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保田與重郎

読書

保田與重郎

やすだよじゅうろう

保田 與重郎(やすだ よじゅうろう)

 評論家・保田與重郎は、明治43年4月15日奈良県磯城郡桜井町(現桜井市大字桜井)に生まれた。

畝傍中学、大阪高等学校東京帝国大学にすすみ、在学中から同人誌「コギト」を創刊、盛んな文筆活動を行う。卒業後、亀井勝一郎らと「日本浪漫派」を創刊、その中心となる。

昭和11年、処女出版「日本の橋」で池谷信三郎賞を受賞して地位を確立。以後「戴冠詩人の第一人者」、「蒙彊」、「後鳥羽院」などを著し、伝統主義、反近代主義、反進歩主義アジア主義の色調を強めていく。

このころは、大東亜戦争に突入する時期で、新しいロマンチシズムを打ち立てようとする保田の日本の古典文学古美術への関心への結びつき、日本精神の再検討、復活、いわゆる日本主義の傾向は保田を時代の立て役者に仕立て上げていった。

終戦後、彼は公職追放に処せられ、文壇から最も悪質な右翼文士として葬られ、不遇の時期を郷里で送るが、この間も「祖国」を創刊、匿名で時評文を書き「絶対平和論」、「日本に祈る」などで戦前からの思想の一貫性を守り通した。

保田與重郎の作品は、「大和桜井の風土の中で身につけた豊かな日本古典の教養と迅速な連想による日本美論である」と言われ、「私の郷里は桜井である」と保田はしばしば誇らしくこう書いている。

このため戦後は、神武天皇聖蹟鳥見山に座す(桜井市桜井)等彌神社に「大孝」の碑を、桜井公園(桜井市谷)に「土舞台」の顕彰碑を、桜井市穴師のカタヤケシでは元横綱双葉山時津風理事長)、柏戸大鵬横綱らを招いて天覧相撲発祥の伝統を顕彰する行事を行い、桜井市黒崎の白山神社の境内には万葉集発耀の碑を建てるなど、「わが郷里桜井」を内外に示している。