SFとのおつき合い 峯岸久

 ミステリーの翻訳をやっているうちに、なんとなくSFの作品にも触れるようになり、いつの間にかSFの翻訳ばかり手がけるようになった。
 なんとなくといったが、きっかけはわかっているので、一つはジョン・ウインダムの『トリフィドの日』にぶつかったためであり、もう一つはSFマガジン初代編集長の福島正実氏と年来の友人だったためである。
 友人といっても、福島編集長は、私のような怠け者の翻訳者のお尻をたたくすべは見事に心得ていて、おかげでこの怠け者が幾つか翻訳を出す羽目になったのだが、その意味では彼が編集者の仕事を離れて作家として独立したのは、私としてはちょっぴり残念な気もするのである。
 ところで『トリフィド』との出会いは、SFも知らなければウインダムも知らぬ時の、全くの偶然だったので、それだけにその魅力に純粋に引き込まれた。おかげでその作品を次々に手がけることになったが、先年その彼も歿して、新しい作品にはもう触れられなくなってしまった。これもはなはだ残念なことである。
 ウインダムのおかげで、SFの面白さを知ったので、そのあとも努めてSFの作品に触れるようにしたが、彼がイギリス人だったせいか、ジョン・クリストファーやジョン・バラードなど、イギリスの作家ばかり追いかけることになった。この三人、いずれもファースト・ネームがジョンなので、三人のジョンさんとつき合ったという気がしているが、真中のクリストファーさんは縁がなくて、まだ翻訳していない。私に限らず、まだその作品は翻訳されていないと思うが、彼の『草の死』(The Death of Grass)や『冬の世界』(The World in Winter。『長い冬』という書名もある)は大変いいもので、早く紹介されるといいと思う。
 バラードは『沈んだ世界』、『結晶世界』と二つだけおつき合いしたが、ウインダムなどの平明な文体と違って、大変凝ったもののいい方をするので、日本語にするには骨である。”新しい波”などと称される最近の短編の中には、大変すばらしいものもあるが、とてもおつき合いしかねるといったものもあるようだ。
 イギリスついでにブライアン・オールディスの作品を二つぱかり読まされて、好きなほうを翻訳しないかと薦められたが、怠け癖がだんだんひどくなって、よほど面白がらないと引き受けなくなったので、ご辞退した。ただしそのうちの『宇宙船』(The Starship)というのは、なかなかよかったと思う。いずれこれも紹介されることだろう。
 アメリカの作家ではシェクリイ、ブラウン、シマックなどという人の中・短編におつき合いした。シマックさんなどはわりに気が合うほうらしく、幾つか手がけた。ごく一般的にいって、アメリカの作家は、イギリスのそれに比べると、いずれも才気にあふれている感じである(時には才気に走りすぎたりするが……)。お国がらか、それともサービス精神か。最近大評判のマイクル・クライトン(『アンドロメダ病原体』)にさえ、それがうかがわれる。ただし最近接したロジャー・ゼラズニイという人の″才気″には感心した。それが粋なところにまで昇華して、まことにサッソウとしている。『伝道の書に捧げるバラ』(A Rose for Ecclesiastes)という中編がとりわけよかった。これも早く紹介されるといいものの一つである。
 こうして見ると、私とSFとのつき合いもそう大して深いものではない。古今東西にわたって作品を広く読んでいるわけでもなく、またSFでなければ夜も日も明けぬというほど熟を上げているわけでもない。むろん”研究”などといえるほどの打ち込み方もしていない。ただごく平凡に好きなだけだ。
 しかし、ごく平凡に好きな読者がふえるほうが、SFを本当にこの国に根づかせることになるのではないかという気がする。またそうした読者を広く獲得してゆくだけの魅力を、SFは十分備えているように思う。怠け者の私などが、編集者にお尻をたたかれながら、こりもせず翻訳を続けているのも、そうした魅力を一人でも多くの人に伝えたいと思うからにすぎない。
 SFのどこがいいのか、一口にいってみろといわれても、ちょっと困る。論議の好きな方には、イギリスの小説家キングズリー・エイミスという人の『地獄の新地図』(New Maps of Hell)というSF諭が、まことに格好な手がかりを与えてくれるはずである。この翻訳はだいぷ前に着手されているはずだが、いまだに現われてこないのは残念である(怠け者は私だけに限らぬようで安心した)。ただ、論議だけでは面白さは伝えられまい。面白さを伝えるには、いい作品が出てくるのが一番である。
 その意味で、このごろ傑出した作家があまり出なくなったような気がするのは、少しさびしい。怠け者をふるい立たせるような作家がいない。しかし、何といっても文芸作品である。一人の天才が現われれば、たちまち理屈を越えて、万人を引きずり込んでしまうに違いない。ぞのつもりで、気長におつき合いしてゆこうと思っている。