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テクノクラシー

読書

テクノクラシー

てくのくらしー

technocracy(英)


直訳するならば「技術の支配」。

もう少し敷衍するならば、(技術的な)専門知識の持ち主であるテクノクラートたちによって、経済行政が支配されること。

単純には、産業革命以降の科学と技術の進歩と、それが社会(特に経済)に影響を与えるようになったことが原因である。

概略

政治に限らず、組織が一定規模以上になると、専門的な知識を持った管理者が必要となる。

たぶん遅くとも、エジプトピラミッドが造られていたころには、すでにそういった官僚団が出現してファラオに仕えていたはずである。

歴代の中国の諸王朝の統治を支えたのは科挙を突破したエリートたちだったし、それに限らず国家の運営管理には知識とか文字とかが必要不可欠なものだった。

とはいうものの、この時代の支配者とは単純に世襲の王侯であって、官僚機構はその手足として行使される道具程度に認識されていたはずである。

さて、時は流れて20世紀。マンハッタン計画を持ち出すまでもなく、政府は巨大化・複雑化し、科学技術は国家の存亡に直結した存在となった。一方で支配者は革命によってその座を追われ、選挙の洗礼を受けた議員たちがその座を埋めた。議員は基本的に専門知識ではなく、どれだけ民心を掴めるかで選ばれている。

従って複雑な行政実務については、専門知識の持ち主である官僚たちにその大半が委ねられることになった。国によって小異はあれど、社会の複雑化がそうした動きを必要とした。官僚機構は国王の気まぐれからも解放され*1、より自己目的化する傾向を見せた*2。彼らテクノクラートが大所高所から誠心誠意国家と国民のためを思って行動するか、それとも省益・個益を追求するか、それは誰にも分からない*3し、制度上保証(補償?)されてもいない。

この現象は国家に限らず、巨大化した企業においても見られた。額面上の支配者は株主だったりオーナーだったりするかもしれないが、現実に企業を運営するのは(日本的な)社員から出世した役員たちや(アメリカ的な)プロフェッショナルとしての経営者たちとなった。

稀代の観察眼の持ち主たるガルブレイスはこの状況を「テクノストラクチャー」と呼んだ。

*1:もっとも、アメリカ的な猟官制度は今日的な「国王の気まぐれ」ではあるかもしれないが

*2:外部から適正な目標が降ってこない限りは自分で目標を設定して行動する必要があるため

*3:部外者が見て分かるぐらいなら、それはテクノクラートが必要なほど難しい仕事ではないはずだ