ハリ・セルダンになりたくて 第2部 (1)

[第1部の要約]
第1部では二つの予測をした。(1) [2005年は「デフレ脱却」が間近だといわれたが]2006年はデフレに逆戻りする、(2) [2005年は景気がよかったが]2006年から不況が始まる。
ハリ・セルダンになりたくて 第1部 目次(正式版)
http://d.hatena.ne.jp/koiti_yano/20060108/p2

逆ハリセル効果〜不愉快な2006年〜
こんな予測をしたせいで、本当に2006年はいろいろな意味で不愉快な年だった。GDPのデータが出揃うのは2006年の年末なので、若干の猶予があるのだが、消費者物価指数は約1ヶ月遅れでデータが出てくるので、僕の予測が当たっているのか、外れているのかすぐに分かるからだ。

僕の予測では2006年初旬には消費者物価指数は低下しなければならないはずであった(つまりデフレだ)。だから、僕は2006年2月23日にこう書いた。

■[ハリセル] 明日、1月の消費者物価指数の発表

前年同月比だとまだゼロくらいだと思いますが、今回か次回くらいに前月比で見るとデフレ(前月比でマイナス)に逆戻りしているのではないかと思います。

http://d.hatena.ne.jp/koiti_yano/20060223/p3

結果は「外れ」。僕の予測に完全に逆行して消費者物価指数は前年同月比で0.5%上昇した。そのことをid:fhvbwx氏は以下のようにネタにした。

■[ニュース]消費者物価指数、0.5%上昇
逆ハリセル効果発動!……なんでインフレ率が伸びているのに悲しいんだろうか。

よもやここの読者の方で矢野さんのblogを見ていない人はいないと思いますが、念のためハリ・セルダンになりたくて - 明日、1月の消費者物価指数の発表を貼っておきます。

http://d.hatena.ne.jp/fhvbwx/20060303/1141357809

「逆ハリセル効果」・・・つまり、僕が「物価が低下する」と予測すると「物価が上昇する」効果・・・まあ、早い話が「矢野、お前の予測は大外れだ」と意味である。

そして、その後も、消費者物価指数は低下することなく、順調に上昇し続けた。その様子をグラフで見ていただこう。

さらに僕にとって不都合なことに世間の日本経済に対する見方は「景気がいい」だった。たとえば溜池通信で知られる著名なエコノミストである吉崎達彦氏は2006年4月17日にこう書いている。

先週14日に発表された月例経済報告を読むと、今の景気は相当に若い感じである。あと1年やそこらは、失速しそうな気がしない。おそらく、こういう風に考えればいいのだろう。

●2002年第1四半期〜2004年第2四半期 輸出主導による景気回復 (2年半)

●2004年第3四半期〜2004年第4四半期 在庫調整による景気後退 (約半年)

●2005年第1四半期〜???       内需主導による景気回復 (3年程度?)

〇つまり、間に約半年の調整期を挟んだお陰で、景気が長持ちしている。前半の回復は、アジア向け輸出とデジタル家電が牽引役だった。後半の回復は、企業収益の改善と設備投資が主役であり、最近になって個人消費も動意づいている。日本経済としては、久々の内需主導型回復なので、2008年初頭くらいまで持続するかもしれない。

http://tameike.net/diary/apr06.htm (「<4月17日>(月)」参照)

さらに、吉崎氏は5月19日にはこうも書いている。

それでも社内で聞く話などは、「景気強いなあ」という情報が目立ちます。(中略)やはり内需は強い。これはそう簡単には崩れない。

http://tameike.net/diary/may06.htm (「<5月19日>(金)」を参照)

こういった認識は別に吉崎氏に限ったものではなく、2006年の間、僕はいたるところで、「日本は景気がいい」「好景気はまだまだ続く」「物価は力強く上昇している」という話を聞いた(中には僕が「2006年はデフレに逆戻りする」「2006年から不況に入る」という予測を知っていて、僕によく聞こえるように言ってくれる親切な人たちもいた)。

「四面楚歌ってこういうことを言うのか・・・」2006年の間、僕はそう思って何度も天井を見上げることになった。

加藤涼「現代マクロ経済学講義」に関する無駄に長い書評

[お断り]
1. 第3章と第4章はあまり読んでいない(特に第4章はまったく読んでいない)ので、以下の書評は第1章、第2章、第5章、第6章、第7章に関するものです。

2. 以下の書評は2006年1月から2月にかけて加藤さんからいただいた本書の「草稿」を読んだときの感想が大部分を占めています。出版された本書を読んでみると細かい修正はあるようですが、大きな変化はないようなので、その時の感想に基づいて書きます。

3. 本書の「日本経済へのインプリケーション」に異論のある方もいらっしゃるでしょうが、それには少し目を瞑って「DGEの教科書」として書評しますので、よろしくお願いします(←韓リフ先生向けのメッセージ)

[現代マクロ経済学の主流]
矢野の理解が正しければ、現代マクロ経済学の主流は「動的一般均衡モデル(Dynamic General Equilibrium Models, 以下DGE)」によって占められています。

「主流」というのは必ずしも「正しい」とは限らないかもしれませんが、それでも研究者がお互いに議論するには何らかの「共通の議論の基盤」は必要ですから、DGEはその基盤として用いられることが多いようです。

