巡らすという意味もある)」を求める。

 若冲は、「吾の人に畸とする所なり」と述べたが、畸というのは、単に人と違っているとか、アブノーマルという意味ではない。

 孔子曰く、

 「畸人者、畸於人、而佚於天、」

 畸人とは、人に於いて畸(変わっている)ことで、天(自然界)に於いては佚(安楽で自然)なものだ。

 すなわち「是れ吾の人に畸とする所なり」と宣言する若冲は、当時の人間社会の尺度よりも、天(自然界)の摂理の方が遥かに大事だった。

 こうした若冲に見られるような、安易に世の中の風潮に交わらない、他者になびかない、自分の信念に基づいて事をやりとげるのだという潔く緊張感のある意気地を、日本人は、粋という美学に洗練させてきた。

 わび・さびや、粋をはじめ、日本の伝統的美意識とされるものは、過去の遺物ではなく、自己都合的で本質を見失いやすい人間意識の欠点を修正し、天(自然界)の摂理に立ち返って生きることを促すための普遍的な哲学かつ美意識であり、今でもその意義は変わらない。

 こうした哲学かつ美意識は、私たち現代日本人の意識から抜け落ちているが、潜在的には、私たちの中から完全には消えていない。

 ところで、現代社会で私たちが「才能」という言葉を使う時は、その人間が、知識や教養や技術を備え、みんなが感心するようなアウトプットができる人であるとされる。

 若冲の”才能”について語る時も、天才的な技術を持ち、素晴らしい色使いのできる絵師、目の付け所が独特で個性的で、表現豊かな芸術家と讃えられる。

 若冲に限らず、評論家や学芸員は、そうした説明でタレントやアーティストの成功者を讃えることが多い。世の中の風潮がそんな具合だから、成功を目指す次なる人たちも、より個性的に、独特に、色使いに工夫を凝らし、もしくはその逆をついて、シンプルを売りにしたり、ということになる。すなわち、「技を以って售(う)らんことを求める。」

 しかし、もともと、才は、材のことだから、陶器の場合は土だし、木彫りの場合は木、絵の場合は、墨であったり、描かれる鶏や竹などのこととなる。

 そして、能は、引き出すこと。日本の伝統的芸能である「能」も、自分の表現したいものを表現するというパフォーマンスではなく、生死の境のあちら側のものを引き出して自分という器に入れる所作である。

 すなわち、才能の本来の意味は、自分の力をアピールすることではなく、対象の力を引き出すこととなる。

 この感覚は、現代でも多くの日本人が共有できるものである。

 たとえば、日本の会社における名経営者や優れた管理職、スポーツチームで実績を残す名監督は、自分のアイデアを実現するために人員を使う人よりも、人員の力を引き出せる人であると、多くの人が考えている。

 また、日本料理にしても、優れた料理人とは、旬の素材を見極め、その良さを最大限に引き出せる人のことだ。

 匠と称えられる職人は、大工であれ石工であれ、木や石の性質を知り尽くし、それらの性質を最大に生かすことができる。才能ある作庭家は、自分のデザインに基づいて庭を作るのではなく、石を見て、その石がどこに行きたがっているかを石に聞きながら庭を作るのだ。

 そして、この道理は、生きた写真や文章を組みあげる編集の仕事などでも同じである。

 自分の考えを優先して物作りを行うと、その考えから外れるものは不良とみなされ廃棄される。素材の力を引き出すことが優先されれば、どんなものにも潜在的な価値があるという前提で、その価値を引き出し、生かそうとする。つまり、天(自然界)の摂理に従えば、無駄なものは何一つない。

 城壁の石垣などは、どれ一つ、同じ大きさ、同じ形はないのに、すべての石がしかるべき場所に組み込まれ、全体として極めて安定したものになっている。石を見て瞬時にそういうことを判断できて物を作り出せることが、才能の条件なのだ

 現在は、自分の都合や社会の都合が優先され、その計画や設計や規格に基づかないものは、除外されるか矯正される。国づくりという大義名分を掲げた国家の教育の在り方が、そうなってしまっている。

