スマートフォン用の表示で見る

南宋

社会

南宋

なんそう

北宋が金朝の攻撃を受けて滅んだ後、江南は臨安に都した王朝。1127年〜1279年。

最後は元の攻撃を受けて滅亡した。


略史

五代十国の混乱を治めて中国の統一を果たした宋王朝だったが、周辺の異民族の軍事的な脅威を受けていた。ことに遼とは1007年に澶淵の盟を結んで多額の貢納を行うこととなった。

財政再建のために王安石が抜擢されて税制改革を行ったが、既得権益を侵された守旧派(旧法党)の反撃によってこれを覆されるなど、なかなかうまくいかない。

さて、女真族の金が台頭してくると、宋はこれと結んで遼を滅ぼすことに成功する。が、今度は金が新たな脅威となり、1127年の靖康の変によって皇帝らが捕虜として北方に連れ去られ、ここに北宋は滅んだ。

が、難を逃れた皇弟が新たに南京即位して、江南を領土とする南宋を建てた。

以後、金との和平を結び、経済・文化的には空前の繁栄の時代を迎えることとなる。

その後、モンゴル興隆し、元朝を建てて中国の制圧に乗り出す。1276年にはモンゴル軍によって首都臨安を失い、1279年には残党も討たれて宋は滅亡した。