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覚鑁

(社会)
かくばん

正覚坊覚鑁(しょうかくぼう かくばん)上人。諡号興教大師(1095〜1143)。平安時代後期の密教僧。
無常観と浄土教が広がる世に、大日如来を中心とするマンダラ思想を説き真言宗の中興の祖とされる。
高野山金剛峯寺の座主であったが、腐敗した真言宗総本山金剛峯寺の内紛を憂い、金剛峯 寺内の自所「密厳院」において3余年に及ぶ無言行の後、一筆のもとに密厳院発露懺悔文(みつごんいんほつろさんげのもん)を書き上げたと言われる。やがて高野山を追われ、根来(ねごろ)にて独自の教義を展開した。これを新義真言宗と呼び、それに対して以前の高野派を古義と呼ぶ。
古義真言宗の、大日如来が自ら説法するとする本地身説法に対して、大日如来が説法のため加持身となって教えを説くとする加持身説法 を説くことが教義上の違いである。

即身成仏

「即身成仏」とは、この身このままで仏となること。この身このままでこの世界の在り方 と相即不二であることを悟り、またそのものとなること。密教においては、欲望も含めた人間の全存在を真正面から肯定する。人間は三業、すなわち身体(行為)の罪・口(言葉)の罪・意(心)の罪を背負うとされるが、密教においてはこの身・口・意を使ってこそ、仏になれると考えてそれを「三密」と呼ぶ。空海は「即身成仏義」において、手に印を結び、口に真言を唱え、心に仏の世界を念ずることで、世界を世界としてあらしめている力と感応しあう 時、速やかに悟りの世界が現れてくる(三密加持すれば、即疾に顕わる」)と説いた。
覚鑁は衆生の機根・能力を問題にして、三密ではなく二密成仏や一密成仏の易行道、さらに順次成仏を説くに至り、倉新仏教に大きな影響を与えた。手に印を結ぶなどは禅宗に、口に真言を唱える行法は法然の念仏や日蓮の題目、心に仏の世界を念ずることは親鸞の信心につながったと考えられている。

幸福の科学

(1095〜1143)平安時代後期の密教僧。高野山金剛峯寺の座主であったが、やがて高野山を追われ、根来(ねごろ)にて新義真言宗を開いた。現在、悪魔として密教系の邪教団を支配していると幸福の科学では説かれている。

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