市來健吾の日記

プログラマ、(元)物理屋(ナノテク、流体)

日記の更新(というか、upload)が、気が付くと滞ってるな、最近


  • ユーザー・フレンドリーを考えようとか 言ってたのに、 そういうことが実は一番コストが高いんだなと実感している日々。

  • MORI さんが言うように、 「ユーザー・フレンドリー」は考えない方がよいのかな。

    • 2007年05月14日の「若いヒーロと読解力」@moriにも、似たような statement がある。
      世の中にはいろいろな人がいる。どうしても肌が合わない人というのは、誰にでもいるものだ。 … そういう人とは僕もあまり関わりたくないから、 「その人が僕の本を燃やして関係を絶ってくれる」ことは嬉しいことだ。

      どちらにしても、誤読する人というのは、どう書いても誤読する。 … この場合、そのまま誤解してもらって、悪く悪く受け止めてもらって、 どんどん離れていってもらうのが望ましい。 これも悪い状況でもない(むしろ良い)。不愉快なことでもない。 過去10年間、この手法でどんどん良い環境に至っている。

      嫌いな人に嫌いだと言われるのはプラスだ。 嫌いな人から好きだと言われるよりグッドだと思う。

  • という愚痴はともかく、実情は最近、研究方面で風呂敷を広げすぎて、 やりたいことと出来ることのバランスが崩れているせいだろう(作業量の話)。

  • と言っても、書くことに手が回らないというのではない。 研究部分は日々記録をつけている。これをしないと何も残らない無駄な作業をしてるだけになる。 手が回らないのは、「公開日記」への編集作業。 この時間は個人的には結構有意義で貴重なんだけど。

  • 世の中、常に忙しくしている人が凄いという雰囲気があるけど(という認識が既に古いかな)、 そういうことなんか気にせず、他人からは無価値に見えるけれど 本人にとって大事な部分にきちんと投資する、 そういう時間管理、自己管理 をしていかないといけないんだろう。

  • 7/9/2007: また滞っていた。

「楽しいエクササイズ」@mori


  • えっと、また森博嗣さんの日記なんだけど、この今日のエントリーを読む前にちょうど 「機関車製作部」 を眺めてて、「過去の散在」コーナーを見つけて、 やっぱりオークションでついつい落してしまうよなぁとか共感しつつ、 「過去の履歴」の記述を見て、のけぞった。 (どれくらい本当か分からないが。)
    キットで50万円。この購入には、奥様の理解の獲得が必須でした。 森の場合、500円玉を貯金箱に3年間貯めるというデモンストレーションの結果、 手に入れました。
    さて、何日に一回500円玉を入れたことになるでしょうか?とか書きそう。 答えはメールするな、という但し書き付きで。っことではなくて、記憶の片隅には 庭園鉄道のために作家になったという話 もあったし、そうか、こういう時代があったんだなと妙に安心したりもしたところだった。 その直後だけに、以下の記述に逆方向にのけぞった。
    小説関係では、相変わらず、仕事を断っている。 … いずれも数百万円の小さな仕事で、気楽で楽しそうではあったけれど、 それに時間を取られるのは確実なので、いたしかたない。 一番大事なのはとにかく時間。捻出するわけにいかないから、 整理して、削れるものを削る以外にないのである。
    桁が違いすぎる。まぁこれを成功というんだろう。 人生の主導権は やっぱり(最低限の)お金だなと思う

  • 折も折、瀬名秀明さんのサイトも久しぶりに眺めてて、 色々考えた

  • 4/19/2008: プロフェッショナルというもの。

「研究者の作法」@senahideaki


  • 引用
    文芸の世界ではこれらの作法(研究者の作法)は全く通用しないばかりか、 むしろこの作法を破らないと生き延びることができない、という現実だ。

    私はある時期から小説の巻末に参考文献一覧をつけるのをやめたが、 これは読者や評論家から強い批判があったためだ。 「文献一覧を載せなければ裁判で負けるほど、 この本は他の著書からぱくっているに違いない」と邪推されるのである。 研究において誠実であることを示す行為は、 他の社会にとっては悪事を覆い隠す兆候とみなされる。

    たぶんまだ多くの科学者は論文を書くときとマスメディアで語るときで 「研究者の作法」を変えていて、そのことに全く疑問を感じていないんだと思う。 論文は大切だけれど、まあテレビの取材は適当に学生に任せておけばいいよね、 忙しいし、という感じになってしまっている。 それが「不作法」であることを、科学者はいまどのくらい自覚しているだろう。 しかし自覚したとしても、 「作法」を守っていたら確実にメディア業界では飢えて死ぬのである。

  • 揺れているなと感じた。(良い/悪いではなく。) 「小説の巻末に参考文献一覧をつけるのをやめた」ことは、 「論文を書くときとマスメディアで語るときで「研究者の作法」を変えて」いることに ならないんだろうか?とか、 「「作法」を守っていたら確実にメディア業界では飢えて死ぬ」から、 どうするのかとか。

  • 個人的には、 メディアが腐ってることや、大学が機能不全しているとかは事実なわけで、 自分が困ってなければそのまま隠遁するか、 自分で拠点を確立するかの選択しかないんじゃないかな。

  • それから、 彼が2006年から東北大の機械工学科の特任教授とやらになっているらしいことを知る。 基本的にパンダなんだろうけど(それを承知で 旗振り役 を買って出ていらっしゃるのだろうけど)、 薬学博士の彼が機械工学?トンペイのサイトはなぜか見えなかった。

  • えっと、個人的には、一山当てた後の身の振り方の一例として、 頭の中にカテゴライズされている。 上の森さんの場合(世間との関係を縮小していく方向)、 最近の望夫さんの場合(大学教授を目指さない方向)とかと関連して。 (慈善事業に進もうとする bill gates も、その周辺にフワフワしている。)

  • 1/28/2001: 「課外授業 ようこそ先輩」

  • 7/18/2010: 瀬名秀明の「八月の博物館」を読了

長らく freeze されていた FreeBSD の ports が戻ってきた


  • X が 7.2 になることによるチェック作業だったらしい。 で、早速 background で upgrade していたら、 gnuplot が font が見つからないといって使えなくなったので、 しばし仕事が中断(そのために、日記の記述が突如充実しているのかもしれない)。