変更

 はてなの日記に変更があったとか。よくわからんけど久しぶりに書いてみる。いまはうちのわんこの老介護で家を一時間も空けられない。一応、立ち上がれるのだけれど、フローリングなどの滑る場所はバタンと倒れてしまう。倒れると体の表面にできている大きな腫瘍から出血してしまうか、肛門周りの筋肉が衰えているので脱糞してしまうか。

 

 わんこ本人はボケているわけでもなく、というよりも人間で言ったら110歳くらいなのに聡明で、なんでもよくわかっているので叱らないようにしている。犬も阻喪したときはがっくりくるらしい。もう長くはないのだから、楽しく過ごさせたいし、叱ったあと急にぽっくり逝かれたら後味が悪い。

 

 まあ、あとちょっと、もうちょっと。17年だからねえ。古いお友達の犬はみんな虹の橋を渡ってしまった。うまいものをたんと食べさせて、楽しく楽しく旅立ってほしい。

つかえている人

 筑波で写真のグループ展に参加している。遠いんだけれど、まあしかたない。

 実を言えばいつも都内で参加しているグループ展には出なかった。去年、新たな参加者を推薦し、その人を無視されたからだ。無視された理由は簡単。スカウトのひとりである女性が、ぼくが推薦したひとを嫉妬したから。二十年近く写真をやっているのに芽が出なくて、ぼくが推薦した人が写真を始めて五年くらいで銀座のニコンで展示してしまったからだ。そこで展示したら、自称ではなくて本当に写真家と名乗ってもかまわない。

 で、推薦したのに参加させてもらわなかった人は、嫉妬で外されたとは知りもせず、スカウトである女性と仲良く接している。裏を知っているのはぼくだけ。嫌気がさして今年は参加しなかったというわけだ。

 そうした事情もあって今年は筑波に参加した。でも、どこに行ってもおかしな人はいるもんで。展示の初日の夜はオープニングパーティーだった。そこへ1966年生まれだといういかついおっさんがやってきた。写真をやっている人なんだという。グループで活動しているらしい。だけども、別に世に出ている人ではないし、プロレスで言ったらインディーレスラーのまま歳を取ってしまったタイプ。そいつが今回の出展者である女の子を泣かしていた。大学の四年生で、初めて写真の展示をした子だったのに、なにやらキツイことを語ったらしい。ほかの女の子にも説教じみたことをしていて、その子は明くる日に展示内容をがらりと変えていた。前のほうがよかったのに。

 老害っていつから始まるんだろう、なんて思っていたけれども五十代なのかもなあ。それにしても、そのおっさんのやっている写真と、今回の写真展の趣旨はまるで違う。それなのに偉そうになにを意見しているんだ、と。メジャーになれなかったインディーレスラーのなれの果てが、地域密着で楽しい板橋プロレスみたいなところへ行って、「闘いがない!」なんて説教しているようなもんだ。ほっとけよ。おまえこそメジャーにたどり着けなかったくせに。

結局

 こつこつと結局また書き始める。うちのワンコが生きている限りは働かないといかんからなあ。今日は起きたら昼前だった。テレビをつけて朝に大阪で大きな地震があったことを知る。阪神大震災はたしか卒論の提出期限の前日くらいだったかな。最後に図書館で調べ物をしようと午前中に向かったら、勉強しているミワちゃんと会った。
地震、大変だったね」と言ったらミワちゃんは朝方地震があったことを知らなかったらしく、慌てて帰っていったことを覚えている。


 

ベルト

 ずっとオカダカズチカがベルトを持っていて乗れなかった。二年間だからねえ。そのあいだ新日は潤いまくった。ゆえに神輿の上に乗せるのはオカダと決めてしまった。棚橋や柴田やケニーがどれだけいいレスリングをしても、金が入るほうを選んだというわけだった。で、つまらなくなっていた。

 先日の大阪大会でやっとベルトが移動。とはいえこれはあからさまにわかっていたこと。七月七日に新日はアメリカで興行を打つ。そのためにはベルトを持っているのは外国人のほうがいといい。今回の興行でIWGPヘビー、インターコンチネンタル、ネバー、USヘビー、IWGPヘビーのタッグとすべて外国人が持つことになった。ジュニアとジュニアタッグだけは日本人。そういう位置づけなのだろう。


 アメリカでの興行ではケニー・オメガコーディ・ローデス(ゴールダスト)がメーンのカード。インターコンチはクリス・ジェリコが持っている。現在、新日本プロレスのネット配信である新日本プロレスワールドは40%が外国人の加入者だそうだ。まあ、WWEを倒そうって言うのはいいけど、経営的戦略の側面からベルトの移動が読めてしまうのは面白くないわな。

嫉妬

 取材で芭蕉の歩いたあとを歩いている。東京の深川を出て、一関まで北上し、その後山形側へ来ている。山寺も登った。取材だけで三年間はかかるだろう。次回は最上川の舟下り。芭蕉が舟下りをしたもんだから、同じように。で、五月の頭は同じ出版社に沖縄に連れて行ってもらった。そうすると、ぼくのことを贔屓されていると言っている人が出てくる。まあ、わからないでもない。ぼくは全然本を出していないし、売れっ子でもないのに、四国一周歩くだけのお金を出してもらい、今回は東京発みちのく経由で岐阜まで。また来年も沖縄に行こうなんて話が出ている。贔屓されているって言われても、まあ否定はしない。

