1979年、プログレッシヴ・ロック・バンドであった「マンドレイク」を母体に
平沢進がリーダーとなって結成。
ワーナーミュージックよりデビューする。
その斬新 かつPOPなサウンドがテクノポップ・ブームの口火となり一世を風靡する。
ヒカシュー、プラスチックスと共に「テクノ御三家」と俗称され、
日本のテクノポップ/ニューウェイヴ・ムーヴメントを牽引する存在となる。
加熱するブームの危機にP-MODELはテクノから路線を変える。
だが、1988年にP-MODELは解散。しかし、1991年から1993年、1995年から2000年まで活動再開する。
そのためメンバー・チェンジを激しく繰り返し、
ずっとP-MODELであり続けるメンバーは、平沢進ただひとり。
結成20周年目には、
「音楽産業廃棄物〜 P-MODEL OR DIE」と銘うったプロジェクトを掲げ、
ネットワーク配信を はじめとする新たな音楽産業の在り方を呈示した。
その為自ら所属していたレコード会社、日本コロムビアを脱退した。
2004年には平沢のみで「核P-MODEL」と名乗り、不定期に活動している。