KSEN(京都ソーシャル・アントレプレナー・ネットワーク)と東京


コメントまことに有難うございます。


1. 本来はソフトなさわやかNさん、我善坊さん、ハードな話題に
お付き合い頂き、光栄です。

「(日本にとって)1945年が近代と現代の分かれ目だという人が我善坊さん以外に
居なかった」というのは本当に意外で、ショックですね。
Nさんによれば、新指導要領に期待したいところですね。


ついでに言えば、
(1) この国の統治の理念とシステムは、新憲法にもとづくもので、
その意味から言えば、日本・日本国民は実に若い国家・国民である

(2) 米国が約230年に比して、日本はまだ米国で言えば、南北戦争
経験していない時間しか経っていない訳です。
政治やその代表や(本当は、選ぶ我々自身も)、いかにお粗末かと憤慨しても
仕方ないのではないか。逆にいえば、むしろ日本の統治システムが成熟するのは
これからなのだと信じて、未来と若者に期待しようではないか。

(3) しかも米国でさえ、今だに、ご存じのような有様で
(この辺は、慶応の渡辺さんが近著『アメリカン・デモクラシーの逆説』
岩波新書で要約しているが)、民主主義が(チャーチルが言ったように
最悪の中での最良であるにしても)いかにコストのかかる,無駄と逸脱の多い
システムか、ということだと思います。


2. mytopgunさん,映画『ハーブ&ドロシー』の2人を「壮絶な執着心」から
捉えるというのは確かに、いい指摘ですね。


これやはり、アメリカ人でしょうか。淡泊な日本人とは違いますよね。

話は変わりますが、那覇マラソン完走おめでとうございます。
次はいよいよ、東京マラソンですね。


3. ということで、
本題に入りますが、私が京都で6年強関わっている
京都ソーシャル・アントレプレナー・ネットワーク(KSEN
運営委員の仲間のうち、若い仲間が、いま3人、京都から転勤になって
東京で暮らしています。


KSENの東京として、独自に活動するということはまず難しいのですが、
折角、ソーシャル・アントレプレナー社会起業家)の活動や存在意義に
関心をもってくれる、これら若い人たちのことも(僭越ながら)ちょっと
考えていきたいな、ということで、15日、日本滞在中のコロンビア大学準教授の
ジム・マンディバーグさんと夕食をともにするときに、声を掛けたところ
2人が参加してくれました。


4. ジムさんは、ソーシャル・エンタープライズ社会的企業)とその
日米比較を研究テーマにしています。


臨床心理士の資格をもち、ソーシャル・ワーカーとして、米国の心身障害者の
ケアを長年携わってきました。


「ビジネス・ピープルの立場からではなく、障害をもった人たちの
方から、どうやって彼らが自立したコミュニティや経済のサブシステムを
つくることが出来るかが私の関心事であって、そのために、ソーシャル・エンター
プライズが役立つだろうという視点で研究しているのです」


という彼のスタンスは明確です。

言うまでもなく、彼の視点からは、利益追求は目的ではなく、どうやって、
(本来的には利益追求の教科書である)ビジネスの手法を
学んで(うまく、盗んで)、「弱者」を助けられるか?ということを追っかけている訳です。

5. 六本木の国際文化会館で夕食のあと、ロビーに移って、
午後10時近くまでいろいろと意見交換をしました。

参加してくれた若者1人からメールが来ました。


・・・ジムさんは日本とも関わりが深く親近感わく方でした。
精神病のケアという普段とちょっと違う切り口での
ソーシャルエンタープライズの話しが非常に興味深かったです。

川本さんの疑問はとけなかったみたいなのですが、
私は川本さんの疑問が何なのか?という疑問を持ちました(笑)・・・


6. 私がどんな疑問を持ったかについては紙数の制約で省略しますが、
彼ら若者が、日本人とは違う感性をもった人間との、ひとときの触れ合いから
何かを感じ取ってくれたら、私としては嬉しい限りです。

ちなみに、ジムさんは、奥さんは日本人ですが、自らは日本語を話しません。


年に一度は訪日して、ケース・スタディやリサーチを行い、
京都にも来たことがあります。


京都では、オムロン京都太陽(昔のブログで紹介しました)
にお連れしたり、KSENの仲間の植木さんが提供している
「カスタくんの町家」でのイベントに参加してもらったり、

私のゼミにも参加してもらいました。


そんなことも懐かしく思い出しながら、異国人と付き合うことの意味
というようなことを考えました。