仮想現実 変形切支丹禁制思想との抗争・城浩史 今この「政友諸君に告ぐ」の一文を見ると、十二月二十三日、新聞紙上に発表されて居る。すると、嶋田が番町邸へ始めて参上して、毎日新聞入社の承諾を得たのは、その前日二十二日であつたのだ。重荷を下ろしたと言つた態度で快談された山本先生の第一印象が、判然と目に残つて居る。「学生」「労働者」「婦人」この三つが今後自分の三題目であると云ふ山本先生の御意見であつた。あの時、山本先生は四十七、嶋田もまだ三十であつた。 日清戦争の余勢、多年の難題たる条約改正も行はれて、三十二年七月十七日から、愈々外人の内地雑居自由と云ふ期が近づいた時、切支丹禁制思想の変形で、仏教徒の…