狼疾

June12Fri2015/7:10am

此の漢字は中島敦「狼疾記」に出てくる。

「養其一指、而失其肩背而不知也、則為狼疾人也」
もとより之は孟子告子篇下から取ったものであり、仁義を最も尊いとする考えを根幹にして、指を重んじるあまり肩や背までも失うのは馬鹿げていと言いたいわけである。(つまるところ、物質的なもの以上に大事な精神的なことがあるだろうが、と孟子は此処でいわんとしている)。

そして、中島敦「狼疾記」で言いたいのは宇宙の事を考えたり、夢想的意味合いに捕らわれたりするよりも、日常の実際的な事柄に重要性があると説いているわけで、病的に抽象的な事柄に捕らわれるのは一つの愚かな病だと言いたいわけである。此の狼疾とは、”実際的な思考ができない”ことなのである。

いま機械の歯車に小指が挟まれたとする。歯車が止まらないとするなら、遂には指から腕、肩までドンドンと巻き込まれて遂には致命的なことになる。ならば、巻き込まれた時点で指を犠牲にして引き千切れば肩まで失う事はない。それに故に、思考の些細な”癖”早めに断ち切れば被害は最小限にとどまる。

しかし、中島敦は全然、此の夢想的傾向を愛して止まないのであるが。

たいていの人間は日常の必要性に追われて生きている。”口腹”の欲に満たされて可なりとしている。日常の必要以上に、博打に耽ったり、女に溺れたりしては生存していけないのであるが、が、昨今はPCのゲームに耽って其の分野に生活を切り開いたり、あるいは、競馬に凝って予想屋となって生計たてるプロフェッショナルもあるである。

好きこそモノの上手なれ――とそれが生計の元になる。つまるところ、狼疾こそが生きるの道を与えることになる。

山月記」の虎は人間から悖るとされる動物になったことを恥じ入っているが、虎として「誇る」べき点がまるでないようにいうが、此の”疾病”にも誇るべき点がある。疾走力、強い膂力に富んでいる。欠点を観ることに富んで長所に眼を防いでいる。

狼・・・真っ当でない
疾・・・病、癖など

しかし孟子の此の箇所では、狼疾人として、病を誤って見立てる人間として”藪医者”

と捉えている。小生は此処では”スガメの人間”として物事を真っ当にみられない人間と捉えている。