そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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JIN-仁-#11(終)

http://www.tbs.co.jp/jin2009/
「仁先生がお困りになるとポンっと現われ、手をすっと出すと望みの物を差し出す」‥‥って、フツーに龍馬のことだと思ったよ!違うってw(セルフツッコミ)でもだって男に後ろから抱きついて胸揉むやつだぜ、龍馬さんはよーw
ああもうステキすぎる、内野龍馬!(笑)
あ、橘家で着替えを渡された仁先生の着物が、やっぱり最初のツンツルテンなやつだった‥‥ってのも細かいなあw
ってことで最終回としては文句ないよ。面白かった!キャラの感情とかそういう気持ちの見せ方の流れとして突っ込みどころ無し。タイムスリップとか胎児腫瘍とかはとりあえず置いといて。
なんかストーリーって意味じゃなく、自分が思った通りに終わってくれたというか、見たかったことは全部拾ってくれたというか、そういう意味でまったく文句なかったです。
具体的には野風の万華鏡が世の理を表したようなものだと思ってたのも(3話の感想に書いとるGJなオレw)ちゃんと龍馬とのシーンで拾ってくれて、龍馬がその意味をわかった上で「その話をいつか南方仁にしてやってくれ」と言うように、この話のタイムスリップな部分って何だかんだいいながらそういう話だったと思うなあ。メインの謎とかじゃなく、単なる状況のひとつって感じで。
その野風言うところの万華鏡の模様って咲がいう水の形ってのと同じことで、湯気になっても雪になっても本質的には変わらないってこと、劇中ではちゃんとそれは未来のことだと示唆する描写にはなってるけど、でも仁先生は現代にいても江戸にいても変わらず仁先生だってこととか、野風は花魁でも庶民になっても野風のままって意味もあるんだと思う。世の理を説く野風と人の本質を言い当てる咲って意味での対比としてもキレイだしな。
万華鏡の話を聞くのが龍馬だってのも、「坂本龍馬がいなくても変わりになる人物は必ず出てくる」という勝海舟の、龍馬がいなくなっても慌てずやっぱり歴史の流れの真実を言い当ててる(といっても本当にそうかどうかはわからないけど)と言うことでは、実際歴史を動かす人間だなあという気が。未来を知ってるから進めない仁先生とはやっぱり器が違うというか、龍馬の直感的な無茶ぶりにしてもだけど、逆に先のことをいろいろ思い悩んで足踏みするのが普通の人間なら、やっぱりそういうとこで普通じゃないんだなーって。
でもって一番決断が必要な時や仁先生を守らなければいけない時に龍馬がいないという(笑)龍馬さんは万能すぎるからなあw
 
仁先生の迷いって遠くの未来を見ながらその場で足踏みしてるようなもんで、それがそのまま仁先生の優柔不断さなんだけど、本当は遠くの未来にたどり着くためにはどうやったらそこにたどり着くのかを頭の中で考えててもダメで、とにかく実際に一歩踏み出さなければいつまでたってもその未来に到着することはないってことじゃんか。
それがコレラペニシリンで描いてた「目の前の今自分ができることをやる」ってことであって、変わる未来と今できることの兼ね合いをSF的に使いつつ気持ちを描くって意味では、このドラマってそこら辺を上手く見せてるというか、終わってみてそこで筋がちゃんと通ってたなあと改めてその上手さに感服。
このドラマのOPがすごく良いのは、そういうとこ踏まえた上で「今があるから未来がある」をはっきり見せてるとこで、最終回のエンディングで仁先生が歩いていくとこにそれをまた被せてる、江戸に生きてる人々の暮らしがあって今の現代の東京があるってのは、ドラマとしてじゃなく実際に普遍的な事実だし、龍馬が言うように今の歩みの積み重ねだけが未来になっていく、だから自分が今できることをやることが重要だってことを最初からしっかりメッセージとして伝えてるってことだよな。そしてそれははっきり決まってるわけじゃなく状況次第で変わっていく、個人の意志で変えられるものだってことも含みを持たせてるからドラマとしても広がりがあるしさ。

