延原時行歌集「命輝く」(第2660回)(祝:延原時行著『平安ありて平和なる』刊行!)

              
  延原時行歌集「命輝く」(第2660回)
  「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」

今朝も先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    1月4日

           美味しやの歌七首

 一 余りにも寒き故にぞ我ビール少しく沸かし飲めば美味しや
 二 猛吹雪去りたる故に午後からや雪掻き車買い物に出す
 三 熱誠の友新著にぞ祝詞あり一寸礼状長過ぎしかな
 四 今日の日や宝運の恵方巻買ひてやもやし肉汁と佳し
 五 拙新著アマゾン哲学上昇すこれも時代のメルクマールか
   (備考:只今アマゾン「哲学」98,019中349位なり)
 六 恐らくや「平安ありて平和なる」平和論のや王道哲学
 七 軍事もや平和論にや入るやも平安こそやカテゴリーそも
   (備考:これ正にホワイトヘッド『観念の冒険』の天才的認識ならずや:”The immediate experience of this Final Fact, with its union of Youth and Tragedy, is the sense of Peace. In this way the World receives is persuasion towards such perfections as are possible for its diverse individual occasions.” [AI, 296])




「今日の歌」にも謡われている待望の新著が、昨日我が家に到着しました。早速手に取り眺めまわして、300頁を越える御本の「目次」から・・・

上の写真は、もっとも目を引くカバーと先生のプロフィールです。

御本には次の「刊行の栞」が添えられていました。


発刊の栞

〇この度何の幸いか、謎解きの新著『平安ありて平和なる――ホワイトヘッドの平和論、西田哲学、わが短歌神学日記』(新潟・考古堂書店、2017年2月20日刊)を上梓することを許されました。謎解きと申しますのは、前著『良寛「風の歌」にちなんで――御友神学の省察』(新潟・考古堂書店、2016年3月30日刊)において良寛の「風の歌」を契機に私のキリスト教神学の新境地「御友神学」を打ち出し、この時代の中心問題を「愛語――殊に仏教とキリスト教の対話」と捉え、時代のダークサイドを「核時代の始まり――広島長崎の原爆投下」と見定めました。原爆投下の決定因子は、軍略上の方策(対日勝利)よりも前に「キリスト教絶対主義的宣教学――ミッションランドの文明代置」の存在にあり、と見ました。そうして、それ以来71年の現在、地球人類は共々に「核時代」の苦悩を誰もが悩んでいると捉え、原爆投下と核時代の苦悩の〈間〉に、地球人類の存在意義が問われている中で、米国大統領の文明論的悔悛が求められている、と見たのです。それが無ければ、宗教間対話(ことに仏教とキリスト教の対話)を基調とした「脱核時代」の曙を全地球(ことにイスラーム文明との対話)に広げることは難しいからです。

〇本書では誠に摂理的としか言いようのない仕方で、前著の詩的・哲学的「補遺」を描くことになりました。「原爆投下」を「地球人類共通の核時代の現在苦」の産み出しと見て、これを超脱するには、米国大統領の御友と共なる文明悔悛が生起せねばとの私の確信が、何という事か、オバマ大統領の広島平和スピーチと森重昭氏の抱擁による哀悼の誠により実現されたのです。ここにホワイトヘッドと西田の「平安ありて平和なる」東西の叡智が結実していました。

〇新著上梓喜びの歌五首
 一 我が新著上梓嬉しや平安やありて平和のなる時ぞ今
 二 只今や軍略ありて平和なる虚妄の説や跳梁跋扈
 三 オバマ氏や平安ありて平和なる人類(ひと)コア矛盾懺悔友抱く
四 幾十万人方投下ピカドンに絶命せしも平安主ます
 五 道義的覚醒高く掲げてや人類(ひと)再出発や今ぞこそやと

〇〒957-0057新発田市御幸町4-7-2;Tel/Fax: 0254-26-3939; Email:tnbhara@cocoa.ocn.ne.jp
郵便振替:00550-6-49528(名義:延原時行)ご注文の際、恐れ入りますが、ご記入ください。
西プロセス研究企画 主宰:延原時行  一部定価2.500円。送料なし


先生の「今日の歌」に歌われていますが、昨日は先生からのメール便を拝受、新著への「道案内」として、また「味読」の前の読解の栞として有益ですので、これもここに収めさせていただきます。


○早速のお祝詞誠に恐縮に存じます。心より厚くお礼申し上げます。昨日まで猛吹雪だったものですから表の雪かきが出来ず、車を出せず、不首尾な事でございました。それで、却って「ながしま」でゆっくりいたしました。今度の新著は、前著の補遺の形での謎解き。この形を読者の皆さんに楽しんでいただければ、本望でございます。原爆の問題は、何も広島と長
崎に投下されたことだけではなく、現在進行形の地球人類の苦悩である事です。核時代の苦悩を脱却するには、分かりきったことですが、軍略だけでは手に負えません。ホワイトヘッドや西田の哲学の叡智を借りねば脱却の目途はつきません。そう自分で考えつくした道を、驚くべき摂理と申しますか、オバマ氏の広島平和スピーチと森氏抱擁に至られました。その事
の感動を一年間わが短歌神学日記で確認することなしに暮らしとおす事が不可能でした。その事の中で我妻が生き抜きて笑み、死んで笑み、復活道を先導してくれましたので、その道を私もどうにか詩的に思索的に生活的に歩んでくることになったわけであります。貴兄の毎日のUPが無くてこの道如何に辿ることが出来ましょうや。感謝無尽に存じます。

こんな事ですから、論文二つ、我が短歌神学日記、そしてカブ先生との往復メール書簡での形而上学的共同認識が成ったことは誠に不思議な摂理物語でございます。恐らく、読者に置かれては、この道のどの位置においてももしご自分で何か感じて立ち止まられますならば、それも摂理でございましょう。そこにその方の独自の「味読」が始まることでございましょう。それを心から期待させていただいています。

最後に、形而上学詩に到達しました:

創作用そも究極事性(さが)成すや無自性なるに大悲事(じ)に寄す

これは、カブ先生のメール書簡と深く通底いたします:

“Whitehead agrees with Buddhism in this emphasis on event and the negation of substantial reality. But the identification of the ultimate as creativity gives a more positive tone to the understanding of Each instance thereof, despite the total lack of substantiality.”

創作用は究極事です。されど、ここより一々の事(じ)には“a more positive tone”(私の言葉では、大悲)が親しく寄せられるのです。この二面性が宇宙人生の神秘であります。妙味であります。この妙味を介しない人が地球政治の先導者になりますと、何らかの形の「実体論的決めつけ」(殊に軍略的なそれ、極端な形は「原爆投下、空爆」)を成すと同時に、具体的な態度は、「a more positivetone」(大悲の業)を欠くことに成ります。つまり、文明の究極面と具体面における退廃であります。本書は、この二重の気付きに、恩師との対話の中で達したことに、最大の摂理ありと感じております。

前著『良寛の「風の歌」にちなんで――御友神学の省察』の謎解きは、此処に至りました。そこまで読んで下さる未知の、既知の友あらば、もって諒と成すべきかな!

右、お礼方々
IXIA!
延原時行



昨日は「NPOまちづくり神戸」の友人たち共に、京都の病院で療養中の先生のお見舞いに出掛けました。一時間ほどお邪魔して、よいひと時を過ごし、とんぼがえり・・・久しぶりの「京都」でした。

終りに、病院に飾られていた絵と、いつもののらねこちゃんと・・・。