[DGEの四要素]
DGEに基づく論文は少なくとも以下の四つの要素を含んでいます。

1. 定型化された事実(stylized facts)[たとえば「現在のインフレ率は1期前のインフレ率からみて急激な変化をすることは少ない(インフレ慣性)」など]
2. Dynamic Programmingなどの現代制御理論に基づくマクロ経済モデルの構築
3. 前記モデルの係数の特定化(Calibration)
4. 前記モデルの1階条件を用いて均衡を算出し、均衡周辺で線形化したモデルをBlanchard and Kahn (1980)などの手法を用いて変形し、impulse responseを用いてシミュレートする

場合によっては3.が「ベイズ統計学(たとえばマルコフ連鎖モンテカルロ法)を用いたパラメータ推定」 だったり、4.の部分が「Value Function Iterationを用いたシミュレーション」だったりと若干違う場合もありますが、上記の四要素を含んだ論文は少なくありません。

[DGE初学者の困難]
DGEをはじめて学ぶ人たちが大変な理由はとても簡単で「勉強すべき内容が多すぎる」からです。つまり、「定型化された事実」を考え、Dynamic Programmingなどの現代制御理論を学び、係数を特定化する計量分析を学び、(基本的には)プログラムも自分で作らねばなりません。

要はDGEを使いこなせるまでに学ぶべきことが多すぎることが困難の原因のひとつだと言えるでしょう。

さらに問題として「日本語で書かれ、上記の四要素をすべて含んだ初学者向け教科書がない」点が挙げられます*1

[本書の特徴 (1)]
さて、本書の特徴ですが、第一に上記の四要素をほぼ完全に網羅している点にあります。先に述べたように矢野が知る限りでは本書に匹敵するような初学者に親切な教科書は邦文、英文を問わずあまりありません。

たとえば、邦文で言えば齊藤誠「新しいマクロ経済学―クラシカルとケインジアンの邂逅」はDGEをはじめとしたミクロ的基礎付マクロ経済学の入門書として広く読まれている「基本書」のひとつですが、上記4.のシミュレーションの部分がまったく欠けています(齊藤先生の場合、確信犯でそうしておられるようです[「まえがき」にそう書いてある]。これはひとつの見識だと思います)。

英文で言えば、Ljungqvist and Sargent, "Recursive Macroeconomic Theory"は包括的な教科書ですが、なぜかBlanchard and Kahn (1980)に代表されるようなLinear Rational Expectations Modelsの解説が抜けている・・・などといった具合で、本書のように上記の四要素をすべて含んだ(初学者に親切な)教科書はめずらしいと思います。

[本書の特徴 (2)]
さらに、特筆すべき点は「New Keynesianモデル=New IS-LM」に焦点が当てられている点です。

このNew IS-LMモデル(さらにその発展形としてのHybrid New IS-LM)は金融政策を論じるうえの"general framework" (Mccallum (2001))になっています。

しかし、この分野の標準的な教科書であるWoodford (2003)もWalsh (2003)も非常に長い(というか重い?)ので、それを読みこなして「金融政策を論じる」までに到達するのは初学者にはとても難しいことです(さらに付言すればWalsh (2001)にはNew IS-LMの記述はあってもHybrid New IS-LMの記述はほとんどありません)。

[本書の特徴 (3)]
さらに第7章では多くの初学者にとって難しい動学的最適化問題(制御理論)への入門とプログラム作成について著者は丁寧な解説を行っています。

この第7章は「あまり動学的最適化問題に詳しくない」読者にも分かるようにかかれており、著者が周到に本書を準備したことが分かります。あまりこの分野に詳しくない読者は、第1章の前に第7章を読んでみると良いかもしれません。

[加藤さんへ] 本書のpp. 210にある「われわれはいまだにインフレ率のバックーワード・ルッキングな部分がどのような経済主体の行動から生じているかを知らない」という部分ですが、この問題は今後も研究する必要はあるものの、どうしても必須なものだとは思いません。なぜならばNew IS-LM/Hybrid IS-LMにおける経済の変化の源泉はすべて期待項から生じており、「バックーワード・ルッキングな部分」はその足かせにすぎないからです(期待項からの効果を減じているのは事実ですが、それで本質的な議論が変わるとは思えません)。他に「日本経済へのインプリケーション」に関しても異論があるので、お会いする機会があれば議論しましょう。

[結論]
矢野と加藤さんの意見は(もしかしたら)異なるのかもしれませんが、そのような「小さな」違いを超えて、本書を推薦します。本書から「世界標準のマクロ経済学=Dynamic General Equilibrium」を学び、そして、大いに議論しましょう。

現代マクロ経済学講義―動学的一般均衡モデル入門

現代マクロ経済学講義―動学的一般均衡モデル入門

つーかお前ら、読みもしないLjungqvist and Sargent, Woodford, Walshとか買うくらいだったらこの本を買え!

[個人的な補足]
矢野は2002年6月からDGEを独学で学び始めました。加藤さんの「現代マクロ経済学講義」の草稿を2006年1月に読ませていただいて、その時に「新しい知識は(あまり)ない」と感じられたのが少しうれしかったです。草稿を読みながら、「ああ、(僕の)DGE入門は終わったんだな」と思いました。おかげで2006年はDGEのことを忘れて、ずっと非線形・非ガウス状態空間モデルの研究に集中することができました。

*1:英語でも上記の四要素をすべて含んだ教科書はあまりないかもしれません。