そもそも仁先生のタイムスリップが神の与えた試練なら、人である仁先生がそれをコントロールしようと思うのもおこがましいって話だし、そこら辺を勝先生が言うところの「誰かに決めてもらう」で落としてたり、自分の大切なものに関わるから迷ってる仁先生に対して、いつものごとく無責任なことを言うんでなく「自分」を担保にしてそのリスクを一緒に負ってくれる龍馬とか、完璧でカッコよすぎるよな、ドラマの展開としても。
咲にしても佐分利にしても野風にしても、仁先生が迷いながらも踏み出した一歩を見て自分のやるべきことをやろうと決めてる、その責任は自分にあるっていう、いつの時代も何かを進めるのは誰かの勇気ある一歩で、未来を知らなくても信じてるからこそ礎になろうとするその志が美しいって話ってことで、なんかいろいろ泣けるよ。面白すぎて。
野風の年季明けもすげー良かったし、咲が仁先生の手術を守るのも良かったけど、野風にしても咲にしても何かを変えようとして自分で自分のやるべきことをやったうえで、そこに命も懸けてるという必死さがいいんであって、それはどうなるかわからない未来に何かを託してることだと思うのよ。それに命を賭けられる決意の潔さがカッコいいというか。
だって吉原から外に出られない花魁の野風にしたら、それでも乳癌を盾にするのが精いっぱいの抵抗であって、本来身請け話を断るいわれもないし、乳癌ならそのまま死ぬこともあるから自分の未来を知ってるも同然ってことになるんだけど、その見えてる未来に自分ができる範囲で抵抗したってことだよね。
咲だって嫁いでいったら未来はある程度決まったものになるんだけど、それに対しても結納を断ることが死に同じくというあの時代の武家の娘にあって、それを覚悟で自分を通したいというか自分の生き方は自分で決める、それは身勝手なということでなくこのドラマ的にはそれが将来の何かのためという大義名分があって、そこに身を捧げるつもりだってのがちゃんと判るから感動するんだよな。
そんな中で仁先生だけが現代の婚約者のために目の前のできることをやらないってのはないと思うし、それは自分に対しても歴史の未来に対しても不誠実だし。別に自己犠牲しろといってるわけじゃないけど、まあドラマ的にはそこで悩むのが仁先生のキャラとして面白いんだし、洪庵の墓に相談したり火消しの親分に話を聞いたりするような描写が入ってるってのがこのドラマのいいところだとも思うんだけどね。それを立ち聞いた龍馬が勝海舟にその話をすることも含めて。「そんなヘタは打たねえよ」って言う勝先生はさすがだけどw
その「できることをやったからこそ後悔しない」から、野風は生き続けることができるんだしさ。まあそんなことウダウダ語るまでもなくあの別れのシーンは感動するなあーとか、庶民風の作りで花魁姿より美しくないけど中谷美紀はやっぱり神だなーとかボンヤリ思ったり。いやあのシーンはメインの4人みんな良すぎるけどさ。このドラマのいろんなエピソードの頂点だよな。泣ける。
野風は仁先生に手術してもらって命を救ってもらった、そういう繋がりを持てたってことで何もかも吹っ切ったんだなあという、あのキスシーンの野風の表情の一瞬をスローにする平川さんの演出が素晴らしいし!
 
そういや見返して思ったけど、仁先生と未来の写真ってタイムスリップSFのお約束を逆手に取った引っかけかな?それもちゃんと劇中で突っ込み入れてたけど、だって写真の未来が消えるってことは未来が生まれないってことじゃないよな。仁先生と未来が一緒にいないってだけで、未来はちゃんと生まれてて別の人生を生きてるってことだってあるわけだし。仁先生が生まれないってことはないと思うけどーっていうかそしたら江戸に仁先生来てないよw
でもそれが最後の、仁先生が見た現代の幻が仁先生のいる江戸の変化した時系列の未来だとすれば、野風が身請けされてたらその子孫の未来は医者を志して仁と出会ったんだろうけど、そうならずに命長らえた野風が手習い塾を始めたから現代の未来は学校の先生になったってことじゃないかなぁ。でもその未来が仁先生と出会わないってこともないよな。未来が脳腫瘍で入院して仁先生が担当になるとかありそうだし。
それにあの写真って2009年に対して2007年、つまり過去の写真だから、本当の現代でどうなってるかなんて判んないし、それって平成22年の十円玉の謎の続きじゃないの?なんかいろいろこのドラマの設定としてはハマりすぎてるー、続き見たいー。
でもって龍馬が介抱されてた漁師村はホントに江戸の漁師小屋?(笑)いやそうなんだろうけど、浦島太郎ってそのまんまじゃねー?(苦笑)まあそんなとこで引っかけもないだろうけど‥‥っていうか、だってそもそも二人で落ちた時の怪我って、現代で運ばれてきた時の怪我にはほど遠かったよな。
むしろあれは本当の坂本龍馬が死ぬ近江屋事件の時で、血だらけで階段落ちでタイムスリップ、「坂本龍馬最後の七日間」な気がするような(笑)違うかなー?w
映画があるかどうかはともかく、ドラマとしてはちゃんと完結しつつ、映画にも引けるようにはなってるよね。あればあったで楽しみですが。
 
そういやこのドラマ見てると、俳優さんの言うセリフが台本に書かれたものであるってことがなんか想像出来ないんだよなーと思えるほど、キャラが生きてたように思うよ。
本当に面白かったし久々に入れ込んだドラマだったー。