デカルトは方法的懐疑という手法で、すべてを疑っていったが、それでも今、ここで、思考している自分だけはどうにも疑えなかった。 「我、思う、故に我あり」 これを思考の出発点としようと言った。 方法的に懐疑しようと。 「すべてのことを疑ってかかれ」 この世に「絶対」などない。 唯一の「真理」などない。 人の数だけ「正しさ」がある。 と、相対(懐疑)主義者は言うだろう。 ちょっと待ってほしい。 もし、それが正しいというなら、 一つの矛盾に気づく。 その「すべてを疑え」ということもまた疑う必要がある。 思考停止的に「すべてを疑う」というのは、どうも正しくなさそうだということはわかる。 だから、方法的に懐…