高圧電線の鉄塔はわたしも好きです

kotiqsai2007-07-08

じつはわが家の近くの鉄塔、先週くらいまで送電線の交換作業が行なわれてました。ケーブルの上を作業員たちが歩いていたりして、いやあ絶景だったのだがなかなかいい写真がとれず残念でした。
本日紹介する「窓からの夜景」にものっぽの鉄塔がほのぼのとつったっていて、とてもうれしい。

文藝春秋の新刊 2003・3 「窓からの夜景」 ©大高郁子

深い青の夜空に白くて楕円に月が輝き、星は見えない。丘の中腹に建つ家からの風景なのか、屋根越しに落ち着いた灯りの広がる都市がやさしげで穏やかだ。
白い灯りの点、それだけを見れば平板なのだがちょっと目を遠ざけてみるだけで、街並みやら灯りに集う人々の営みやらも見えてくる、とてもなつかしい1葉です。

津原泰水 ルピナス探偵団の当惑

先月購入しました。1994・5年に講談社X文庫ティーンズハートで出版されたジュニアミステリを改稿したものだそうです。
まずはすてきな表紙だ。赤川次郎やその他書店の平台でもよく出会う北見隆のカバー画に惹かれました。マニエリスムというのかな。ひょろりと伸びた背の少女たちともっともっと長い影。平板で無機質で低温な少女たちの無表情がミステリの表紙としてはわるくない。

http://www.ne.jp/asahi/takashi/kitami/index.html

北見隆のホームページ。氏の装丁した多くの書籍と出会えます。
とはいえ、きれいなカバーだという理由だけで中身を斟酌せず購入してはいけないというお手本のような読書体験だったな。女子高校生トリオが3つの事件を解決する連作短編集との認識で読み始めたのだが、なんだかそれでいいのか悪いのか。
村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」第1部・第2部2冊が同時発売されたとき、はやばやと書評を発表し恥をかいた人もいたが、わたしもそうなるのか。
ルビなしでは読めぬ登場人物表(カバー裏はルビなし)が表紙次ページに置かれていて、そこには勤野麻衣子…編集者。第1話の犯人という1行がある。第2話・3話の登場人物表もあるが、そちらには犯人の名指しはない。
第1話を読んでみれば、それは倒叙ものではないし、また真の意味でのアリバイ崩しにも小説はなってないので、犯人の名を登場人物欄に載せた意味がいまのところ不明。
考えられる解答として第2・3話に“なぞ”や“意味”が流れ込み、第1話の人物紹介の意味が反転して鮮やかに浮かぶということなのかとも思うが、もう第2話以降を読み進める気力が失せていて、なんとも大きな謎が残ったままだ。
推理小説ルネサンスを経験しているわたしたちなので、竹本「匣の中の失楽」泡坂「11枚のトランプ」若竹「ボクのミステリな日常」その他、入れ子細工の精緻を披瀝できる多くの作家・作品をしっている。この連作集がそれをめざしていたとすれば「最後まで読まずにごめんね」というしかないな。
読めなかった理由のいくつか。いくら学園ミステリとはいえ、警官である姉とその上司が女子高生のグループに捜査の根本をゆだねるというのは、想像を絶するな。そういう架空の場所を設定するのもありとは思うが、荒唐無稽なストーリーにも最低のモラルは欲しかった。浅見光彦だって、きちんとお兄さんからのお墨付きを貰っているんだし。
お姉さんがラブレターの3枚目を剽窃し、それをボーイフレンドが誤解したという設定は悪くないでしょ。だったらそれを表せばいい。作者の腕の見せ所のはずだ。
身長で犯人が分かるというメインの謎解きはいいとおもいます。だけど、冷えたピザの謎解きの方は変だぞ。その譬えに「残したあんみつの牛皮を他人が食べちゃう」なんてのは、そんな汚いこと女学生が想像するかよ。
なおかつピザの嫌いな犯人だから「前日のピザかどうかも分からず食べる」なんていくらなんでも変だ。関係ないけど海渡英祐の短編で「被害者に鮨を食わせてアリバイ時間をずらす」というのがあったな…それって常套手段かな。
主人公のボーイフレンド祀島龍彦が建物の化石ファンって、亜愛一郎そのものだがだからってドジでもてない昼行灯と、こちらが読み取ってあげるかどうかは作者の腕次第だろう。研究会には“隅の老人”もいてもちろんそれはそれでいいのだけれど、リビドー最盛期たるべき男子ティーンエイジャーの造形は間違っている。
というわけで、第1話で呆れて第2・3話を読む気力がいまのわたしにはない。たぶんこの先も気力は出てこないと思う。全て読み終えたなら登場人物表の謎も解けているのかも知れぬが、ごめんそこまで、付き合えないな。