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張松

(社会)
ちょうしょう

中国後漢の人物(? - 213年?)。字(あざな)は子喬。蜀郡の人。兄に張粛。子(又は甥)に張表

益州劉璋に仕え、別駕までに取り立てられた。背が低く顔立ちもあまりいいとは言えなかったが、頭の回転が速かったという。

張魯の脅威に対抗するため、劉璋の使者として、当時、荊州を一時的に支配していた曹操の元に派遣される。楊修には評価されるが、曹操からは冷遇された。冷遇されたことに腹を立てた張松は、帰還すると曹操と絶交し、曹操を追って荊州を支配した劉備と結ぶことを進言した。

劉備の元に使者として出向き、劉備の人物を気に入ってしまった張松は、かねてより劉璋の人物に不満を持っていたこともあり、法正孟達らと共に、密かに劉備を益州の主人とすることを計画する。しかし、益州に入った劉備の動きが鈍かったため疑心暗鬼となり、劉備が荊州に戻ろうとしたと知り、真意を探るために劉備に手紙を送ろうとしたところ、兄の張粛にその手紙を見られてしまい、兄から劉璋に劉備との計画が洩れてしまい処刑された。

『三国志演義』にも登場する。字(あざな)は永年となっている。

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