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西村伊作

(アート)
にしむらいさく

建築家、陶芸家。文化学院創立者。1884〜1963


明治17年(1884)和歌山県生。父はキリスト教徒。伊作(イサク)の名はアブラハムの子イサク(Isaac)から取られた。
7歳のときに濃尾地震のため両親を失い、母方の祖母に引き取られる。親戚を頼り、広島の私立中学校に進学。宣教師に英語を習い、写真も始める。大下藤次郎著「水彩画之栞」を手に入れ、絵画制作を開始。中学卒業後、叔父が西洋文化を紹介するために開いた食堂を手伝う。またこの叔父の案内で与謝野寛、北原白秋、吉井勇等と知り合う。このころアメリカ式のバンガローに興味を持ち、バンガロー形式の家で暮らす。
大正9年(1920)与謝野晶子、石井柏亭らとともに、「文化学院」の構想を練る。大正10年開校。文学、美術、音楽に重点を置いた学校であった。同年に「西村建築事務所」も開設し、洋風の住宅やキリスト教の施設などを手がける。
昭和12年(1937)伊作の設計による文化学院の新校舎が竣工。戦争色が強まるにつれ、反体勢的とされる発言が多くなる。皇紀2600年祝賀ムードをただの数字に過ぎないと皮肉った「数字と偶像」の発表をきっかけに学院教師らと大きく対立。教師の半数は辞職。伊作は校長であったが、引責辞職し、校主となる。思想犯として取調べを受ける。昭和18年9月、文化学院閉鎖。昭和21年(1946)文化学院再開。作陶に熱中。
昭和38年(1963)死去。享年78歳。

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