 たぶん、そう言い出したやつがぼくよりも売れていて、寝る暇もなく仕事をしているからなんだろう。生活のあらゆる隙間を仕事で埋めている。ぼくはと言えばのんべんだらりと本当に仕事をしているんだかしていないんだか。それなのにいろいろなところに連れて行ってもらい、その土地のいちばんおいしい食べ物をいただく。もちろん、四国を一周した分の仕事は終わった。だから、またのんべんだらりとやっていくんだろう。

 ばりばり働いてばりばり稼いでいる人は、ちょこちょこ働いて薄給である人間を許せないようだ。自分で勝手に忙しくなっているくせに。野望に燃えて頂点に立ちたいと思っているのはそっちのほうで、ぼくは業界の端っこで自分のペースで自分の書きたいことだけを書ければいい。それが甘いというふうに見えるのだろうけれども。ぼくとしては勝手に自分の首を絞めて窒息しかかっているやつに、あーだこーだ言われたくないね、と。望んで手に入れた苦労じゃないか。勝手に七転八倒していろよってことですよ。で、その人がいい待遇を受けないのは人間性だからね。売れっ子なのに根性が腐っているから、人間関係でいい目を見ない。基本的にばりばり働いてばりばり稼いでいるやつは自己批判ができない。気づきもしねえ。

テントウムシ

 今日は『レディ・バード』を見てきた。

 十八、九歳のころの、大切でいとおしいものだとわかっているのに鬱陶しくてしかたなかったり、なんかもっと最高の自分になれる気がしているのに地面を転がりまわりたくなるくらいみじめだったりする、あの感覚をまるっと入れてあって素晴らしかった。監督は女優もやっているグレタ・ガーウィグ。まだ三十代前半。だから、ビビッドにその年代の女の子を描けたのかも。というか、見た誰もが思う。あれは監督の高校時代だ、と。

 ぼくはちょっと遠くへ来てしまったな、と正直思った。三十代前半だったら、もっとビビッドに自分を重ね合わせ、恥ずかしくなったり打ちのめされたりしたのかもしれない。ぼくはだいぶ大人になってしまった。肩書きも手に入れて、小説家だとわかると相手は勝手に距離を取る。ぼくかどうかではなく、その肩書きで判断する。それはこちらとしては楽なことだ。勝手にフィルターをかけて値踏みしてくれるのだから。でも、そのおかげでぼくは十代のころのようなふがいなさやみじめさに直面することはなくなった。大人になった分、違うみじめさはつきまとうけれど。

 とりとめもなく思い返す。夏合宿でなぜかウエガキとフジタ君と同じ部屋になり、ウエガキが楽しそうに、自慢げに夢精したことを真っ暗な部屋で語っていたのに、なかったことになっていたこと。LÄ-PPISCHの読み方がわからなくてフジタ君とヨシムラに笑われたこと。菅旅館でなぜかニッシーに肩を揉まれ、「凝っているというよりなんかおまえの肩おかしいな」と言われたこと。ミウラヒロコがお母さんから「彼のどこが好きなのか」と聞かれ、どこが好きなのか答えられなくて好きじゃない気がしてきた、なんて言い出したこと。自暴自棄になって高松の池に飛びこんだら体が臭くなったこと。

 ともかく、『レディ・バード』はそういった十代のありふれたあれやこれやだけを詰め込んでいて、自分を思い出して身悶えする映画となっている。もちろん、母と娘のストーリーとして秀逸なのは言うまでもない。ぼくが好きなのは母親がレディ・バードを叱っているとき、父親がこっそりパソコンでソリティアをやっていて、見つかって母親にどやされるところ。あるよね、そういうリアリティ。

琵琶

 最近はサクマさんと映画三昧。『モリのいる場所』、『犬ヶ島』、『パティ・ケイクス』。それにしてもどうして日本語版予告はつまらないのだろう。『犬ヶ島』はウェス・アンダーソン監督。あの人の映画が「泣きました」とか「感動しました」のはずがねえだろう。あのCМを作った人たちは猛省したほうがいい。映画自体は『パティ・ケイクス』がとてもよかった。クソみたいな町を出てラッパーになるという夢を追いかけたいデブの女の子。けど生活は貧困、祖母の介護、アル中のママと最底辺。そこからいい着地点に向かう話だった。

 PATTI CAKE$ | Official Trailer | FOX Searchlight - YouTube


 おとといはそのラップ映画見たというのに、昨日は根津で琵琶の生演奏を聴きに。演奏を聴きながら日本酒を飲める企画らしく、誘ってくれた人と遠慮せずにどんどこ飲む。途中、懐かしい日用品店があった。細い路地にある昔ながらの日用品店。思えば八年ほど前、写真教室に入って最初に撮影に行かされたのが根津だった。その日用品店の軒先に吊り下げられている象の形をしたオモチャのじょうろを撮ってプリントしたら、写真教室の代表に褒められたのだった。そのじょうろがまだぶらさがっていた。些細なことでも褒められたことは覚えているもので、ふとしたときに思い出すのはいいことだと思う。