 経済発展のために、「技を以って售(う)らんことを求める。」ように人を育てることが、現代の教育なのだから、その教育によって、天(自然界)の摂理は損なわれていく。

 しかし、21世紀になって、若冲の絵がアメリカや日本で人々の心を惹きつけるようになってきているのは、とても興味深い現象だ。

 若冲の絵が秘めた貴重なメッセージを完全に意識できなくても、彼の絵から迸る何かが、人々の深層意識に働きかけているのだろう。

 若冲の絵が素晴らしいのは、若冲が考えたデザインや構図や色使いがどうのこうのではなく、鶏や犬や菊の花の本質を決して損なわないように凝視し、観察し続け、筆を走らせ始めると邪念が入る暇もない速度で描き切るという技術を身につけるための訓練を重ね、その結果として、若冲の言葉を借りれば、”能く物を画いている(画によって物の生気を引き出している)”からだ。

 食物にしても、見た目に凝っただけのものは飽きてしまう。けっきょく、素材の良さを最大限に引き出したものがうまいし、飽きがこない。

 デザインを売りにした工業製品よりも、使えば使うほど味が出る自然素材の器や家具を求める人も増えている。

 人間もまた天(自然界)から生まれたものであるから、深層意識は、自然の摂理を知っているし、その有り難みも感じている。

 食べ物にしても持ち物にしても芸術作品にしても、消費社会の中で各種様々な「技を以って售(う)らんことを求める。」物に接してきて、けっきょくは味気ない思いを重ねるだけで、自分の生が、次第に殺伐としたものになっていることに、人が気づき初めている。

 そうした経験を経て、若冲の絵のように自らの深層意識に届くものが、人々を惹きつけるようなってきているのだろう。

 最初は深層意識の中のわずかな揺らぎかもしれない。しかし、そうした体験を繰り返しているうちに、物の良し悪しを判断する味覚や視覚など各身体感覚の本来の記憶が蘇ってくる。

 その身体感覚にそって物事の選択が少しずつ変わっていくと、現代の世の中を覆っている価値観や考え方とは”畸”のもの、逆のものになっていく可能性がある。

 それは、

 生きているのではなく、生かされている。

 不足、欠け、凹み、瑕、何か足りていないものに生気は宿る。

 自分に執着することではなく自分から離れることが、自由。

 享受し、所有する幸福ではなく、尽くし、与える幸福。

 といったことだが、色々と自然の摂理に反することを重ねたあげく、ぐるりとまわって、最後に、天(自然界)の本質に還っていくことになるのかもしれない。

 人間もまた天(自然界)の創造物であり、やがて死ぬことが定められており、その宿命から逃れられないのだから、どこかの臨界点(死の間際かもしれないが)で、天(自然界)の摂理に従わざるをえないと悟る。そのように創られていると考えた方が自然だ。

 大きく脇に逸れたところから、本来あるべきところへの帰還の一歩をどこから始まるかは人それぞれだが、無からの一歩ではなく、私たちの周辺には、若冲をはじめとする畸人たちが、多くの道標を残している。

 それらの畸人たちの仕事、すなわち私たちに染み付いた世間のスタンダードとは異なるものを自分に取り込んでいく姿勢は、若冲が、鶏や植物の生気を凝視した姿勢と、通ずるところがある。

 自分の作るものや自分の名を售(う)らんことを求めているかぎり、天(自然界)の本質から遠ざかるばかり。

 とはいえ、いかにして食べていくのかという難題は残る。

 社会の趨勢が天(自然界)の摂理に沿うようになっていけば、巡り巡ってすべての人が恩恵を被ることになるかもしれないが、果たして今の段階でどうなんだろうという不安や惑いを持つ人も多いだろう。

 わび・さび、粋、清貧といった美徳や美意識は、そうした煩悩をきっぱりと断ち、諦観に転換する先人の見事な知恵でもあるのだろうと思う。

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