塩野七生作品が文学かどうかに意味はあるか?

塩野七生著『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫)を読んだ。例によって該博な知識、ローマ在住ならではの綿密な取材、鋭い洞察と流麗な文章で、テーマ(今回はルネサンス)の本質を縦横無尽に語り尽くした本。文庫になってから読む不熱心なファンだが、いつもの痛快な塩野節を堪能できた。以下、本の中身とは関係ないが、文芸評論家・三浦雅士氏との巻末対談を読むと、文壇からの「塩野作品は文学ではない」との声がかなり気になる様子。そんなこと気にしなくていいのに。

私見だが、塩野作品には『コンスタンティノープルの陥落』『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』のような優れた歴史小説=文芸作品がある一方、代表作『ローマ人の物語』のように、本来の意味での歴史書と呼ぶにふさわしいものも多いように思う。「学問的な厳密性に欠ける」という批判はあるけれども、逆に、そう指摘する歴史学者たちの著書を一般読者が読んでも、歴史の流れをうまくつかめないことが多いように思えてならない。専門領域に埋没したプロパーの歴史学者には期待できない、総合的な視点から歴史の大局と本質を叙述できる文明史家…という捉え方が妥当ではないか。

私、都市計画への興味が強いせいか、一番好きな塩野作品は『ローマ人の物語』の中の特異な1冊「すべての道はローマに通ず」。ローマ帝国の歴史を叙述した長大な作品の中にあって、帝国の基盤となる街道・橋・水道といったインフラにフォーカスし、優れた科学啓蒙書のように解説した内容だ。持ち前の眼力と筆力により、文明の根幹たるインフラの本質を見事に説いた類例のない本になっていると思うのだが、学会では「塩野さんは作家」という認識のせいか、正当な評価を受けていないらしくて残念。この例のみならず、塩野さんの圧倒的な作品群を見ていると、文学かどうかなんてずいぶん小さなことにしか思えない。