レヴィナス

レヴィナスを読んだりしてます。
レヴィナスに関する講義は1回のときにもとってみましたがさっぱり分かりませんでした。
レヴィナスの経験の場面を自己の経験と重ね合わせて読むとよい」とアドバイスをいただいた今期もその「異常な日常」の思想(©合田正人)っぷりにやはり四苦八苦してました。
「虐げられる他者」とか「虐げる自己」というもの自体については思考できなくもないんですが、でもそれはレヴィナスの言ってるほどひどくねぇよ、レヴィナスはあまりに特殊な経験*1をしてるから極端すぎるんだよ、とか思ってました。
が、

なんだ身近にあった。

# Leiermann 『お邪魔します。この件に関しては、確かにもう少し言葉の選びようがあったかも知れないという点では少し反省しております。ただ、意図的に挑発をしたこと自体に関しては、こちらも「盗人にも三分の理」というものはあります。即ち、「素朴な人間を悪習に染めんとする俗物の記」という論評をしたこと自体は誤っていたと思いません。というのは、まずあの記事を書いた人は、自らの記事の暴力性に気付いていなかったのではないでしょうか。そういう人に対して批判的なコメントを付けることは、それこそもっと簡単に「閉鎖」という形で逃げられることになると思いました。それではこちらの批判も消えてしまいます。
であれば、こちらも敢えて暴力的な言葉を投げつけることで、先方に再考を促し、議論の場に引きずり出すという手があるかと思ったのです。正直なところ、blog というものを、まして第三者を肴にするような形で書いている以上、感情的な非難というものを避けられると思った方が誤りだと思います。「非モテ」側にしたところで、いつまでも「僻み」だの何だの、無理解な人から頭ごなしの批判を浴びています。そういうものを受けることが宿命であるという覚悟のない人には、もとより blog を書く資格はないと思いました。
たかだか一人か二人から罵声を浴びせられただけで blog を閉鎖する人なら、もとより当初から覚悟を欠いていたと言われても仕方がないのではないでしょうか?こちらはメールアドレスも blog も公開した上でものを申しているのですから、先方は反撃することも無視することもできたはずなのです。

これってまさにレヴィナスの批判した(ことから間接的に批判されうる)「虐げる自己」の「自分のせまい尺度で他人を判断する態度」とか「相互の争いや暴力を源泉とする、他人よりも自己を重んずる傾向」そのものだ。そしてそれがとる「自己が自己に束縛されている」という構造。
レヴィナスはこのような態度を批判してるのだとでも思えばメタから本質に迫る感じで読みやすくなると思った。*2
ていうかそれとは別にこの人の態度って「やさしさの精神病理」の枠組みで見ることもできそうだ。
「しねばいいのにコメントしてあげるやさしさ」

レヴィナス・コレクション
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*1:アウシュビッツとか

*2:ぼくらはアウシュビッツなんて経験できない