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シモーヌ・ド・ボーヴォワール

読書

シモーヌ・ド・ボーヴォワール

しもーぬどぼーう゛ぉわーる

Simone de Beauvoir

フランス思想家、作家。

1908年1月9日、生まれ。1986年4月14日、死去。

1908年1月9日、パリの上流家庭に生まれたが、そのブルジョワ的な雰囲気とカトリック道徳に反抗し、すでに15歳のころから作家を志した。当初のテーマは硬直したブルジョワ倫理観への少女たちの反抗。最初の小説「青春の挫折」は出版社から拒絶されてしまったが、その後も文学への傾倒は続き、21歳のとき、ソルボンヌ大学で「自分より完全な、自分とおなじような人間」ジャン=ポール・サルトルと出会う。結婚を維持しながらもおたがいの自由恋愛を認めるなど、画期的なこころみを実践するが、同時に結びつきに波乱をきたし、いくたびも危機を迎えばがらに二人の結婚生活は50年間サルトルの死まで継続した。

作家としてのその後は、人間の絆の葛藤を描いた「招かれた女」などの出版で世に認められ、戦後における左翼知識人の生き様を描いた「レ・マンダラン」によって1954年、ゴンクール賞を得た。政治的活動では、1950年代ソ連ハンガリーなどへの侵攻、アルジェリア戦争批判(1954−62)、ベトナム戦争弾劾などに見られるように、自身の政治的立場をサルトルと45年から主催した月刊誌「レ・タン・モデルヌ」などで明らかにし続けた。

しかし、ボーヴォワールの決定的な業績はなにより、思想家としての側面にあるといえるだろう。何より彼女の著書のトップにおかれるべき本は1949年に発表した「第二の性」である。この書でボーヴォワールは、男性の保護下に置かれ、同時に搾取される女性という『第二の性』として貶められた存在を、神話から歴史、文学の資料を逍遥しつつ、さらに豊富な実例をあげて論証した。さらに、この本は「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と述べるとおり現代フェミニズムの出発点でもあり、1970年代の女性解放運動の先駆ともなったと共に、ボーヴォワール自身、階級闘争より両性の平等を求める運動に参加させることになる。晩年まで彼女の姿勢は一貫して、偏見や社会通念と闘うが、「わたしは幸福になりたい、だから幸福になるのだ」という強い意志力とオプティミスムに満ちたものだった。

1966年、サルトルと共に来日

また、老年を捉え直そうという「老い(1970)」などの著作でも、みずから体験している老いという人生における避けられぬ側面の社会的意味を問うている。1981年にはサルトルの晩年の病と死を克明に捉えた「別れの儀式」を発表した。